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第十五話「神の雷」

 黄緑色の雷をまとったリヴィアは、最初に音を置き去りにした。

 無音でエルドの視界から姿を消した直後、リヴィアがいた位置から直線状に空間が歪み、次の瞬間にはまたリヴィアはそこにいた。


「ァァアア……?」


 理性を失った化け物ですら、その現象に戸惑っていた。

 ほんの刹那だけ姿が消え、空間が歪み、またそこにいる。

 きっと、見間違いだと言われれば素直に信じてしまうような出来事だった。

 なのに。

 レアドは自分の左右から、ぼと、という生々しい音を聞いた。

 遅れてやってきた痛みを感じてようやく、自分の両腕が切り落とされたのだと、レアドは気づいた。


「ァァァァアァアアアアアアアアア!!?!!??」


 大地を震わせるような低い悲鳴を上げて、レアドはその場で不気味に震え始めた。

 直後、レアドのそぎ落とされた腕の断面がぐちゅぐちゅと音を立てて盛り上がり、瞬く間に両の腕が生えそろった。


「やっぱり、治っちゃうよね」


 わずかにリヴィアの息は上がっていた。

 この《雷神トール》の状態は、長時間は使えない。

 魔力が足りないのもそうだが、未熟なリヴィアの体では速すぎる動きに体がついてこないのだ。

 限られた攻撃回数の中、リヴィアがまず腕を狙ったのはこの攻撃がエルドに対して通用するかということだった。


 さきほどエリヴィアとラディアを戦闘不能にまで導いた棘の攻撃など、あの化け物の攻撃が予測できない以上、何があっても反応できる位置にいなければ危険だ。

 ここで自分が負けてしまえば、確実にあの二人は殺される。

 それだけは避けなければならない。

 だが、攻撃が通用するのなら。


「体が再生するよりも先に全部そぎ落とす。速さには、自信がある」


 見た限り、腕が再び生えるまでは数秒ほどかかっていた。

 数秒あれば、いくらでも攻撃ができる。


「ふ――ッ」


 再び、空間が歪む。

 未だにレアドはその速度に対応できていない。

 一秒にも満たぬ間に、さきほど生えた腕とさらに増えていた三本目、四本目の腕を蹴りで切り落とした。

 だが、おそらくレアドもこうなることを予測していたのだろう。

 理性を失ったがゆえの生存本能が呼び覚まされていた。


「ァアアァァ!」


 攻撃に向けていた意識のすべてが、再生へと向けられた。

 リヴィアは何度も蹴りでレアドの体をそぎ落としていくが、失った瞬間からその部位が回復していく。

 だが、それでも、リヴィアは攻撃の手を緩めない。

 そして、わずかに攻撃の手がレアドの再生速度を上回った瞬間だった。


「あった……! 魔晶石……!」


 膨れ上がったレアドの体の中心にある、唯一の元の姿の残りである頭部のすぐ近くに、紫に輝く魔晶石を見つけた。

 それを確認した瞬間、リヴィアは再び下がって距離を取る。

 何度も攻撃をしたせいで、全身に激痛が走る。

 痛みに続いて寒気。眩暈に似た感覚もある。

 気を緩めたら倒れてしまう。

 リヴィアは大きく息を吸い込んで意識が飛ばないように集中する。


「魔晶石が見つかれば、あとはいけるはず……!」


 魔晶石は、魔族や魔物の命の根源。

 あの化け物もラディアが魔王軍幹部だと言っていた以上、魔族であることに間違いない。

 ゆえに、どれだけ再生能力があっても魔晶石が壊れてしまえばすべておしまいだ。

 もう体も限界だ。一撃で仕留める。

 リヴィアは足に装備したグリーヴにそっと触れる。

 サイトウハヤトから買ってもらい、エストスに改良してもらった鉄のグリーヴ。


「ごめんなさい、エストス様。たぶん、壊してしまいます」


 それだけ呟いて、リヴィアは腰を落とした。

