9話
漏れ出る嗚咽は行き場のない感情に似ている。
今彼が抱えている感情ほど複雑で、汚いものなど他にないだろう。
一秒前。
たった一秒前の記憶が完全に無くなっている。
動機が止まらない、嫌な汗が頬を伝う。
けれど、理由はわからない。
「ああもう……気持ち悪いな、クソ」
言葉ではこう言うが、本当のところ、ほんの少し感謝しているのかもしれない。
せっかく誰かも知れない人間に成れたのに、せっかく新しい人生が始まろうとしているのに。
もう二度と、悲しみたくない。
辛い記憶なんて消えてしまった方がいいんだ。
そう思っている自分がどこかにいる。
その度に彼は自己嫌悪をする。
「おい坊主、こんな朝っぱらから庭で何してんだ?」
木剣らしきものを二つ抱えたロイが目の前に立っていた。
どうやら心配しているらしく、眉が上がっている。
「……何でもないです。朝イチで運動したら、すこし気持ち悪くなっちゃって」
「そうか?それならいいが……いやよくないか。体調には気を付けろよ、薬は高級品だからなぁ」
そう言うとロイはマリターノに背を向けて歩きだす。
しかし、数歩進んで後ろを振り向いた。
「あ、そうだ。坊主の面倒は俺が見るって村長に許可取っといたからな。許してくれた村長に感謝するように、ついでに学舎にも通わせることにしたんで」
「ありがとうございます。それと、『学舎』っていったい……」
するとロイは得意気に口に三日月を作ると、
「学舎ってのはな、将来首都に出稼ぎに行くときに必要な知識を学びに行く場所だ。あっちじゃ村の常識なんて通用しないから今のうちに勉強しておくといいぞ!」
実に嬉しそうにこう言うのだ。
「家に住まわせてくれるだけで十分なのに、そんなに負担かけるわけにはいきませんよ……」
「なぁに坊主のクセに生意気なこと言ってんだ!大人しく養われて、いつか親孝行してくれりゃあ親としてそれ以上に嬉しいことはないんだぜ?」
親というものはこんなにも大きく感じるものなのかと、マリターノは感動に近いものを感じる。
初めての経験に自然と彼の頬は緩む。
「ありがとう、ございます……」
「おう!」
緩やかな朝が始まった。
話が思い付かない