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騒がしい、いつもの教室にて

 朝幸せな気分になったと思っていた私だったが、そのすぐあとに重要なことを思い出してしまっていた。そう、鈴の新しいリップのことである。昨日、鈴が身につけていたリップを舐めたことで鈴の一部を取り込んだ気になっていた。だけど、昨日の鈴と今日の鈴は大分変わってしまったようだ。

 先生が黒板に書いている文字をなんとなく眺める。ノートをとらないといけないのだが、面倒だ。私ははやくも誰かにノートをコピーさせてもらうことにした。

 私の席は鈴の席よりも前に位置しているため、授業中に鈴の姿を見ることはできない。以前、鈴が私よりも前の席に座っていた時は本当に良かった。いつでも鈴が視界に入るのだ。斜め後ろから見るとより一層美人に見えて、私は授業に集中することなんてできなかった。姿勢を正して真面目に授業を受けている姿は私からするととても神聖なものに思える。

 ノートの隅に落書きをしようとしてやめる。私には全く絵のセンスが無くて、書いているとイライラするのだ。眠いわけではないのに、なんだかやる気が出なくて授業中に少しずつ私の頭は机との距離を縮めていった。そして最後にはゼロになり、私は机に突っ伏した。


 私は授業が終わってからも机に伏せた体勢のままぼんやりとしていた。今日も教室はいつも通りでいくつもの会話が重なり合って聞こえてくる。私は暇なので近くの席に座っている女子の話を盗み聞きしていた。彼女たちの会話がいい感じに盛り上がってきたそのとき、「来馬さん」と頭の上から名前を呼ばれた。この声は岸田だ。

「起きてる?」

「起きてるけど」

 こいつにはこれだけで十分だと思い、私は端的に答える。

「やっぱり、怒ってるよね?」

 岸田は私にそうおそるおそる確認してくるものの、やはりすこしだけ声からふざけたような軽い様子が感じられる。私には反省したフリをしていることがよくわかった。昨日、こいつは私日直の仕事を押し付けて帰ったのにこの態度。怒っているに決まってる。岸田が日誌を書いてくれたなら、鈴のあんな光景を見ずに済んだのに。私はこんな意味の分からない感情を抱かずに済んだのに。

「怒ってないよ」

 怒ってはいるものの岸田に腹を立てているというよりも自分に苛立っているというほうが正しい。顔を伏せたまま、誰にも見られていないのをいいことにこっそりとむくれてみる。けれども、私にはこんなの似合わないからやはりこっそりと表情を戻した。

 岸田はさっき喋ったっきりで今は黙っている。彼がどこかに行ったような気配はないからまだいるはずなのに、何も喋らないことに不安になる。その不安から頭をあげようとしたら、頭の上に何かを載せられた。

「……何?」

 ほんの小さな重み。

「お詫び」

 私は頭の上に載った何かを取るために、手を伸ばす。その時にほんの少しだけ彼の手に触れた。とったものを見てみると、一口サイズのチョコレートだった。さっき彼の手に触れたのは、彼が私の頭の上でチョコを支えていたからだろう。

「ありがたくもらっとく」

 そう言うと彼は笑った。彼の笑った顔を見ていると、私は今日の朝から鈴以外の顔をまともに見ていなかったことに気がついた。今日の私は本当に鈴のことで頭がいっぱいだったんだ。

「これじゃ足りない? まだあるよ」

 黙り込んだ私がまだ怒っていると思ったのか、彼は私にさらに4つのチョコをくれた。それぞれ別の味だ。その中には鈴の好きなビターチョコレートもあって、私は朝のことを思い出しながらそのチョコを指でつついた。

「じゃ、それで日直の仕事サボったのは許して」

 彼はそう言うと、友達の所へと自然に混じっていった。

 私は岸田を見送ると、チョコをさっそく食べることにする。どれも嫌いじゃないけど特に好きな味もない。どれでも良いのだけれど、パッケージの印象からなんとなく抹茶味を選んで包装紙を開いた。

「夏帆」

 いつのまにか私の前には鈴が立っていた。鈴は私がチョコの包み紙を丁寧に開いているのを見て、

「それ岸田にもらったの?」

と私を覗き込みながら声をかけてきた。鈴は私を覗き込むために、わざわざ私の席の前にしゃがみこんでいる。

「うん。昨日のお詫びだってさ」

 答えつつも、私はチョコに目を向けたままで鈴の顔を見ないように意識した。

「お詫び?」

「昨日の日直、私がほとんどやったから」

「なるほど」

 鈴が頷く気配がする。

 この会話のうちに私はとうとう、チョコを開け終えてしまった。そんなに頑丈に包装されていたわけではないから当然だ。

 そっと視線をあげると、鈴は私の机の上に散らばっている残りのチョコを見ているようだった。ひとつひとつ摘み上げて、まじまじと見ているので味を確認しているのかもしれない。

 鈴は全て確認し終え、最後の一個をもとの場所に戻すと私を仰ぎ見た。

「あのね、」

 目が合った瞬間、私は近くに置いてあった包装紙を剥いでそのままにしておいたチョコを思わず鈴の口に突っ込んでいた。柔らかい唇に私の指先がほんの一瞬触れる。それに鼓動が高鳴りつつも、鈴の様子を伺うと予想外のことに目を白黒させていた。

 だって、鈴の目が綺麗すぎるから。そう私は心の中で言い訳する。さっき鈴が何か言いかけていたのを遮ったのは申し訳ないが仕方がない。最近は鈴のしゃべることに振り回されてばかりなのも、この行動に影響しているかもしれないし。誰にも聞かれることがないのをいいことに、支離滅裂で自分でも意味のわからないような言い訳をした。

「鈴に食べてほしくって」

 何もしゃべるつもりなんてなかったのに、自分の口からは適当すぎる言い訳が飛び出していた。頭の中で回っている言い訳が飛び出すよりかは幾分かましだが、これはない。鈴は驚いていたものの、すぐに落ち着き、チョコを口の中で溶かしているようだった。

 お互いに何も喋らない、少しだけ無言の時間が生まれた。その間に私は机の上に置いてあったチョコの包みを今回は雑に素早く開ける。そして先ほどチョコを鈴の口に入れるときに触れた、鈴の唇の感触を忘れないうちにチョコを食べた。間接キスともいえないものだけれど、それだけでなんとなく満たされて、朝からざわついていた私の心は落ち着いた気がする。

 鈴はひとつのチョコを溶かすにしては長い時間をかけているようだったが、どこか名残惜しそうな様子でチョコを食べ終えた。

「ありがとう」

 私が無理矢理口の中に入れたのに、やっぱり怒りはしない。そういうところもやっぱり好きだなと思う。鈴の好きなところなんていっぱいあるけど、この一緒にいるときの空気が好きなんだ。私も鈴に続いてチョコを食べ終えると、さっきから気になっていたことを聞いてみた。

「遮っちゃったけど、さっき何か言いかけてなかった?」

 すると鈴は表情が変わらないためわかりにくいものの、いつもより真剣な表情で、

「手伝ってほしいことがある」

と言うのだった。何か嫌な予感がしつつも、私は鈴のお願いに頷かずにはいられない。だって私は鈴のお願いを聞き入れたときのかわいい顔が大好きだから。だから今回も私は、いつものように「私にできることなら」と言ってしまった。

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