第九話「恐龍の爪」
「し、死ぬかと思ったっす……」
勇者アルベルによって抱えられたラキノは、彼の肩の上で安堵の息を吐きだした。
左肩でラキノを抱え、反対の右手に自分の身長の半分ほどの長さをした、戦闘のみに重点を置いた素朴で、されど強靭な剣を握っていた。
アルベルは無言で上を見上げる。どうやら、かなりの高さを落下したらしい。わずかに落とし穴の割れ目からの溢れる光が見えるが、もうすでに床は閉じてしまっているし、この高さを上るのは無謀だろう。
「これは、別に出口を探すしかないようだな」
ラキノをそっと肩から降ろすと、アルベルは周囲を見回した。
有難いことに、光源はあった。どうやら魔晶石を利用した照明らしく、壁に取り付けた魔晶石が紫の混じった白い光を放ち、この空間を照らしていた。
「あれ? アルベルさん。あんなところに魔晶石が落ちてるっすよ?」
同じように周囲を探索しているラキノが正面を指さした。
そちらへと目を向けると、たしかに人の頭よりも数段大きい魔晶石が転がっていた。
この部屋には魔晶石が照明として使われてはいるが、この魔晶石は道具として使われているようには見えない。どちらかといえば、つい最近にここに落ちたものにも見えるが。
「きっと、この工業地区の初めにみた爪痕を残し、あの入り口を壊した魔物だろう。あの落とし穴を避けて通れる大きさではなかったようだな」
「え? でも、その魔物の魔晶石があるってことは、その魔物は倒されてるってことっすよね? アルベルさんがやったんすか?」
「僕じゃない。君と一緒に落ちてきたばかりだろう。そんな時間はない」
「じゃあ、誰が?」
不思議そうに首を傾げるラキノを見て、アルベルは大きくため息を吐いた。
「ルーシェが言っていただろう。この研究所には、防衛用の機械が設置されていると」
「……へ?」
ギギギギギギギギギッ‼‼
錆びついた鉄が強引にねじられたような鳥肌の立つ高い音が空間を何度も反射した。
髪の毛と尻尾を逆立てたラキノは、震えながらアルベルの後ろに隠れる。
アルベルも、その音がした方を警戒しながら剣を抜いた。
「下がっていろ、ここは僕がやる」
「だ、大丈夫なんすか……?」
「僕はこんなところで足踏みをするわけにはいかない」
剣を固く握りしめたアルベルは、ゆっくりと正面へと進んでいく。
この空間は明かりがあるものの、それでも少し薄暗い。
少し進んでようやく、それの全貌をアルベルは捕らえた。
――ギギギギギギギギギギギギッ‼‼
鳴き声にも聞こえる耳障りな高音が、二人へと襲い掛かる。
しかし、アルベルは一切動じることなくそれを見つめていた。
その巨躯の形は人というよりは動物に見えた。四足で立つその手足は、豪邸の大黒柱を無理矢理持ってきたかのような太さと凶暴さを見せる前足と、それを支え、前方への突進を可能にさせる折りたたまれた後ろ足で構成されていた。
そして、その四本の足の持ち主は、外にある警備ロボと同様のドラム缶のような円柱型で、その先端には不気味に光るライトが二つ目のようについていた。
どれほどの強さかは分からないが、あの大きさの魔晶石を落とす魔物を倒している時点で楽に倒せる敵ではない。
あの柱のような前足から出される攻撃は絶対に回避しなければならないだろう。
と、慎重にアルベルが機械との距離を詰めようとしたときだった。
「ここは、私に任せてほしいっす!」
勇気を振り絞って声を上げ、アルベルの横に立ったのはラキノだった。
しかし、ラキノがこの機械を倒せるとは思わない。
そう思ったアルベルがラキノを止めようと口を開いた瞬間だった。
「私には、ずっと居場所がなかったっす」
そんな切り出し方をしたラキノは、正面を見ながら続ける。
「やっと居場所を見つけたと思っていた魔王軍も、どうやら私には合わなかったみたいで。でも、またこうやって笑っていられる場所を見つけたっす。アルベルさんが私を避けてる理由はよく分かるっす。元魔王軍で、魔族なんすから」
少しだけ寂しそうな顔をしながら、それでも強引に笑顔を作ってラキノは言う。
「だからこの居場所を自分で守るためにも、行動で示すっす。足手まといにはならないって。行動で伝えるっす。そうすれば、きっと。アルベルさんたちなら『ラキノ』っていう存在を認めてくれると思うっすから」
言って、大きく息を吸い込んだラキノは、不安と緊張と、他にも彼女の胸に溜まる様々な感情の全てを息に乗せて吐き出した。
そして、キッと正面の機械を睨みつけると、
「私はまだまだ龍としては未熟っすけど、人として自分の体を巡る魔力の扱いは龍よりも優れてるっす。そして、前に見たシアンさんの戦い方を見て思いついたっす」
静かに、ラキノは呟いた。
「――【恐龍の爪】」
ボゴォ‼ とラキノの周囲を熱風が包みこみ、その風がアルベルにまで届いた。
思わず手を使ってその風を遮ったアルベルは、唐突な変化に戸惑っていた。
