第二十話「全てを懸けて」
王都の中心部にある、レンガ造りの家が目立つ、貴族たちが住む地域。
住宅街ともいえるのだが、さすが貴族というだけあり、隣の家までの広い土地を挟むために窮屈な印象は一切なかった。
全ての家は二階か三階建てで、自分の経済力を示そうとどの家にも豪華な装飾が施してあった。
そして、鉱石資源を主に取り扱う上流貴族、ミルウル=デラオラ=ボルダーグの邸宅も、その住宅街の一部だった。
その豪邸に設置されている大きな門の前で、白髪の女剣士、ラディア=ミエナリアは隣に立つ青髪の少女に感謝を伝えていた。
「ありがとう、レイミア」
それを聞いて、呆れたようにレイミアはため息を吐く。
「もう何度も聞いたよ。クリファとシヤクちゃんはハヤトがどうにかしてくれるだろうから、私たちは私たちの問題を片付けなきゃ」
自分の両の足で立ち、レイミアは言った。
普段は全ての事に面倒がって自分で歩くことすらしない彼女であるが、今この瞬間は大切な友のために戦う時間なのだと、言葉を使わずにその姿だけで伝えていた。
なんと頼もしくて、安心できるのだろう。
思わず口元が緩みそうになるラディアだが、山積みである問題を思い出し、首を振って気持ちを切り替える。
「ああ、行こう」
それだけ言って、ラディアは鉄でできた両開きの門を押し開けた。
家が数件建っても余裕のありそうな中庭を抜けて、自分には一生縁のなさそうな豪邸の扉をノックした。
返事はなかったが、こげ茶色の扉はゆっくりと開いた。
そして、待ち構えたように正面に立つのは、細部まで丁寧に織られた服を贅沢に羽織る、ラディアの両親の住む地域一帯の土地を持つ地主である貴族、ミルウルだった。
元々ラディアに課せられた仕事が終わったら報告に来ることになっていたのだろう。いやらしい笑みを浮かべてミルウルは口を開く。
「ご苦労だったな、ラディア」
「……ああ」
横にいるレイミアには興味がないのか、ミルウルの視線はラディアにだけに向いていた。
少しムッと顔にしわを作るレイミアの肩にポンと手を置いて、ラディアは言う。
「……報告を、しに来たんだ」
「ああ。それもそうだな。さあ、早く聞かせてくれ。内容次第では報酬を増やしてやってもいい」
「残念ながら、お前の望む報告は出来そうにない」
その言葉を聞いた途端に、ミルウルの顔が歪む。
なんとか怒りを抑えたのか、震える声で彼は問いかける。
「……ほう。では、何の報告だというのか」
ラディアは自分が背負う大剣に手をかけ、その切っ先をミルウルへと向けた。
そしてはっきりとした口調で、ラディアは口にする。
どうしようもなかった、不甲斐ない自分から、新しい自分へ生まれ変わるという決意を。
「弱い自分に別れを告げたという、訣別の報告だよ! ミルウル‼︎」
そして、ラディアが身の丈をも超える大剣を振り上げた瞬間だった。
「……そうか。残念だよ、ラディア」
ただそれだけ、ミルウルは呟いた。
次いで、ラディアの横から詰まるような低い声が聞こえた。
慌てて視線を移すと、隣に立っていたはずのレイミアが複数の男に拘束され、タオルを口に咥えさせられていた。
「動くなよ。動けばこの女の命はない」
レイミアを押さえているうちの一人が、その首にナイフの刃を向けながら言った。
元々力自体は弱いレイミアだ。冒険者として訓練はしているが、ミルウルに雇われるような屈強な男が複数人いて対抗できるほどの力はない。
加えて、言葉を発せない状態であるために魔法も使えない。
「クソ…………ッ!」
吐き捨てるようにラディアは言った。
それを愉快そうに見つめるミルウルは、花畑を散歩するかのような軽やかで落ち着いた足取りでラディアの前へと歩く。
「お前は優秀だよ、ラディア。優秀で、それでいて強く優しい。だからこそ、その優しさがお前を苦しめる」
二人のすぐ目の前にまで立つと、ミルウルは交互に二人を見る。
悔しそうに唇を噛むラディアと、軽蔑するような敵意のある目で睨むレイミア。
両者を見ながら、ミルウルはニヤニヤと笑う。
