第二十二話「前触れのない悪夢」
人知れず始まり、人知れず終わりを告げた、騎士団長アルバトロス=ゴルゴ―ラによるクーデタから、数日が経った。
空からの光を遮るものなど一切ない、透き通るような青空。
気持ちのいい風が、スワレアラ国の中心に建つ城の中庭を通り抜けていた。
そして、だだっ広い中庭から続く城の大広間に出来た人々の列の中に、俺はいた。
ボタンとシヤクも少しそわそわしながら俺と一緒にこの大広間で立っていた。
その理由は、目の前にある。
「我が国の騎士団長であったアルバトロス=ゴルゴ―ラは、汚職によりその任を解き、一端の兵士に降格することとなった」
皆の視線の全てを集め、しかし堂々とした態度でその言葉を紡いだのは、スワレアラ国女王、クリファだった。
今回の騒動は、隣国との外交が不安定になる可能性もあるために、アルバトロスの汚職のみを表に出し、それを正しく罰することで王国としての安定を他国に示すという形になった。
それによってアルバトロスは騎士団長からただの兵に成り下がったわけだが、それはつまり、新たな騎士団長を決めることにもなるということだ。
今日はそのために城に仕える人や、貴族や、一般人もちらほらと見える。
ざわざわと話す声が広間に響く中、主役が現れた。
今回、アルバトロスの汚職によって当然だがスワレアラ国内での兵士への信頼は低下している。それを回復するために必要な条件は大きく二つ。
一つは当たり前だが、絶対に裏切りなどをしないという確信があること。
そしてもう一つは、団長としての指揮官の器と、技量だ。
そうなってくると、当てはまる人物は一人しかいない。
「今日よりアルバトロスに代わり騎士団長となるのは、前国王ランドロランの弟、ルオダ=ディーレ=スワレアラの娘にして、国立魔法学校にて『魔導博士十位』を修めた白金の冒険者、レイミア=ディーレ=スワレアラである!」
数日前にミルウルと戦った時のローブと同じものを羽織り、自分の足でレイミアはクリファの前まで歩く。
いつの間にか、喧騒が広場を埋めていた。だが、それも当然だろう。公の場にレイミアが王族として出てくるのは、今日が十二年振りらしい。
レイミアのことを冒険者としてでしか認識していなかった人は、さぞかし驚いていることだろう。
事実、俺の隣にいたシヤク(クリファを助ける前にボタンに預けてきたのでレイミアが王族であることを知らない)は女の子として大丈夫なのか、と思うような物凄い顔になっていた。
面白そうなのでちょっとからかってみる。
「俺たち、レイミアに生意気なこと言ってたからあとで罰を受けるらしいぞ」
「ひっ。わ、私、まだ死にたくないなのでございます……」
本気で泣きそうな顔をしていたのですぐに冗談だよ、と伝えると怒りを込めてスキルによって強化されたパンチが肩に炸裂して凄い痛かった。
もうやらない。てか、やってはいけないな。
肩をさすりながら視線をあげると、ちょうどレイミアが話し始めるところだった。
騎士団長としての第一声。これからのスワレアラ国内での信頼を取り戻すためにも、言葉を選ぶ必要があると思うが、なんとなく嫌な予感がした。
「どうも〜。今日から騎士団長になったレイミアだよ〜。よろしくね〜」
いつものようにヘラヘラと笑いながら、レイミアは手を振っていた。
隣でやっぱりこうなっちゃったか〜というような残念そうな顔をしているクリファと、王族であるという遠い存在を告げられたあとだからか、そのいつもらしさにどこか安心しているようなシヤク。
そして、周囲も予想外の言葉に動揺しているようだった。
しかし、
「アルバトロスが色々やらかしてさ、兵士たちに対する不信感も当然だと思うんだよね。だからさ。今更、『私は王族です。だから信じてください』なんてことを言うつもりはないよ」
俺の知っているレイミアは、どんな状況でも諦めずに前へ進める人間だ。
皆がどんな顔をしているかなんて関係なかった。俺は笑っていた。
レイミアなら心配ないという、確信があったから。
そして、本人もきっとそう思っているのだろう。ヘラヘラとした笑いではなく、真っ直ぐに前を見つめた力強い笑顔だった。
「誰にも恥じないような、そんな結果を出す。だから、これから私が出す結果を、その戦いを、信頼してほしい」
それだけ言って、レイミアは下がった。
最初は皆、呆気にとられているようだった。
多くは語らず、その行動だけを見てほしいと。王族であることに甘えることなく、実力だけでレイミアという人間を信じてもらおうと。
どこからか一つ、拍手が聞こえた。
次第にそれは波紋のように広がり、たちまちのうちに大広間が拍手と喝采で埋め尽くされる。
満足そうにその様子を見下ろすクリファは、こほんと仕切り直すように咳ばらいをしてから口を開いた。