先ほどラキノが言っていたシアンとは、サイトウハヤトが連れていたスタラトの町で出会った魔王軍幹部だろう。そいつが自分の体を強化して戦うという話は聞いている。
だが、アルベルの視界に映るラキノの体には変化が見られないのだ。
角は相変わらず可愛らしいと形容してもいいほどにおまけ程度で、翼は風を扇ぐことは出来ても、自分の体重を浮かすことは叶いそうもない。
と、そこでようやくラキノの体の異変にアルベルは気づいた。
「爪……?」
ラキノの体は、半分龍の血を引いているとしても、手足は完全に人間で強靭な爪などは持っていなかったはずだ。だが、しかし。
いつの間にかラキノの指先から肘までが赤黒い龍の鱗で覆われおり、その指先には人では考えられない太く鋭い爪がついていた。
視線を下げると、どうやら足もひざからつま先まで鱗で覆われているようだ。
「さあ、私はシアンさんと違って長くは持たないから、ちゃっちゃと終わらせるっすよ!」
直後、ラキノは床を勢い良く蹴り、宙へと舞い上がった。
ここまでの脚力は持っていなかったはずだ。つまり、あの変化した手足の力なのだろう。
と、アルベルはさらなる異常を目撃する。
「床が、赤くなっている?」
鉄のような素材でできた床が、蛍光色のオレンジに近い色に変色しており、さらに爪の跡がついていた。
おそらくはあの急激に発達した爪によるものだろうが、赤く変色する理由が分からない。
アルベルは視線を上げて宙を舞うラキノを見た。
ラキノの翼は未発達とはいえど、空中で体勢を整えたり、落下の速度を遅らせる程度には使えるようだ。
「私の爪は、アツアツっすよォ‼」
ギャギャギャ‼ とラキノの爪が金属音とともに機械の胴体に爪痕を残した。
一見、ラキノの体格では力負けしてしまうようにも見えるが、アルベルの想像以上に深くその爪跡は残っていた。
「私はシアンさんのようにはいかないけど、自分の手足の先に龍の魔力を巡らせて発達させたっす! おまけに、炎を吐ける私の爪には炎並みの熱が込められてるから、固い機械だって余裕っす!」
そう、赤く変色していたのはラキノの爪の熱によるものだった。
さすがに、炎ほどの熱で鉄を溶かすことは出来なかったが、爪の攻撃が刺さる程度には軟化していた。
そして、その力はラキノの手だけではない。
「どんどん行くっす!」
空中で体をねじって足を機械へと向けたラキノは、翼を器用に折りたたんで落下の方向を調節しながら、両手を反対方向へと向けた。
ゴァ! とラキノが手を振った瞬間、爪から放たれた熱による突風がさらにラキノを後押しし、ラキノの鋭利な爪を持つ両足が機械の胴体を捉えた。
「うりゃあ‼」
ドドドドドドドドド‼ とラキノの蹴りの連打が機械を突き刺す。
熱をまとう蹴りによって、機械の胴体がくの字にへこんでいく。
機械も大きな腕を振って反撃するが、瞬く間に懐に入ったことによって逆に長い腕ではラキノをとらえることが出来ず、ただラキノの蹴りが胴体を折ろうとしていた。
「あと、ちょっと……ッ‼」
蹴りの連打が始まってから一〇秒程度経ったとき、ついにラキノの体が機械の胴体を貫き、その背後に勢いよく着地した。
スライディングするように降りてきた瞬間、ラキノの手足の鱗が空気に溶け消え、指先まで人の形に戻った。
「ふぅ~。ギリギリだったっす! いやぁ、こんなに魔力を使うのをシアンさんは長時間、しかも全身だなんて。私なんかじゃ到底不可能っす! やっぱり魔王軍幹部は違うっすね~」
なんて、のんきな声を出しているラキノの耳に、誰かの声が聞こえた。
不思議に思って、ラキノは耳を澄ます。これは、アルベルの声だ。
何と言っているのだろう。予想では、さすがだな、とか。見直したよ、とかだろうか。
「――れッ!」
少し、想像とは違う言葉のようだ。
ラキノは振り返って、その声を聞こうとすると、
「走れッ! まだ魔晶石は壊せていないぞ‼」
「ぇ……?」
振り返ったラキノの前にいたのは、胴体に大きな穴を空けて、しかしその動きを止めない機械だった。
穴の中から、紫色に輝く宝石のようなものが見えた。
そうだ、ルーシェは機械は魔晶石を動力にしていると言っていた。そして、目の前の機械の魔晶石は壊れていない。つまり、まだ機械を倒せていないということだ。
さらに、ラキノの攻撃で傷ついたのは胴体のみ。もっとも警戒すべき両腕には傷一つついていない。
――ギギギギギギギギギッ‼‼
機械の右腕が、勢いよくラキノへと向かってきた。
叫び声を上げたアルベルは、ラキノに向かって走り出しているが、機械を貫いて反対側へ回ってしまったためにアルベルはその拳に間に合うようには思えない。
ラキノのスキル【恐龍の爪】も、まだ未熟なラキノにはわずかな時間しか発動できない上に、次に使うまでに三〇分程度の時間を必要とする。
あの拳を防ぐ力もなければ、油断していたラキノに避ける時間もない。というよりも、恐怖で足がすくんでしまっていた。
死の恐怖というものを初めて感じたラキノは、思わず目をつぶった。




