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第十六話「神の風」


 唐突に変化した状況を飲み込むのに、随分と時間がかかった。

 全身に風をまとい、凛々しく立つリヴィア=ハーフェンが、そこにはいた。


「リヴィ、ア……?」


「ごめんなさい。約束、破った」


 姉の自己犠牲を無駄にしたことへの謝罪を口にすると、リヴィアは続ける。


「でも、私はお姉ちゃんも、里のみんなも、誰も見捨てることなんて出来ない。みんなを、護りたい」


 迷いのない、真っ直ぐな言葉。

 嘘偽りの一切ない、心からの言葉。

 リヴィアは、笑っていた。


「今までみんなを護ってくれてありがとう、お姉ちゃん。もう、大丈夫だから。もう、一人で背負う必要なんてないから」


 視界が歪んでから初めて、自分の目から涙が出ていることにエリヴィアは気づいた。

 リヴィアは、もう一歩前へ踏み出した。


「これからは、私も背負って生きるから」


 自分の背中から何かが消えていく感覚が、エリヴィアにはあった。

 体が軽くて仕方がない。

 満身創痍のはずなのに、立ち上がるのは簡単だった。


「ありがとう、リヴィア」


 この子の姉に生まれてよかったと、心の底から思う。この子が自分に憧れてくれて幸せだと、心から言える。


「一緒に、護ろう。みんなを」


「……うん」


 姉妹は、横に並んで身構えた。


「攻撃が見えないってのは、生まれて初めてですぜ」


 リヴィアの蹴りで木に叩きつけられた小柄の男は、首を回しながら立ち上がった。

 やはり頑丈だ。この男は強い。

 でも、


「私の方が、もっと強い……‼︎」


 風を裂く音だけしか、感じることが出来なかった。

 リヴィアが動いたと認識したときには、既に攻撃が当たっていた。

 速いというレベルではない。

 速いと、感じることすら出来ない。

 目で見て、それから反撃するのは不可能だ。


「だったら、こうするのはどうですかい……!」


 反応することすらできないのなら、反応という動作に頼らず予測してしまえばいいと、リヴィアが地を蹴る瞬間に、小柄の男は攻撃されるであろう方向へ拳を振った。

 しかし、


「遅い」


 ゴッ! と後頭部を蹴られた感覚があった。

 正面から攻撃が来るという予測を、リヴィアは簡単に覆す。

 あまりにも、一方的だった。


 正面から背中を攻撃され、上から顎を蹴り上げられ、右から左脇腹を蹴られる。

 かといって反対方向を予測して攻撃をそこにぶつけても、それとは反対から攻撃される。

 反射ですら追いつかないのに、意識的な攻撃など当たるわけもない。

 痛みがあってから、初めて攻撃されたと理解するような、そんな速さ。

 様々な可能性を思考し、小柄の男は動く。

 動きがあったのは、リヴィアの蹴りを受けた瞬間だった。


 ガッ、とリヴィアの蹴りが止まった。というよりも、無理やり体に力を入れて敢えて攻撃を当てさせて蹴りを止めたと表現すべきだろうか。

 蹴りが止まったその一瞬を逃さぬように、即座に男はリヴィアの足を掴んだ。

 蹴られていく中で口に溜まった血を吐き出しながら、男は笑う。


「へっ。いくら速くても捕まえちまえばこっちのものじゃあないですかい?」


「何度も言わせないで」


 烈風が、逆巻くようにリヴィアの背中を押した。荒れ狂う緑色の風が、男の思惑を嘲笑うように大きくなる。

 そして風は、翼のようにリヴィアの背中にまとわれて、


「私の方が、もっと強い」


 ミシミシと自分の腕が軋むのを、男は感じた。ちっぽけな少女の蹴りが、ついさっきまで弱かったはずの小娘の蹴りが、力で押し返してくる。

 そして、やがて限界が訪れる。


「そんな、バカな……ッ⁉︎」


 止めたはずの蹴りが、再び勢いを持って男を地面へと叩きつけた。

 これだけの攻撃を受けても立ち上がるのはさすがの頑丈さだ。しかし、攻撃は止まらない。

 たった数秒間で、数十もの蹴りがあらゆる角度から男を襲う。

 しかし、圧倒的だった状況に変化は唐突に訪れた。


「あ、れ……?」


 ふっ、と散らばるようにリヴィアがまとっていた風が消えてなくなった。

 突如として体を支えていた力を失ったリヴィアは、転がるように地面へと落ちた。膨大な力を使ったことによる魔力切れ。当たり前といえば当たり前の結果だが、呪うべきはタイミングの悪さか。

