第十四話「その姉は、姉として」
エリヴィア=ハーフェンは、迷わず剣を抜いた。
「【颶風】‼︎」
魔力を使って自らの武器に風をまとわせるスキルによって、中途半端な長さだった剣が一般的な剣の長さにまで伸びた。
次の瞬間には、エリヴィアは剣を振っていた。
「おお。危ない」
エリヴィアの真正面からの斬撃をいともたやすく、それは避けた。
始まりは唐突だった。
敵の迎撃へと向かうため、北へ走っている途中で、誰かの人影が見えた。
エリヴィアはその瞬間にその人影を敵とみなし、躊躇なく斬りかかった。
しかしこれは当たり前だと言えるだろう。
エリヴィアの戦闘能力は高いとはいえ、ハヤトやシアンのような純粋な力をもっているわけではない。
彼女の得意とする戦い方は敵の集団の中に単身で乗り込み、ヘイトを集めることでスキルによって自身を強化するものだ。故に、純粋に強い敵と一対一で出会った場合、エリヴィアは素直に実力で負けることになる。
だから、堂々と勝負することなく、姿が見えた瞬間に不意打ちという選択をした。
だが、
「おうおう。楽しそうなところ悪いですが、俺ァこの先に用があるからちょっと退いてはくれませんかい?」
渾身の不意打ちでも微動だにせず、目の前の背の低い男はそう言った。
姉の戦い方を、苦手な展開を理解しているリヴィアは、素直な危機感を覚えていた。
しかし、今この場で一番焦りを感じていたのは、エリヴィア本人だった。
「これは、ちょっとマズイかも」
剣を構えたまま、エリヴィアは目の前の敵を観察する。
体格は大きいわけではない。身長はシアンよりも少し大きいくらいだ。だが、やけに筋肉が多い。
その筋骨隆々な男は肩に太く長い、鉄製の棒のようなものを持っていた。おそらく武器なのだろうが、それが家を建てる際に家を支える柱に使うと言われても納得できそうなほど巨大だった。
小柄な体格には似合わない武器の位置を軽くずらして、面倒そうに男はエリヴィアに言う。
「さっさと退いてくれませんかい? 俺はやらなきゃいけないことがあるんで」
「嫌だと言ったら?」
エリヴィアが不敵に笑うと、男は小さいため息を吐いた。
「じゃあ無視して通りますぜ」
無関心を貫いて、小柄な男は大きな武器を担いだままエリヴィアの横を抜けようと歩き始める。
「だからって、はいそうですかって通らせるわけないじゃん……‼︎」
両手で剣を握り、剣技のお手本のような美しさすら感じるほどの身のこなしでエリヴィアは横に剣を振った。
だが、小柄な男は軽く頭を下げるだけでそれを避け、気にせずに歩く。
流れるような動作で、次の攻撃が男を襲った。
今度は縦だ。無駄な動きを完全に省いた滑らかな動作で剣を振り上げると、エリヴィアはそれを真下へと振り下ろす。
「少々、しつこくはないですかい?」
自分よりも大きな鉄の棒を、小柄な男はそこらに落ちている枝を使っているかのように軽く振った。
ドスッ‼︎ という鈍い音が、エリヴィアの脇腹から全身へと響いた。
「かはっ……‼︎」
ただ単純に棒で殴られたエリヴィアは、剣を振り下ろすことは叶わず、数メートルほど飛んで木にぶつかった。
「お姉ちゃん!」
慌ててリヴィアはエリヴィアの元へと走る。
唾液と血と胃液の混ざった目を背けたくなる液体を必死に吐き出して呼吸を整えると、エリヴィアは小柄の男を睨みつける。
「リヴィア。私は大丈夫だから、少しだけ下がって隙を探して。あいつはここで絶対に止めるよ」
「うん……!」
