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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

優しい嘘

作者: 緑谷めい




「例の罰ゲームの内容を考えたぞ!」


 空き教室から聞こえて来たのは、この国の第2王子カールの楽し気な声だった。





 クラッセン伯爵家の次女エリーザは、王立貴族学園に通う16歳。

 可愛らしい容姿をしていて、成績も良い令嬢だ。だが、彼女は小さい頃から、年の離れた姉と兄の後ろにすぐに隠れてしまうような内気で大人しい性格だった。

 エリーザの8歳上の姉はトンデモナイ美貌の持ち主で、現在は公爵夫人となっている。男の子を2人産み母となっても、その美しさは相変わらず、どころか更に磨きがかかっていると評判だ。独身時代からもう何年も「社交界の華」の名を欲しいままにしている。 

 そしてエリーザより6歳上の兄は学園時代から「50年に一度の逸材」と評された秀才で、学園を卒業すると同時に自ら発案した新規事業に乗り出し、当主である父を支え伯爵家を盛り立てている。昨年、政略結婚ではあるが美しい妻を娶り、今年になって子供も産まれ父親となった兄は、ますます自信に満ち溢れている。

 エリーザは、貴族社会で一目も二目も置かれている姉や兄のことを誇らしく思う一方で、劣等感も感じていた。姉や兄に比べると自分など大した取り柄もないし……という、その自信の無さが、元来内気なエリーザの引っ込み思案に更に拍車をかけていた。

 




 そんなエリーザが、放課後、学園の図書館で調べ物をした後、一人で廊下を歩いていると、突然、空き教室からカール王子の声が聞こえて来たのだ。

 カール王子はエリーザと同じ16歳で、学園ではクラスメイトである。


「ハインツ。お前、エリーザ・クラッセンに告白しろ!」

 カール王子はそう言った。

「えっ?」

「あの大人しい令嬢ですか?」

「殿下、それは一体……?」

 空き教室にはカール王子以外にも数人の男子生徒がいるようだ。複数の声が反応した。おそらく、いつも王子と一緒に居る同級生の男子生徒達だろう。


 突然自分の名前が出てきて、エリーザは驚いた。

 カール王子は確かに「エリーザ・クラッセンに告白しろ」と言ったのだ。

 思わず、教室の扉に耳を近寄せるエリーザ。


 カールは楽しそうに続ける。

「ハインツ。先週の休日の川釣り競争で一番釣れなかったのはお前だったからな。約束通り【罰ゲーム】をしてもらうぞ。エリーザ・クラッセンに告白して交際を申し込め。そして振られろ。それがお前への【罰ゲーム】だ」

「しかし、殿下……」

「しかしも案山子かかしもない! お前がいくら有能なイケメンでも、あの内気な令嬢が男に『付き合ってくれ』と言われて承諾するはずが無いからな。怖がられて逃げ出されるのがオチだろう。俺達は隠れて見ているから盛大に振られろ! 笑ってやる――いや、もとい、ちゃんと慰めてやるから」

 カール王子は単純に、イケメンが女性に振られる様を見て笑いたいだけのようだ。


「はぁ……。まぁ、確かにどんな【罰ゲーム】でもやる、とは言いましたが……」

 ハインツの溜め息混じりの声が聞こえた。どうやら彼は気乗りしないようだ。

 だが、カール王子はそんなハインツの様子などお構いなしに言った。

「よし! 決まりだな! ハインツ、男に二言は無いはずだ。川釣り競争をする前に、誰が負けたとしても、一番釣れなかったヤツが俺の決めた罰ゲームをするって、5人で約束したんだからな!」

「はい……」

 ハインツは仕方なさそうに、そう答えた。



 そこまで聞くと、エリーザはそっと扉から離れた。


 ⦅ 罰ゲーム……か ⦆


 チャンス到来である。

 エリーザは心の中で⦅殿下! グッジョブ!⦆と、カールに感謝しながら拳を握りしめた。


 千載一遇のこのチャンス! 逃しませんわ! 必ずや愛しのハインツ様との ”青春の甘い思い出” を作りますわよ! エリーザは固く決意した。


 そう。何を隠そう、同級生のハインツはエリーザの想い人なのだ。

 

