第十三話「あなたがいれば」
「――シヤクッ‼︎」
深い闇へ落下していく中、俺は手を伸ばした。
指が絡む感覚を得た瞬間に、俺はシヤクを抱き寄せる。
「大丈夫か⁉︎」
「は、はいっ……!」
よかった。意識はある。
無意識のシヤクを庇いながらこの落下から生き残るのは難易度が高すぎる。
二人で、生き残るんだ。
でも、どうする。
「シヤク、しっかり掴まってろよ!」
シヤクが俺を抱きしめるのを確認してから、俺は真横に流れていく崖の壁に手を伸ばした、が。
「っ……‼︎」
もう落下してから十秒近く経っているんだ。指をかける場所のない垂直にそびえる崖を掴んで止まれるような速度じゃない。
手を伸ばして崖を掴んでも岩がそれに耐えられないんだ。
なら、いっそ俺が下になって落下の衝撃に耐えるか?
いや、俺が無事でもシヤクが助かる保障なんてない。俺の使える回復魔法だって、シヤクが即死した後じゃ使い物にならないはずだ。
「そうだ。魔法だ……!」
回復魔法じゃなくたっていい。風でも水でも、この場をどうにかできる魔法があれば怪我するだけだ。怪我程度なら、俺でもどうにかできる。
だが、俺の覚えている魔法にそんなものはない。
かといって、今から魔道書を開いて魔法を習得する時間も余裕もない。
くそ、こんなことなら魔法に興味を持ったときに片っ端から覚えておけばよかった。
湿気って炎が出ないなんてデメリットのせいで、魔道書で魔法を覚える気がなくなってたからな。
しかしこうなってしまったら。
二人で生存するとなると、頼れるのはもう俺が抱きしめている少女しかいない。
俺はシヤクが呼吸しやすいように体をひねってシヤクの下に回った。
「シヤク! この状況をどうにかできそうな魔法は覚えてるか⁉︎ 勢いを弱める風でも、クッションになるような水でも、なんでもいい!」
「え、えっと……ま、魔法……?」
「俺の力だけじゃ二人で生き残れないんだ! 頼む、助けてくれ!」
「こ、こんな状況で魔法なんて……っ」
動揺して当然だ。
信用していたラディアに突き落とされて、もう何メートルか分からないほど落下してるんだ。
死なないと思える俺だからいいが、シヤクはそうではない。
でも、大丈夫のはずだ。
お前の凄さを、俺はちゃんと知ってるんだから。
「大丈夫だ。お前ならできる! あれだけたくさん本を読んで、レイミアにあんなに質問して、さらにあんなどデカイ氷だって出せるんだ! こんな状況どうってことねぇさ!」
「で、でも……」
震えるシヤクの手を握って、俺は声を上げる。
「大丈夫だ! 俺を信じてくれ! お前は凄い奴なんだって! お前は俺には出来ないことがたくさんできるんだ! その力で俺を救ってくれ!」
手の震えは止まらない。
そうだよな。言葉一つでこんな状況の中、落ち着きを取り戻すなんてありえない。
それでもなけなしの勇気を振り絞って、シヤクは頷き、口を開いた。
「【木々は唄い、煌めく果実は空へと落ちる。】」
震える口で、それでもシヤクは言葉を紡ぐ。
「【時を動かす傲慢な息吹よ。大地を嗤う群青の天よ。】」
レイミアはシヤクに回復魔法についての勉強を宿題にしていた。
でも今、回復魔法以外を使おうと俺の聞いたことのない詠唱をしているのだから、これはきっとシヤクが一人で覚えたものだ。
好きだからと、目を輝かせて寝ることすら忘れて覚えた魔法。
その想いが、俺を救ってくれるのだ。
「【ああ、どうか私を其処へと落としたまえ】」
涙を堪えてシヤクは俺を掴んでいた手を片方だけほどき、懐からレイミアからもらった杖を取り出すと、その先を下へと向けた。
そして、シヤクはその魔法の名を叫ぶ。
「《ヴェタリレーベ》‼」
シヤクの持つ杖の先から、烈風が生じた。
落ちていく感覚から、少しずつ浮いていく感覚になっていく。
ただ勢いが緩まったとはいえ、焼け石に水までとはいかないが落下の衝撃に耐えられるほどの速さではない。
未だに姿を見せない崖の底を見るために首をひねって目を凝らす。
「マズいぞ。もうすぐ地面だ……ッ!」
暗くて見えていなかった地面を、ようやく見ることが出来た。
シヤクの魔法がなければ、もうすでに地面に叩きつけられていたかもしれない。
でも、今以上の風の出力がなければ、俺たちは助からない。
それはシヤクも分かっているようで、歯をかみしめながら杖を力強く握りしめていた。
