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第十二話「生存戦略」

 度重なる出血によって体が興奮状態でありながらも思考が冷静であったおかげで、アスルはその出来事を素直に受け止められた。

 目の前に立っていたのは魔王軍幹部マゼンタ。

 だが、わずかな違和感。

 そこにいるマゼンタには何かが欠けていた。

 数秒経って、アスルは気づく。


「マゼンタ様、腕が……!」

「命があるだけマシよ」


 冷たく言い放ったマゼンタには、右腕がなかった。

 彼女はもうその先がない右肩を左手で押さえた。

 黒いドレスの右側はさらに赤黒く変色しており、今もまだ血が止まっていないようだった。


「突然理性を失ったシアンに攻撃されて腕を持っていかれた。どうにか隠れて血を止めようとしていたときに、悲鳴が聞こえて戻ってきたらあなたたちが攻撃されていた」

「……、」

「とにかく逃げるわよ。今のあの子には、私もあなたも勝てない」

「嫌です」


 きっぱりと、アスルはそう言った。


「私はあの化け物を殺す。そのためなら死んでもいい」

「無理よ。あなたの命一つじゃ、あの子は絶対に殺せない。刺し違えることすら不可能よ」

「でも……ッ!」


 復讐を諦められないアスルが声を上げると、マゼンタは自分の血がべったりとついた左手でアスルの顎に手を当てた。


「殺したいのなら、備えなさい。復讐をしたいなら、堪えなさい。あなたの心で燃える炎は、どれだけ時間が経っても決して消えない。なら、機を伺いなさい。あの子を殺せる一瞬にたどり着けるように、最善を尽くしなさい」

