04_祓魔師の少女と吸血鬼の青年④
夕暮れの地面が次第に黒く染まり、街灯が照らし始める中目的の吸血鬼は未だに来ない。
顔は隠さない様に、出来るだけか弱そうに見える様に、それと少し肌を見せ無防備な感じを装いながらも辺りには誰もいない。人通りが少ない場所なのは理解していたがこうも誰もいないとは、吸血鬼との戦闘になった際は助かるのだが。
壁に凭れながら此処からどうくるべきか思案する。別の場所に移動する手もあるのだがこの辺りが一番多く被害があったと資料に書いてある為に無意味に動く訳にもいかない。
距離を離した先に青年が待機しているが、青年からは特に何もない、どうやらこの近くに吸血鬼はいない様子。
くぅ…、と無防備にもお腹が鳴ってしまう。
「……こんな時に鳴らなくてもいいだろうに」
今更ながらお腹が空くとはなんて厳禁な身体なのだろう。こんな事ならあの時青年からの林檎を断らず食べておけばよかったと後悔の念を抱きながら集中しろ、と首を振る。
後でいくらでも食べればいい、空きっ腹になりつつあるお腹を撫でながら息を深く吐く。
もう少し辺りを歩いてみようか、そう脚に力を入れた時に視界が真っ赤に染まる。一体何事かと突然目の前に入ってきた物に困惑していれば暗がりの中から出てきたのはころん、と丸い林檎。
一体なぜ、差し出された林檎を持っているのはイヴ本人ではないとすれば可能性としてあげられるのは一人である。顔を上げればマントから顔を覗かせる赤い瞳、その口元は少しだけ弧を描いてる青年の姿が。
「き、君なんで…!危ないから離れていろと言ったじゃないか!」
「吸血鬼来る様子ねぇし平気平気。それより腹減ってんだろお前」
「っ…どうしてそれを」
「…そこそこ耳いいから、お前のお腹の音聞こえた」
少しだけ視線を外されながらも、青年が吸血鬼である事をほんの少し頭から外してしまっていた。吸血鬼である以上普通の人間よりも五感が鋭くてもおかしくない、中には異常な身体能力の持ち主だっていた。
そんな吸血鬼だからこそ祓魔師以外では中々まともに戦う事が出来ないのも事実であり、その為に戦える人間は祓魔師であると吸血鬼に認識されているのもおかしくない。
何よりも青年にお腹の音を聞かれていたのは羞恥を煽られてしまう、何故鳴ってしまったのかとお腹を見下ろしながらも差し出された林檎を受け取れば、この林檎は一体何処からの物なのだろうかと疑問に思う。
此処に来るまでに食料を買った記憶は無い、ならこれは何なのか。伺う様に顔を上げれば青年は何処か気まずそうに顔を背けている。
「…お前に貰った奴残してたんだよ。流石に全部食うのは悪いと思って、後で渡そうとしてたんだ」
「でもこれは君に買ってきたと言ったと思うのだが」
「……一応気を遣ってんだよ、察しろ馬鹿」
「……お気遣い感謝する」
返そうとするも既に受け取る気はない様に腕のを組まれ、そうされてしまえば大人しく林檎を持つことしか出来ない。
お腹は減っている、先程も鳴っていたし、空腹を訴えている感覚だって感じるが何故かこの林檎を独り占めする事が出来なくて、青年の裾を引っ張りながら林檎を突き出す。
「それはもうお前のだって」
「食べ辛いんだ、半分に割って欲しい」
「……しょうがねぇな。ほら貸せよ、……ん、ほら割れた、ぞ」
割って欲しいと頼まれれば断れない、大人しく差し出された林檎を力を込めて半分に割ればこれで食べられるだろうと返そうとする。しかしそれよりも早く片方の手を引き寄せられ、しゃくっと音を立てながら小さな口が林檎を含む。
青い瞳が満足そうに笑みを浮かべ、青年の手から半分に割られた林檎を引き取りつつももう半分に手は出さない。
「うん、美味しいな。割ってくれたお礼に君に半分あげよう、受け取ってくれ」
「おま、っ」
「君も食べて欲しい。一人で味気ない食事をする趣味は私にはない」
口に広がる水分、満たされるお腹の感覚にこれで十分なのは事実で。青年の手から食べるなんて側から見れば少し行儀の悪い行動かもしれない、しかしフードから覗く青年の頬は暗がりでも分かるくらい赤く染まっていてつい笑みが溢れてしまう。
釘を刺す様に受け取らないと言えば渋々林檎を口に含んでくれる。満足そうに眺めながら特別林檎が好きなわけじゃない、けれど何故だろうか普段よりずっとずっと美味しく感じる。
満たされる感覚に小さく息を吐き、青年が食べ終わればまた離れてもらわなければ。その前に場所を移動する事を伝えた方がいいだろうか、そう思い口を開こうとした瞬間、ピリッと背筋に伝う何かに身体が本能的に強張る。
