ささくれ虫の被害者Iさんの話
フィクションです。
皆さん一度はささくれができた事、あるのではないでしょうか。乾燥した冬場や皿洗いなどが原因で、主に手の爪の横の皮膚が少しめくれた状態になる、あれです。乾燥肌の人は年中悩まされているかもしれません。一度出来ると凄く気になりますよね。近くに爪切りがあればすぐ取り除いたり出来ますが、そこまでするのは面倒くさいと思う方もいるでしょうし、それに出先で見つけてしまったらもうお手上げという人がほとんどではないでしょうか。このささくれって無理矢理むいたりすると上手くいかなくて血が出る事もありますし、本当に厄介です。しかもこの傷が悪化すると膿んでしまうケースもあるのだからたちが悪い。なぜささくれの話をこんなにしているのかというと、私の指にささくれが出来たから「この鬱陶しさを誰かに分かって欲しい!共感して欲しい!」……というわけではないのです。
話が飛ぶのですが、今って世界がどんどん狭くなっていってますよね。もちろん比喩です。外国のお菓子とかお酒とか日本でも簡単に手に入る様になりました。便利で嬉しい限りです、飛行機ありがとう。でも人や物の行き来がどんどんインターナショナルになると怖い事も出てきます。未知のウイルスなどの蔓延を助長する危険が出てくるんですね。でも今回は目に見えるもっと大きい生物、虫のお話です。最近だとヒアリとかセアカゴケグモ辺りが有名でしょうか?実は少し前に新種の虫が日本に持ち込まれてしまったらしいのです。通称ささくれ虫。ようやくささくれの話と繋がりました。そしてこのささくれ虫の最初の被害者といわれているIさんと診察したお医者さんにお話を伺う事が出来たので、それを元にこれから書いていきたいと思います。
Iさんは乾燥肌でいつもささくれに悩んでいたそうです。そしてこの方英語がペラペラで、バーで出会う旅行やお仕事で来た外国の人達と話をするのが好きだったそうです、カッコいい。ほら、向こうの人ってハグとか握手とかスキンシップを積極的にとるじゃないですか。Iさんもそれに合わせていたみたいなんです。で、その中にささくれ虫に寄生されてる人が居たらしくて。この虫って主に人と人が接触する事、特に握手をする事で繁殖していくそうです。あと産卵期と成虫の時に寄生される可能性が高いらしいですよ。じゃあいざ寄生されたらどうなってしまうのでしょうか。
七月上旬、Iさんに起こった最初の異変は右手の薬指、ささくれ近辺の腫れです。あっ膿んじゃったかな…と思って近くの病院に行ったけど、そこのお医者さんには膿んではいないって言われて、様子を見る事になったそうです。そしたら良くなるどころかどんどん腫れが大きくなっていくんですって。これはまずいと思い、Iさんはもっと大きな病院でちゃんと診てもらう事にしたんです。そしたらお医者さんが、
「あー、これはささくれ虫にやられたかなぁ…」
って難しそうな顔して言うんですって。お医者さんのこういう反応って凄く不安になりますよね。だからIさんは恐る恐る聞いたんです。
「あの…手術とかしないといけないんでしょうか?」
お医者さんの返答はこうです。
「うーん、ささくれ虫は最近発見されてね、見た目や習性から恐らくハチ目アリ科じゃないかって言われているんだけど…寄生された例がまだ少ないから実は治療法が確立されていないんだよね。あと患者によって症状も無症状に近かったり、逆に重かったりして。ただ患部が潰れてなくて良かった」
「そうなんですか……」
「あ、でも無闇矢鱈に触ったらだめ、これは絶対!あとこれから人と握手したり触ったりも禁止!ちゃんと注意書きをあとで渡すから。外に出るときも手袋してね」
「はっ、はい!」
