第三話「かつて叡智の集まっていた場所」
移動手段は、スタラトの町でレンタルした馬車だった。どうやらこの世界にも人々が「馬」呼ぶ存在がいるらしく、それを町で借りて広大な草原を進んでいた。
馬と呼ぶにしても、かなり頭がいいらしい。なんでも、ある程度の方角と目的地を伝えれば御者などは必要ないとのことだった。というわけで、現在は荷台で揺られながらエルフの里を目指している。
ぐわんぐわんと縦に揺れることが多いので少し酔いそうで怖かったが、草原の爽やかな風を浴びながら外を見ることでかなり酔いを抑えることができた。
俺はそのまま荷台のガラスのない窓から顔を出しながら、口を開く。
「いやー。それにしても、リヴィアが馬にまたがりながら『進めぇ! 漆黒の神馬よ! 我の示す道を駆けろ!』とかいいながら馬に振り落とされたときは爆笑ものだったな」
「振り落とされた瞬間とそれからスキルを使って一瞬で戻ってきたときの慌てふためいた顔は少女に興味のない私から見ても滑稽だったね」
俺とエストスの悪質な追撃によって、荷台の隅で大人しく座っていたリヴィアが顔を真っ赤にして立ち上がる。
「うっさいうっさいうっさい! 黙ってなさいよ! 蹴るわよ!?」
「い、痛い! 言いながら蹴るのは反則だろ! 少しくらい猶予をくれ!」
「知らない! そもそもあんたが悪いんでしょ! 謝りなさいよ!」
「そこまで強烈に因縁つけられるとこっちもどうしたらいいのかわからねぇよでもすいませんでしただから蹴るのをやめてくださいお願いします!」
俺が蹴られながらも必死に頭を下げると、リヴィアは「ふん、素直に最初からそうしておけばいいのよ」と素直じゃない返事をいただいた後で、俺はふうと息をついた。
……いや、つこうと思ったのだが、
「ハヤト……、なんだかシアンは気持ちが悪いぞ……」
真っ青な顔をしたいかにもな車酔いにその身を翻弄されているシアンが力なく俺の手を握っていた。
「え、嘘でしょ? 馬車酔い? 魔族でも酔うとかあるの?」
「よく分からないけど、お腹がグラグラのフワフワなんだぞ……」
「何言ってるのかさっぱりだが魔族も酔うことはよく分かった! 今すぐ止まるから我慢して――」
「ぐ、ぐえ――」
「この馬車借り物だからそれだけは勘弁してくれよぉぉおおおおお‼」
直後に馬車は停止したが、三〇分間ほどの荷台の掃除をし終えるまで再び走り出すことはなかった。
とってもすっきりした表情で「なんだか体が軽いぞ!」と笑っていたシアンにそりゃ胃の中丸々吐き出せば軽くなるだろうとツッコまなかった俺を是非褒めてほしい。
そして、なぜか荷台の掃除をしている俺が全ての仕事を終えると、みんな何事もなかったかのように荷台に戻り、再び馬車は進み始めた。
俺はいつのまにか一面の草原だけでなく森や山が入り始めた景色を眺めながら言う。
「いやー。まさかあの外れスキルだと思ってた【お湯】が荷台を洗い流すために使えるとは、この魔道書も捨てたものじゃないな」
「あんた、強いくせにそんな地味な魔法使って満足してるとかそれでいいの……?」
「う、うるさいな! 俺だって格好いい技の一つや二つ使いてぇよ! でもこの欠陥魔道書のせいで魔法使いキャリアはほぼ閉ざされたも同然だからな。だからこうして剣を買ったわけだし」
俺は夢がかなった少年のごとく少し興奮気味で腰に差してある剣を触った。
と、そこで唐突にエストスが声を出した。
「……すまない。ここで止まってもらってもいいかな」
「え? おう。わかった」
言われるままに馬車を止めると、エストスは馬車から降り、ある方向を見ていた。
そこは、人の住んでいる気配を感じない、なだらかな傾斜をした山。
「ここが、そうなのか?」
「……エルミエル。私の生まれ育った、愛すべき故郷だよ。随分と長い間留守にしてしまったからね。少しだけでも見てみたかったから」
「え……? エル、ミエル……?」
「どうした、リヴィア?」
「い、いや。なんでもないわ」
少し戸惑っていたリヴィアは首を横に振った。
気にするほどでもないのだろうと俺は山を歩き始める。
「それで、そのエルミエルってところはどこにあるんだ?」
「あの時から場所が変わってないのなら、ここを直進すれば自然とたどり着く筈だよ」
そう言って黙々と歩き続けていると、後ろを歩いていたリヴィアが戸惑いながらも口を開いた。
「ね、ねぇ。あなたたち、本当にエルミエルに行くって言ってるの……?」
「そうだけど、どうしたの?」
少し躊躇うように口をモゴモゴと動かしてから、リヴィアは言う。
「ずっと昔に、叡智の都『エルミエル』は滅んで、今はもう跡地しか残ってないのよ……?」
エストスはその場で足を止めた。少し間を開けてから、しかし振り返ることなく再び進み始める。