 全身全霊をぶつける。今までの全てを懸ける。


「悲しき魔族の同胞よ。我が雷神の槌で、せめてもの救済を」


 バチバチ、とリヴィアがまとう雷が勢いを増す。

 その姿を見た瞬間、レアドは本能的に防御の体勢を取った。

 だが、関係ない。

 再び空間が歪み、リヴィアの姿が消える。だが、さきほどのように同じ場所に戻ってくることはない。


 リヴィアがいたのは、上空だった。

頭上というには、あまりも高すぎる。

 気配に気づいて見上げたレアドの視界には、空高くまで飛び上がったリヴィアが米粒のように小さく映った。

 その直後。


「らァ!」


 雲一つない草原に、すさまじい落雷があった。

 いや、それは雷をまとったリヴィアの単純なかかと落としだ。

 だが、さながらそれは神が槌を振り下ろしたかのような衝撃と威力だった。

 真上からレアドの体を両断し、そのまま体内の魔晶石を完全に砕いた。


「ァ……」


 そんな小さな声が漏れた直後、凄まじい轟音が一体に響いた。

 その中心で蠢く、崩れた肉塊。

 人の形を失ったレアドの頭が、砕けた自分の魔晶石を見て何かを呟いていた。


「なん、で……だよ。俺は、ただ……」


 ぐちゃ、ぐちゃ、と。

 残されたわずかな力を使って、原形のない肉が魔晶石を包もうとしていた。

 死にたくないからと魔晶石を使って延命した結果が、この成れ果てた姿だ。

 こんなことがしたくて、魔王軍に入ったわけではないのだ。


 ただ、自分の居場所を守りたくて。

 どうして人間が世界のほとんどを牛耳っているのに、魔族が極東にい続けなければならないのかと、ずっと思っていた。

 だから邪魔な敵を殺して、気に食わない奴を排除して、もうすぐ終わりだと言われていたのに。

 なんで、こんなことにならなきゃいけない。


「ちく、しょう……。全部、魔王のせいだ……」


 あの魔王が騙したせいで、全てが狂った。

 理性を失って、誰かれ構わず攻撃して、残ったのは憎悪だけ。

 魔晶石が壊されて暴走が止まったとはいえ、このまま死んでいくなんて納得できない。


「あいつの、せいで……。魔王の、やろう……ッ」


 悔しかった。今まで魔王軍でやってきたことは無意味だったのだから。

 あいつに利用されるだけの命なんて。

 瞬きすらできない瞳から、涙が溢れた。

 だが、そんな涙を。

 小さな手が、そっと拭った。


「辛かったね。怖かったね。もう、大丈夫だから」

「……ぁ」


 見るも無残なレアドの頭を、リヴィアはそっと抱きしめた。

 今まで感じたことのない、温かさだった。


「私たちは、居場所がない人たちの味方だよ。あなたも、分からなくなっちゃったんだね」


 かつて、エルフという種族がそうだったように。

 利用され、蔑まれ、使い捨てられた先祖たち。

 それを救ってくれたエストスたちの願いを、決して途切れさせないように。

 自分たちが、最後の居場所になろうと。


「どうか次にあなたが生まれるときには、当たり前を当たり前に過ごせる命に生まれますように」


 レアドの頭を優しく抱きしめたまま、もう片方の手で短剣を取り出して、リヴィアは魔晶石を完全に砕いた。

 魔物を取り込んで膨張した体が塵となって消え、原形ととどめていないレアドの体だけが寂しく残っていた。

 レアドの瞳を手で閉じると、リヴィアは立ち上がる。


「お姉ちゃんとラディアさんを、里へ連れていかないと」


 すぐにエリヴィアの元へと走っていく。

 失血が多いが、まだ息はある。

しかし、エリヴィアを抱えてからラディアまで一緒に運ぶほどの力はない。


「……やるしかない、よね」


 見捨てるわけにもいかないリヴィアは、強引に二人を担いで里を目指そうと走り出した。

 間に合うだろうか。もしこれで、間に合わずに死んでしまったら。