 ハインツは侯爵家の長男で、先ほどカールが言っていた通り「有能なイケメン」である。

 13歳で学園に入学して以来、エリーザはずっと、密かにハインツを想っていた。家柄も良く優秀で格好良いのに、それをひけらかすことのない飾らない人柄。同じクラスの特待生の平民男子生徒が貴族令息達に揶揄われている場面で、さり気なく彼を助け出すのはいつもハインツだ。男らしくて、でも笑うと可愛らしく見える。エリーザが、そんなハインツに恋をして早3年が経っていた。

 けれど、内気なエリーザは、憧れのハインツに話しかけることなど勿論出来ない。いつも遠くから見つめているだけの、切ない片想いなのだ。

 そのハインツが、あちらからエリーザに告白してくれる。交際を申し込んでくれるのだ。夢のシチュエーションである。この際、それが罰ゲームだろうが何だろうが構わない。エリーザの乙女心は走り出す。


 1日でもいい。3日でもいい。いえ、出来れば1週間くらいハインツ様とお付き合い出来れば――それを一生の想い出にするわ!


 エリーザは伯爵家の令嬢だ。学園卒業後は、まず間違いなく政略結婚をすることになるだろう。

 エリーザの父は日頃は優しいが、娘可愛さの余り貴族としてのあり方を曲げるような男ではない。家の益になる縁談を決めるはずだ。実際、エリーザの姉は15歳も年上の有力な公爵に嫁いだ。兄の結婚も派閥の結束を目的としていた。どちらも父が決めた婚姻だ。姉も兄も納得はしていたが、もしかしたら本当は他に好きな人がいたかもしれない……

 だからこそ、エリーザは「想い出」が欲しかった。

 13歳の頃から3年間、ずっと想い続けている愛しいハインツとの想い出が――




 カール王子達の話を立ち聞きした3日後。ついにその日は訪れた。

「エリーザ。ちょっといいかな? 話があるんだけど」

 学園の休み時間に、実に微妙な表情をしたハインツが話しかけて来たのだ。

「は、はい」

 ⦅ キター! ⦆

 おそらく、これから愛の告白(罰ゲームだが)をされるのだ。

 

 ハインツに導かれ、学園の西庭にやって来たエリーザ。

 いよいよだわ! 緊張で足が震える。


「……君のことが好きなんだ。私と交際して貰えないだろうか?」

 罰ゲームならではだろうか。単刀直入に交際を申し込むハインツ。

 その時、西庭の奥の繁みからガサゴソと音がした。

 おそらく、カール王子と愉快な仲間達が、繁みに隠れてこの告白の様子を見ているのだろう。


 ⦅ ガンバレ、私! 今こそハインツ様へ、この熱い想いを伝えるのよ! ⦆

 エリーザは心の中で自らを鼓舞した。


「私もハインツ様が好きです」

 エリーザの言葉に、ハインツが目を見開く。

「えっ!?」

「学園に入学した3年前から、ハインツ様のことをお慕いしております」

「……そ、そうなのか?」 

 内気でおとなしいエリーザが、顔を真っ赤に染めながら自分への想いを口にしている――予想外の成り行きに、ハインツは驚き、当惑していた。

 カール達も驚いたのだろう。繁みがガサガサガサッと大きな音を立てながら揺れている。


「ハインツ様。交際の申し込み、喜んでお受けします。どうぞよろしくお願い致します」

 エリーザはそう言うと、ペコリと頭を下げた。

「あ……ああ。よろしく頼む」

 ハインツは目を泳がせながら、そう言った。



 翌日、昼休みの時間が来ると、エリーザは真っ直ぐに同じクラスのハインツの席へと向かった。

「あの、ハインツ様。一緒に西庭でお昼にしませんか?」

「え?」

 ハインツは戸惑った表情を浮かべた。

「我が家の料理人に頼んで二人分の昼食を作ってもらいましたの」

 エリーザは大きなランチボックスを抱えている。

「ダメでしょうか?」

 不安そうにハインツを見つめるエリーザ。

「い、いや。ありがとう。一緒に食べよう」

 断れるはずが無い。エリーザに交際を申し込んだのはハインツなのだ。それはカール王子に命じられた【罰ゲーム】だった。けれど、エリーザに怖がられて振られるに違いないという自分達の予想に反して、彼女はハインツのことを好きだと言い、交際を承諾した。真偽はともかく形の上では二人は「恋人」どうしになったのである。一緒に昼食を取るのは当然と言えば当然のことだ。いつもはカール王子達と共に学園食堂で昼食を取っていたハインツだが、王子の了解を得て、エリーザと二人で西庭へと向かった。


