第七話「極上の逸品(主観)」
「私の中にある記憶と呼べるようなものは私の名前だけです。それ以外は出どころの分からない知識のみです」
そんなことを言いながら、ルーシェは台所と向き合ってコトコトと音を立てる鍋を見下ろしていた。
機械の警戒が解けるまでは後少しだが、万一もあるのでもう少しこの家で待つことにした俺たちは、この時間を使って昼食をとることにした。
そして、ルーシェがこれから同行するから、その挨拶がわりだと昼食を作ってくれていた。
「簡単なもので申し訳ありませんが」
そんな断りを入れてから、ルーシェは薄く湯気の登る鍋をテーブルに置いた。
人の家の物を勝手に使っていいのだろうかと思ったが、当のルーシェがさも当たり前のように使うので口を挟むに挟めなかった俺たちは、素直に席に着く。
「ありがとうな、飯まで作ってもらって」
「いえ、気にしないでください」
なんていい人なんだ。
見た感じ凄い美味しそうだし、あのクソ勇者にも是非見習ってもらいたい。
俺はクソ勇者を睨みつけながら鍋から自分の分のスープを取り分けてさっそく口へ運んだ。
「…………うん?」
美味しくない。
いや、特別不味いとは言わない。しかし、これを美味しいと言うことは間違いなく嘘だと思う。
「なんだそのとぼけた顔は。情けないな。君の味覚がおかしいのは今朝から変わらないだろう」
文句を言いながら、アルベルはスープを自分の口に運んだ。
その、直後だった。
「ぐは…………ッ!」
まるで即効性の毒を盛られたかのようにうめき声を上げてアルベルはその場に倒れた。
「クソ勇者ァァァア⁉︎」
「あなた方は旅の途中だと思いましたので、滋養強壮作用を持つ食材を多く入れてみました」
なるほど。こいつはまた才能のあるやつが来たな。
ペシペシとアルベルの顔を叩いてみるが、反応がない。まあ、死んだら死んだでいいか。
「あのさ、このスープの味見はした?」
「ええ、しました。とても良い出来だと思います」
うん。ルーシェには暗殺者とかが向いてるってことでいいよな。
とりあえず、俺もアルベルほどじゃあないが毎日ルーシェの飯を食べれるほど広い器も持っているわけではない。
と、頬に汗をかいていた俺を見たラキノが不安そうに、
「え? え? 一体、アルベルさんはどうしちゃったんすか?」
「ああ。ルーシェの飯が美味すぎて気を失ってるだけだ。無視していいぞ」
「本当っすか……? なんか、美味いってよりは異常な不味さに殺された感がするっすけど……」
訝しげに眉間にしわを寄せるラキノは、確かめるようスープに顔を近づけて、
「クンカクン……カ…………」
「嘘だろ⁉︎ 匂いを嗅いだだけでぶっ倒れやがった⁉︎ おい! 大丈夫かラキノ⁉︎」
「う……」
「よし、まだ生きてるな。ほら、大きく息を吸って吐くんだ」
背中をさすりながら俺は必死にラキノの魂を体から逃がさないように声をかける。
十秒程度で気がついたラキノは、額に滲んだ汗を拭きながら、
「し、死ぬかと思ったっす……。これ、毒ガスとか出てるんすか……?」
「い、いや。そんなことはないはずだけど」
一応俺も一口だがスープを飲んでいるのだ。毒物が混じっているわけではないと思うが。
どうかしたのか、という顔をしたルーシェに、俺は問いかける。
「味見、したんだよな……?」
「はい、しました。もしかしてお口に合わなかったでしょうか?」
「え? い、いやぁ。そういうわけじゃ……」
「あんたもちょっと食べてみればいいっすよ! ほら!」
殺されかけて腹が立っているのか、誤魔化そうとした俺の言葉を遮ってラキノがスープをルーシェの前に突き出した。
ためらいなく、ルーシェはスープを口へ運ぶ。
「うっとり……」
「そんな馬鹿なっすぅぅぅうううう‼︎」
極上のフルコースを食べたかのような恍惚とした顔で今までの無表情を始めて崩したルーシェを見て、ラキノは涙を流してその場に倒れてしまった。
幸せそうな顔でどこか遠くを見つめるルーシェの目の前で手を振って、俺は問いかける。
「お、お〜い。ルーシェさーん?」
「はい。なんでしょうか?」
「おお⁉︎ 急に我に返ったな」
「私の味覚では極上の逸品だったのですが。みなさんの口には合わなかったようですね」
淡々とルーシェは片付けようと立ち上がるので、俺はそれを止めて、
「いや、俺は別に食えるから大丈夫。というより、俺的にはこいつの料理の方がやばいから」
さすがに毎日これと言われたら苦しいものがあるが、今日一日くらいならば問題はない。
今まで美味しい料理を作ってくれていたボタンがどれだけ偉大だったかを改めて実感した。
今度、なんか欲しいものがあるなら買ってやろうかな。
数分経ってアルベルが意識を取り戻した頃には、もう外の機械たちの動きは落ち着いていたので、俺たちは外へと歩き出した。
移動は基本的に民家の屋根を歩いていく。先ほどルーシェが言っていたように、本当にあの機械たちは上への警戒が甘い。人間だったら確実に見つかっている角度でも、機械たちは素通りして去っていく。
屋根を歩くことに慣れてきた俺は、無言で歩き続けているアルベルに声をかける。
「なあ、クソ勇者。東側で『女神の心臓』を探すって言っても、もうかなり東に来てるだろ? これからはどうするんだ?」
「さあ」
