第五話「喧嘩はよくないって話」
それを例えるのなら、西部劇でよく見る「先に動いた方が負け」のような感覚だろうか。
剣の柄を握り俺を睨むアルベル。右肩を引いて拳を握る俺。
数秒で決着はついてしまうだろうと、俺だけじゃなくアルベルも思っているだろう。
ただ、ラキノはそんな戦い今すぐやめて私の話を聞いてくださいっす……って顔でこっちを見ているが。
「おい、クソ勇者。表に出ろ。ここじゃあこの家を壊しちまう」
「……それに関しては賛成だ。お前の血で罪もない人の家を汚すのは最悪だからな」
それだけ言って、俺たちはゆっくりと玄関へと歩き出す。
と、そこでラキノが汗をダラダラと流して俺たちと扉の間に入り込んできた。
「ま、待ってくださいっす! 今は外に出ちゃダメっす!」
「わりぃ、ラキノ。今はそんなこと気にしてる場合じゃないんだよ」
俺はラキノの頭にポンと手を置いて、
「こいつぶん殴ったら話を聞くから、ちょっとだけ待っててくれ」
「あーもう! 散々馬鹿だって私に言っておいて本当の馬鹿はあんたら二人じゃないっすか! もう勝手にすればいいっすよ!」
プイっと顔を背けたラキノに少し申し訳なく思いながらも、俺は扉をあけて外に出た。
それに続いて、アルベルも外に出る。
まだ午前中だからか、太陽もあまり上までは登っていなかった。長く伸びた民家の影が、外に出た俺の体を光から守ってくれているようだった。
ただ、外は人が一人もいないドーザの町だ。この辺りは侵攻が少なかったために壊れている場所は少ないが、それでも寂しい雰囲気は常に漂っていた。
「……ん? ここって、こんなに壊れた機械が転がってたか?」
ほんの少しの違和感。たしか、この東側にはあまり壊れた機械はなかったはずだ。むしろ、壊れてない機械がたくさんあったおかげでこの民家で一夜を明かすことになったんだから。
だが、そんな警備ロボが壊れているということは。
……と、少し思考を巡らせてはみたが、クソ勇者の顔を見たらどうでもよくなってきた。
「よし、ぶん殴ってやるクソ勇者。顔出せ」
「うるさい。このふざけた顔を頭ごと落としてやるから首を出せ」
よろしい、戦争だ。
俺は力一杯拳を握って少しだけ重心を落とす。喧嘩殺法の素人パンチではあるが、当たれば一撃の必殺技だ。アルベルの剣は速いが、その動きもなんとか目で追える。
だから、カウンター気味にパンチを食らわせるイメージで――
「おうおうおう! なんだァ、お前らは!」
俺の思考を遮るように声を出したのは、アルベルでもラキノでもなかった。
アルベルから目を離せないので、少しだけ体をずらして、視界の隅にその音源を探す。
すると、なんだか毛むくじゃらな獣人のような男がそこに立っていた。
正直、今はアルベルだけで精一杯なので構っている余裕はない。
アルベルも同じことを思っているようだ。あの獣人には目もくれず、俺を睨みつけていた。
だが、
「無視すんじゃねぇよ! このドルアーグを前にして他の奴と喧嘩とは舐めた真似をしやがって!」
近くに転がっていた機械を右足で踏み潰しながら、ドルアーグと名乗った獣人は叫んだ。
と、怒りをあらわにするドルアーグの視界に彼の見知った存在が映った。
「お前、ラキノか……?」
「ひっ……!」
おそらく、こっそりと外に出て二人の様子を見ようとしていたのだろう。扉をあけて覗き込むように顔を出していたラキノは、怯えた声を出して顔を引っ込めた。
「てめぇ! 命令を無視して今までどこをほっつき歩いていやがった!」
「…………、」
「返事しろ、この馬鹿!」
「だから、私は馬鹿じゃないって何度も言ってるっす!」
「顔、出しやがったな」
「あっ……」
やはり馬鹿なラキノであった。
どうやら、あの獣人は魔王軍らしい。そして、ラキノの先輩か上司に当たる存在なのだろう。
「馬鹿なやつには罰を与えるのが上司の仕事だよなぁ?」
ずん、ずん、と大きな足音を鳴らしながら、ドルアーグはこちらへと近づいてくる。
だが、彼がラキノの元へ行くためには、今すぐにでも戦いを始めそうな俺たちの横を通り過ぎなければならない。
避ければいいだけの話なのだが、それは彼のプライドが許さなかったようだ。
「おい、てめぇら。ここまで近づいて俺に少しも目をくれないってのはどういうことだ?」
「…………、」
「…………、」
案の定、俺もアルベルも返事をしない。
いつ攻撃が来てもいいように神経を極限にまで尖らせて、その全てを互いに向けている。
だが、俺たちの間にピン、と張った目に見えない糸を切るようにドルアーグは間に入ってきた。
「おいおいおい! ここまできても無視か⁉︎ てめぇら狂ってんのかよ! もう面倒だ、こっちから手を出させてもらうぞ」
言って、ドルアーグはまず俺に向かって、獣人を特徴付ける鋭利で強靭な爪を振りかざしてきた。
本当なら反撃してもいいが、一秒でも隙を作ったら切られる。今までは剣で斬られても痛みはすれど傷はほとんど出来なかった。
