王太子殿下に近づくために夜会参加
この時期、貴族たちはどこかで必ず夜会を開いている。
パテール伯爵家は薬師一族のため、大貴族から商人まで様々な家からの招待状が舞い込んでいた。セシリーと吟味を重ねて、王太子殿下が出席しそうな高位貴族が開く夜会を狙って参加してみた。
高位貴族の夜会はいつも参加する夜会よりも華やかで、目がちかちかする。セシリーがいなければ、間違いなく会場に入ることなく帰っていた。
「ねえ、本当にこのドレス、変じゃない?」
「わたくしのセンスに文句を言っているの?」
セシリーはイラっとしたように、語気を強めた。慌てて、そんなことはないと言い訳をする。
「でも、ほら。いつも着ているグリーンとか茶色とか灰色とかと違って、ちょっと色が明るすぎて。なんというのかしら、透明感がすごすぎて、今すぐにでも地面に埋まりたいというのか」
そう言って、自分の姿を見下ろす。セシリーが選んでくれたドレスは、軽やかな明るめの水色で、しかも流れるような縦のフリルがとても存在感。一言で言えば、非常に華やか。
絶対に選ばない色とデザインに、どうしたって気後れする。
「ちっとも明るすぎないわよ。ほら、王太子殿下に群がっている女性たちをよく見て?」
そう言われて、王太子殿下を中心とした女性たちの集団に目を向けた。毒々しい赤や紫、ゴージャスな金を使ったドレスを着ている令嬢たちが存在感を放っていた。しかも皆、背中が丸見えだ。どうやって前を押さえているのか、謎。
「王太子殿下って本当に嫌な顔をしないのね」
群がる女性たちの熱意も凄いが、それを涼しげな笑顔でやり過ごしている王太子殿下に驚いた。王族の持つ明るめの金色に、薄い水色の瞳。甘い顔立ちに微笑みを浮かべている。
「あ、れ?」
「ふふ、やっと気が付いた」
暢気にすごいわー、と眺めていたけど、気が付いてしまった。ざっと顔色を悪くして、セシリーを見る。
「王太子殿下の瞳の色に系統を合わせてみました! 華やかな人が好きという情報が出回ってから、ゴテゴテしたドレスを身に纏った令嬢が増えたじゃない? 同じ格好しても埋もれるから、意表を突いたのよ」
「意表、突きすぎでしょう! ヘタをしたら、すぐさまつまみ出されるじゃない!」
「大丈夫、大丈夫。系統が似ているだけで、まったく同じじゃないし。水色の瞳なんてそれなりにいるわよ」
いるわけがない。あの水色の瞳は隣国から嫁いできた王妃陛下の色で、この国では王妃陛下と王太子殿下しか持っていない。気が付かなかったわたしも間抜けだ。
わたしの不安なんて少しも気にせず、セシリーはわたしの背中に手を当てた。
「さあ、いっていらっしゃい。あそこにはコーデリアの求める、研究に理解のある男がいるのよ! 気合を入れて! 笑顔よ、笑顔!」
「え、ちょっと!?」
グイッと押され、つんのめる。たたらを踏んだ先には、あの集団が。
突然転がり出てきたわたしに驚いたのか、王太子殿下は目を見開いてこちらを見ているし、令嬢達は邪魔をされたことに憎悪の眼差しを向けてくる。
「大丈夫? 水色のドレスのお嬢さん」
すぐに立ち直った王太子殿下は甘い笑みを浮かべて、わたしの方へ一歩踏み出した。そして、しげしげとわたしの姿を見ると、にこりと笑う。先ほどの完璧な笑みとは違う、ちょっと気の抜けたような柔らかい笑み。
思わず胸がきゅんとしてしまった。
すごいわ、流石、王太子殿下。気のないわたしでも、なんだかもぞもぞする。
「そのドレス、よく似合っているね。透明感があって綺麗だ。私も水色が好きなんだ」
水色が好きという言葉に反応して、ざわめきが起こった。王太子殿下は周りの反応を綺麗に無視して、さらに続ける。
「初めて見る顔だね? 名前を教えてもらってもいいかな?」
明らかな殺意が、わたしに向けられた。しかも一つではない。いくつもの恐ろしい目がこちらを注目している。血の気が引くのがわかった。
「お、おほほほほほ。ごきげんよう。……お邪魔しました」
尻すぼみに適当なことを言って、その場を逃げ出した。
やらかしてしまったことに落ち込みながら、誰もいない庭へと逃げる。とにかく、姿を隠してしまいたかった。
どんどんと庭の奥へと進み、時々聞こえる色っぽい声を避けながら、大きな樹の下に蹲った。
怖かった。すごく怖かった。
殺意を向けられ、さらに勝ち残らないと交流なんて持てないわけで。好感度を上げて、わたしの研究を訴えるなんて、絶対に無理。真っ先に殺されそう。
ばくばくする胸を抱え、息苦しくて何度も何度も大きく呼吸を繰り返す。次第に落ち着いてきて、脱力した。
「――結婚?」
「ええ、だってビセット公爵はわたくしを誘ってくださったのだから」
「冗談だろう? 夜によく知りもしない男と抜け出すような令嬢と結婚なんて」
「ひどいわ! わたくしの気持ちを弄んだというの?!」
何の会話?
蹲っていると、なんだかとても不穏な会話が聞こえてきた。顔を上げて、声をする方へ顔を巡らせる。どうやら低めの生け垣の奥の方から聞こえるようだ。
ちょっと首を伸ばせば、声の二人を見つけることができた。女性の方は後ろ姿しかわからないが、どうやら口説き落とした貴族相手に結婚を迫っているようだ。
男の方はとても整った顔立ちをしていて、女性には人気がありそうだ。でも、そんな抜群の顔立ちも、口元の軽薄そうな笑みが台無しにしている。
それに、ビセット公爵って……。
乏しいわたしの知識にも出てくるぐらい有名人だ。
「もし結婚してくれるのなら、わたしの純潔を捧げますのに」
「そんな純潔いらない。楽しむだけなら、他にいくらでも。そもそも既成事実で男を捕まえようなんて」
最後まで言い終わらなうちに、乾いた音がした。令嬢が男の頬を叩いたようだ。音の割には男は痛そうにしていない。叩かれ慣れているのか、令嬢の力が弱かったのか。
迷わずグーで殴るべきだわ。
わたしはそんなどうでもいい感想を抱きつつ、固唾を呑んで二人の行く末を見守る。
結局は仲直りすることなく、言いたいことを言って令嬢は走り去ってしまった。恋の狩りに失敗した令嬢の撤退は素晴らしいものだった。
他人様の恋愛の一幕を見ていたら、先ほどの心臓が鷲掴みされたような怖さが薄れた。とりあえず、この叩かれた男性がいなくなったら会場に戻ろう。きっとセシリーも心配していることだろう。もっとも、あの恐ろしい集団の前に押し出したことは許さないけど!
そんなことをつらつらと考えているうちに、がさりと音がした。
「ここで見ていたのか。いい趣味だな」
「えっ?」
先ほどの貴族がしゃがみこんでいるわたしを上から覗き込んでいた。