足早に草むらにリヴィアが隠れたのを確認すると、エリヴィアは口に溜まった血を地面に吐き捨てて剣を握りなおす。
「ここから先へは行かせない!」
「……しつこい、ですぜ」
エリヴィアの振る剣は、小柄の男を切ることはなかった。
男はまたいともたやすく風をまとった剣を避けると、再び自分の身長ぐらいある鉄の棒を勢い良く振ってエリヴィアを吹き飛ばす。
その瞬間、草の陰に隠れていたリヴィアが棒を振ってできた隙を狙って飛び出す。
「【疾風】‼」
足にまとった風で加速したリヴィアは、渾身の力で蹴りを繰り出す。
不意を突かれた高速の一撃は、見事に男の頭に直撃した。
だが、
「後ろから人の頭を蹴るなんて。魔王軍の俺が言うのもあれだけど少し卑怯じゃないですかい?」
不意をついてもなお、男は微動だにしなかった。
「悪くない攻撃ですが、あまりにも軽すぎる。スピードだけじゃ威力はそこまで高くならんですぜ。まあ、あんたじゃなくあっちでうずくまってる剣士が同じタイミングで攻撃していたら、少しヤバかったかもですが」
男が指さした先にいるのは、リヴィアが攻撃する暇を作るために正面から剣を振り、再び棒を腹部にくらって吐き気に苦しむエリヴィアだった。
「お姉、ちゃん」
「だい、じょう……ぶ」
乱れた息のまま、エリヴィアは立ち上がった。
ここで、エリヴィアは確信した。
このままでは確実に負ける、と。
単純な地力の差もたしかにある。しかし、問題はそこではない。
「もっと、私のことを嫌いになってくれないと困るなぁ」
エリヴィアのスキルは自分に向けられた敵意の量と質に応じて自信を強化するものだ。
敵が一人というだけでも条件が悪い上に、あの敵の態度は間違いない。
例えば小さな虫が周りを飛んでいて、それを手ではらうとき、明確な敵意や鋭い殺意を持つだろうか。
当然、否である。
それと同じことだ。
あの小柄な男は、自分たちのことを煩わしいハエ程度にしか思っていない。
そんな敵意では、エリヴィアのスキルはそれこそハエ程度にしか機能しない。
ならば、これから自分が選ぶべき選択肢は。
エリヴィアは、再び正面から突き進んだ。
懲りることなく、彼女はもう一度剣を振り上げる。
「何度やっても同じことですぜ。いい加減学んだ方がいいんじゃないですかい?」
小柄の男は、同じように上から剣を振ろうとしているエリヴィアを横なぎにしようと棒を持つ手に力をいれる。
同じ動作をして油断していたからだろうか。
エリヴィアが、小柄の男の視界から消えた。
いや、男は油断してはしていなかったはずだ。
なぜなら、エリヴィアの消えた小柄な男の視界には、未だ彼女の剣が残っていたからだ。
風をまといその刀身を伸ばしている武器だ。あれだけ大振りされれば嫌でも目は剣を追う。
その瞬間を、エリヴィアは狙っていた。
「下、ですかい……‼︎」
「大正解ッ!」
剣を頭上に残して体を小柄な男の視界のさらに下にまで下げたエリヴィアは、小柄な男の振った棒の下をくぐり、足を狙って突進をした。
しかし、
「申し訳ないですが、俺は力だけが取り柄でね。それくらいの突進じゃ倒れないんですぜ」
自分の足元を掴んでいるエリヴィアを、小柄な男は蹴り上げる。
「がァッ……‼︎」
呻きながらも、エリヴィアは男の足を離さない。
咳き込みながらも、エリヴィアは叫ぶ。
「逃げろッ‼︎ リヴィア‼︎」
「ぇ……?」
唐突な言葉に呆然するリヴィアへ、姉は続ける。
「こいつは私が死んでも食い止める‼︎ あなたはその間に里のみんなを逃して‼︎」