「現時点では何もせず、人との直接的な接触を出来る限り避けるのが寄生拡大を防ぐ最大の治療って言われてるんだ」
「何もしない、ですか…」
「そうなんだ、ごめんね。あ、でも今の状態は分かるから説明するね。腫れがどんどん酷くなってるって言っていたけど、実はこれささくれで傷ついた所に卵を産みつけられたんだ。で、中で孵化して成長してる段階。今はまだ幼虫だね。幼虫は人の血液を養分に成長するらしい、つまり今Iさんの血液を吸っている訳だ」
「ええっ…」
もう最悪ですよね、Iさんもこの時凄く気分が悪くなったって言っていました。
「それで今はまだそこまでじゃないけど、もっと腫れが大きくなる。そうすると外から見ても腫れの中のささくれ虫が動いたりするのが分かるらしいんだ。それでそのあとすぐ蛹になる」
「あの、ちょっと体調が……」
「そうか、じゃあそこのベッドで横になると良いよ。それとこれ手袋。医療用の薄いやつだけど大丈夫。腫れは絶対に潰さないようにね、どうもささくれ虫の蟻酸みたいなのが人体には有害らしいから。万が一潰してしまったらその蟻酸が体内に侵入して最悪ショック死する危険もあるんだって」
「……し、死んじゃうんですか?」
「最悪のケースだけどね。潰さなければ平気さ」
お医者さんはこういうことに慣れているのかもしれないけど、たまったもんじゃないですよね。Iさんも慎重に手袋してベッドに横になったけど、全然気分が良くならなかったって。それでもずっと居るわけにもいかないじゃないですか。だから小一時間休憩してから、
「あの、もう大丈夫です。少し良くなりました」
って言ったそうです。それを聞いてお医者さんは少しほっとしたみたいです。
「それは良かった。じゃあ経過を観察したいから、また来てくれるかな?」
「はい、分かりました」
「それと連絡先も教えとくよ。なにせ症例が少ないから僕としてもどういう風になるのか知りたいし、アドバイスもしたいから」
「ありがとうございます、お願いします」
それでその日はタクシーで帰って、それからおうちでお医者さんに渡された注意書きを確認したそう。実際に見せてもらったのですが、こんな事が書いてありました。
・絶対に患部を潰さない。潰してしまった場合はすぐに連絡をする。
・外出の際は必ず手袋をする。
・今はまだ患部の中にささくれ虫が居る状態なので、厳密に言えば他の人と接触(握手など)しても寄生する可能性は極めて低いが、推奨は出来ない。
・腫れの中で幼虫は血液を養分に成長し、そのまま蛹になる。
・外に出るのは成虫になった時
・患部の様子を最低一日に一回は撮影し、送る事。
・もし痒くなっても出来るだけ我慢する。
結構細かいですね。それに注意だけでなく現時点で判明しているささくれ虫の生態まで書いてあります。でもまだ治療法がよく分からないからこのくらいは必要なのかもしれません。Iさんはパソコンを使う仕事をしていたから、しばらくお休みする事にしたそうです。腫れが酷くなったら仕事に支障が出るし、何より他の人にうつしたくないですよね。
肝心の患部は翌日、翌々日と日が経つにつれてどんどん腫れが大きく赤く、そして皮膚がパツパツになっていって、ついに外からでもささくれ虫が腫れの中にたくさんいるのが分かるようにまでなったそう。この時何が一番辛かったかって言うと、痒みだそうです。虫が皮膚の下で動くのがこそばゆくて仕方が無いっておっしゃってました。Iさんの心臓がドクンドクンいう音に合わせてささくれ虫もワラワラって動くんですって。でも掻いて腫れを潰したらいけないし。夜なかなか寝られない日も多かったとか。あと、腫れが大きくなるって事は患部の皮膚が引っ張られて薄くなっていくでしょ?だからただ居るのが分かるだけじゃなくて、中の様子も鮮明に見えて来るらしいです。具体的に言うと、赤い腫れの中に黒くてすっごく小さな斑点が蠢き始めたと。それが何かって?目です、虫の。虫も動くから目も当然動きますよね?それが外からも視認出来るようになったんですって。気持ち悪い!それをお医者さんに報告したら、そろそろ蛹になって、その後すぐ成虫になって外に出てくるだろうから明日病院に来てと言われ、Iさんは再び診てもらう事になりました。