「え? まさか片っ端から探そうとしてたわけじゃあないよな?」
このバカ真面目なアルベルだと、それがあり得てしまうから恐ろしい。
恐々とした俺の問いかけに、アルベルは迷いなく答える。
「ああ。その通りだ」
「おいラキノ! 馬鹿がいる! ここに馬鹿がいる!」
「んなこと言ったらハヤトさんだって馬鹿っすよ」
「なんだって⁉︎」
ついにラキノまで素っ気なくなってきた! なんとなく寂しくなった俺が肩を落としていると、横にいるルーシェが眼下にいる機械に注意しながら、
「私の予想では、『女神の心臓』は北東の工業地区にあると予想しています」
「工業地区?」
「はい。この町の機械などはすべてそこで製造されています。そして、その工業地区には機械の製造で使われる魔晶石の管理をしている建物もあります。『女神の心臓』が魔晶石に近い物体であるのなら、そこにあると考えるのが妥当かと」
「なるほど。それなら行ってみる価値は充分だ」
はっきりとした行き先が決まったのでひとまずは安心か。
俺がうんうんと頷いていると、ルーシャが「しかし」と付け加える。
「高価で取引される魔晶石を管理するの建物は、博士の研究所の一番奥にあります。そこの機械たちは警備ロボとは違い、侵入者を敵と判断するように設定されています」
「ちょっと待て。どんどん新情報で出てきたぞ。まず、博士って誰?」
答えたのはアルベルだった。
「確か、このドーザの発展に最も貢献した人だ。この町の機械の設計はすべてその『博士』と呼ばれる人が手掛けていると聞いている。名前は確か、ミドロルとかいったか」
「そんな人がいるのか。なら、その人に『女神の心臓』について尋ねるのが一番手っ取り早いな」
「ああ。もしそこで管理されているのなら、魔王軍の動きが落ち着くまで僕がここを守っていればいいだけだし、君に奪われる心配もないからね」
アルベルが横目に俺を見てくるので、とりあえず睨み返しておいた。
と、横を見ながら歩いていたために自分が屋根の上を歩いていることを忘れていた俺は、屋根が途切れていることに足を出す直前まで気づかず、あやうく落ちかけた。
なんとかバランスを取って止まると、もうすでに歩みを止めていたルーシェの視線が斜め上を向いていた。
「見えました。あれが、工業地区です」
指を差した先を見ると、そこには今までの民家の何倍もの高さの鉄の塊がそびえ立っていた。
東京で平凡な生活のみを送ってきたので、こういった工場のようなものを実際に見ることはなかったので、俺がいた世界との違いはいまいち分からない。
というより、この場所の風景のみを切り取って俺の世界の人に見せても、それが異世界で取られたものだとは思えないだろう。
それほどまでに大規模で、圧倒的に無機質。
工場のような巨大な鉄の箱と、ロケットのようにも見える円柱型の建造物に、それから伸びる管のようなものが蛇のように地面を這っていた。
しかし、そのどれにも通路のようなものや、人が作業するような手すりが見えない。ルーシェによると、この工場ではほとんどの作業を機械が行っており、人が働くのは製造工程の中でもわずかな場所だけらしい。
「凄いな。こんなのがこの世界にあったのか」
「世界中を旅してきたが、ここまでのものは僕も初めて見る。おそらく、世界最高の技術力だろう」
アルベルが呟く横で、ラキノも興味津々な顔で背伸びしながら覗き込んでいた。
「凄いっす……。魔族じゃあんなにでっかい塊をたくさん置いたって物置になるだけっすよ……」
「私の知識だと、このドーザは約五年前まではもっと小規模なもので、つい最近に著しく発展したようです」
「なんでルーシェってそんなに詳しいんだ? もしかして、お前が博士とか?」
「なぜ詳しいのかはわかりません。それと、私は博士ではありません。博士は六〇歳を超えた男性のようですから」
「ふ~ん。そうなのか」
予想が外れて少し不貞腐れた俺は、唇を突き出しながら工業地区を眺める。
何度見ても、圧巻だった。ここまでの技術がこの世界に存在するということだけでも興奮している自分がいた。
「……ん?」
工場の一角から、黒い煙が上がっているのが見えた。
他にも煙が上がっているのが見えているのだが、それらは白か、濃くても灰色。それと、魔晶石を使っているからか、滲むような紫の煙がちらほらと見えているだけ。
一目見て黒と言えるような煙が、そこからしか上っていなかったのだ。
違和感を覚えるのには十分だった。
「なあ、ルーシェ。あの黒い煙はなんの煙なんだ?」
「……火事。もしくは工場が破壊されている可能性があります」
「なんだって……?」
あまりにも簡単にルーシェから出てきた言葉に、俺たち三人は訊き返すことしかできなかった。
アルベルの顔に焦りが浮かぶ。
「クソ。魔王軍は退いたと思ったが、辺りを壊すことよりも工業地区を狙うことに目的を移していたのか……!」
「わ、私はそんなこと聞いてなかったっすから、多分あそこに行くって決めたのは今日か、早くても昨日のはずっす! ルーシェさんの言うように、工業地区にも警備ロボがいるなら、まだ間に合うはずっすよ!」
「ああ、分かっている! 急ぐぞ!」
すぐに屋根を蹴って走り出すアルベルに続くように、俺たちは工業地区へと走り出した。




