第十話「剣は折れない」
龍の血を引いている割に、二〇年しか生きないのはかなり短命だな、なんてことをラキノはなんとなく思っていた。
目をつぶったたった数秒。しかし、命が尽きるはずの数秒だった。
なのに、だ。
目を開くことが出来た。命はまだ自分の中にあった。
「まったく。これだから馬鹿と一緒にいるのは疲れるんだ」
そんな不貞腐れたような声がラキノの鼓膜を揺らした。
勇者がいた。
機械が振った右腕は、勇者の握る剣によって防がれていた。
ギギギギギギ、という鈍い音が機械の肩にあたる接合部から響いていた。
「どう、して」
あの距離からアルベルが間に合うなんてありえないと思っていたのに。
幻ではない本物の勇者が目の前にいたのだ。
「僕は誰よりも強くなると決めているんだ。あれぐらいの距離、間に合わせてみせる」
ただそれだけ言って、アルベルは機械の右腕を剣で押し返す。
ぐわんとバランスを崩す機械を見ながら、アルベルは口を開く。
「ずっと居場所が、なかったのか」
「……え」
「生まれてくる場所が悪かったというだけで、安心できる居場所がなかったのだろう」
「……、」
返事は出来なかった。
それを声に出してしまったら、全てを肯定してしまう気がして。
「君は、自分の両親を憎んだことがあるか?」
「ないっす。私は、こんな環境だとしても私を生んでくれた親には感謝してるっす」
「……そうか」
会話をしている間に、機械がバランスを取り戻して再び拳を振ってきた。
さらに、今度は左手に続けるように右手を振っていた。
それに気づいたラキノは、声を上げようとするが、
「心配はいらない。こんな機械なんかで、僕の剣は折れない」
ギィッ‼ という金属音とともに、再びアルベルは左拳を剣の柄頭で受け止め、続く右拳は切っ先で受け止めた。普通ならば剣が潰されてもおかしくない攻撃だ。
だが、勇者の剣にはヒビ一つ入ることはない。
むしろ、力強く黄金に輝いているようにも見えた。
光り輝く剣を握りながら、勇者は言う。
「僕は魔王軍の敵だ。魔族だって嫌いだ。たとえ昔に先に手を出したのが人間だとしても、僕は魔族に殺された人々をたくさん見てきた」
「……、」
「だが、あの大馬鹿野郎のせいで僕の中の何かが動いている自覚がある」
ずっと、魔王軍が悪だと思ってきた。
魔王軍が悪なのだから、魔族だって悪なのだと、彼らを全て倒せば世界は平和になるのだと、そう思って剣を振ってきた。
それなのに、あの男が現れてから多くが変わった。
この二ヵ月、たくさん悩んできた。スタラトの町でも、エルフの里でも、あの男は人間も魔族も関係なく守っていた。
まったく別の世界を生きているのだと、無視することもできた。
だが、あの拳で殴られてからずっと忘れられないのだ。
あの言葉が。
「善か悪かは関係ない。自分が守りたいと思ったものを守る、か」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、アルベルはラキノへ問いかける。
「君は、どうして魔王軍に入ろうと思った」
「それは……」
「それ以外の選択肢がなかったのだろう? この世界が魔族かそれ以外かで別れてしまっているから、生きていくのはそれしかなかったんだろう?」
「……、」
その沈黙が、答えだと受け取ったアルベルは再び機械の拳を剣で押し返してラキノへ言う。
「もし、もしだ。君が誰かを傷つけたことなんて一度もなく、逆に誰かから傷つけられる人生を送ってきたというのなら。僕に出会って魔王軍という居場所をなくしてしまったのなら。そして、今この場所に君の居場所があるとするのなら、だ」
勇者は、剣を振り上げた。
「僕が君を守ろう」
輝きをさらに増した剣を強く握って、アルベルは声を上げた。
