12_ただ君の側にいたい③
ふらりふらり、と用意された一室のソファへと倒れ込む。食事する間際、青年から零された言葉が思考を鈍らせ真っ白にしてしまったせいで生憎夕飯の味を思い出せないでいる。
既に別室で休んでいるであろう青年の姿を思い出しながら何度も自分自身の中で復唱する。
「…仕方ない、仕方ない事だ。元々無理に私が引き留めただけのこと、目的がある彼をこれ以上引き止める理由なんてない、仕方ない」
熱が出てしまいそうなくらい何度も言い聞かせながらも明日で青年は居ないのかと思うと胸が僅かに痛む。
ソファに置かれていたクッションに顔を埋めながら唸る様な声が上がる。理解しているつもりでも中々受け入れられない感覚に戸惑いしかない。
分かっている、分かりたくない、ぐるぐると渦巻く感情をイヴは整理できずに持て余している。
既に手遅れなくらいに青年への情を抱いているイヴにとっては受け入れ難い現実、しかし相手は吸血鬼。教会の依頼を受けないと言ったからと言って今すぐ祓魔師をやめた事にはならない。
祓魔師以外の生き方を知らない、イヴにとっては致命傷でありそんな状態で青年に便乗してついて行くとは言い出せなかった。
食事中も青年は特にそれ以上深掘りすることなく黙々とご飯を食べていたし、寧ろ少し食べ過ぎくらい沢山食べていた、シチューの底が見えていたくらいには。
あの様子からして青年は何も気にしていないのだろう、イヴと別れる事になっても、それが少々、否かなりイヴの心を抉っている。
「……うぅ〜〜ッ!!!」
クッションに八つ当たりする様に両手で叩きつつ、脳裏に浮かんだ青年に文句の一つや二つ言いたい。理不尽ではあるかもしれないが数日間一緒に過ごしたのだからもう少し別れを惜しんでもいいのでは、と思ってしまう。
あくまでも吸血鬼、祓魔師に対する惜しみはないのかもしれない。
「………少しくらい、ほんのすこーしくらい、名残惜しそうにしてもいいのに…どうして彼は」
不満そうな声を露わにしながらふと気付く。
嗚呼そういえば一晩共に戦闘し、数日一緒に過ごしたがまだイヴは青年の名前を知らない。此方は教えたが聞くタイミングが無かった為に仕方ないのだが、そうなると益々此処ではいお別れ、は出来なくなった。
せめて別れるのであれば名前だけでも知っておきたい、そうすればもし探す事になっても手掛かりがゼロよりは探し易い。
そうだ、別れる前に、此処を離れられる前に、青年に名前を聞くしかない。
そうと決まればさっさと寝て、朝青年が出て行く前に捕まえる。そして名前を聞いて、後のことはそれから考えよう。
いつまでも此処で唸りモヤモヤしていても意味が無い、むくりと起き上がりベッドの方へと移動する。
「………よし」
ぱちん、と両手で頬を叩き気合を入れ直す。うじうじするな、シャキッとしろ、と自分自身に喝を入れそそくさと布団に包まる。
脳裏に青年の姿を思い浮かべ、食事中の姿を思い出し心の中で八つ当たりを忘れずに。
♢♢♢♢
「もう出て行ったって、どういうことだ!?」
翌日、いつもより早起きをし覚醒し切っていない思考に鞭を打ちながら酒場の方で青年が出てくるのを待ち構えようとすれば店主から伝えられた言葉に眠気が一気に弾け飛ぶ。
まだ時間は早く、これなら大丈夫だろうと思っていた自分が恥ずかしい。既に荷物を纏めて数十分前に店を出た様子で。
店主はイヴの慌て様に少々苦笑いを浮かべているがそんな様子を気遣っている場合ではない。あまりにも呆気ない、冷た過ぎるのではないか、青年にとっては別れの挨拶すらもさせてくれない存在なのか。
