第十四話「力を持ってしまったのだから」
三分間近くクリファに殴られ続け、彼女の体力切れによってようやっと解放された俺はジンジンと痛みの響く頬をさすりながら階段を下っていた。とりあえずあのもふもふは色々と問題があったのでさっさと【変装】で見えないようにしておいた。
そして、階段を降りて店の中へ戻ると、そこで俺たちを出迎えるのは、もう既に朝食の準備を始めていたこの店の店主。
桃色の髪とその髪と同じくらいピンクでフリフリの改良型メイド服のようなものをまとった変な口調の女の子。
「おはようなのですよ! 今日も私の特製ステーキであなた達の胃袋を鷲掴みにして今度こそ常連さんの看板を………………」
ボタンの視界に何かが映った途端、手に持っていたステーキが食器の割れる音ともに地面へと落ちた。
「ど、どうした、ボタン?」
ボタンからの返事はない。震える体から溢れるのは、小さな呟きだけ。
「どう、して…………?」
ボタンの視界にハヤトはいない。シアンもエストスもいない。ただ、彼女が見つめる先にいるのは……
「……? なんじゃ? 妾の顔に何かついておるのか?」
「どうして…………ここに、お前がいる……!」
しまった。【変装】が解けてるせいで他の人からもクリファだって分かるのか! 迂闊だった。
でも、それでも、なんでボタンはここまで。
「どうして、ここにいる」
ボタンの声は少しづつ大きくなり、そして、叫ぶ。
「どうしてここに、お前がいる‼︎」
ボタンは可愛らしいメイド服の懐からは似合いもしない短剣を取り出し、クリファに向かって振りかざす。
「死ねぇ‼︎」
ガキンッ! という金属音が、俺の右腕に響いた。
「どうして……! どうしてあなたが庇うなのです……!」
ボタンが持っていた短剣はクリファを一直線に狙ったが、俺がそこに腕を入れた。ただそれだけで、ステータスのカンストした体は短剣を折り、弾く。
痛覚は変わらないため鈍痛が右腕から体全身に響くが、そんなことに声を上げる時ではないと、俺はぐっと堪える。
「先に、お前がこの国の王女を見た途端に切りかかる理由を教えてもらわねぇと、話は出来ないな」
悔しそうに歯を噛みしめるボタンは、クリファを整った顔が台無しになるほどに睨みつける。
「お前らが、私から全てを奪ったんだ‼︎ お前らさえいなければ‼︎」
「な、なにを言っておるのじゃ……。妾はなにも……」
「しらばっくれるのも大概にしろッ! あれだけのことをしておきながら、何もしていないなんて言わせない!」
今にもクリファへ再び牙を剥きそうなボタンの肩に手を回し、俺は暴れるボタンを抑える。
そんな彼女へ声をかけたのは、目元にくまのできた白衣の女性。
「…………奴隷、なのかい?」
鎖で縛られた猛獣のように息を荒らげるボタンは、理性など存在しないかのように叫ぶ。
「こいつらが商人グループと手を組んで奴隷を裏で取引しているのは、そういった世界ではずっと前から言われていた! 禁止されている奴隷制度を見逃すだけでなく、反乱因子として潰した村人を奴隷として回収した! 私の村はそうやって潰された! みんなが逃してくれなかったら私はここにはいない!」
「……う、嘘じゃ。そんな、そんなことが……」
「私の両親は一年前に殺された……なのですよ。妹とも、もう長らく会ってない」
「──ッ⁉︎」
小さく静かで、それでいて少女が背負うには余りも重い声が、ちっぽけな店に響いた。荒ぶって変わっていた口調が戻ったので、落ち着きを取り戻したのだと判断した俺は、ボタンの拘束を解く。
反動で投げ出された体をフラフラと揺らしながら、ボタンは続ける。
「奴隷の取引は、このスタラトの町を起点に行われるなのです。ただ、表では奴隷が禁止されている以上、絶対的な支援が必要になるなのです」
「そうか。確かに、それならば合点がいくね」
ひとりでに頷いたエストスを見て、イマイチピンと来ていない俺は問いかける。
「奴隷を運ぶ時に、積み荷の中の人たちを見られたくないのはわかるね」
「ああ」
「なら、その奴隷たちを発見されないようにどうすればいいか」
答えたのは、クリファだった。