「……予想はしていた。何より、それが私たちの選んだ道だからね。もう誰もいないことなど知っているよ。でも、それでも行きたいんだ」
「……そう」
エストスの言葉を聞いて、それ以上はリヴィアは何も言わなかった。
歩くこと、約二〇分。上り坂が終わり、木々が一気に開けた。
「ここが、私の故郷、エルミエルだ」
「これって……」
俺は目の間に広がるエルミエルを眺める。
言葉は出てこなかった。
だって、
俺の視界に映っていたのは、遺跡ということすらできないほど、跡形もなくボロボロになった廃墟らしき建物しかなかったからだ。
建物を形作っていた木は朽ち、石は崩れ、道は荒れ、町としての原型は残っていなかった。
昔テレビで見た古代遺跡などよりもはるかに朽ち果てた町だった場所を見て、エストスは言う。
「……人が住まなくなり、手入れのされない町は荒廃する。そして、野生の魔物が好きに荒らして、長い期間がたてば、むしろ町があったとわかるほど残っているだけ奇跡だろうね。ただの森に還っていることまで想像はしていたから」
「大丈夫か、エストス。辛かったらもう引き返してもいいんだぞ」
「いや、もう少しだけいさせてくれ。私のわがままで死んでいった仲間たちの数少ない生きていた証だ。目を背けたくはないんだ」
ずっしりとした重い空気の俺とエストスを見て、耐えきれなくなったのか、リヴィアがたまらず口を開く。
「ね、ねえ! ちょっと待ってよ! 勝手に話を進めてるけど、さっきから何の話をしているの!? 故郷のエルミエルって、ここが滅んだのは二百年以上生きてる長老様が生まれる前なのよ!? そこが故郷だなんて、どう考えてもありえないじゃない!」
「……昔、スワレアラ国の奴隷制度が崩壊したとき、主犯だった者がどんな処罰を受けたか、エルフの君なら知っているだろう?」
「そりゃ、王族を殺しちゃったから責任取ってどっかの草原で封印されてるんでしょ? それくらいはエルフの中では常識中の常識よ!」
リヴィアのどや顔を見て、エストスは小さく笑った。
「じゃあ、その長い封印を司る強力な魔物を瞬殺する馬鹿どもがやってきて、当の本人が外に出てきてこうして里帰りをしているということは、知っているかな?」
「そんなこともちろ………………え? 今、なんて言ったの?」
「ここまで付き合ってくれた礼として、自己紹介をしよう。私の名前はエストス=エミラディオート。しがない元学者だよ」
放心状態で目と口を大きく開いたまま停止するリヴィアと、艶やかな笑顔で会釈をするエストスというなんともシュールな絵面にどうしたものかと俺が次の一言を悩んでいると、ハッと我に返ったリヴィアがあわあわと震えだした。
「おんぎゃあああああああ!?!??!???!」
「うるせぇ!? 急に大声出すんじゃねぇ!」
「だって、だって、だだってだってて! え、エストス様よ!? エストス=エミラディオート様よ!? 叫ばずにはいられないでしょう!?」
興奮状態が最高潮に達しているのか、言いながらグリーヴを装備したガッチガチの足で俺の体を蹴るリヴィアから逃げるように、俺がエストスのほうへ走ると、リヴィアはその場でピタッと止まる。
「お、おおおおお……‼」
言葉にならない何かが口から溢れるリヴィアは、廃墟の壁の後ろに隠れるように逃げ、顔だけひょこっと出してこちらを見ると、反復横跳びでもしているのかと思うほどに左右に揺れる目で必死に視界にエストスを捉える。
が、しかし、リヴィアは壁に隠れ、頭を抱える。
「おおおおおおおお、恐れ多おおおおいいいい! あ、あああなたがエストス様だったなんて! そ、そんな奇跡が起こってしまっていいの!? え、え! ダメっ! 直視できない!」
「なんだなんだ! 叫びだしたと思ったら初恋の相手と二人きりになった乙女のように頬を赤らめて壁に隠れるなんてどうしたんだい!?」
「私たちエルフからしたら、スワレアラ国の奴隷制度を崩壊させ、私たちに自由と幸せを与えてくれたエストス様は神みたいな存在、いえ、神‼ 神なのよ! そんな神を直視なんてできないじゃない!」
顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込む少女に、少しだけ気になることがあったので俺は小声でリヴィアに訊いてみる。
「……さっきまでタメ口だったのは無視する方向でいいのか?」
「……、」
ピタリと声を止め、ダラダラと嫌な汗を流すリヴィアは、涙目で俺の目の前で腕を大の字で大きく広げ、
「いっそ殺してぇ!」
「待て待て早まるな少女よォ!」
その後も俺がどれだけ言っても叫ぶリヴィアだったが、エストスがなだめてようやく落ちつき、何度も深呼吸を重ねながら俺たちの横を歩いていた。
「本当に、数々の無礼をお許しくださいエストス様!」