 西庭は学園の敷地の中で最も目立たない場所にあり、立ち寄る生徒はほとんどいない。エリーザは芝生の上に用意してきた敷き物を広げると、大きなランチボックスの蓋を開けた。

「うゎ、すごいな」

 ハインツが驚きの声を上げる。ランチボックスの中には、いかにも美味しそうな凝った料理がこれでもかと詰め込まれていた。

「うふふ。うちの料理人に『男性が好みそうな品をたくさん作ってちょうだい』と頼みましたのよ」

 エリーザはにこにこしながらハインツに言った。

 

「あれ? これはどうしたの?」

 突然、ハインツが訝し気な声を出す。豪勢な料理が並んでいるランチボックスの隅っこに、焦げた卵焼きがちょこんと入っているのを見つけたからだ。

「あの……これだけは私が作りましたの」

 やや俯きながらエリーザが答える。

「え? 君が?」

「はい……あの、お口に合うかどうか分かりませんが……」

 貴族令嬢は自ら料理などしない。厨房に入ることすら許さない親も多いはずだ。

「エリーザ。大丈夫だったのか? 叱られたりしなかったか?」

「はい。両親や執事に見つからぬように、料理人が仕込みを始める早朝に、こっそり厨房に入れてもらいましたから」

「そんなに朝早くから……私の為に?」

「はい。あの、私、ハインツ様の恋人になることが出来て嬉しくて……。ハインツ様の為に何かしたいと思ったのですけれど、結局、こんな不出来な卵焼きしか作れなくて……その……ごめんなさい」

 段々と声が小さくなっていくエリーザ。


「ありがとう、エリーザ。嬉しいよ」

「ハインツ様……」

「遠慮なく頂くよ」

 ハインツはそう言うと、真っ先に焦げた卵焼きを食べてくれた。そして、

「美味しいよ」

 と言って、エリーザに微笑んでくれたのだ。

 エリーザは涙が出るほど嬉しかった。罰ゲームだろうが何だろうが、そんな事はどうでも良い。

 ハインツと過ごすこの時間ときは、確かにエリーザにとって幸せな時間ときだった。


 その日から毎日、昼休みには二人一緒に西庭で昼食を取るようになったエリーザとハインツ。

 相変わらず、ランチボックスには毎日一品だけ不出来なおかずが入っている。ハインツは、いつも必ず一番先にその品を食べてくれた。初日には途切れ途切れだった二人の会話も、日を追うごとに少しずつ増えていった。小さな歩幅ではあるが、徐々にハインツとの距離が近付いていることを感じる。エリーザは毎日夢心地であった。


 やがて二人は放課後に学園図書館で共に勉強をするようになった。これもエリーザからハインツにお願いしたことである。

 おとなしいはずのエリーザが積極的にアプローチしてくる様子に、ハインツは面食らっているようだが、エリーザにとって今の幸せな時間は、いつ醒めてしまうか知れない〖夢〗の時間だ。ハインツに「実は罰ゲームだったんだ。もうお終いにするよ」と言われれば、即終了してしまうのである。少しでも多くハインツとの想い出を作りたいエリーザにとっては、一分一秒が惜しい。恥ずかしがったり躊躇ったりしている暇など無かった。


 二人で勉強すると言っても、入学以来不動の学年1位の成績を誇るハインツと上位とはいえ10位前後を行ったり来たりしているエリーザとでは、歴然とした学力差がある。ハインツはエリーザの不得意な数学を優しく丁寧に教えてくれた。

「ハインツ様、申し訳ありません。『一緒に勉強しましょう』と誘っておきながら私が教えて頂くばかりで……。これではハインツ様にとっては勉強になりませんわよね」

 エリーザが肩を竦めてそう謝ると、ハインツは柔らかく笑いながら言った。

「君に教えていると、自分の復習や確認になるんだ。だから気にしなくていいよ」

「はい……ありがとうございます」

「うん」

「ハインツ様……」

「何?」

「大好きです」

「えっ?」

 ハインツと交際を始めて以来、エリーザは毎日のように自分の気持ちを伝えている。明日で終わりかも知れない、明後日で終わりかも知れない ”恋人” 関係だからこそ、出来る限り、大好きだと伝えたかった。


