公爵がうちに来た……!
「ああ、いいお茶だ。とても美味しい」
優雅に足を組み、紅茶の香りを楽しみながらそんなことを呟く。可もなく不可もない我が家の居間なのに、彼のいる空間だけ、とても華やいでいた。
「えっと。どうして我が家に?」
「だって気になるだろう? 王太子に好きな色だと言わせたドレスを着た令嬢」
「……そのことは忘れてください」
あの夜会での出来事は、すごい勢いで広まった。貴族社会、暇なのかというぐらいの勢いがある。家族は知らない出来事であったが、その前にすでに社交界に広がる噂を作っている実績から、あまり驚かれなかった。ただ、ほどほどにしないと後妻の話もなくなるとお父さまには釘を刺された。
わたしが意図して作ったわけじゃないのに。泣きたい。
「それで、ご用件は?」
「別に用があるわけじゃないんだ。ただ話したかっただけ」
「意味が分かりません。わたしも暇じゃないので、冷やかしならお帰りください」
「うーん、言い方が悪かった。僕が誰か知っている?」
知っているか聞かれて頷いた。
社交界で大人気の若きウィリアム・ビセット公爵。しかもまだ独身。結婚したい女性たちの垂涎の的だ。女性にだらしないという噂は聞いたことはなかったけど、昨夜の様子を見る限りそうではなさそう。噂にならないように、上手にやっているのだろう。まあ、二十代の男子が身も心もピュアだなんてわたしだって思っていないけど。
「それで」
「それで?」
聞かれて困ってしまった。何を聞きたいのかさっぱりだ。困惑が分かったのか、ビセット公爵はため息をついた。
「王太子の正妃が僕の妹だということは知っている?」
「ああああっ! なるほど!」
どっと冷や汗が出た。心の中で、両親に最大の謝罪をした。幸いなことに不敬で処罰されても、パテール伯爵家は薬師の一族。その有用性はゆるぎない。バカな娘が、一人断罪されるだけである。
夜会に参加しなければよかった、と嘆きながらビセット公爵の言葉を待った。
「あー、うん。盛大に勘違いしていると思うけど、別に断罪なんてしないからね?」
「え!?」
「あの程度なら子供のおままごとレベルだ。過激な令嬢なんて、王太子に媚薬を盛ろうとしたり、無理やり抱き着いて、胸をはだけて事後という感じに演出したりするからね。王太子の前でこけたぐらいで処罰されない」
世の中の令嬢はすごいのだと、ずっしりと落ち込んだ。張り合うつもりはないけれども、それぐらいしないと王太子殿下の興味を引けないということだ。いや、それでも無理なのかも。決死の覚悟で挑んだのに涼し気に微笑まれたら、穴を掘って逃げたくなりそう。
「君の噂は色々聞いたよ。それに事実も調べた。随分と男運のない令嬢がいたもんだと、感心してね」
「……そうですね」
自分の事であるけど、否定できない。心にダメージを食らいながら、項垂れた。
「その理由が知りたい」
「理由?」
「そう。なんでそんなに簡単に騙されるんだ?」
冷静に聞かれて、ますます落ち込んだ。大きく息を吐いて、諦めたような目でビセット公爵を見る。
「わたしの研究、うちの一族ではあまりよく思われていなくて」
「よく思われていない? 女性向けの化粧品の改良を?」
「ええ。薬師の一族ですから、もっと命にかかわるような研究をするのが普通なんです」
わたしの研究が一族に良く思われていないのは、女性の美を追求した化粧品だからだ。石鹸は肌荒れを治すのでまだいいが、香水や口紅、爪紅などは道楽と思われている。一族の人には恥ずかしい道楽だと陰口を叩かれていた。
「だから、余計にすごいね、と褒められてしまうと……」
「なるほど、それで舞い上がってしまうのか。褒められて褒められて、嬉しくて相手の言いなりになる、と」
「そうです」
ただただ、自分の未熟さが恥ずかしい。
家族やセシリーに呆れられるのとはまた違う。第三者に冷静に指摘されている今の状況は精神的にもきつかった。
「そんな君が王太子に目をつけた理由は?」
「言わなければダメですか?」
「そうだね。言いたくなかったら、と言えればよかったけど。もし無理やり聞き出した方が君にとっても楽なら、そういう手を使うけど?」
拷問、もしくは自白剤、という単語が頭の中に過ぎる。顔色を悪くしてふるふると体を震わせると、ビセット公爵は苦笑した。
「君は僕をどれだけ非道な人間だと思っているんだ。そういうのは使わない」
「でも」
「痛めつけることがすべてじゃないからね。王太子に近づいた理由は何だ? 妹を失脚させたいのか?」
真っ先に妹の失脚と聞いて目を丸くした。
「なんて物騒……」
「そんなところに突撃してきたんだ、君は」
「そう言われると、何も言い返せません」
どんよりと落ち込めば、彼は息を吐いた。
「それで、理由は?」
「――王太子殿下にわたしのいいところをアピールしてお金を出してもらおうと思って」
「いいところ、つまりは研究の事か?」
言葉が足らなかったのか、聞き直されて頷いた。
「なるほど。君の先ほどの説明とつじつまが合うな。理解した」
彼の納得した様子に、体から力が抜ける。思わぬ方向の追及は心臓に悪い。
「よし、じゃあ、明後日、デートに行こう」
「はい?」
何でデート?
「王太子にアピールするんだろう? まずは自分が楽しめないと」
「そうですか?」
自分が楽しむのはちょっと違うと思って、眉が寄った。そんなわたしを見て、ビセット公爵が苦笑する。
「話題は自分自身がまず楽しいと思わないと、聞いている相手だって楽しくない。それとも君は王太子に楽しんでもらえる話題を持っているのかい?」
「これっぽちも持っていません」
あるわけがない。わたしが楽しく話せるのは研究の話だけだ。化粧品と研究の話なら、一晩でも二晩でも話し続けられる自信がある。
「では、決まりだね。明後日迎えに来るから、街歩きできるような恰好で」
「……ビセット公爵が付き合う必要はないのでは?」
「そうだね」
頷きながらも、微笑むばかりで撤回はされなかった。