第十四話「ケンカするほど」
王都郊外に位置するダンジョン。
その上層。
その場所で、二人の冒険者は闇の淵に立っていた。
静寂に染まるその場所で、ガラガラと崖の淵の小石が闇へと落ちていった。
そう、そこは。
たった今、ともにこのダンジョンを進んでいた仲間が落ちていった場所。
「どう………して……?」
豪奢なローブに身を包み、鮮やかな青色の髪を艶やかに垂らす少女が、おもむろに口を開いた。
天才と謳われる彼女すら、否、彼女だからこそ、その思考が追いつかない。
「こうするしか、なかったんだ」
自分の身長ほどもある大剣を背負う白髪の剣士は、そう言った。
何年も苦楽をともにしてきた友に向かって。
「そんなこと、訊いてない」
気の抜けた声色ではなく、はっきりと芯のある声で、少女は叫ぶ。
「どうしてこんなことしたんだって、訊いてんだよ‼︎」
いつも半分しか開いていないまぶたは大きく開き、脱力していた体には指先まで力が入る。
それだけでも、レイミアの憤慨を表すには充分だった。
だが、
「…………、」
返事は、ない。
ギリギリと歯を鳴らして、レイミアは崖へと視線を移す。
「助けに行く。シヤクちゃんを庇いながら最下部の魔物と戦うのは危険すぎる」
躊躇いなく崖から飛び降りようとするレイミアの肩を、ラディアは強く掴んだ。
「やめてくれ。お前まで死んでほしくはないんだ」
「まだ死んだなんて決まってない‼︎ 崖から落ちて生きて帰ってきた事例がないだけだ‼︎」
レイミアは確信していた。付き合いこそ短いが、あの二人なら必ず生きていると。
そして、きっとサイトウハヤトはシヤクを守りながら魔物と戦っていると。
ならば、助けに行かねばならない。
しかし、レイミアの肩を掴む手は離れない。
「離せッ‼︎ 私は助けに行くんだ‼︎」
「なんだ。いつもは面倒だと言うくせに」
「私は仲間を見殺しにするほど弱くなったつもりはない‼︎」
無理やりラディアの手を解こうとするレイミアだが、力だけならラディアが上だ。
痛みが走るほどに、ラディアはレイミアの肩を掴んでいた。
「……どうしても、離さないの?」
「ああ。私はお前を失いたくないんだ、レイミア」
「ならもう、これしかないね」
レイミアは掴まれている肩とは反対側の腕をラディアへと向けた。
切なく、悲しそうな顔で、ラディアはそっと大剣の柄に手を伸ばした。
「――《リプカ》」
詠唱が省略された魔法の呼号によって、前触れなく、レイミアの手のひらから炎が渦巻いた。
自分の真後ろに向かって放とうとしたからか、自分が巻き込まれない程度の、人が一人覆われる程度の規模の魔法だった。
だが、そんな炎では、ラディアは眉一つ動かさない。
「お前なら、私がこの程度の魔法で怪我をするほど弱い人間ではないと知っているかと思っていたが」
大剣を瞬く間に数度振ることで、炎を掻き消すという力技。
ラディアが距離をとったため崖から飛び降りることを止められることはないだろうが、レイミアは目の前にいるラディアから目を離さない。
「ハヤトたちはきっと生きてる。だからまずは、親友の腐った性根を叩きなおすところから始めるよ。手加減、しないよ」
「……そうか」
あまりにも寂しい、開戦の合図だった。
そして、スワレアラ国でも群を抜く実力者同士がぶつかり合う。
天才魔法使いの攻撃は、虹のように鮮やかだった。
炎が、風が、氷が、地が、水が、木が、間髪入れずにラディアへと襲い掛かる。
「ラディアがこんなことするわけない! 誰に命令された!? 答えろッ‼」
自分へと向かってくる多様な魔法を躱し、斬り、受け流していく。
身体能力だけで魔法の嵐を切り抜けるラディアは、それでも憂いに満ちた声で。
「言ったところで何も変わらない。忘れてくれ」
「それは私が聞いてから決める! さっさと言えこの馬鹿‼」
腕を振り下ろすとともに簡略化された詠唱と呼号によって、滝のような水が出現し、ラディアを呑み込もうと進んでいく。
「誰にでも、どうしようもできないことはあるんだ。わかってくれ」
水を剣で両断するラディアへ、レイミアは叫ぶ。