「こんにちはIさん調子は…あんまり良くなさそうだね」
「はい…ずっと右手薬指に違和感があるし、ささくれ虫が蠢いているのが分かるから……気持ち悪いし痒いし。でも蛹になったのか、昨日の夜はそこまで気にならなかったです」
「そうだよね、じゃあ見せてもらっても良いかい?おー、だいぶ大きくなった。この前診た時よりも二〜三倍さらに膨れあがっているよ。赤いって言うより赤黒いね。これならもうすぐ外に出てくるかも知れないよ」
「外に出たらもうおしまいですか?」
「いや、ささくれ虫はハチ目だから空を飛ぶんだけど、外に出た時点で羽はまだ未完成なんだ」
「…はい」
「それでどうするかって言うと、爪を食うんだ。人の爪に含まれるケラチンがささくれ虫にとって都合がいいらしい。詳しい事はまだ解明されていないんだけど、爪を食ってから飛んでいくのは確認されているよ」
「つ、爪を食べるんですか?それは回避出来ないんでしょうか…あと、その、と、飛んでいっちゃっても大丈夫なんですか?」
「うーん、寄生するタイミングの一つが成虫が外に出て来た時って説があるから、無闇に手出しは出来ないんだ。あと飛んでいくのは寄生するためじゃなくて交尾の為ね、これはハッキリしている。なぜかというと、戻ってくるんだよ」
「……え?」
「無事交尾を終えたささくれ虫のメスは宿主、つまりIさんに戻ってくるんだ、産卵の為にね。今八月だから恐らく九月過ぎかな。ちなみにオスは交尾後メスに食われる。ただ日本では今の所ささくれ虫の数は絶対的に少ないから、交尾出来ずにそのまま死んでしまうんじゃないかな。この産卵の時も他の人間に寄生するタイミングじゃないかと言われている。あっ出てくるぞ。これは貴重だ、動画に撮ろう!そうだ、窓も開けないと!」
お医者さんて興味のある事だと我を忘れちゃうんですかね。正直ちょっと引いちゃいます……Iさんはもう頭の中真っ白だったそうです。
「おお、これが成虫か、血を吸ってたから赤いぞ。一直線に爪に向かっていくね。大体二〜三十匹って所かな、体長は五ミリメートルくらいか。色は赤いけど見た目は蟻そっくりだ」
「う、うわぁ…つ、爪がゴリゴリ言ってます…と、取って…気持ち悪い…」
「それはできないんだ。寄生される可能性があるし、ささくれ虫は顎の力が強いから下手すると指の肉を持っていかれる。それにささくれ虫は蚊みたいに痒み成分を含んだ唾液を分泌するから、爪を食われても痛みは感じないはずだ」
「もう嫌…」
「凄い、すっかり薬指の爪を食べてしまった。お、蛹も自分たちで食べるんだね。ほらほら!羽がピンとしてきた!凄い、一斉に飛んでいったよ!あれ、Iさん?Iさん?」
Iさんは気を失っていたそうです。無理もないですよね、私も正気を保っていられる自信ないです。その後、Iさんの薬指はささくれ虫の唾液のせいで数日間も酷い痒みにおそわれたそうです。爪も今の所まだ生えて来てないみたいで……
この話を伺ったのが八月下旬なんで、もし交尾が成功してたらもうすぐ戻って来るんですよね、ささくれ虫。Iさんもそれが怖いから外出も最低限に控えて、卵を産ませないように分厚い手袋をいつもしているそうです。
皆さんにささくれはありますか、もしあるのならささくれ虫に十分お気をつけ下さい。