「気にすることはないよ。私は君たちに感謝されるために戦ったわけではない。もっと楽にしていいんだよ」
「あ、ありがとうございます!」
深々と九十度まできっちりとリヴィアは頭を下げた。
確かに自分たちの一族を救った英雄なので、当たり前の反応なのだろうけど、ここまで一気に態度が変わるとさすがに反応に困ってしまうんだけど。
そんなことを思いながら歩くエストスの後ろ姿を見ていると、ふと足を止めて横を見る。
「そうだ。この先には確か私たちが残した遺跡があるはずなんだ。そこにも行きたいのだけれど」
「行きます行きます! 太古の遺跡!? 封印されし宝!? なんでも格好いい!」
「あまり面白いものはないよ。でも、私たちは助けたこともあるぐらいでエルフとは仲が良くてね。その歴史は残っているんじゃないのかと思ってさ。それに、少し気になることもあってね」
「なんでもいいです! ぜひおともさせてください!」
寄り道をしているこっちからは言えないが、エルフの里はどうするんだと逆に不安になりそうな感覚を持ちながら、俺はエストスとリヴィアについていく。
「そういえば、シアンは?」
「ああ、彼女なら近くに魔物がいたみたいで体を動かしてくるそうだ。空腹だったみたいだし丁度よかったんじゃないのかい?」
「分かった。戻ってきたら絶対に何を食べたかは訊かないようにするよ」
話しているうちに、俺がエストスと初めて出会ったアストラル遺跡の入り口に似たような作りの場所へと着いた。
入り口は石造りのアーチ状の門のようになっていて、それ以外は山に埋まって見えなくなっている。それはアストラル遺跡と同じなのだが、もう一つ違うことは、その入り口が強大な岩で封じられていたことだ。
まるでこの入り口を封じるために切り取ったかのような岩が、遺跡の入り口を塞いでいた。
「ここだね。この入り口にこの岩、あの頃と全く同じだ。やはりこの規模の岩を使って正解だったね」
「じゃあ、この先にエストスの行きたい遺跡があるってことか?」
「そうなるね。人が住むような空間ではないし、あまり出入りはしなかったから残っているものも少ないだろうけど、一度くらいなら行く価値があると思うよ」
「凄い凄い! さっそく行きましょう!」
ノリノリのリヴィアを見て、エストスは俺を見る。
「じゃあ、壊してくれないか? ハヤト」
「え? 俺?」
「なんだ、君の腰にあるそれは飾りだというのかい?」
エストスは俺の腰に差してある剣を指さした。
そうだ。俺は剣を持っているんだ。こんな岩の一つや二つ切れないで最強の剣士になんてなれるわけねぇだろ。
「よし、待ってろ。今すぐ切ってやる。なに、俺は中学生のころ体育で剣道を少しだけ習ったからな。剣の握り方と振り方は知ってるつもりだぜ……!」
俺は剣道でやった時と同じ感覚でゆっくりと剣を振り上げる。
そして、素人の俺は力任せに剣を全力で振り下ろす。
「ふんッ‼」
ズバンッ‼ という音と共に、剣を振った衝撃波で巨大な岩が縦に二つに割れ、そこからひび割れが中心から端へ瞬く間に伝わり、数秒経ってから二つに割れた岩が完全に粉々になった。
そして、粉々になったのはもう一つ。
「……あれ? 俺の剣は?」
「まあ、普通の剣を君の力で全力で振れば、剣のほうが耐えきれずに粉々になるだろうね」
剣の柄だけ持って呆然とする俺を尻目に、エストスとリヴィアは早速遺跡の中へと歩いていく。
その後ろ姿を見て、俺は涙をこらえてもうずいぶんと先へ進んでしまった二人を追うように走り出す。
「分かったよ! 俺はこれからも素手なんだろちくしょおおおおお‼」
「え、エストス様! 恐縮ですが質問をさせていただけないでしょうか!」
「構わないよ。何かな?」
「エストス様は、遺跡に封印されていたんですよね? 長い時間が経っても見た目が美しいままなのはどういう魔法なのでしょうか!」
「魔法というよりも呪いだね。私の仲間たちが私に不老不死の呪いをかけて封印したんだ。だから私の体は当時から全く変わっていないね」
「呪い! 不老不死! 格好いい!」
「まあ、その呪いも封印と同じだったからあの二人がまとめて壊してしまったから、もう不老不死ではなくなってしまったのだけれどね」
「じゃあじゃあ! 革命のために使われたという【遺産】もあるのですか?」
「ああ、魔弾砲などは基本的に素材をスキルで携帯できるほどにまで圧縮してあるから、出そうと思えばいつでも出せるね」
「そうなんですか! すごいすごい! いつか見せてもらってもいいでしょうか!」
「ああ。構わないよ」
「ありがとうございますっ!」
「…………ハヤト」
「なんでしょうエストス様(笑)」
「……少女も、悪くないね」
「性癖すらも歪めるリヴィアの破壊力にびっくり!」