「郊外生まれにしては大出世だが、両親が何不自由なく暮らせるまでにはまだ至っていなかったのが残念だったな。お前の両親の住む地域は俺の土地だ。俺の声一つで、家なんてすぐに潰せる。だからな、お前はどうやっても俺の操り人形――」
ゴアァ‼︎ と、彼の言葉を遮るような烈風が吹き荒れた。
自然にはあり得ない角度と威力で生じたその風は、ミルウルの腹部に突き刺さり、そのまま彼を壁に叩きつけた。
「が、はぁ…………ッ⁉︎」
その場にいた者の体制に、ほとんど動きはなかった。ただ一つ、数秒前と違う箇所を上げるのであれば。
レイミアの右腕が、男の拘束をわずかに外れて動き、その掌が正面に向いていたというだけだった。
無論、ミルウルの護衛に回っていた男たちが手を抜いたわけではない。実際にレイミアの口には未だにタオルが咥えさせられており、言葉は発せないようになっている。
言葉を発しなければ魔法は使えない。そう思っていた彼らの心に生まれたわずかな油断だった。
状況が理解できていない護衛たちが次の行動に悩んでいると、今度はレイミアの周りから炎が燃え上がった。
一見すると完全に魔法だ。しかし、詠唱も、呼号も、魔法を魔法足らしめる動作が一つもない。
炎に焼かれないために男たちが慌ててレイミアから距離を取ると、レイミアは隣で呆然と立つラディアへと叫ぶ。
「やれッ! ラディア!」
「あ、ああ‼︎」
豪快な一振りが、ラディアの握る大剣によって繰り出された。
ラディアの動きを熟しているレイミアはその剣の軌道を見事に避け、炎に動揺する護衛たちだけに大剣の刃の付いていない側が襲う。
ゴッ! と護衛の一人の上腕骨が折れる音が響いた。他の護衛も、ラディアの閃く剣技に反応することすら出来ずに吹き飛ばされる。
その場に立つ人間がラディアとレイミアだけになったところで、ラディアが小さく呟いた。
「……使ったのか。お前のスキルを」
「うん。そのために今まで頑張ってきたからね〜」
と、少し遠くでレミリアの力によって吹き飛ばされたミルウルがうめき声を上げながら体を起こした。
「どう、して。魔法は、言葉を発さなければ使えないんじゃ……」
「私は、魔法なんて使ってない」
「な、に……?」
苦しそうな表情がさらに濁りを見せた。
口元から唾液すらも垂れるミルウルを冷めた目で見ながら、レミリアは言う。
「【賢者】。それが私のスキル」
なにかを思い出すように遠くを見ながら、レミリアは続ける。
「私は、自分の中の魔力を自分の好きな現象としてこの世界に生じさせることが出来る。風も、炎も、水も、氷も」
「…………、」
ミルウルは返事をしなかった。否、出来なかった。もしレイミアの言うことが本当ならば、それはつまり本来魔法を使わなければ不可能なはずの力を、その過程を全て省いて使役しているということになる。
納得が出来なかった。
だって、目の前にいるのは数十年に一人しかいないと言われる『天才魔法使い』なのだから。
それなのに、魔法を真っ向から否定するような力を使うということに、理解が一切出来なかったのだ。
「きっかけは、単純だよ」
言ったのは、ラディアだった。
「レイミアのスキルは魔力をそのまま力として放出するものだ。当然、出力を少しでも間違えれば簡単に暴走する。そして、実際に暴走して幼い頃、人に怪我を負わせてしまった」
「あれ以来、私はスキルを使わずに魔力を使いこなすことだけを考えて魔法という手段に行き着いた。ただ、自分のスキルを使いこなすまでに数年かかった上に、なんだか凄い位まで修めちゃったわけだけどね」
レイミアにとって、魔法は目的ではなく過程であった。もう二度と、自分の身近な人を自分の魔力で傷つけないという目的のための。
そして、それは成し遂げられた。
その努力の結晶が、先ほどの攻撃だった。
的確に相手だけを狙った攻撃。魔力というものを熟知し、完璧に使いこなさなければ他の人まで巻き込んでしまうようなそんな力。
そんな反則的な力を自在に使いこなす少女は、それでも気を緩めない。
「あなたが雇っている傭兵がまだいるのは分かってる。だから、さっさと呼びなよ。私が全員倒してやるから」
「なんだと……ッ!?」
ようやくまともな呼吸が出来るほどに回復したミルウルが眉間にしわを寄せた。