 交際を始めて8日目。

「ハインツ様。どうかこのハンカチを受け取ってくださいませ」

 そう言って、エリーザはハインツに一枚のハンカチを差し出した。

 そのハンカチには、男性が身に着けると立身出世をすると言われる「昇り青龍」の姿が、ハインツのイニシャルとともに刺繍されていた。大判のハンカチの中の青い龍は非常に美しく、躍動感に溢れている。その刺繍の余りにも見事な出来栄えにハインツは目を瞠り、エリーザに尋ねた。

「……この刺繍は君が刺してくれたのか?」

「はい。そうでございます」

「驚いたな。君は刺繍の才能があるんだね」

「幼い頃から母に教わって、刺繍だけは自信があるのです」

 少しだけ得意気に話すエリーザ。

「見事な昇り青龍だ。ありがとう。大事に使うよ」

 ハインツは心から喜んでくれているように見える。

 エリーザは幸福を感じた。そして、こんな日々がずっと続きますようにと願わずにいられなかった。



 だが、ハインツと交際を始めて10日目、ついにエリーザの幸福な夢は終わりを迎えた。その日の放課後。いつものようにエリーザとハインツは学園図書館で一緒に勉強をしていた。

 そこへ、突然、カール王子が現れたのだ。王子はいつも行動を共にしている友人達を連れず、一人だった。彼はハインツに向かって言った。

「ハインツ。もう、罰ゲームは終わりだ。さすがにこれ以上はさせられない」


 カールの言葉にハインツが頷く。そしてハインツはエリーザに向き直ると、彼女に深々と頭を下げた。

「エリーザ。すまない。君に告白したのは、実は罰ゲームだったんだ」

「ハインツ様……」

「すまない。本当にすまない」

 ハインツは端正な顔を歪め、涙を堪えているようだった。

 その様子を見兼ねたのか、カール王子が言葉を挟む。

「エリーザ。悪いのは俺だ。俺がハインツに命じたんだ。まさか君がハインツを好きだなんて思ってもいなくて……その……ハインツが君に告白して振られるという罰ゲームのつもりだった」

「そうでしたの……(知ってたけど)」


「エリーザ。本当にすまなかった」

 ハインツと並んで頭を下げるカールに、エリーザはギョッとした。

「殿下、いけません。王族が頭を下げるなど簡単になさってはいけませんわ」

「俺は君に真剣に詫びているだけだ。王族だとかはカンケイない」

「殿下……」

「君がハインツのことを好きだと知っていたら、こんな罰ゲームは命じなかった。君の心を弄ぶような残酷な事をしてしまって、俺は何て謝ったらいいのか……本当にすまない」

 


 こうして、エリーザとハインツの交際は10日間で幕引きとなった。

 エリーザは、もちろん悲しかったが、一方で満足もしていた。もしかしたら1日で終わるかも知れないと思っていたのだ。それが10日間もハインツと ”恋人” でいることが出来たのである。


 ⦅ ハインツ様との10日間の想い出は私の一生の宝物だわ。学園を卒業後、何処に嫁ぐことになっても、この宝物さえ胸にあれば、きっと私は頑張れる ⦆

 

 翌日からはまた、遠くからハインツを見つめるだけの学園生活が戻った。

 エリーザは、ハインツに近付くことなく、話しかけることもなく、卒業までの1年間を過ごした。

 

 


 

 ******





 学園を卒業した翌月、エリーザの婚約が決まった。

 エリーザは17歳になっていた。そろそろ、そういう話があるだろうと覚悟はしていたが、それでも父の口から婚約相手の名を聞いた時はさすがに驚いた。

「第2王子カール殿下との婚約が決定した」

 満足そうにエリーザに告げる父。

「えっ!?」

 まさか王族に嫁ぐことになるとは予想もしていなかったエリーザ。

「王子妃など……私に務まるでしょうか?」

 つい不安を口にしてしまった。すると父は目を細め、

「心配することはない。王家は我がクラッセン伯爵家との、それも特に次期当主との縁を結ぶのが目的なのだ。お前は自分の出来る範囲でカール殿下に尽くせば、それで良い」

 と、言った。

「はい……」


 「次期当主」とはエリーザの優秀な兄のことである。兄は次々と新規事業を立ち上げては、その全てを成功させている。クラッセン伯爵家は、この数年で驚くほどの財を築いていた。貴族社会における発言力も次第に高まっている。王家は次世代を見据えて、クラッセン伯爵家次期当主との縁を深めたいのだ。その為に、兄が可愛がっていると評判の歳の離れた妹エリーザを王家に取り込みたいという事らしい。