「……」

「そしてその最善は逃げること。今殺せないのなら、逃げるしかない」

「…………クソッ」

「分かったなら、それでいいわ」


 アスルから手を離したマゼンタは、すぐに後ろを振り返った。

 そこにいるのは、青白い光をまとうシアン。

 今すぐにでもこちらへ狙いを定めて突進してきそうな空気を肌で感じる。

 そんな中、マゼンタはアスルに小さく耳打ちをして、


「……今言ったように動きなさい。死ぬ気で逃げるわよ。あの子を殺すために」

「わかりました」


 そう言ってアスルが動き出した瞬間、それにつられるようにシアンが動く。

 しかし、それを遮るようにマゼンタが間に入った。


「シアン。久しぶりにお母さんと遊びましょう?」

「……??」


 相手が母親だと認識している様子はなかった。容赦なく、高速の打撃がマゼンタを襲う。

 しかし、隻腕とはいえマゼンタの戦闘スキルが低下することはない。

 グレイのような純粋な力ではなく、打撃の技術と緩急で敵を倒してきたのだ。連続で繰り出される打撃をギリギリでかわし、弾きながらマゼンタは踊るように動いていく。

 すると、頭上から声が響いた。


「マゼンタ様ッ!」

「ええ、やりなさい!」


 マゼンタが下がった瞬間、シアンの死角から飛び降りてきたアスルが拳を振り下ろした。

 そして、その際に手に握っていた紐を束ねたようなものをシアンの首に縛り付けた。

 鬱陶しいと感じたのか、シアンはそれを素直に引っ張った。

 その瞬間。


「今よ!」


 マゼンタが叫んだ直後、アスルもともに全力で逃げ始めた。

 それを追おうとしてシアンは走り出すが、


「……?」


 バキバキ! と大量の木が折れる音が聞こえた。

 アスルがシアンに結び付けた紐は、周囲に生えていた木々に括りつけられたのだ。普通だったら誰でも分かる罠。

 しかし、相手が何も思考ができないシアンだから通用する。

 並外れた力がさらに後押しし、引っ張っただけでシアンへ向かって大量の木が飛ぶ。

 さすがのシアンでも、全ての木を弾き飛ばすことはできない。数本は粉砕したが、残った十本近い木の下敷きになる。


「あれでも、稼げて一〇秒よ。死ぬ気で走りなさい」

「あの、マゼンタ様。あれは、一体……」


 明言を避けてはいるが、シアンのことを差していることはすぐに分かった。

 マゼンタはためらうことなく全てを話す。


「全部、メリィが仕組んだことだった。あいつの目的はこの世界の人間も魔族もまとめてシアンに殺させることよ」

「そ、そんなことが、本当に……?」

「物理的にあり得ないはずだった。でも今は、宣戦布告を無視して極東の魔族を総動員して全世界で戦っている。それで人間も魔族も人数が減れば、シアンの手だけで残った者だけを狩ればいい」


 すべて、メリィの手のひらの上だった。

 度し難い。実に度し難い。

 マゼンタは懐から手鏡のようなものを取り出した。確か、遠距離でも連絡ができる魔法が施してあるものだったはずだ。


「今、スワレアラにはグレイがいる。連絡して、すぐに攻撃をやめさせなければ」

「それで、そのあとは」

「当然、メリィを殺す。そのあと、シアンを殺す。あれ以上、罪を重ねさせるわけにはいかない」


 マゼンタは手鏡を開くと、そこから低い声が響いてきた。


『どうした、マゼンタ』

「細かいことを話している時間がない。簡潔に言うわ。全部メリィの罠だった。シアンが利用されて暴走している。おそらく、シアンを使って人間と魔族をまとめて殺すつもりよ」

『まとめて、だと? 全員を殺すつもりなのか、メリィは』

「ええ。だから今すぐに攻撃をやめてメリィの元へ行って。真実を確かめて、必要ならあいつを殺してちょうだい」

『……分かった。すぐに向かおう。そっちは大丈夫か?』

「ええ。一人生き残った子がいるからその子と逃げてる。死ぬことはないわ」

『……そうか。死ぬなよ』

「もちろん。それじゃあ、また会いましょう。愛してるわ」


 マゼンタはパタンと手鏡を閉じると、横を走るアスルを見て、


「あなたも怪我が酷いわね。ある程度逃げたら応急処置をしましょう」

「シアンさんは、追ってきますかね……?」

「今のシアンはおそらく、近くにある魔力源を無差別に襲っているわ。距離を取れば、標的は別の魔物か人間になる。あと数分だけ頑張ればなんとかなるはずよ」

「そう、ですか」


 走りながら、アスルは俯いた。


「これから、どこに向かうんですか。私たちも極東へ……?」

「いいえ。向かうのはドルボザのドーザよ」

「ドーザ……? それはどうして」

「右腕がない状態ではまともに戦えない。ドーザには機械が発展していると聞いたわ。義手も手に入るかもしれないし、シアンを倒すのに必要な道具も手に入るかもしれない」

「じゃあ、魔王城はグレイ様に任せると」

「そうよ。今からではどうせ極東へは間に合わない。だから、今は備えることに専念するつもりよ」

「……はい。わかりました」


 そう呟いたアスルは、少しだけ視線を後ろへと向けた。

 シアンが追ってきていることを確認するためでもあるが、もっと別のことをアスルは考えていた。


「お姉ちゃん。お兄ちゃん……」


 自分に力を託してくれた大切な家族たち。

 彼らの亡骸を弔うことすらできない悔しさに、アスルは唇を噛んだ。


「過ぎてしまったことはどうしようもないわ。私だってレアドを弔ってあげたいもの」


 マゼンタの言葉を聞いて、アスルの耳がピクリと反応した。


「え? レアドさんも、殺されたんですか……?」

「女神の祭壇に死体があったはずよ。あなたも見たでしょ?」

「い、いえ。あの祭壇には、誰もいなかったですけど」

「……そんな、バカな。じゃあ、レアドは生きているっていうの?」


 マゼンタは未だに痛む右肩を押さえながら、表情を歪ませた。


「じゃあ、あいつは一体、どこに行ったっていうの……?」


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