墓参り
お墓参りをする時、皆さんは何を感じ、何を思うでしょう。
故人に思いを馳せ感傷に浸る方もいれば、ただの習慣として過ごす方もおられてでしょう。あるいは行かない、なんていう人も。
どれが悪くてどれが良いということはないのですが、墓参りに行くのなんて年に数回あるかないかくらいなので、その度にちょっと周りに目を向けてみると色々と気付くことってありますよね。
中学生や高校生の頃、あれだけ憧れていた大学生の夏休みも気付けばもう4回目だ。その夏休みも何もしないままもう四分の一が過ぎ去った。世間で言うところの盆休みにあたるところだ。
ーーーーーー何かしなければ
周りが着実にこれからの未来を決めている中、自分はまだ何も決まっていない、そんな現実に焦りがあるにも関わらず、これといって焦る素振りをする訳でもない。自分が焦っていることにすら目を瞑り、これまでの大学生活を反映したかのような夏休みを過ごしている。
「あんた、ちゃんとお墓参りにいってあげなさいよ」
その日は最近続く猛暑の中でもより一層暑く、蝉の声がいつもより耳に響く日であった。8月の中旬、残暑が残る、などと言うには暑すぎる。一昔前ならば真夏とは7月のことを指すのでは無かっただろうか。そんな地球温暖化の影響をひしひしと感じながら、母から耳にたこができるほど言われていることを、ふと思い出した。
母は熱心な浄土真宗の信徒であった。やたら御先祖様を大切に〜やら、仏様にお祈りを〜やら、特に宗教に興味のない自分にとってはあまり意味を感じないことを聞かされてきた。そもそも自分は葬式や墓参りとは元来生者が死者に対し未練を断ち切るためであって、死者のためというニュアンスは違うのではないか、などと考えるなかなかのひねくれっぷりを発揮させ、これまで多くの墓参りの機会を逃してきた男である。今更盆休みだからといって墓参りなど行くものか、ともはや原因不明の拗らせすら起こしていた。
そんな自分であるが、しかしどうにもその日はその言葉が頭から離れない。朝起きてから朝食を食べ、ダラダラと時間を無為に過ごし、昼を少し回った辺りで人の少なくなる時間を見計らい昼食を買いに行き、あまつさえ食べ終わってまたダラダラと無駄に時間を浪費している時ですら墓参りについて無意味な考察をせざるを得ないほど、脳裏で母の言葉が反響していた。
別に墓参りについて否定する訳では無い。ただ自分にとってはとうの昔に死んだ先祖のことについて考えるなどということは無駄な時間であり、それならばこれから先の未来について構想を練った方が有意義であると思っているだけである。
いつもならばこの理論で一蹴できたはずの母の言葉が今日は何故か食い下がる。ここまでくればどれだけ墓参りに行きたくない自分でも、無意識のうちに行かねばならないと思っているのではないかと考察を始める。幼い頃に祖父母と交わしたであろう言葉すら思い出せない、未練などないはずなのに何故。
ーーー結果から言うと墓参りに行かせようとした母の思惑は大成功であった。
思い出せもしない過去のことなど考えるだけ無駄である。あれだけうじうじと考えていた事が嘘のように、墓参りへ行くことを思い立ち、家を出るまでは実にスムーズであった。ただ家を出る一瞬、昼食を買いに行った時のことを思い出し、億劫になった。
家を出て墓のある寺へ向かおうとするが、自転車をつい先月壊してしまったことを思い出す。仕方が無いので徒歩で向かうことになる。憂鬱だ。いや誰がこんな暑さの中外に出て優雅にウォーキングなどしたいと思うだろうか。自宅や会社の中でエアコンから寒い位の冷気を出し、アイスを頬張り、冷たい飲み物でも片手に過ごした方がどれほど快適か。
盆とは残暑とセットの言葉ではなかったか、などと脳内で考えつく限りの不満を垂れ流していた道すがら、とある民家が視界に入ってきた。
小さい頃通っていた駄菓子屋が、大人になって訪れたら潰れていた、という月並みの表現で自分が大人になったことを実感するほど、自分は感傷的な人間ではない。店主の気分で今日は閉店しているだけだろう、と一瞥し足を止めることなく目的地までの歩を進める。
だが本当にそうだろうか。小さな頃からその駄菓子屋の経営者たるおばあちゃんは現在はどうしているのだろう。その駄菓子屋が開店している日よりも、道端で猫が2、3匹で集会を開く日の方が多く見かけるようになったのは、一体いつ頃からだっただろうか。もしかすると、少し賞味期限の切れたココアシガレットを口に加え背伸びする日なんて、もう2度と訪れることはないのではないか。
母の背が縮み、自分が独り立ちするような歳になったと感じたのもここ一年ほどのことである。世界の時計は自分が思っているよりもはやく進む。当然時が進むのは自分の家庭だけではない。その駄菓子屋のおばあちゃんに関してはやたら自分のオススメのお菓子や少し賞味期限の切れた売れ残りを進めてくるという情報しか覚えていないが、それでも確かに何度かコミュニケーションを交わした仲であった。