 自分は恵まれている――と、エリーザは思った。そういう意味を持つ政略結婚ならば、嫁いだエリーザがカールや王家に蔑ろにされるような事はまず無いだろう。カールは少し我が儘な面もあるが、エリーザと同い年の明るい青年だ。男っぽい顔立ちをしていて剣の腕も立つ。そして何よりも、例の罰ゲームの件でエリーザに頭まで下げて真摯に謝ってくれた誠実さを持ち合わせている。15歳も年上の気難しい公爵に嫁いだ姉のことを思えば、申し訳なくなるほど自分は恵まれているではないか――


 だが、そこまで考えて、エリーザは大変な事に気付いてしまった。

 ⦅ どうしよう?! カール殿下は私のハインツ様への気持ちをご存知じゃないの!!⦆

 エリーザは一気に青褪めた。

 カールは誰よりも知っているのである。エリーザがハインツのことを愛していると。


「……お父様。あの……カール殿下は本当にこの婚約を了承されたのですか?」

「うん? 陛下がお決めになったことだ。カール殿下に拒否権がある訳ないだろう?」

「……」

 デスヨネー。遠い目になるエリーザ。

「エリーザ、どうした? カール殿下がどうかしたのか?」

「い、いえ。何でもありません」


 他の男、それも自分の友人を愛している女を妻にするだなんて、イヤに決まっている――表面上はどうあれ、カールはエリーザを妻に迎えたいなどと少しも望んではいないはずだ。当然だと思う。もしも逆の立場なら自分だって絶対にイヤだ。


 ⦅ 陛下のお決めになった婚約に異を唱えることなど誰にも出来ない。カール殿下は仕方なく私と結婚するのだわ…… ⦆

 カールへの申し訳なさと、これからの結婚生活への不安が胸に押し寄せて来る。

 どうすればいいのだろうか?

 エリーザは考えた。カールはクラッセン伯爵家に気を遣うはずだ。好きな女性が出来ても大っぴらに側妃に迎えたりはしないだろう。だったら、せめて――

 ⦅ カール殿下がこっそり愛妾を囲っても見て見ぬ振りをして差し上げよう。何ならウチのお父様やお兄様に知られぬように協力してもいいわ ⦆





 半年後。

 厳かな結婚式と華やかな披露パーティーを無事に終えたエリーザとカールは初夜を迎えていた。

 夫婦の寝室で向かい合う二人。カールと二人きりになるのは今夜が初めてだ。

「エリーザ。俺たちは今日、夫婦になった。これから、よろしく頼むな」

 照れくさそうに、カールが言った。

「勿体無いお言葉でございます。至らぬ点も多々あると思いますが、よろしくお願い致します」

 エリーザはそう言って頭を下げる。

「エリーザ。そんなに畏まらなくていいよ」

「は、はい」

 

「君は今もハインツのことが好きなんだろう?」

 カールは明るい調子でサラッと、そう口にした。

「えっ……? あの……申し訳ございません」

 思わず謝ってしまう。

「ハハハ。君は正直だなー」

「……申し訳ございません」

 小さくなるエリーザ。


「エリーザは嘘がつけないんだね。良かった。安心したよ」

「はぁ?」

「王宮は嘘つきだらけだ。常に気が抜けない」

 なるほど……王族というのは大変そうだ。


「俺は、学園に入学して初めて君を見た時から、可愛い子だな~って思ってた」

「へ?」

「気付かなかった? 俺は君を好ましく思ってる。だから、その……君と仲良くなりたいんだ」

 「仲良くなりたい」? エリーザとカールは既に結婚式を挙げて正式な夫婦になっている。

 ⦅ それって、自分の妻に向かって言う台詞なの? ⦆

 まるで少年のようなカールの言葉に戸惑ったエリーザだが、

「はい、殿下。よろしくお願い致します」 

 と返した。

「『カール』と呼んでくれ」

「カール様」


「エリーザ……」

 いきなりカールの声色が変わった、と感じた瞬間、エリーザは彼に抱きしめられていた。

「無理にハインツのことを忘れなくていい。俺の側にいてくれれば、それでいいから……」

 耳元でカールがそう囁く。

「カール様……んぁ?!」

 突然、カールの唇で塞がれたエリーザの唇。息が出来ない!?

