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第十話「不平等な博愛」

「本当に、ここにシアンさんがいるんだよね……?」

「俺がこっそりグレイ様とマゼンタ様の会話を聞いたときには確かにここにいるって言ってたぜ」


 リーンリアラの森を静かに歩くのは、全身を獣毛で覆った四人組。

 ミモザ、アクル、ガクル、アスル。魔王軍の中では下っ端に分類される、獣人四兄弟。

 元々はシアンの部隊に配属されていたが、シアンが魔王軍から抜けたことで一時的にグレイの部隊に移動し、少し前はドルボザでハヤトたちと一戦交えた四人だ。

 彼らは魔王軍の中でも特にシアンを慕っており、グレイの部隊にいながらもどうにかシアンを魔王軍に引き戻せないかと画策していた。

 そんな中、彼らは偶然こんなことを耳にする。


「それにしても、信じられないぜ。シアンさんが何かに利用されそうになってるなんてな」


 赤い毛を全身に生やしたアクルが、細い声で言った。

 ドルボザで活動していたとき、グレイたちの計画はほとんど知らされていなかったが、グレイがマゼンタと合流をし、怪我の回復を待っている際に彼らは偶然その二人の会話を聞いたのだ。


 曰く、リーンリアラにて魔王がシアンに対して何かが行われると。

 その内容は、グレイやマゼンタも知らないようだった。しかし、本人たちにもどこか不安そうな表情があったのだ。

 何か良からぬことがシアンに起こると、彼らは判断した。


「シアンさんは恩人だ。もし命に係わることがあるなら、魔王様にも喧嘩を売る覚悟でいくしかない」

「で、でも。大丈夫なのかな、勝手にこんなところまで来て」

「いいんだよ。どうせ俺たちは下っ端だ。一々俺たち構ってる時間なんてないはずだ」


 不安そうに猫背になる茶色の体毛をしたアスルに、低い声でアクルは答えた。

 本来ならば、グレイの部隊にいる彼らはスワレアラで魔王軍の侵攻に加わるはずだった。しかし、ドルボザからそのままリーンリアラに来ていた。

 どうせ世界はめちゃくちゃになる。ならば、好き勝手に動いてやろうではないか。

 そう、思っていた。


「とにかく、最優先はシアンさんの安否を確認すること。無事だったのなら、素直に帰って一緒に頭を下げましょう」

「兄さんの身勝手に付き合って頭を下げるのは癪だけど、シアンさんが絡んでいるなら仕方ないね」


 長女ミモザと、次男ガクルもそう言って森の中を歩く。

 四人はずっと一緒で、皆がシアンに救われた。魔王軍に入ったのも、シアンの役に立ちたいからだ。

 サイトウハヤトの仲間になったと聞いたときは動揺したが、シアンと会ったアスルの話を聞く限り、シアンは自分の意思でサイトウハヤトについていき、自分の意思で魔王軍と敵対しているのだ。