「――【会心の一撃】‼」
ゴォア‼ という音とともに、勇者の剣から光り輝く斬撃が放たれた。
それは機械の右肩へぶつかり、いともたやすくその関節部を切り落とした。
続けて、アルベルはもう一度剣を振り上げ、その剣に光を宿す。
「君は戦う必要はない。なんの罪もない君が、居場所のために命を懸ける必要なんてどこにもない」
もう一度、アルベルによって【会心の一撃】を放つ。
今度は左肩だ。こちらも呆気なく切り落とされ、大きな音を立てて腕が床へと落ちていく。
そんな風に戦う後ろ姿を見ながら、
「いいんすか……?」
そんなちっぽけな問いをラキノは投げかけた。
今まで誰も言ってくれなかった言葉だった。シアンがかつてラキノを魔王軍に誘った時は、居場所がないならくればいいというような、そんな言葉だった。
でも、違う。
この勇者は、まったく別の言葉を言っているのだ。
無意識に流していた涙に気づくことすらできないラキノへ、アルベルは言う。
「僕の後ろを居場所にすればいい。君の居場所は僕が守ってやる」
そうだ。
誰も守ってくれなかったのだ。
立ち向かわなくては、誰も認めてくれなかった。
魔王軍にも、結果を出さなければ居続けることはできないと思っていた。
でも、アルベルは守るといったのだ。
何もせずに、ただそこにいるだけでいいのだと。
「私、全然強くないっす。アルベルさんの後ろにいたら、お荷物になっちゃうっすよ……?」
勇者の傍にいる権利なんてあるのだろうか。
そんな思考は、勇者にはなかった。
だって、そんな風に苦しむ人々を守るのが勇者なのだから。そうやって、全てを救ってきたのだから。
「全てを背負う覚悟は、この剣を握ったときに決まっている」
人々の悲しみを、苦しみを、涙を。全ての想いを背負うのが勇者という名を背負うことだと。
そしてその想いが、彼を強くする。
静かに、勇者は剣を天に掲げた。
直後、どこからともなくアルベルの剣に雷のような光が落ち、その全てが剣に宿った。
振り返った勇者の顔は、ラキノからは逆光で見えなかった。
でも、どこか笑っているようにも見えた気がした。
「わかったか、ラキノ」
大きく、何度も。
ラキノは泣きながら頷いた。
様々な感情でぐちゃぐちゃになった、情けない顔で。
「は、はいっすぅ……!」
「それでいい。さあ、前へ進むぞ」
そして勇者は、輝く剣の切っ先を機械へ向けて。
「――【勇者の一撃】」
美しいと、ラキノは思った。
まっすぐに機械を貫くその一筋の光を、彼の心の強さを示すような力強い輝きを、ラキノはただ見つめていた。
そして、数秒で消えていった光の中に、粉々になった機械が転がっていた。機械から出続けていた金属音が止まり、静寂が辺りを包む。
ふぅ、と一つ呼吸をすると、アルベルは肩を回した。次いで体の調子を確認するように何度か拳を開閉した。
「まだ少しだけ動けないか。もっと強くならないとな」
そんなことを呟きながら、アルベルは出口へ向かって歩き出した。
アルベルは足を止めずに、呆けてしまっているラキノへ振り返って、
「来ないのか。置いていくぞ」
「あ、今すぐ行くっす! アルベルさんの後ろが私の居場所っすから!」
すたすたと駆け足でアルベルの元へ追い付いたラキノは、アルベルの横に並ぶように位置を合わせて自分よりも大きい歩幅に何度か歩くスピードを合わせた。そして、アルベルの顔を見上げると、ラキノは顔を赤くしながらもじもじと上目遣いで、
「あ、あの……」
「なんだ」
「手、繋いでもいいっすか……?」
アルベルは、大きなため息を吐いて、
「調子に乗るな。さっさと進むぞ」
「き、厳しいところも嫌いじゃないっすよアルベルさぁん‼」
歩く速度を上げたアルベルにおいていかれないように、ラキノは笑顔でその背中を追いかけた。