対するレイミアは、不気味なほど静かに憤怒を全身から滲ませていた。
「私は、お前を決して許さない」
もう一度、はっきりと。
青髪の少女は、繰り返す。
「私の大切な友達を傷つけたお前みたいな屑を、私は決して許さない」
そんな言葉が吐き捨てられた瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
「おい! 来たぞレイミア、無事か? ……って、なんで床ちょっと焦げてる上にもう敵をやっつけてんの!? 俺の努力は必要なかったの!?」
振り返ると、なんとも空気の読めない男が布の袋と十代半ばの少女を抱えて邸宅のドアまでやってきていた。
なぜだかここにくるだけなのにかなり心身ともに疲弊しているようにも見えるし、さらには頬に全力でビンタされたような手の跡が赤く残っているのだが、そういったところはこの雰囲気で問いかけることではないのでレイミアは用件だけを口にする。
「そんなことないよ。ありがとう、ハヤト。それと、頼んでたものは?」
レイミアの言葉に反応したのは、ハヤトが抱きかかえて持ってきた少女であった。
「うむ。これじゃ」
ん、と手に持った袋をその人物がこちらへ袋を差し出す姿を見て、レイミアは目を丸くした。
「あれ、クリファ? あなたまでくる必要はなかったのに」
「つれないことを言うでない。おぬしが妾に助けを求むと言うのなら、死んでもこの足で行くつもりじゃ」
「く、クリファ……ッ!?」
その声が誰のものだったかは分からない。いや、誰ではなく全員のであるかもしれない。まあ、一国の王女が、さらには自分たちが打倒の計画の一部として動いていたはずなのに、その本人が目の前で元気にここにいるからか。
ただ、レイミアだけはそういった反応ではなかった。
まるで、旧友と再会したかのような。
「あれ? 二人って知り合いだったの?」
「何を言っておる。本人から聞いてなかったのか?」
不思議そうに首を傾げるクリファだが、ハヤトは何も聞いていないし、知らない。
しかも、横にいるラディアまで置いていかれているような顔をしている以上、ここにいる誰もがレイミアとクリファの関係を知らないのであろう。
そんな疑問に答えるように、レイミアはクリファから受け取った袋を開く。
「お前さ、貴族だからってこの状況でも金と権力で生き延びてやろうって思ってたでしょ」
「……へ?」
レイミアが袋から取り出したのは、分厚い生地でできたローブだった。
今もレイミアは魔法学校のローブを羽織っているのだが、それとは別の豪華なローブだった。
そして、そのローブの左胸の辺りに、ハヤトは見知ったマークを見つけた。
「それって、スワレアラの国章……?」
ハヤトがそう口にした途端、ミルウルの顔色が一気に青ざめた。
熟れたリンゴが未熟なものへと後退してしまうかのような色の変化をする顔を見つめて、レイミアは言う。
「言ったよね。私は、お前を許さない」
魔法学校のローブの上から、さらにレイミアはスワレアラ国の国章の入ったローブを羽織る。背丈には全く合っていないはずなのに、それでも違和感は感じられなかった。
「私の名前はレイミア。レイミア=ディーレ=スワレアラ」
「…………、」
もう、誰も驚嘆の声を上げることはなかった。
クリファだけが、笑顔でその後ろ姿を見つめていた。
「レイミアは我が父上であるランドロランの弟の娘。つまりは妾の従妹にあたる、れっきとした王族じゃよ。まあ、一〇年ほど前、妾に間違って火傷を負わせてからは王族として表に出ておらんから、レイミアが王族であるということを知る者は多くはないがな」
充分すぎるクリファの説明が終わったところで、レイミアは口を開く。
悪魔のようにほとばしる憤怒と憎悪を、その目に宿して。
「お前が富や権力を使うのなら、私が持てる全ての力と権力を使って、私の全てを懸けてお前を叩き潰してやる。覚悟しろ。私の親友を苦しめた罪は重いぞ」
~Index~
【レイミア=ディーレ=スワレアラ】
【HP】1000
【MP】9500
【力】 100
【防御】100
【魔力】970
【敏捷】120
【器用】200
【スキル】【賢者】