 それなら、シアンの意思を尊重すべきだ。あの人が楽しそうに笑っているのなら、それでいい。


「……着いたな」

「ここが、女神の祭壇……?」


 女神リアナの加護があるとされるリーンリアラの最西部。

 空気中にもその魔力が未だに漂っているからか、四人はわずかな息苦しさを感じた。

 だが、目的の対象がどこにもいない。

 いや、それどころか。


「シアンさんはどこ……? 誰もいないけど……」

「もう別の場所に行ったのか? それとも、ここじゃなかった?」

「いや、ちょっと待って」


 最初に異変に気付いたのはミモザだった。

 女神の祭壇の上に、不思議な光景があった。

 粉々に砕けた、紫色の結晶。おそらく魔晶石だろうが、かなりの大きさだ。シアンぐらいならば、簡単に覆ってしまうほど。

 それだけではない。砕けた魔晶石の周辺に、大量の血痕が残っていたのだ。

 戦闘があった形跡はない。考えつくのは、不意打ちか。

 意識して周囲を見ると、他にも何か所か血が飛び散っている場所があった。


「まだ血は乾ききってない。つい最近、ここで誰かが攻撃された……?」

「でも、誰の血だっていうんだ。ここには誰もいないんだぞ?」


 そう。最も大きな違和感はそれだった。

 砕けた魔晶石。大量の血痕。何かがあったはずなのに、死体どころか生き物の気配すらしない。

 木々が風で揺れる音だけしか聞こえない。

 何かあったのに、何もない。ひどく不気味だった。


「もしかして、遅かったのか。シアンさんの身に何かあったんじゃ……!」

「まずは周囲を探索してみましょう。別の痕跡が見つかるかも――」


 突然、ミモザが言葉を止めた。

 人間とは違う位置についた頭の耳がピクリと動く。

 次いで、気づいたのはガクルだった。


「……何か、いる」


 気配。誰もいないはずだった女神の祭壇の周辺に、何か異様な存在を感じた。

 敵と相対した感覚ではない。しかし、眩むような殺気が途端に四人を襲う。


「なに、これ……?」

「分からないけど、とりあえず構えろアスル」


 獣の本能が神経を尖らせろと警報を鳴らしていた。

 例えるのならまるで、天敵に狙いを定められたかのような感覚。まともにやりあったら殺される。

 逃げることだけに命を懸けろと、四人はほぼ同時に直感した。


「まずは逃げよう。シアンさんに会う前にやられたら元も子も――」

「兄さん、後ろだッ!」


 叫び声を上げたガクルが、アクルと両手で突き飛ばした瞬間だった。

 アクルのいた場所を、何かが通過した。

 ただ、それだけのはずだったのに。


「ガクルッ! お前、腕が……ッ!」

「大丈夫、片腕くらいならなくても援護できる! それよりも構えろ、次が来る!」


 攻撃されたという気配ではなかった。

 ただそこを通り抜けただけで、ガクルの左腕が消し飛んだ。

 勢いよく通過した何かを、四人は一斉に凝視する。

 そこにいたのは。


「……血、ドコ? ハラ、ヘッタ……?」


 バチン、バチンと。

 青白い火花が、それの周囲に散っていた。


「嘘、でしょ……?」


 震えた声を、ミモザは口にした。

 視界に映るのは、豊満な体に褐色の肌。獣の特徴である毛に覆われた耳に、銀色の尻尾。

 得られる情報だけならば、それはシアンだった。

 しかし、


「……血、ノマセテ?」


 違う。

 何かが決定的に、違う。

 正気ではないとか、誰かに操られているとか、そんな次元ではない。

 それはまるで、この世の全てを、神さえも喰い殺してしまうような――


「アスルッ! 私が足止めする! 三人分の力を全部寄こしなさい!」

「――【不平等な博愛(フィリゲール)】ッ!」


 アスルは間髪入れずにスキルの名を叫んだ。

 この【不平等な博愛(フィリゲール)】は、心から信頼する対象間でステータスの数値を移動できるものだ。

 絶対の絆を持つこの獣人四兄弟は、三人分のステータスを一人にまとめることができる。


 スキルによって四人の中には道が繋がり、それぞれが任意で力を調節することができるようになる。ただ、ステータスという概念を知らない彼らにとってその調節は非常に繊細なため、普段はアスル以外がその操作をすることはないのだが。