「分かりたくもない! 出来るかどうかはやってから決める! いつだって私たちはそうだったじゃん! 地位も名誉も富も、関係なしに二人でやっていこうって!」
「そうだ。私はお前とずっと一緒にいたい。だから、仕方なかった」
「――ッ‼」
レイミアの顔が怒りで染まる。
当たり前だと思っていた過程を、見事に省略されたから。
「だったら最初から私に相談しろよ‼ 親友だろ!?」
「親友だから、巻き込みたくなかったんだ。どうしようもない人殺しは私だけでいい」
冒険者という共通点しかない二人。
魔法に秀でたレイミアと、剣技に秀でたラディア。
姿も性格も、全く似通っていない二人。
だが、それでも二人はともに歩んできた。
理由など、一つしかない。
「悔しいよ。私は」
「ずっと隠し事をされていたことが、か?」
「大切な友達が一人で苦しんでるのに気づかないことが、悔しくてたまらないんだよ‼」
唯一無二の、かけがえのない友なのだ。
だからこそ、先に涙を流したのはレイミアだった。
「こんな私と懲りずにずっと一緒にいてくれた! どんなわがままを言っても、いつも私を背負ってくれた! ラディア、私はお前が――」
「私だって、大好きだよ‼ レイミア‼」
レイミアの放った魔法を横なぎに相殺しながら、ラディアは叫んだ。
その目から、頬に一筋の光が見えた。
「でもな、私にはお前のような知恵も知識も、才能もないんだよ‼ お前よりもずっと、私は弱い!」
「そんなの分かってるに決まってんだろこの分からず屋ァ‼」
風の魔法で体を浮かし、瞬く間にラディアの懐へと距離を詰めると、横に剣を振ろうとしたラディアの足へと手を伸ばして、
「《フィオメーテ》‼」
白髪の剣士の両ひざから下が、氷によって地面と接続された。
足元を固定されたラディアへ、レイミアはさらに追い打ちをかける。
「《アイナータ》‼」
その言葉を紡いだ瞬間、二人の周りの地面が隆起し、ラディアへと襲い掛かる。
必死に剣を振るうが、足が固定されている以上、体のバランスもとれずに回避すらできないラディアの全身に大地が鞭のように攻撃をした。
「ぐ、ぁ……‼」
筋肉で覆われた体も、これだけの集中砲火には耐えきれない。
崩れるように、ラディアはレイミアの前に倒れた。
そんな親友を見下ろして、レイミアは言う。
「私の方が強いなんて、知ってるよ」
「…………、」
白金の冒険者という肩書きは飾りではない。
女剣士ラディアも、白金の冒険者として認めらえた、国内有数の実力者だ。
しかし、レイミアがそれ以上だっただけの話なのだ。
もしギルドに白金よりも上のランクがあれば、レイミアはそのランクへと上がっていたのだろう。
だって、レイミアは才能があるのだから。
しかし。
「だったら、なに?」
その才能に決して甘えないのが、レイミアだった。
魔法使いとして誰よりも書物をあさり、誰よりも鍛錬を重ねた。
その結果が、この差だ。
血の滲むほどの努力を重ねた二人にある差は、才能だけ。
だが、それがどうしたと青髪の少女は言う。
「私が出来ることがラディアに出来ないことだっただけ。私に出来ないことだって、たくさんある」
レイミアはしゃがみ込み、倒れるラディアの手をそっと掴む。
女性らしさを感じさせない、タコとマメで追われたごつごつとした手。
「私にはこんな努力は出来ない。私にはあんな大きな剣を振ることは出来ない。私は自分の足だけであれほど速く動けない」
レイミアの戦闘は、全て魔法を軸に構成されている。
移動も攻撃も回避も魔法がなければ成立しないのだ。
しかし、そんなレイミアに身体能力一つでついてくるのが、このラディアだった。
その強さを、偉大さを、レイミアは知っていた。
「もしラディアに出来ないことがあるなら、私が助ける。ラディアが一人で悩もうとしてるなら、私も背負う」
「レイ、ミア……」
二人ともが、その双眸から大粒の涙を流していた。
そしてラディアは親友の手を、強く強く、握り返した。
「……ミルウル=デラエラ=ボルダーグ」
ラディアが口にしたのは、彼女の生まれた王都郊外などの土地を所有する領主。ラディアがこのような行動に移さざるを得なくなる状況になるなら、間違いない。
