19_血の渇き④
何処か懇願するような姿、縋りつく手は震えていて涙の跡は残ったまま。
まるで小さな子供のように普段堂々としている姿からかけ離れ普段よりもずっと小さく震えている姿にこのままじゃ駄目だと思わず手が伸びる。
「っ、がの……ん?」
「……泣かせてごめん」
抱き寄せ絞り出すように溢れた言葉、何処かか細いイヴの声により一層胸が締め付けられる。
傷付けたくない、酷いことをしたくない、どれもガノンの本音だが泣かせたくないのもまた事実。流れた涙を拭えなかった事への後悔、何よりも吸血鬼である事への配慮をイヴは最大限してくれた。
突き放し、拒絶をし、自身の保身を考えイヴの血を拒んだが逆にイヴの血を欲しているのと同等だ。血を吸えば何処まで理性的で居られるか分からない、そんな状態でイヴを人として見ていられるか確証がない。
もし一度でもイヴを人として見れなく考えなくなった時イヴの側に居られるかどうか分からず不安がガノンの心を侵食する。
触れ合った部分が熱くて冷たい。小さな身体が震えている、視界に移った痛々しいまでの包帯の原因に心臓が苦しく締め付けられる。
「お前にそんな顔させたいわけじゃないんだ…お前を傷つけたいわけじゃない」
「………がのん」
「……お前の血が欲しくないわけじゃない。本当はもうずっと前から血が足りなくてずっと欲してた」
「………ん」
「けどお前を傷つけてまで欲しいって思わない、思いたくない」
吸血鬼の本能に抗いながらイヴの身を案じてしまう。傷つけたくないと、牙を立てたくないと、ガノンの理性が悲鳴を上げている。
労わる様に回された手のひらが熱くて撫でられる感覚が心地良くて思わず瞼を閉じれば弾みで流れる涙がより一層熱く感じてしまう。
ガノンの言葉も今のイヴにはしっかりと届いていた。ガノンなりの葛藤の末の答え、血を欲する吸血鬼の本能と共に、それでも気遣ってくれる優しさに今度はイヴの心臓が強く締め付けられる。
なんて優しい人なのか、渇いている自分自身よりもイヴを気遣い、労わる姿に益々涙が溢れてしまう。
「……ガノン。私はそれでも君に吸って欲しい、優しい君に、私を気遣ってくれる君に、君だから吸って欲しいって、そう思う」
「………イヴ」
「…君に傷つけられたなんて思わないよ。私は君だからあげたいんだ」
優しさに付け入る様なずるい考えをガノンは見逃してくれるだろうか。それでもやっぱりガノンとこれから先も一緒にいたいと望むからこその気持ち、しがみつく様に背中に手を回しながら抱き着きつつ何処か冷たい温度にあったかくなればいいと願う。
暫しの沈黙の中、ガノンの天秤がぐらりと揺れた。傾く気持ち、イヴの温度にガノンの残っていた理性がゆっくりと切れる音がする。
理性の中で精一杯の言い訳を並べた、葛藤をした、したくないと何度も思ったがそれでも抗えない吸血鬼の本能。
それでもイヴの望みではなくガノン自身の望みだと言い聞かせながら抱きしめている腕に力を込める。
「……多分、すげー痛いぞ」
「…痛みなら慣れてるさ、祓魔師だからな。それに君相手だから平気」
「どういう理論だよそれ……。後悔しても知らねーぞ、俺は何度も言ったからな」
「後悔なんてしない。私が望んだ事だから」
安心して欲しい、と背中を撫でられた感覚にそっと押された気がした。イヴの声色が普段の調子を取り戻し出来ていた隙間が埋まる感覚がする。
もう拒めない、もう戻れない。そうだとしてもイヴが選びガノンが選んだ道、お互いが選んだ道ならば仕方ないと頭の中で言い聞かせる。
髪の隙間から見える白い肌、牙を立てたいと思ったことはなかった。それでも今だけは牙を立て血を吸いたいと望んでしまう。
せめて痛くない様にもう少し落ち着いた場所で、と本能を静かにさせていれば響く騒音。
すぐ近くの壁がぶち壊され土煙が上がれば二人の脳内に浮かぶのは一人の祓魔師の姿。
警戒するように身体を動かせば土煙から現れた人影に思わず眉を歪めてしまう。
「見つけましたわよ吸血鬼ぅ…!!!」
案の定見覚えのある祓魔師にまだ追いかけていたのかと呆れてしまう。だが祓魔師の仕事ならば当然の事、これ以上逃げ回るのも厳しいだろうか。
そう思ったイヴは鞄の中から銃を引っ掴み構えればその様子を見ていた祓魔師は眉を顰める。
「……あら、その銃。まさか貴女一般人じゃなくて祓魔師なんですの?」
「名乗るのが遅れてすまないな。一応君と同業者だ、……いや元同業者と言った方がいいか」
「あらあらあらあら、なら尚更何故吸血鬼を庇うんですの?吸血鬼は人々の敵、殺して浄化するのが祓魔師の役目じゃなくて?」
「私と教会の思想は違っていてな、今は彼を君から護る事が役目だ」
誤魔化すように目元を拭いガノンと祓魔師の間に入り銃を構える。まだ傷の癒えていない今の身体の状態で何処まで戦えるか分からないがそれでも構えずにはいられない。
先程の様な猫騙しはもう通用しない筈、真っ向勝負では明らかに祓魔師の方が優位に立っている。
警戒しながらも伝う冷や汗、目の前の斧が振り上げられれば避けた先にはガノンの姿。ならば受け止めるしかないがこんな身体ではまともに支えられるか疑問だ。
「さぁ、退いて下さるかしら?祓魔師の仕事邪魔をするのでしたらいくら"元"同業者の方であっても容赦出来ませんわ」
「忠告をするなんて随分とお優しいんだな君は。だがその申し出、受け入れるわけにはいかないんだ」
「そう。──なら死んでくださいまし」
振り上げられた斧、身体が軋むだろうが受け止めるしかない。そう思い銃を盾にするイヴの身体が勢いよく後ろに下がる。
視界の端に映る黒、しかし先程までの弱々しい姿とは一転している様子に瞳が見開く。勢いよく蹴り上げられた脚が斧を弾き、その衝撃に祓魔師も驚いたのだろう、衝撃のまま背後に下がり距離を取る。
「……っ、あらあらぁ?一体どうなっているんですの、貴方」
鈍く響いた音、力強く地面を叩きつける音、下げられた身体、視線の先には血に飢えていた吸血鬼の瞳ではなくなっている姿が。
一体なぜ。
今のガノンには喉の渇き以上にイヴをこれ以上傷つけさせてはいけないと理性が動いた。震えていた身体も、弱々しくなっていた筈なのにそれ以上に沸騰する様な熱に力が込められる。
吸血衝動よりも、渇きよりも、ガノンの思考回路を占めるのはただ一つのことだけ。
「イヴに手ェ出すんじゃねーよ…!!!!!」
響く怒号、ただ思うこと、イヴを守りたい、その考えただ一つだ。