「妾たちの乗った馬車の後ろに付いて、検閲そのものを回避する……!」
「だからこそ、奴隷の取引は王族がこのスタラトの町に来る年に一度と同じなのですよ。まあ、これだけの情報を仕入れるだけでもかなりの時間を使ってしまってなのですけどね」
諦めたように笑うボタンの顔が、あまりにも悲しすぎて俺は真っ直ぐに彼女の顔を見れなかった。
なんでだよ。どうして、こんな理不尽が存在するんだよ。奴隷になった妹のためにこんなにも辛い思いをしてたなんて。
ふと、俺はあることを思い出した。
「ちょっと待てよ。今、商人グループは王族の後ろに付いていたって、そう言ったよな?」
エストスは言っていた。王族の後ろに付いていた馬車には見覚えがあったと、そして、その馬車に奴隷が積まれていたのだと。
なら、ならば。
「俺たちがエリオルと一緒に助けた馬車は、奴隷売買の全てが詰まった馬車だったってことか……‼︎」
国が裏で保護してるなら、救難信号を出した途端にギルドへの連絡もすぐに行くはずだ。最悪の場合は憲兵を出せばいいだろうが、その必要を俺たちが無くしてしまった。
鼓動が速くなるのを実感していた。
対して、ボタンは落ち着いた様子で。
「あぁ。あれを助けたのはハヤトさんたちだったなのですね。ありがとうなのですよ。あれにはきっと、私の大切なものが乗っていたなのですから」
点と点が繋がる。頭の中の思考が線になり、俺の頭に広がっていく。
──ええ、買いたいものがあるなのですよ。
──私の大切なものが乗っていたなのですから。
「まさか、お前がどうしても買いたいものって」
「バレちまったなのですね。正解なのですよ」
俺が今まで見たことのないほど、力の無い哀に染まった表情で、ボタンは続ける。
「私一人じゃ、きっと妹を助けようとしたところで一瞬で返り討ちなのです。だから、買うしかなかった。こんなぼったくりの店を構えてでも、妹を買えるほどの金を集めなきゃなならなかったなのです」
「……、」
「滑稽でしょう? どうしたら妹を助けられるか分からなくて、こんな店まで開いて。営業の仕方なんて知らないから客もほとんど来ないなのですよ。ましてや金なんて一切溜まらなくて…………本当に、何やってるなのでしょうね、私は」
どんな声をかければいいのか、分からなかった。こんな理不尽に耐えながら生きたことのない俺が、彼女になんて言えばいいのかなんて、見当もつかなかった。
そんな俺を、ボタンは視界に捉えた。
「ハヤトさん、あなた、めちゃくちゃ強いなのでしょう? 聞きましたよ、ユニフォングを倒したなのですよね? 散歩ついでに大金を稼げるすげぇ人なのですよね?」
一歩ずつ一歩ずつ、彼女は近づいてくる。金縛りにあったように動けない俺の目の前まで。そして、彼女の心が、悲鳴をあげる。
「だったら、なんでこんなところでヘラヘラしてるなのですか‼︎ それだけの力があって、それだけの金があって、どうしてここで呑気に過ごしてるなのですか‼︎ どうして私ばっかり辛い思いをしなければいけないなのですか⁉︎」
ドンドンッ! とボタンは俺の胸を叩く。まるで閉じ込められた部屋から出ようとするかのように、泣き叫びながら叩き続ける。
「もう、どうしたらいいのかなんて分からねぇなのですよ。助けるなんて息巻いたところで、一人じゃ何もできなかったなのです。頼れるような人が誰もいないなのですよ。もう誰でもいいから、命でもなんでも懸けるから……」
崩れ落ちるように膝を地面について、それでも彼女は俺の胸を叩く。
「だから、だから……ッ!」
雨のような涙を零しながら、彼女は言った。
「助けろ…………助けろなのですよぉ……」
崩れ落ちるように、ボタンの手は床へと落ちた。全てを出し切ったのか、鳴咽を漏らしながら涙を流す。
そして、俺は、俺は、俺は、
俺は、どうしてここにただ立っている?
俺はなんで、こんなにも泣いてるボタンの前で、何も言わずに立っている?
目の前で苦しんでいる女の子がいて、泣きたいのにそれも必死に堪えて出来ることを考えて、それでも辿り着けない彼女に、俺はなんて言えばいい?