「────っ」
感じる、近くに吸血鬼がいる。本能がそう告げる、じわりと侵食する様な殺気、ただいつもと違う、何かが。
青年も気付いたのだろうか、林檎を放り込み勢いよく飲み込めばナイフを手にしようとしたのでやんわりとその手を押さえる。
流石に見せるのはまずい、か弱い女を演じなければならないのだから。
「…君はこのまま此処に。危険だと判断したらすぐに立ち去って欲しい、君を危険には晒したくない」
「っ…お前」
「此処からは祓魔師の役目。君をこれ以上は巻き込めない、だから此処にいて、出来るだけ君から吸血鬼を引き離す」
近付いてくる吸血鬼が青年に気がつく前に先に接触した方がいい。何か言いたげな青年の言葉を遮る様に、手伝ってと提案したが此処から流石にまずい。
青年を引き止め、危険に晒す事は出来ない、何かあれば寝覚めが悪くなると言っていたがきっとすぐに忘れるだろう。
変わった祓魔師の事など記憶の何処かに追いやってしまえばいい。出来れば覚えていて欲しいと思いつつもこれ以上欲張ってはいけない。
青年から離れる様に近付いてくる吸血鬼の方向へと向かう。人通りがなく、街灯も少ない道、此処はやはり予想した通りに吸血鬼にとっては人間を狙い易い場所なのだろう。
次第に耳に届く様になる靴音、感じる吸血鬼の気配の正体なのか。
「──やぁ、お嬢さん。こんな夜にお散歩かい?」
鼓膜に響く知らない声、暗がりの奥から来た見知らぬ男。正装の装いをしてにっこりと此方に笑みを浮かべて愛想の良い姿、きっと普通の女であればそのまま話し込み騙される可能性もあっただろうに。
しかし感じる吸血鬼の感覚と共に、ねっとりと纏わりつく様な血の匂い、綺麗に落とし切れていない特有の匂いが鼻腔に入り込む。
「…君も夜道を歩くのが趣味なのか」
「夜の方が静かで歩きやすくてね。…君も僕と同じだと思ったのだけど違うのかな?」
「いや、私も君と同じだ」
「嗚呼やっぱり!僕達趣味が合うね、どうせなら二人きりでもっと話し合わないかい?」
「…勿論」
夜道で普通誘われれば警戒するのが普通だろうに、しかしそんな事を微塵も考えていないのか男はそのまま肩に手を回しながら更に暗がりへと連れ込む。
このまま狩ってもいいのだが出来ればもう少し確信が欲しい、この男が本当に若い女を襲っている吸血鬼かどうか。どう聞き出せばいいのか、歩くに連れてどんどん路地の奥まった場所まで歩かされる。
武器を突きつければ話が出来るだろうか、思わず懐の武器に手を伸ばそうとすればぴたりと男の歩みが止まる。思わず躓きそうになりながらも一体何事かと思い視線を上げればその表情にヒュッと息が詰まる。
ギラついた瞳、口元から覗き鋭い牙、そして何よりまるで獲物を見るかの様な表情。
捕食される、本能でそう察知すれば勢いよく男を突き飛ばす様にして距離を取る。よろけた様子でふらふらと二、三歩下がる男は飢えた獣の様に視線を覗かせる。
「…っ、君に質問がしたい。此処最近で人間が吸血鬼に襲われる事件が多発している、君は何か知っているか」
「…ふふ、はは。いきなり何を聞いてくると思いきや、僕が人間を襲ってる吸血鬼だって言いたいのかい?」
「違うなら非礼を詫びる。だが確認がしたい、答えてくれ」
笑みを描く口元と、此方を覗く瞳、笑っているのに笑っていない様子に背筋がぞわりと沸き立つ。僅かにでも違う可能性がある限り傷付ける訳にもいかない、しかし数秒大きく楽しそうに笑った男はゆらりと揺れ、暗がりの奥から妖しく光る瞳が警戒心を強める。
「…嗚呼そうだよ、君の言う通り僕は吸血鬼さ。でも残念ながら僕は襲ってないよ」
「……っ、それは申し訳ない事を」
「僕はただ食事をしただけ。調理は僕じゃない」
「───は、ッ……!?」
背後から感じる息遣い、完全に油断していた思考が勢いを増して活動を始める。想像していなかった可能性、まさか吸血鬼が二人居るなんて。
勢いよく腕を掴まれ痛みに顔を顰めつつ捻り上げられる様に持ち上げられる。暗がりで上手く見えないが力の強さからしてとても人間ではない、二人目の吸血鬼、武器を出すのが間に合わない。
気配を完全に殺し、油断を誘われた。此方のミス、腕を持っていかれる、そう思い力を込め距離を取ろうとするも目の前の吸血鬼はそれを許さない。
「────イヴッ!!!」
痛みを覚悟した瞬間、背後から聞き慣れた声が響いた。