 ⦅ そうだ! 鼻呼吸すればいいのだわ! 私って頭いい! ⦆

 エリーザがこの状況でそんな事を考えていると知ってか知らずか、カールは貪るようにエリーザの口を吸い、やがて彼女が身に着けている、やけに薄く扇情的な夜着を脱がし始めた――少年のようだと思った夫は、当たり前だがやはり〖男〗であった。



 1年後、エリーザはカールにそっくりな男児を出産した。カールはとても喜んでくれた。更に2年後には「社交界の華」と謳われるエリーザの姉によく似た美しい女児も授かった。二人の子供はすくすくと育った。

 結婚以来、カールはいつも優しく、エリーザを大切にしてくれる。エリーザもまた、妻として懸命にカールを支え、彼に尽くした。

 いつしか二人は誰もが羨む仲睦まじい夫婦となっていた。貴族社会において「第2王子夫妻」と言えば「おしどり夫婦」を表すようになる程に。







 二人の結婚から10年後、国王が病で亡くなり、カールの兄である王太子が新国王として即位した。新国王には3人の息子がいる。後継者の心配は不要だ。カールは兄の即位に合わせて王位継承権を放棄し、臣に下り、新しい公爵家を興した。エリーザは "王子妃" から "公爵夫人" という立場になったのである。


 王宮を出て真新しい公爵邸に移ったエリーザは、心から安堵した。王宮は本当に気の休まらない場所だったのだ。いつ、何の拍子に足元をすくわれるやも知れぬ日々――いつもカールが守ってくれて大事に至ることは無かったが、10年の間には、おとなしいエリーザを軽んじる者や、時には陥れようとする者さえ現れたのである。

 ⦅ 私が王子妃として何とか無事に過ごせたのはカール様のお陰ね ⦆

 エリーザは夫カールに深く感謝していた。学園時代は少し我が儘な王子様という印象もあったカールだが、結婚後の彼は頼りになる誠実な夫だった。見て見ぬ振りをしようと決意していた愛妾も一向に囲う気配は無い。エリーザは、妻である自分をいつも優しく包んでくれるカールに、何の不満も持っていなかった。

 



 結婚から12年が経ち、エリーザとカールが共に29歳になった年に、その悲報は飛び込んで来た。

 午後の一時ひととき、夫婦でお茶を飲みながら寛いでいるところへ、青い顔をした執事がやって来て伝えたのだ。

「旦那様、奥様。ハインツ様が馬車の事故に遭われて……亡くなられたそうにございます」

 

 思いも寄らぬ知らせにエリーザは色を失った。

 カールも強く衝撃を受けた様子だ。


 ハインツは、つい半年ほど前に12歳年下の妻を娶ったばかりだった。もちろん政略結婚である。事故に遭った時、その新妻もハインツと一緒に馬車に乗っていた。ハインツは事故の瞬間、まだ17歳の新妻に覆いかぶさったのだという。

「ハインツ様に庇われた奥様は、大きな事故であるにもかかわらず、軽傷だったそうです」


 執事の話を聞いたカールはポツリと「……ハインツらしいな」と呟いた。

 エリーザは一言も発することが出来ず、ただ震えていた。



 その日の夜、夫婦の寝室で二人きりになると、カールはエリーザを強く抱きしめた。

「エリーザ。好きなだけ泣いていいぞ」

 カールの言葉を聞いた途端、エリーザの目から涙が溢れ出す。

 エリーザはカールの胸にしがみつき、泣きじゃくった。

「……カール様、ごめんなさい……今日だけ……今日だけ……ハインツ様の為に泣かせてください」

 エリーザの途切れ途切れの言葉に、カールは頷きながら優しい声で返す。

「ああ、わかった。俺のことは気にするな」

 泣き続けるエリーザを、カールは一晩中抱きしめていてくれた。



 2日後、カールと共にハインツの葬儀に参列したエリーザは、一粒の涙も見せず、背筋を伸ばし、公爵夫人らしい毅然とした態度を貫いた。

 