 そんな想像をするだけで、寒気がした。

 だが、足を止めるわけにはいかない。


「絶対、助ける……!」


 いつか里に来たあの青年のように。

 全てを救うなんていう傲慢を現実に出来るように。

 リヴィアは必死に足を進める。

 と、急に強い風が吹いた。

 緑色の髪が旗のように揺れる。

 風は上からだった。


「……間に合った、みたいだね~」


 気の抜けた声が頭上から聞こえた。

 リヴィアが見上げたところにいたのは、青い髪をした、自分と同じくらいの背丈をしながらも、やたら豪華なマントを羽織った女性。

 紫色をした風で空に浮かんでいるその女性が、リヴィアの前に降り立った。


「……誰、ですか」

「警戒しなくて大丈夫だよ~。私、スワレアラの騎士団長のレイミアっていうんだ~。助けに来たから、その二人見せて~」


 ふわふわとした声が、今の状況とあまりにも合わなくて気持ち悪かった。

 だが、味方であることは間違いないようだ。

 リヴィアはその場にエリヴィアとラディアを寝かせた。


「あらら~。がっつり穴が開いてるね~。なかなか強い敵がいたみたいだね~」

「大丈夫、なんですか……?」

「うん。二人ともまだ生きてるからね~」

「でも、こんなに傷が……!」

「死んでないなら、治せる」


 それだけいうと、レイミアは途端に顔を引き締めて、


「私はこれでも、世界で一番の魔法使いなんだよ」


 レイミアはラディアとエリヴィアの胸にそれぞれ手を当てて、


「【笑う小娘。躍る花弁。固まる影に、照らさぬ灯台。止まる鼓動。重なる綻び。涕涙叶わぬ惨禍の跡。歩みを止めぬ高尚な翼は、決壊し、朽ち果て、叫喚に暮れる。】」


 目をつぶりながら、レイミアは詠唱を進めていく。

 魔法についての知識を持っているリヴィアは、ただそれを見守っているだけだ。


「【舞い戻れ、気高き魂よ。不遜なる天命へ、我は静かに爪を立てよう。】」


 きっと、魔法について明るい人物であればその異常さに気づいただろう。

 この魔法は、数ある回復魔法の中で最も難易度が高く、魔力の調節を少しでも誤れば使用者の命すら危うくなるものだ。

 だが、レイミアはそれを難なくこなしてみせる。

 それも、二人同時に。


「《クラーレ・タメント》」


 瞬間、白い光が二人を包み込んだ。

 リヴィアはその目を疑った。

 二人の体に空いていたいくつもの穴がみるみるうちに塞がり、血の気の引いていた血色が元の色へと戻っていく。


「すごい……!」


 リヴィアは目を丸くして二人の傷が治っていくのを見つめていた。

 一〇秒程度で、二人の傷は完全に塞がり、弱弱しかった息が穏やかな寝息に変わっていく。

 レイミアは二人から手を離すとにへら~と笑って、


「うん。これで大丈夫だね~。もう少ししたら起きるだろうから、見ててあげて~」


 レイミアは立ち上がると、周囲を見渡す。


「他に重傷者はいないみたいだね~。こういうときにすぐ自己犠牲を選ぶのは少し悩むところだけど、さすがラディアって感じかな」

「あ、あの。ありがとうございました」

「礼なんていらないよ~。元々、スワレアラ側が謝る立場だかね」

「で、でも……!」

「う~ん。じゃあ、みんなが完全に回復したら、少し手伝ってもらおうかな~」

「なにを、ですか?」


 リヴィアが問いかけると、レイミアは東の方へと顔を向けて目を細くした。


「魔王退治、だね。なんだか、おかしな状況になっているみたいだから」


 そう呟いたレイミアは視線は、ずっと遠くの極東へと向いていた。


別で連載してる小説、一章完結したのでよかったらどうぞ。だいぶよく書けました。

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