だが、このクソ勇者の剣だけは斬ってくる。俺の本能がそう言っている。
だったら、こいつに殴られた方がマシだ。
ドギャァア‼︎ という低い音が響いた。
攻撃を受けたのは首元だ。左肩の付け根から耳の裏まで全てに鈍痛が走る。
だが、それだけだった。
「ぎ、ぎぃぃいあああ⁉︎」
強靭に見えた爪だったが、俺のカンストステータスの体には勝てなかったようだ。折れはしないまでも、爪先から根元まで痛々しい亀裂が走っていた。
苦痛に歪んだ顔で右手を押さえるドルアーグは、荒々しく呼吸をしながら俺を睨む。
「て、てめぇ。一体何者だ……⁉︎」
「…………、」
俺の意識の全てが、アルベルへ向いていた。
動くとしたらこのタイミングだ。今が最も隙のある瞬間。狙うならここのはずだ。……が、動きがない。
「サイトウハヤト。僕がそんなくだらない隙を狙って攻撃すると思っていたのか?」
「もし攻撃されたらやべぇからこれだけ気を張ってんだよ。お前を舐めてない証拠だろうが」
「なら、安心するといい。完璧な状態の君に勝たないと、僕のプライドが許さないからだ」
真顔のままそう告げて、アルベルは視線をドルアーグへ移した。
爪の付け根から溢れる血を押さえるドルアーグは、不愉快そうに、
「なんだ、なんなんだよお前!」
「貴様、魔王軍だな?」
「だったらなんだ!」
「……本来なら、僕個人の感情で剣を握るのは恥ずべきだろうが、今回ばかりはこの行き場のない怒りをぶつけさせてもらおう」
それ以降の返事を、アルベルは許さなかった。
ドルアーグが本能的に危機を感じてアルベルに襲いかかるが、もう間に合わない。
「【会心の一撃】」
居合のように抜かれた剣の刀身から、白い光を放って輝く斬撃が飛び出した。
間合いを詰めていたドルアーグだったが、あと一歩届かずに剣から溢れ出す斬撃を正面から受けてずっと遠くまで吹き飛ばされる。
どこか民家の壁に衝突したのだろうか。砂煙が遠くで登っていた。
「な、な…………っ⁉︎」
それを見たラキノは、信じられないといった顔で勇者を見つめていた。
「ドルアーグさんが一撃⁉︎ 機械を倒した時もそうっすけど、アルベルさんってこんなに強かったんすね!」
褒めてるのかけなしているのか分からない感想を声に出すと、ラキノは吹き飛ばされたドルアーグの方を見る。
目を凝らしてようやく元上司の姿を視界に映したラキノは、両手を口に当てて拡声器のような形にして、
「ドルアーグさーんっ! 私、魔王軍辞めるっす〜! 短い間だけど、お世話になったっすー!」
「え、そんな簡単に辞めれるものなの、魔王軍って」
「大丈夫っすよ! 魔王軍に入ったときもシアンさんが『今日からラキノはシアンたちの仲間だぞー!』って感じっすから」
「そんなノリで入って置き去りにされたら、そりゃあ辞めたくもなるよな……」
と、そこまで話して目の前にアルベルがいるのを思い出した俺は慌てて拳を構えるが、
「なんか、馬鹿馬鹿しくなってきたなぁ」
思ってみれば、アルベルだけを凝視して魔王軍からの攻撃を防御しないって。俺の方が馬鹿じゃないか?
ラキノとの会話で力も抜けちゃったし、なんか戦うって感じじゃあないな。
「僕もそう思っていたところだ。こんなところでお前と戦っても僕はなにも得をしない」
そう言って、アルベルは剣を収めた。
「ほっ。やっと終わったっす……。どうなるかと思ってヒヤヒヤしたっすよ……」
ラキノは安心したように大きくため息を吐いた。なんとなくその様子を見てアルベルも力が抜けたらしく、軽く息を吐いて一夜を過ごした民家へと歩いていった。
だが、ここで俺に背中を向けるのは悪手だぜクソ勇者!
「馬鹿馬鹿しくはなったけど、とりあえず一発殴ってやりたいな、ぐらいは思ってるんだぜクソ勇者!」
油断したアルベルの背中へ飛びかかろうとしたときに、それを見ていたラキノの堪忍袋の緒がついに切れてしまった。
「こんなに心配してるんだから、いつまでもくだらない喧嘩してんじゃあないっすよ、この馬鹿ハヤトさんッ‼︎」
龍の血を継ぐ者は、たとえそれがハーフだろうと火を吐けるらしい。
喧嘩をする少し前に、そんなことをラキノが言っていたのを俺は刹那に思い出していた。
ゴォォォオオ‼︎ と、ラキノは口から人を一人容易に飲み込める大きさの炎を吹き出した。
速度も充分すぎた。アルベルを殴ろうとした俺にもう避ける余裕はなかった。
「うぎゃぁぁあああ⁉︎」
熱いというよりは、痛いという感覚しかなかった。アルベルを殴ることも出来ず、鎮火のために俺は地面を転がっていた。
必死に消火をしようとする俺とは反対に、ラキノは落ち着いた表情で、
「ふぅ〜。やっぱりこの大きさの炎を吐くと一仕事やってやったぜ、って気分になるっすね〜」
こうして、俺とアルベルの喧嘩は俺の不戦敗という形で幕を下ろした。
そして昼下がり。東側へ向かって出発したものの、俺は常にラキノの炎を怖がって歩くことになった。