俺はそっと、こんなことを思った。
これから言う一言が俺が前の世界で死んだ理由で。
これから言う一言が俺がこの世界で生きる理由で。
これから言う一言が俺がこの力をもらった理由で。
そんなことを思いながら、俺は、
「…………俺は」
言う。
俺の第二の人生を決める、最初の一言を。
「俺が救ってやる」
そうだったはずだ。俺が死んだ時も、あの女の子を救いたかった。無意味に理不尽に全てを奪われてしまう彼女を、救いたかった。
こんなどうしようもない、何もない俺でも、何かを救いたかった。
結果的に死んでここにいるけど、でも、俺はここで力をもらった。
努力もしないで、こんな凄い力をもらった。
だったら、この力を正しく使う努力をしなくちゃならない。
もう、何もない俺じゃない。
誰かを救える力をもらったのなら、そうならば、その理由はもう、考えるまでもなく。
「全てを救うために、俺はこの力をもらったんだ」
「いいの、ですか……? ついさっき会ったばかりなのですよ? 互いに何も知らない、赤の他人なのですよ……?」
「ああ、そうだな」
そんなことは分かってる。分かってて、それでも俺は、救いたいと思ったんだ。
「私を助けるということは、奴隷売買を阻止するということは、この国の王族そのものを敵に回すという事なのですよ?」
「俺は王族なんてよく分からねぇ。シアンのスキンシップの方がよっぽど怖いさ」
俺は笑う。俺の気持ちが理解できないボタンは、助けを求めたその口で戸惑いを吐き出す。
「なんで、なんでなのですか。散々ぼったくったのに。無意味に切っ先を向けたのに。勝手に押し付けようとしてるのに」
そんなこと、決まってるじゃないか。
「苦しかったんだろ? 辛かったんだろ? 後悔して、枯れるほど泣いたんだろ?」
「…………、」
「どうやっても上手くいかなくて、それでも妹を助けたいからこんな店まで作って泣くの堪えて笑ってたんだろ? そんな女の子が涙流して助けてって言ってんだ。助ける以外の選択肢なんて元々ないんだ」
「でも……! でも……ッ!」
きっと素直に受け取れないのだろう。
今まで苦しみ続けた八方塞がりの状況で、こんなにも簡単に解決策が見つかってしまうことを信じきれないのだろう。
だったら、俺が言わなくちゃ。笑って、言わなくちゃ。
「可愛い女の子の前で格好つけたくなるのが、思春期の男ってやつなんだよ」
「……ぇ」
「これは俺のわがままだ。今までどうしようもなかった俺が勝手に格好つけたいが為の自己満足だ。だから、俺の為に黙って助けられてくれ」
堪えきれなくなって、ボタンは笑った。
「何を言ってるなのですか。格好つけるだの、自己満足だの。訳分からねぇなのですよ。どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて、救いようもないくらい命知らずなのですよ」
笑ったまま、堪えきれなくて、ボタンの目尻から透き通る水が溢れ出した。
「でも、それでも」
出会ってまだ間もないけれど、それでも、その無邪気な笑顔は今までで一番輝いていて。
「そんな馬鹿に、全てを懸けてもいいって思える自分がいるなのですよ」
ずっと溜め込んできた何かを吐き出すように、ボタンは泣いて、言う。
「ありがとう……なのです……! 本当に、本当に、ありがとう、なのですよ……」
「俺はまだ何もしてないよ。問題はこれからだ」
俺は後ろにいる三人へと声をかける。
「話は聞いてただろ? お前らはどうする?」
答えたのは倒すべき親玉の娘、スワレアラ国第一王女、クリファ=エライン=スワレアラだ。
「ボタンと、言ったか」
「ええ。ボタン=ベルエンタールなのですよ」
「……済まなかった。知らなかったでは許されないことなど分かっておる。それでも、謝らせてくれ」
「……、」
「妾は、奴隷制度なんて嫌いじゃ。妾はこの国の民全てが笑える世界を作りたい。じゃから、妾も戦おう。こんな間違いを犯してしまった馬鹿な父上を、全力で叱りつけよう」
真っ直ぐに信念のこもった目で、クリファは言った。覚悟は決まったと、言外に示すように。
「だったら、私も加えさせてもらおうか」
一歩前へ出たのは、大昔に遺跡に封印された大罪人、エストスだ。
「私は理不尽が嫌いだ。何も悪いことをしていない人々がただその場にいただけで、力を持っていなかっただけで真っ当な人として生きる資格を失うなんて、私は許せない」