言葉の意味をようやく理解したリヴィアは、首を振った。
「嫌だ! それじゃあお姉ちゃんが!」
「私はいい‼︎ いいから走れ‼︎」
エリヴィアの行動に不快感を示した小柄の男は、彼女の首を掴んで持ち上げる。
「さすがにそれは、俺も困りますぜ……!」
「お姉ちゃん……‼︎」
「逃げれば、こいつをこのまま殺しますぜ……‼︎」
リヴィアの目には既に涙が浮かんでいた。
その姿が視界の片隅に移ってしまったエリヴィアは、自分の体にほとんど入ってこない空気を無理やりに吐き出して、それでも声を出す。
「い、け……!」
「お姉ちゃん……!」
想像を絶する苦しみの中で、エリヴィアは笑う。
リヴィアの姉として、彼女は笑う。
「だい、じょうぶ……! あなたはきっと、私がいなくても世界で一番の疾さを持った、最強の戦士になれる! だから、大丈夫……‼︎」
「嫌だよ……! 嫌だよお姉ちゃん‼︎」
「走れッ‼︎ リヴィア‼︎ あなたが私たちの里を救って‼︎」
ぐちゃぐちゃに泣きながら、リヴィアは首を振る。
しかし、時間は待ってくれない。
「これ以上は、あんたを殺すことになりますぜ」
エリヴィアの首を掴む男の手に、さらに力が入る。
エリヴィアの視界が、空気を吸えないことによって少しずつ灰色に染まっていく。
それでも、エリヴィアは、
「走れ……‼︎ リヴィア……ッ‼︎」
「――ッ‼︎」
涙を流し続けながらリヴィアは、姉に背を向けた。
「【疾風】……‼︎‼︎」
数秒後には、リヴィアの姿は視界から消えた。
全く、世話のかかる妹だ。
そう呟きたい気持ちだったが、思い通りにはいかない。
「かっ…………ああッ……‼︎」
首を絞める力は、どんどんと強くなっていく。
「見殺し、ですかい。すいませんね。俺としても逃げられるのは困るので、さっさと殺させてもらいますぜ」
ギリ、ギリ、と、エリヴィアの首から嫌な音が鳴る。
体の中の空気はもうない。
死の間際に近づいて、エリヴィアが選択する言葉は、
「うるせえ。やれるもんならやってみろチビが」
ブチン、と何かが切れるような音がした。
ミシミシと唸るのは、エリヴィアの首を掴む男の腕。
はち切れそうなほどに血管を膨らませて、男は言う。
「言っていいことと悪いことがあるだろうが、クソが。今すぐ殺してやる」
常人なら身の毛もよだつような殺意を、敵意を肌で感じて、エリヴィアは笑っていた。
ああ、やっと。やっとだ。
ようやく、まともに戦える。
「やっと、私のことを『心の底から嫌い』になりやがったな……‼︎」
笑顔で自分の首を掴む男の腕を、エリヴィアは力の握りしめる。
絶望的に開いていた力の差が、徐々に埋まっていく。
「なん……っ⁉︎ 急に力が……⁉︎」
「さっさと、離せ……‼︎」
急に上昇した力によって、小柄の男はエリヴィアから手を離し、距離を取る。
その隙に先ほど手放した剣を手にすると、エリヴィアはもう一度スキルを使って剣を風で覆った。
「どんなからくりかは知らねぇが、それでも俺はお前を殺してやるからな」
「死んでたまるかっての。私はお姉ちゃんなんだから」
いつか妹は自分を超える。
知っているからこそ、まだ死ねない。
「リヴィアが強くなる前に私が死んだら、私を超える瞬間を見れないってこと。絶対に死ねないよ」
「うるさい。お前を殺して、そのままあの里を全部壊してやる」
「……やらせないよ」
エリヴィアは、剣を構える。
「ここから先は、絶対に通さないから‼︎」
エルフの剣士は、地を蹴った。




