第十五話「ワザワイ」
どれだけの時間、眠ってしまっていたのだろうか。
地面の揺れが、薄紅色の少女の意識を強引に覚醒させた。
「ん…………」
おもむろに、少女は顔を上げた。
そこはとても暗かった。
どうして、こんなところにいたんだろう。
と、少女は自分の唇に残った柔らかな感覚を思い出した。
「ハヤト、さん……!」
思い出すだけでも顔が火照るが、今はそれどころではない。
ここはダンジョンの最深部。多くの強力な魔物が生息する、超がつく危険地帯。
自分が無傷で今まで眠っていたということは、そんな無防備な自分を守っていた人がいるということだ。
そんな人は、少女は一人しか知らない。
「オラァ‼︎」
打撃音にも破裂音にも聞こえる鈍い音が、シヤク=ベリエンタールの鼓膜を揺らした。
音源は前方。そして、聞くだけで安心するような、この声の主は。
「ハヤトさんッ‼︎」
「シヤク! 起きたのか!」
少女の声に気づいた青年は、近くにいた魔物を殴り飛ばすと急いでシヤクの元へと走っていく。
「大丈夫か? どこか痛むところはあるか?」
「い、いえ。大丈夫なのでございます」
若干の頭痛があるが、心配するほどではないのでシヤクは素直に頷いた。
と、シヤクの視界に入っているハヤトの服がボロボロになっていることに気づき、慌ててハヤトの体を触る。
「は、ハヤトさんこそボロボロなのでございますよ! 大丈夫なのでございますか⁉︎」
「ああ。怪我はしてないから大丈夫だ。体は丈夫でも服が耐えられないみたいでな」
そう言いながら、ハヤトは立ち上がって再び振り返る。
これだけ服が破れ、ほつれているのだ。きっと多くの魔物と戦ったに違いない。
そう思って周りを見渡して、シヤクは初めてその状況に気づいた。
「これは……魔晶石……?」
一般的に、魔物は死ぬとその場で塵のように消えていく。しかしその例外として、強大な魔物を倒したときのみに得られる宝石のような塊。それが魔晶石。
光源にも燃料にもなるそれは、得ることの難しさ故に高値で取引がされるもの。
その加工前の原石を庶民では見ることさえ難しいとまで言われるそれが、目の前にあったのだ。
それも、何十どころはない。優に百を超えるほどの魔晶石が、山のように積み重なっていたのだ。
「なん、で……?」
動揺して、シヤクはさらに目を凝らす。
すると、そんな魔晶石の山は一つだけでなく、三つも、四つもあった。暗闇の中なのでそれしか視認できないが、もしかしたらもっとあるかもしれない。
そんな驚嘆に、目の前の青年は気づいていない。
否、分かっていないのだ。自分がやったことの重大さが。
こんなの、昔に読んだ物語よりも非現実的だった。
でも、そこにいるのだ。
そんなことを現実にして、笑ってそこに立つ人が。
「怖いだろうけど、安心しろ。俺が絶対、救ってやるから」
なるほどこれは。
シアンやリリナが魔王軍であるにも関わらずこの青年と一緒に過ごしたいと思ったのは、これだったのかと、シヤクは確信した。
こんな絶望的な状況で、生きて帰れる保障のないこの空間で、こんなにも。
こんなにも、あの背中に守れているということに安心するのかと。
この人を好きになった自分は間違っていなかった。
だから、
「私も、力になりたいなのでございます!」
こんなところで寝ているわけにはいかない。
ただ守れられるだけなんて、自分が許せない。
少し戸惑ったような顔をしてから、青年は笑った。
「そうか。なら、何か光を出せるか? やっぱり暗いと戦いにくいんだ」
「はいっ!」
シヤクは笑顔で杖を握り、頭上へとかかげる。
「【我らを導く万物の理。道を開き、答えを示せ。】」
そう、これは。
あの青年が初めて唱え、失敗した魔法。
「《リュミエール》‼」
カッ! と周囲が白い光で照らされた。
以前に青年が使ったときとは違い、誰の眼にも負担をかけない、優しい光。
しかしそれでいて、遠くまで行き届き全てを照らす光。
「おお! これならよく見え――」
と、青年の声が止まった。
いや、止まったというよりは、全ての神経が一つに向いたと表現すべきだろうか。
笑顔が消え、優しいはずの彼から針のような敵意が一点に向けられる。
シヤクはその視線を追うように先へ目を凝らす。
「あれ、は……?」
『何か』が、いた。
魔物でも、人でもない。動物でも、魔族でもない。
しかし、それ以外の『何か』がいた。
煙にも液体にも見える黒い塊。大きさは成人男性と変わらない。
見たことのない異常な存在。ハヤトの敵意はそれへと注がれていた。
「もしかして、あれが『災い』ってやつか……?」