月並みの表現と言いつつ、感傷的な人間であることを否定しながら昔の思い出に浸る、そんな一面も自分らしいなと自嘲しながら、昔母と通った道をなぞって歩く。墓に飾る花屋、線香のついでにと一見民家にしか見えない煙草屋、品揃えの変わらない自販機と、背の低かった頃から考えると大分古くなったなという印象は拭えない。
よくあるような気もするが、しかし自分が感じた風景というものは自分だけのものである。たとえこの場所を初めて通る人間が見たとしても同じ景色を見ることはないだろう。
そんなことを考えていると目的地である寺院にたどり着く。一応寺院というだけあり本殿へたどり着くまでに石造りの坂がある。今ではなんのことはない、ただのどこにでもある少し長めの坂程度にしか感じないが、幼い頃この坂を先の見えない果てしない山を登山することに等しく感じていたことを思い出した。坂の中腹あたりで母がおぶって上まで登ることを提案したのを拒否し、両手も使い、文字通り這ってでも本殿へと登って行ったことを思い出した。
本殿の前へたどり着き一礼、寺院で代々務めている僧の一族の墓に一礼、親鸞聖人を模した銅像に一礼、と墓参りのブランクを感じさせない立ち回りをし、自身の記憶力に対し賛辞を送りたくなる。
そのまま墓地に備え付けられている水道へ向かい、近くにあるバケツと柄杓を手に自分の先祖が祀られている墓へと向かう。
道中たまたま墓参りに来ていたであろう家族とすれ違った。父親と母親と小さな子供だ。本当は遊びたいが何となく場の雰囲気から騒いではいけないと感じ取り大人しくしているであろうということが、手に取るように分かった。それでも静かにしていることは年頃の子供には難しいだろうに、その両親の教育が行き届いていることは想像に難くない。
あの子供も将来は自分のように一人で墓参りに行くようになるのだろうかと考えると、少し複雑な気分になった。
さて他人の家の子供のことなど二秒もすれば興味もなくなるというもので、いつも通りの作業を始める。我が家では昔から夏場は先祖様も暑いからという理由で墓に水をかける習わしがあった。あとから調べてそんな理由で水をかけていた訳では無かったことを知ったのだが。とにかく墓参りするにはまずは水関係のことを終わらせる必要があった。墓の頂点から全体に水が行き渡るように、かつ周りに飛沫が飛ばないよう丁寧に水を垂らしていく。身長があまり伸びなかった自分は背伸びをして何とか柄杓を使い水をやる。手先だけは器用になったもので昔と違いゆっくりと丁寧に水を垂らし、全体に水を行き渡らせ、周りにある他の家の墓に水を散らすようなこともなく水やりを終えることが出来るようになった。大人におぶってもらい水やりをしていた頃とは違う。生けてあった花も新しいものに取り替え、線香を立て、持ってきたライターで火をつける。
懐かしさを感じる匂いを嗅ぎながら、ゆっくりと目を瞑り頭の中で念仏を唱える。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏.......
何も考えず念仏だけ唱えているというのは何故か落ち着くもので、これまで考えていた諸々が頭からすっぽりと抜け落ちたように、脳内が空っぽになる。
墓参りとは祈るものでは無い、とはいえよく言われているように常日頃の無病息災を先祖に感謝するというのも納得していないため、ただただ何も考えず念仏を唱える。日本史で習った浄土真宗の情報によると、念仏を唱えるだけで他は蛇足だそうで。
一区切りつくまで唱えたあと、古い花を捨て、バケツや柄杓を元あった位置に戻すなど片付けをし、入ってきた逆順の手順をこなし寺院を後にする。
石坂を転けない程度に早歩きで降り帰路に着いたと思えば、何の偶然かちょうど仕事帰りと言う母に遭遇する。
「お墓参りしてきたの?」
と聞く母に対し、少し気まずくなり何と返せばよいか直ぐには思いつかず、それでも肯定のための言葉を探し、素っ気ない返事になる。
「いや、まあ、別に。気が向いたから、行ってきた」
母と並んで歩くことなど何年ぶりか。まだ二十年と少し生きただけだというのに、その事象を随分過去のものとして認識してしまう。
ふと足元を見るとレンガの壁で日光が遮られたのか、昨夜の雨で出来たであろう水たまりが猛暑の中自分の顔を映す。この一つや二つだかの大きな水たまりに何故気が付かなかったのか。暑い日差しの中蜃気楼のように揺れる水面を、その時はとても美しく感じた。
帰り道、行きしには閉店していた駄菓子屋が開いていた。店の横には黒猫が日向ぼっこをしているのか大人しく眠っている。店主はすっかり腰が曲がり、普通に話すだけでは声も届かないような耳になっており、移動も杖がなければ歩けないようであった。自分はそんなおばあちゃんに言った。
「この50円チョコを2つください」
私は真夏だと駄菓子のチョコなど溶けてしまっているだろうことを懸念すらしないほど、無類のチョコ好きであった。