「続いて、同時に新しく騎士副団長も発表する。……前へ」
その言葉とともに前へ出てくるのは、クリファやレイミアよりも数段体が大きく、体に無数の傷を残した女の剣士。
俺が前に見たときと違う箇所は、身にまとう鎧の左胸にスワレアラ国の国章が刻まれていることか。
自分を見つめる大衆を見渡し、ラディアは口を開いた。
「騎士副団長となった、ラディア=ミエナリアだ」
白金の冒険者であるラディアの知名度はレイミアと変わらない。だからこそ、その実力を疑う者もいない。しかし、
「私は、王都郊外の生まれだ。レイミアと違い、高貴な血統ではない」
隠すことなど一切せず、ラディアはありのままを言葉にする。
「だが、私も言うことはレイミアと変わらない。いや、それ以上に責任があるというべきか」
一つ呼吸を置いてから、ラディアは言う。
「私は弱い。まだまだ未熟だ。だからこそ、自分の弱さを知っている。私にはできないことが多くある。きっと、皆に頼ってしまうこともあるかもしれない。だが、何があっても。どんな時でも、私が弱き者の代表として先頭に立とう。強さに抗う矛になろう。だから、どうか私についてきてほしい。道は、私が切り開く」
シン、と静寂が広間を埋めた。
そしてわずかな時間をおいて拍手を始めたのは、レイミアだった。
続くように、俺が手を叩く。
間もなくして、再び拍手が広間を埋めた。
その光景を見て、安心したようにラディアは息を吐いた。
そして、クリファがいくつかの話をしたのちに任命式は終了し、皆が解散し始めた。
「くぅう……、長い間ずっとただ立ち続けるってのは疲れるなのですね~」
ぐっと背伸びをしながらボタンがぼやいていた。
そういえば、エストスとシアンとリリナは式に出ずに客室にいるんだったな。退屈しているだろうからさっさと迎えに行ってやらないと。
と、遠くを見たらクリファたちがこちらを見ていた。
手を振ってみると返してくれた。
「本当に、みんなが無事でよかったよ。シヤクもレイミアもラディアもよくやってくれたし。後も綺麗にまとまったしな。随分と濃い数日だったけど、ようやくこれにて――」
「『一件落着ってやつだな』っていうつもりだった??」
後ろから、甘ったるい声が聞こえた。
ゾァァア‼ と異常な寒気が急に背筋に走る。
死に物狂いで、俺は一歩だけ距離を取って振り向いた。
それの声の主が誰だかは一瞬で分かった。
だって、こんな存在感だけで吐き気を感じるような、そんな禍々しい雰囲気をまとう生物を、俺は一つしか知らないから。
俺は『それ』に視線を移した。
どこにでもいそうな服装に、どこにでもいそうな容姿。
その外観に特別さはない。それゆえに、その不気味さが一層際立つ。
そんな少女の見た目をした『それ』は妖しく笑っていた。
「わお! ごめんね、驚かせちゃったかな? でも、目の前に出てくる方がびっくりすると思ってね。あの、本当に悪く思ってるんだよ? ごめんね?」
俺は、口にするのも躊躇うようなその名前を、静かに呟いた。
「…………メリィ」
俺がそう言うと、幸せそうに笑って『それ』は手を合わせた。
「わあっ! 覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ。えへへ」
いつの間にか、周囲の視線がこちらへ集まっていた。
もちろん、ボタンとシヤクも。
シアンたちがこの場にいなかったのは、果たして幸か不幸か。
ただ、その気配の違和感に気づいたのだろう。ボタンが懐から既に短剣を取り出してその切っ先を『それ』に向けていた。
「……誰、なのですか」
そう問われると、『それ』は嬉しそうに笑ってこう言うのだ。
ピースをしながらポーズを決めて、そんな態度には一切合わない、こんな言葉を。
「どもどもっ! 私はメリィ。世界の人々が忌み嫌う、魔王メリィだよ♪」
「うぅ……暇だぞ~。ハヤトはまだ帰ってこないのか~」
「そこまで長く時間はかからないだろう。ほら、紅茶でも飲んで落ち着くといい」
「そういえば、魔族のあーしらが人前に出ないようにするってのはわかるって感じだけど、どうしてエストスまでここにいるワケ?」
「さすがに、私のような人間がそういった場所に顔を出すのは気が引けるというだけだ。特別な理由はないよ」
「あ、そっか。実際にここであの人たちの祖先をボッコボコにしてるって感じだもんね」
「少しは言葉を選んだらどうだい。これでも私は乙女なんだ、気にするぞ」
「え、でもエストスってかなり歳食ってるって感じじゃ……ちょ!? その銃はガチのやつって感じじゃん!? そんな今の言葉って地雷なのって感じ――」
「……、」
「どうした?」
「……まおうが、きた…………?」