噂の域を出なかった存在。レイミアはそれを呪いの一種だと考察していたが、これを呪いとみていいのだろうか。
多くの人間の怨念が集まったそれは、単に魔力の塊と判断していいのだろうか。
ただ、それ以外の選択肢はなかった。
あれが、『災い』だ。
「シヤク、危ないから下がって――」
ハヤトがほんの少しだけ視線を離した、その瞬間だった。
それは、動き出した。魔力だけの存在は、想像を超える速度で二人への距離をつめていく。
そして、『災い』が進む方向を察したハヤトが、慌ててシヤクへと走る。
「逃げろッ! シヤク‼」
「……ぇ…………?」
それは平凡な身体能力しか持たない少女には、速すぎた。
ハヤトの全力の一歩は、常人のスピードなどはるかに上回る。
だからこそ、気づいたときには終わっていた。
彼の体に、黒い何かが憑りついていた。
「離れろ……! シヤク……ッ‼」
ドン、と突き放されて、シヤクは倒れるようにハヤトから離れた。
ハヤトは必死に体にまとわりつく『災い』を振りほどこうとするが、気体にも液体にも見えるそれには意味がなかった。
ズブズブと、ハヤトの体に『災い』が沈んでいく。
そして、
「ぐ、ぁあぁああぁあああああああああ‼‼‼」
断末魔とともに、彼は倒れた。
もがくように地面に横たわって体をくの字に曲げていた。
「ハヤトさんッ!」
シヤクが慌てて駆け寄ると、息を乱しながらハヤトはゆっくりと立ち上がった。
「くそ。シアンの吸血の数倍きついぞ、こんちくしょうめ」
顔は青ざめ、膝は震え、一気に噴き出した汗が服を濡らしていた。
でも、それでも、彼は立ち上がったのだ。
人々を殺す呪いにかかったはずの彼は、それでも笑う。
「安心しろ。絶対に、守ってやるから」
俺はそっと、シヤクの頭をなでた。
うまくごまかせているだろうか。
立っているのもやっとのこの状況で、上手に笑えているだろうか。
「で、でもハヤトさん。あの黒い煙は……」
「大丈夫だ。呪いっぽかったけど、そんな騒ぐほどじゃないさ。さっさと上層へ戻ろうぜ」
言いながら、シヤクの背中をポンと押した。
俺のことが心配なのか、何度もこちらを振り返って前へと歩いてる。
くそ。顔にも出さずにやせ我慢ってのはこんなに辛いのか。
「……これが、『災い』か」
シアンのように、全身に痛みが走るのとはまた別の苦痛だった。
心臓を中心に、体の中をぐちゃぐちゃにミキサーかなにかでかき混ぜられているような痛み。それが、じわじわと脳天から指先まで広がっていた。
一歩歩くだけでも、気が狂いそうになる。
油断したらこの呪いに呑まれる。
それに、俺を襲っているのは痛みだけではない。
「幽霊は信じない主義だったんだけどな……」
心の中で、叫び声が聞こえるのだ。
体を巡る痛みだけではなく、心をも蝕んでいくのだ。この呪いは。
聞こえる。悲鳴が聞こえる。
このダンジョンで消えていった人たちの、叫びが聞こえる。
これが、内から殺すということか。
確かにこれは、ずっと耐えていられる自信がない。
先に歩くシヤクになんとか遅れないように痛みに耐えながら俺は歩く。
「そうだ。ヤバい時には、魔道書があるじゃんか……」
俺はホルダーから魔道書を取り出して、呪いを解けるような魔法を探す。
視界が歪んでいる。文字を読むことすらも難行だった。
――【全癒】消費ポイント200 消費MP150
それでも、何とか見つけられた。
久しぶりのスキル習得だ。俺はそっと魔道書に指を置く。
ほんの少し、指先に温かい感触があった。
これでなんとか。
「【全癒】」
しかし、何も起こらなかった。
どうしてだ。魔道書がいくら欠陥品だからって、シアンやエストスを治すことはできたんだ。
必死に俺が回らない思考を回していると、魔道書のページがゆっくりと別のページへと変わっていった。
そして、そのページに書いてあった文字列を見て、俺は目を疑った。
【サイトウ ハヤト】
【HP】700/1000
【MP】125
【力】 50
【防御】50
【魔力】50
【敏捷】50
【器用】50
「内から殺しにくるって、マジでステータスまで下がるのかよ。ちくしょう……」
スキルが使えないのは単なるMP切れ。
さて、絶対絶命になっちまったな。
「ハヤトさん……?」
俺の歩くスピードが遅すぎて、シヤクが心配していた。
ごめんな。これ以上速く進めないんだよ。
どんどん、視界が歪む。
外からの声が遠くなる。代わりに聞こえるのは、心を抉るような断末魔。
歩くのがツライ。死ねという声がキコエル。
あシがオモい。シヤクをまもラナクテハ。
目ノ前ガ、暗クナル。
ソシテ、オレノ、イシキハ、ヤミノ、ナカニ
オチテ イッテ