「そう朝っぱらから騒ぐなよ、しょうがねーだろお前さん寝てたんだし」
「そ、それでも少しくらい引き止めてくれていても…!そもそも私を叩き起こしてくれていれば…!!」
「女性の部屋に無断で入り込めねーって、それに其奴もわざわざ起こすのも悪い、って言ってたぜ」
「……っ、それでも…やっぱり、別れるなら……もう少しちゃんと」
行き場のない怒りと寂しさが声色から消えようとしていく。次第に涙声になりそうな感覚を無理矢理抑え込みながら沈んでいく気持ちを抑えられそうにない。
俯く視線の先の床が僅かに歪み始め、嗚呼こんな事で泣いてしまうなんてなんてみっともないのか、目頭が熱くなる感覚を振り切ろうと乱暴に袖口で目元を擦っていればぺらりと差し出される一枚の紙。
何事かと歪んだ視界でそれを見ようと思えばどうやらこの街の列車の券、一体なぜ。
「まだ話は終わってないってお前さん、早とちりだなぁ。…其奴が今日乗る列車の券、今から急げば充分間に合う」
「…これ、なんで」
「…此処を出ていく時に彼奴がな置いて行ったんだよ。どういうつもりは知らねーけど、少なくとも列車の券置いとくくらいにはお前さんに未練があるんじゃねーの?」
そろそろと受け取れば間違いなく本日の日付が記載されている、時間指定の券であり店主の言葉通り、差し迫ってはいるが今から急げば間に合う時間帯だ。
青年が置いていった物、どういうつもりかは店主にも勿論イヴにも分からないがそれでも差し出されたこの機会を逃すわけにはいかない。
祓魔師とか吸血鬼とか、自身のこれからの事、色々考える事はあるだろうがそんなこと今はどうでもいいとさえ思えてしまう。
会いたい、会いに行きたい。
今イヴの脳内を占めるのは青年の姿のみ。
「…ありがとう」
「追いかけるんだなお前さん」
「嗚呼、やっぱりこのまま彼の別れるのは嫌だからな。…多分もう、此処には戻って来ないと思う。ありがとう、此処数日間も含めて、長い間世話になった」
「今更だろ、俺もお前さんには世話になってたし」
ただ真っ直ぐに店主を見つめるイヴの瞳に迷いは無い、その目を前にして止める気なんて無いのだがそれでも店主には引っかかる事がある。
「まっ、そんな気はしてたけどよ。…吸血鬼といてお前さんは幸せになれんのかい?」
煙草に火を付ける、前に何度も指摘された事だが今くらい許されるだろう。店主の言葉にイヴは思わず口元に笑みを浮かべる。
「彼が吸血鬼でも私は好きだ、きっと彼と一緒にいることが私にとって一番幸せなことだって、そう思う」
「………そうかい」
告げられた言葉、これ以上何か言うのも野暮だろう。店主は黒塗りの鞄をイヴに押し付けつつ、既に時間が押している事を視線で向ける。
「ならさっさとその幸せ捕まえるんだな。お前さん超特急で走らねーと追いつかねーぞ」
「っと。……うん、そうだな、ありがとう。行ってくる」
黒塗り鞄の中身は店主からの餞別、青年が出てから用意された物でありイヴの私物もいくつか入っている。
多少重たいだろうがイヴならば大丈夫だろうと思いつつ、店のドアを開けながらふとイヴが思い出したかのように店主へ顔を向ける。
「私、君の事も案外好きだったよ」
浮かべられた笑みが差し込む光で僅かにかき消される、そのまま飛び出していくイヴの背中を見ながら脱力する様に椅子に凭れ掛かり煙草をふかす。
反響しながらイヴが去っていた方向を見つつ思わず抱え込む様に溜息が溢れてしまう。
「……ずるいねぇ、お前さんは」
案外好きだったのはイヴの方ではなく店主の方だった事はきっとイヴに伝わる事はないだろう。