 その後、エリーザがカールの前でハインツの名を口にする事は無かった。

 カールはハインツが亡くなってから毎年、命日が来ると、学園時代の友人達と共に花と酒を携えてハインツの眠る墓地を訪れた。だが、エリーザが同行した事は一度も無い。毎年、ハインツの命日の朝にカールが何か言いたそうに眼差しを向けてくるが、エリーザは素知らぬ振りをして「行ってらっしゃいませ。お気を付けて」と夫を送り出すだけであった。

 

 事故から6年が経った頃、ハインツの妻は別の貴族男性と再婚をした。その後、数年のうちに3人の子供に恵まれ、幸せに暮らしているらしい――







 穏やかに時は流れた。


 エリーザとカールが年齢を重ねていくにつれ、二人の子供はどんどん成長していく。

 いつしか息子も娘も成人し、やがてそれぞれ家庭を築いた。どちらも政略結婚ではあったが夫婦仲は良く、次々と孫が産まれた。






 結婚32年目の冬、エリーザは重い病を患い床に伏していた。

 生物としての本能なのか、自身の死期が近付いていることがハッキリと分かる。


 ⦅ もうすぐ、ハインツ様のもとへ行ける ⦆


 そう考えると、エリーザの心は自然と浮き立った。

 死が迫ってきて嬉しいだなんて、きっと自分はオカシイのだろう。

 ハインツが事故で亡くなってから既に20年が経っているのだ。

 ⦅ なのに、いまだに彼を忘れられないなんて……私は狂っているのだわ ⦆

 ハインツへの自分の愛は異常な執着愛だと思う。

 尋常ではない狂おしい程のこの想いが何処から来るのか、エリーザ自身にも分からない。けれど、とにかくハインツのことが堪らなく好きなのだ。

 どれほど夫カールに愛されても大事にされても、エリーザが愛しているのは13歳の頃から変わらずハインツただ一人なのである。


「酷い妻よね……」

 寝台の上で、独り呟くエリーザ。

 カールを嫌いな訳ではない。家族としての情はもちろん感じている。

 けれど――男性として愛しているのは今も昔もやはりハインツだけなのだ。

「仕方ないわよね……どうしても、どうしても彼が好きなんだもの」



 目覚めると、エリーザの顔を覗き込んでいるカールと目が合った。

「エリーザ! 気が付いたか!?」

「……カール様?」

「良かった……君は2日間も眠っていたんだよ」

「え? そうなのですか?」

 よく見ると、カールの後ろに息子夫婦、娘夫婦、そして孫5人全員が揃っている。


 ⦅ そろそろお別れの時なのね…… ⦆


 エリーザは子や孫たちに向かって言った。

「皆、来てくれて嬉しいわ。最後に顔を見ることが出来て良かった。今までありがとう」

 子と孫は順に一人ずつ、寝台に横たわるエリーザの手を握り、各々の言葉でエリーザへの礼を言ってくれた。自分は何と恵まれているのだろうとエリーザは思う。


「皆、ありがとう。悪いけれど、少しだけカール様と二人にして欲しいの」

 エリーザがそう言うと、子も孫たちも頷いて、すぐに席を外してくれた。気を利かせた息子が、エリーザに付いている侍女にも退出を促してくれた。

  

 そうしてエリーザとカールだけが残った。

 急にシンと静まり返る部屋――

 

 エリーザが口を開く。

「カール様、長い間お世話になりました。ずっと私を大事にして下さって感謝しています。本当にありがとうございました」

「エリーザ……そんな風に言うな。そんな……これが最後みたいな台詞は聞きたくない」

 カールの声音に悲しみが滲む。

「カール様……」

 カールはその大きな手でエリーザの細い手を包み込んだ。

「エリーザ、愛してる。君を愛してる」

「……私も愛していますわ」

「えっ……?」



「誰よりも、カール様を愛しています」



 エリーザは、はっきりとした口調でそう言うと、カールに向かって微笑んだ。

 そして

 静かに目を閉じた――








 ******








 何度も何度も繰り返し思い出す。


「誰よりも、カール様を愛しています」

 それが、妻エリーザの最期の言葉だった。

 死の間際、そう言って、自分に微笑んでくれた最愛の妻――


 カールは、エリーザの最期の愛の言葉を大切に胸に抱き、子や孫たちに囲まれ、穏やかな余生を送った。
















  終わり













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