「脅されたの……?」
「ミルウルは王家内部の人間と繋がりがあり、その人物からサイトウハヤトの殺害を依頼されていたらしい。そして、ミルウルの土地に肉親が住む私の元へ、あいつは来た」
悔しそうに、ラディアは拳を握りしめる。
「あいつは、私がこの依頼に応じなければ両親やレイミアに圧力をかけてこの地に住めなくしてやろうと言ってきたんだ。富も地位もない私には、頷くしかなかった」
握りしめた拳で、白髪の剣士は地面に拳を叩きつける。
何度も、何度も。
事実は何も、変わることなどないのに。
「ハヤトを殺すには、ああするしかなかった。あいつは私の剣では倒せない。私の力だけでは崖から突き落とすことも出来なかった。だから、シヤクを……」
昨日、今日と彼と話して、サイトウハヤトという人間を知った。
シヤクを突き落とせば、後先考えずに助けようと彼も飛び降りるだろうということは、容易に想像できた。
卑怯で、姑息で、臆病で。
「私は……ッ!」
なんて、情けない行動だろうか。
「私は、弱い……ッ‼」
関係ない少女を巻き込まないと、命令一つも実行できない。
心優しい青年を見殺しにしないと、家族すらも守れない。
そんな弱い剣士を、青髪の少女は優しく抱きしめる。
「知ってるよ。ラディアが弱いこと」
「……、」
「だから私が助ける。大切な友達を、私が守る」
「……レイミア」
ゆっくりと、レイミアは立ち上がる。
「任せて。あなたを泣かせたクソ野郎どもを私がボッコボコにしてあげるから」
自分よりもずっと小さいはずのその少女が、自分よりもずっと大きく感じた。
小さく大きな手を、ラディアは取った。
「ありがとう、レイミア」
と、ラディアが完全に立ち上がった瞬間に、レイミアの見開いていた目が半開きになり、強張っていた体から力が抜けていく。
へら~とラディアに体を預けると、レイミアは気の抜けた声で、
「ってことで疲れたからおんぶ~」
「……おい。さっきまでのいい感じの雰囲気はどうした」
「もう仲直りしたから終わり~。でも安心してね~。ちゃんとミルウルとミルウルに指示を出した奴はボコボコにするからね~」
「……わかったよ。ほら、これでいいか?」
ため息を吐きながらラディアはレイミアを担ぎ上げた。
自分の乗り心地が良い場所を見つかると、ゆったりとした顔でレイミアは崖へと視線を移す。
「じゃあ、まずはラディアが突き落とした彼らを助けないとね~」
「…………、」
なんとも痛快に傷を抉る親友に言葉を失うラディアだが、言い返すこともできないので少し難しそうな顔をして崖へと進む。
「どうやってここを降りるか。考えなしに飛んでも危険だからな」
「う~ん。一番安全なのは回り道しながら徐々に下に降りていく方法だけど、そんな時間ないからね~。私が魔法でどうにかするかな~」
「なら、私はお前に任せて飛び降りてもいいのか?」
「まあそうなるね~。失敗したらごめんね~」
「大丈夫だ。お前がそんなことで失敗するような人間だとは思っていない」
「そっか~。じゃあさっそく――」
と、そんな会話が、目の前から上がる火柱によって掻き消された。
崖の下から、炎が噴き出しているのだ。
ダンジョンの天井を、貫いてしまうかと思うほどに。
「なんだ、これは……!?」
巨大などというレベルではない。
この上層から最下層までは気の遠くなるほどの高低差がある。
そして、この崖はその最下層まで続いてるのだ。
サイトウハヤトを殺すためにこの場所を事前に調査していたラディアだからこそ、その異常さがわかる。
もしこの炎が天然ではなく故意的に発生したものだとしたら。
そうだとしたら、一体。
この下で、何が起こっているのだ。
無事なのか。あの二人は。
「この、魔力は……!?」
ラディアに背負われているレイミアが、龍のように昇る炎を肌で感じ、戦慄していた。
ラディアとはまた別の方向性で、信じられないことが起こっているのだと。
目の前の異常を目にして、レイミアはただ一言、こう言ったのだ。
この炎の原因は。その魔法の、元凶は。
「……シヤク……ちゃん……?」