目の隈が酷いエストスだが、その目には太い芯が通ったように一直線だった。
「私は君を、君の家族を必ず救ってみせよう。死んでしまったものは生き返らせることは出来ないけれど、これから消えゆく命を、その全てを救ってみせよう」
そして、エストスは俺を見る。
「ハヤト。よく言ったと褒めよう。ここで助ける以外の選択肢を選んでいたら、私はきっとその魔道書を破壊していただろう」
「……随分と言うんだな」
「もちろんさ。私はそんな理不尽を壊してくれる人が現れることを祈ってその魔道書を作ったのだから。正しく力を使ってくれるなら、私には一つも文句はないよ」
そう言って笑うエストスの顔が美人過ぎたのは今は触れるべきないと俺は視線を逸らす。
そして、その視線の先には、
「……ハヤト。シアンはどうすればいいんだ?」
「シアンは、どうしたいんだ」
一つ息を吸ってから、シアンは口を開く。
「シアンは、よく分からないんだ。今までずっと魔王の城にいたし、外に出るときもママと一緒だったから」
そうだろうな。年が十八歳だとしても、今まで過ごしてきて知らない事が多いことはよく分かるからな。
しかし、「でも」とシアンは顔を上げる。
「シアンは家族のみんながいなくなるなんて嫌だぞ。奴隷っていうのはよく分からないけど、そんな辛い思いをしてるなら、シアンは助けてあげたいんだ」
言って、シアンは無邪気に笑って胸を張る。
「それに、とってもウマーな肉を食べさせてもらった! だから恩返しだな!」
「ステーキなんて、いくらでも食べさせてやるなのですよ。みんな、ありがとうなのです……」
それじゃあ奴隷制度をぶっ壊そう、と俺が歩き出そうとした瞬間、店の扉が開いた。
「話は、聞かせてもらったぞ!」
そこにいたのは、青を基調にした衣装で身を包み、胸や腕に銀色の防具をつけ、一メートルくらいの刃をもった剣を背中に備えた、小学校高学年くらいの男の子。
俺が勇者の弟である彼の名を口にしようとしたところで、割って入るのはもちろん、
「ああ。今日も可愛いね、エリオル=フォールアルド君。ほら、お姉ちゃんおはよう今日も大好きだよって言っていいんだよ」
「も、もがもがもが⁉︎」
「おいショタコン学者! 朝から出会い頭に自分の性癖を押し付けつつ抱きしめるんじゃねぇ!」
「おっと、済まない。あまりの可愛さに自分を見失ってしまったよ」
抱きついた腕を離してもまだエリオルの頭を撫でるエストス。そして、急にどでかい胸に押しつけられて酸欠気味になって遠くを見ていたエリオルだったが、すぐに我に返って声を上げる。
「そうだ、話は聞かせてもらった! その戦い、僕も参加させてもらおう!」
「おいおい。いいのか、勇者が王族にケンカ売っても」
「何を言っている。勇者の役目は悪を倒すことだ。奴隷売買なんて悪を勇者である僕が見逃すわけないだろう。それに、あの時の馬車が奴隷を運んでいたとなると、無関係だなんて言えないからな」
「なるほどね。じゃあ、お前も付いてくるってことでいいんだな?」
「ああ。本当はここで兄と合流する予定だったのだが、こんなことになってしまっては無視できるわけないからな」
昨日はヘッポコ感が凄かったけど、こうやって利益なんて関係なしに誰かのために戦うって言えるのは、勇者の素質を持っているからなのだな、と俺は思った。
ともあれ、相手は王族だ。メンバーが多いに越したことは無いだろう。
「それじゃあ、行こうか」
ゆっくりと、俺たちは歩き出す。
さあ、行くとしよう。理不尽に追い詰められた少女を助けるための戦いへ。
「ちなみにさ、俺とぶつかった時に驚いたのに、それから急に匿えって言ったのはどうしてなんだ?」
「あぁ、妾が馬車に乗っている時に幼女を連れまわす男を見たと思ったらお主じゃった。ほれ、幼女趣味の男ならリスクを負ってでも妾のことを匿おうとするじゃろ?」
「おいクソ姫。初見で俺のことロリコンって思ったわけか⁉︎ ちくしょう⁉︎ そんなどうしようもない理由で頼られたのか俺は!」
「何を言っておる。むしろこれ以上ない理由ではないか。少女趣味ならば妾に王女でない扱いをすることに慣れるのが早そうじゃからな」
「え、じゃあなんで俺が敬語使わなかった時に怒ったのさ。理想的な対応じゃないの?」
「なんか腹が立ったのじゃ」
「…………、それだけ?」
「うむ。それだけじゃ」