「シヤク、頑張れ! あともうちょっとだ!」
「は、はい……ッ!」
だが、シヤクの魔力が尽きてきたのか、風が弱まり落下の速度があがる。
ダメだ。このままじゃ、シヤクが。
「……ハヤトさん」
小さな声で、シヤクは言った。
俺を見つめるその瞳の黒目の輪郭が、涙で歪んでいるように見えた。
「私のスキル、知ってるなのでございますよね」
「あ、ああ」
昨日も今日も俺を拳一つで吹き飛ばすほどの力を得る、感情の高ぶりで身体能力が向上するスキルだったはずだ。
だが急にどうしたのだろうか。こんな恐怖に飲まれた状態でそんな感情の動きなんてないはずだ。
「本当は、もっと別の形がよかったなのでございますけど……」
「なにが――」
俺の反応を待たずに、シヤクは行動を起こした。
やったことは、たった一つ。
俺の唇に、そっとシヤクがその小さく柔らかな唇を重ねただけだった。
シヤクの顔がこれ以上ないほど赤くなる。
体が密着しているからか、激しく動く心臓の鼓動が俺にまで伝わってくる。
落下しているなんて状況を忘れてしまうほど、強烈に俺の思考の全てを奪ったシヤクは、同じようにその視界に俺だけを映して言う。
幸せそうな笑みを、その顔に浮かべて。
「ハヤトさんがいれば、私は無敵なのでございますよ」
颶風が、吹き荒れた。
猛々しく逆巻く風が抗うように落下する速度を落としていく。
その反発か、俺の背中が潰されるような感覚があった。
でも、苦しい顔はできない。シヤクが目の前でこんなにも頑張っているんだ。
俺に出来るのは、せめて盾になるくらい。
そして俺たちの体が、地面へと辿りついた。
シヤクの魔法の力で、落下の衝撃はほとんどなく、シヤクは無傷だった。
よかった。本当に。
俺は倒れていた体を起こし、シヤクを見つめる。
「怪我ないか、シヤク」
「……、」
意識はあるはずだし、目は開いているのに、返事がなかった。
どうしたんだ。まさか、魔力を使いすぎて何か副作用が起こったとかか!?
「だ、大丈夫か!? シヤクッ!」
俺がシヤクの肩を掴んでゆすると、シヤクはハッと我に返ったように俺を見つめて、
「は、ハヤトさん……」
「何かあったのか!? 俺に何かできることはあるか!?」
「あ、え、いや。わ、私は大丈夫なのでございます……」
「そんなことないだろ。だって今、明らかにどっか遠くを見て……」
「そ、そんなの……」
言いながら、シヤクはそっと自分の唇を指でなぞる。
そして、真っ赤になっている顔を隠すように下を向き、視線だけを上へと上げて、
「あんなことして、ドキドキしてるからに決まってるなのでございますよ……」
耳まで赤くなったシヤクは、もじもじとそういった。
言われて、俺はようやくその行動を正しく理解した。
そうだ。俺、シヤクとキスしたんだ。
そして、俺はついに気づく。
初めて、女の子とキスしちゃった……‼
顔が火照っているのが自分でもわかった。
今までこんなイベントが一度もなかったし、シヤクもエストスもボタンもこんな顔しないし、リリナはおふざけ半分のお色気だったので、こんなことに耐性はまったくないのだ。
と、俺もどこか遠くを見ているうちに、シヤクの体がゆらゆらと揺れる。
「なんだか、疲れた……なのでございます……」
そういって、シヤクは俺の体へと力なく倒れた。
強く握れば折れてしまいそうなか弱い体。
それでもこれだけ頑張ってくれたんだ。
落ち着いた呼吸を肌で感じて安心した俺は、そっとシヤクを横にする。
着ていたジャケットをシヤクにかけて、俺はゆっくりと立ち上がる。
「さて、これだけ落ちたってことは、ここが最深部ってことだよな」
幸いにも、目が暗闇に慣れ始めてきているため周囲はある程度見えている。
だからこそ、敵が接近していることも視認できた。
「来やがったな。魔物ども」
深さと魔物の強さが比例すると言っていたので、おそらくこの魔物たちは先ほど戦った魔物たちよりもずっと強いのだろう。
でも、そんなこと関係ない。
落ちてきた崖の壁が見えていたので、俺はシヤクをそっと壁の横まで運ぶ。
これで、正面からの敵だけに集中してシヤクを守れるはずだ。
上層に戻る方法なんて後でたくさん考えればいい。
今は護るんだ。俺を守ってくれた、この少女を。
「かかってこいや。美少女にキスしてもらった童貞がどれだけ強くなれるか教えてやる」
闇の中で蠢く大量の魔物たちへ、俺は拳を向けた。