 その現象に理解など追いついていなかった小柄の男は、思考を巡らせるよりも先に反射的に拳をリヴィアへと振り下ろす。

 戸惑って反応に遅れたリヴィアは、回避が間に合わない。

 そして、咄嗟にリヴィアが目を閉じた瞬間だった。


「――【颶風エルゲイル】」


 ゴアッ‼︎ と小柄の男は背後に風を感じた。

 慌てて振り返ると、そこにいるのは血だらけの剣士。

 折れた剣を力強く握り、最後の力を振り絞ってその剣士はそれを振り下ろす。

 当然、避けることなど叶わない。


「クソがァ……‼︎」


 小柄の男の右肩から左の脇腹へかけて、大きな切り傷が生じた。エルフの姉妹を圧倒した強靭な肉体から、大量の血が溢れる。


「グ、ァァァア‼︎」


 それでも、男は倒れない。

 ふらつく体を無理やり地面を踏みしめることで支え、大振りをしたエリヴィアへ刺し違え覚悟の渾身の右腕が突き進む。


「【疾風ゲイル】‼︎」


 それは、なけなしの魔力を使った悪あがきにも近かった。全身に風をまとうのに比べて速さも力も数段弱い。

 しかし、それでも、満身創痍の男の意識を遠くへ飛ばすには充分だった。


「ガ、ァ……‼︎」


 後頭部への蹴りを受け、呻くような叫び声とともに男はその場に倒れ、動かなくなった。

 生死はともかく、最低でも気を失っているようだった。

 雌雄は、決した。


 一気に静寂へと沈んだ木々の間で、気力だけで立ち上がっていた姉妹はほぼ同時にその場に座り込んだ。

 互いに顔を見合わせる。

 先に口を開いたのは、エリヴィアだった。


「……約束、破ったんだね。みんなのことをお願いって、言ったのに」


 思わず、リヴィアは目線を逸らした。


「もしリヴィアがその力を使えなかったら、私もリヴィアも殺されてたかもしれないんだよ。だから、逃げてって言ったのに」


 一切止まることなく、エリヴィアは続ける。


「結果的に私たち二人が勝てたらよかったんだよ。奇跡に近いんだよ? 本当に、本当に……」


 リヴィアは、言い返すことなく静かに聞いていた。

 当然の言葉だ。もしこの男に勝てなかったら、全滅すらも考えられる悪手。

 正しい選択肢では、決してない。

 それでも、だ。

 それはきっと、間違った選択肢でも決してない。


「……怖かった」


 エリヴィアは、泣いていた。

 そっと妹の手を握り、姉は大粒の涙を流す。

 今まで堪えていた全てを、吐き出すように。


「怖かったよぉ。二人で生きててよかったよぉ。助けに来てくれて……本当にありがとう、リヴィアぁ……」


 苦しいと思うほど、エリヴィアは妹を強く抱きしめる。

 こんなに重いものをずっと姉に押し付けていたのかと、リヴィアは唇を噛んだ。

 涙を流さず、リヴィアは優しくエリヴィアの頭を撫で、呟く。


「今までみんなを守ってくれてありがとう。お姉ちゃん。生きててくれて、本当に良かった」


 ぎゅっとエリヴィアを抱きしめると、リヴィアは静かに立ち上がる。


「きっと、他にも敵は来てるはず。お姉ちゃんの傷の治療をしたら、早く他の場所も行かないと」


「……そうだね」


 リヴィアは血だらけのエリヴィアを抱えると、足元に力を入れて地を蹴った。

 ふと、リヴィアは視線を移した。

 そこはちょうど、里からまっすぐ北へ進んだ辺り。


「どうしたの?」


「なにか、爆発したような音が聞こえた気がして」


「じゃあ、まずはそこへ行こっか」


「……うん」


 とにかく、エリヴィアの傷を治療しない限りは話が進まない。胸騒ぎを感じながらも、リヴィアは進み始める。

 彼女の見つめていた先には、魔力を圧縮したような紫色の煙が立ち上っていた。


「ごめんね、お姉ちゃん。一人でみんなを護るって、やっぱり怖いよね」

「うん。怖かった。戦うのは怖いよ。死んだら、誰とも会えなくなるんだし」

「……もう、大丈夫だから。私も一緒に戦うから」

「本当にいい妹を持てて私は幸せだよ」

「そうだね。てか、妹の前であんなに泣いちゃうなんて、お姉ちゃん失格じゃない?」

「なっ……!? あれはなんか色々あって心がめちゃくちゃだったから」

「『……怖かった』。なぁーんて言っちゃってさー」

「ちょっ! や、止めろー‼ 改めて言われると恥ずかしさで死ぬー!」

「はーっはっはっは‼ 愉快なり愉快なりー!」

「このクソ妹ォォォォォォオオオ‼」

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