 アスルは即座にミモザにステータスを譲渡。逃げる足だけ残るように調節し、あとは全てミモザの力にした。


「【這這クロスト】ッ!」


 ミモザは四足歩行になることで身体能力が向上するスキル【這這クロスト】を使い、アスルから渡されたステータスをさらに強化。

 その場で体を回転させて勢いをつけながら、ミモザは瞬時につけた鉤爪をシアンへと向ける。


 恩人だとか、そんなことを気にしている余裕はどこにもなかった。

 一瞬でも気を抜けば殺されると、肌で感じる。

 ミモザとアスルの連携は完璧だったし、アクルとガクルも逃げる体制を整えていた。今まで、この戦法で多くの敵を倒してきた。

 これが一切通用しなかったのはサイトウハヤトだけ。

 だから、彼と同等の力がない限りは負けることは――


「……?? 血、ハ……?」


 それがしたことは、ただ手を横に振っただけだった。

 さながら、目の前に飛んでいたハエを払うかのような感覚で。


「カ、は……ッ!!?」


 ミモザの体がすさまじい勢いで吹き飛ばされ、衝突した太い木の幹が根っこからへし折れた。

 ほんの少しの攻撃にもかかわらず、ミモザは鈍痛に顔を歪める。


「ミモザ姉ッ!」


 今までずっと、この戦い方でやってきた。不利な時は全員の力を集めてミモザが時間稼ぎをし、アクルとガクルが退路を作り、四人で逃げてきた。

 しかし、今回はそれができない。

 ミモザは攻撃のせいでうずくまっている。助けなければ、殺される。


「だめ……ッ! 逃げなさい、アクル……ッ!」

「バカ野郎! 姉さんを置いて逃げられるかよ!」

「ちが、う……! アスルを……ッ!」


 腹部を押さえながらミモザが絞り出した言葉を聞いた瞬間、アクルは背筋に寒気が走った。

 振り返ったときには、もうすでにアスルの前にシアンがいた。


「し、シアンさ……ん」

「……?」


 会話は当然、成立しない。

 すぐに攻撃を受けなかったのは、ミモザに彼女の魔力がほとんど譲渡されて補色対象と思われなかったか。だが、


「オイ、シイ……?」


 子どものように首を傾げたシアンは、躊躇いなくアスルの心臓、いや、魔晶石へ向けて手を伸ばした。

 あまりにも速い動きに、アスルは逃げることすら敵わない。

 しかし、


「……まったくさ。いつもどんくさいよね、アスルって」


 アスルの目の前には、シアンの腕に胸を貫かれたガクルがいた。

 青いはずの毛が、深紅に染まっている。

 それが血だと気づくのに、数秒かかった。


「ガクル、にい……?」


 左腕を失い、体の中心に穴が開いた。

 致命傷だ。スキルを通じて、命が消えていくのが分かる。

 しかし、ガクルは必死にアスルの手を掴んで、


「全部渡すから、絶対逃げろ。生きろよ、アスル」


 流れ込んでくる。

 アスルのスキルを使って、ガクルに残されていた力の全てがアスルに流れ込む。

 そして、その全てを渡し終えたと同時。

 ガクルは、力なく崩れ落ちた。


「ガクルッッ!!!」


 涙を流しながら、アクルが動く。

 無謀にも見える突進にミモザは慌てるが、すぐにアクルの真意に気づきその手を止めた。

 剣を抜いたアクルは、あえて大きな声で、


「こっちだよシアンさんッ! やるなら俺だッ!」


 ピクリと、シアンの耳が動いた。

 会話は出来なくても、声には反応するらしい。

 アスルはアクルがシアンの気を引いてくれたその一瞬を使ってすぐに走り出す。皆、考えることは同じだ。

 絶対に逃げる。ガクルが繋いだ命を、無駄にするわけにはいかない。

 走り出す瞬間に、アスルはガクルの持っていた弓を持って構えた。

 シアンはアクルに向かって進もうとしている。ならば、不意を衝いて弓で攻撃すればアクルが逃げる隙もできるはずだ。

 そう思って、弓を構えた瞬間、


「……ぇ?」


 違和感。

 それと同時に、アスルは矢を放った。その矢はまっすぐにシアンではなくアクルへと向かう。だが、


「――【双生撃(ツイングリフ】ッ!」


 本能的に何かを感じ取ったアクルがそう叫んだ瞬間、自分に当たるはずだった矢がいきなり軌道を変えてシアンの肩に突き刺さった。

【双生撃(ツイングリフ】は、本来はアクルとガクルがそれぞれ持っていたスキルだ。それは互いの意思を伝達するいわゆるテレパシーと、互いの攻撃が当たらずに曲がるというもの。

 そしてそれが今、アクルとアスルの間で起こった。

 つまり、


「ガクルにいのスキルが、私に譲渡された……?」


 今まで一度もやってこなかった、アスル以外からの力の移動。もしかしたら、本人からならスキルまで送ることができるのではないか。

 そして、送ってしまえば、死んでもなおその力は残り続けるのではないか。

 そんなアスルの予想を、【双生撃ツイングリフ】によってアクルは感じ取った。


「やるじゃねぇかアスル! 俺たちからなら、スキルまで送れるのか!」


 シアンから距離を取ったアクルは、新たに開かれたアスルの才能に表情を明るくする。


「俺たちなら絶対にやれる。だから――」



 ぐちゃ。



「ぁ……?」


気が付いたときには、アクルの左半身が吹き飛ばされていた。

 見えなかった。シアンの動きがあまりに速すぎて、致命傷を負ったことにすら反応が遅れた。

 ガクン、と。体から力が抜ける。


「アクルにいッ!」

「ア、スル……」


 そのときアクルが起こした行動は、別れの言葉を言うことではない。

 ただ、残っている右手を伸ばした。

 自分の力を、アスルへ託すために。


「い、や……」


 流れ込んでくる。

 生命の最後の一滴まで、自分の中に伝わってくる。スキルによって、最後の意思が伝わってくる。

 アクルは最後まで、可能性にかけた。

 最後に言葉を言い残すよりも、力を渡し、アスルが生き残る可能性に懸けた。

 死ぬな、と。声が聞こえる。

 大好きな兄たちの声が。

 もうこの世界にはいない、最愛の家族の声が。


「やだ。やだよ……っ」


 泣きながら、アスルは首を振った。

 この力を受け入れてしまうことが、彼らの死を肯定してしまう気がして。

 だが、


「大丈夫よ、アスル」

「おねえ、ちゃん」


 母のように、優しくミモザがアスルを抱きしめた。


「あなたは一人じゃない。ずっと、私たち兄弟は一緒よ。どこまでもどこまでも、あなたと一緒にいるわ。だから、生きて。無様でもいい。生き延びて」

「嫌だよ。なんで、なんで……ッ!」


 アスルの涙は止まらない。

 当然だ。

 自分を抱きしめているミモザの体には、すでに無数の穴が開いていたのだから。

 遅かった。

 

 アクルを殺した後、瞬く間にミモザは攻撃された。

 それでもなお、ミモザは笑ってアスルの元まで戻ったのだ。

 大丈夫だと、抱きしめるために。

 最後の力を、大切な妹へ渡すために。


「大好きよ。アス、ル……」

「あああぁあああああ」


 どっしりと、アスルの体にミモザの体重がのしかかる。

 もう、息をしていない。

 心臓も動いていない。


「ぁ」


 そこでアスルはようやく気付く。

 どうして、シアンがこんなにも無防備なアスルに襲い掛かってこないのか。

 どうして、ミモザがここまで戻ってこれたのか。


「そ、んな」


 ミモザの胸にぽっかりと空いた穴。

 そこにはきっと、魔族を魔族たらしめる紫色の石が、魔晶石があったはずだ。

 それがない、ということは。


 バリ、バリ、バリ。


 バリ、バリ、バリ。


 バリ、バリ、バリ。


 そんな。

 そんな、咀嚼音が。


「……血。石。ウマ……ウマ……」


 大切な家族の体の中にあった、魂ともいえる魔晶石が。

 まるで、小腹が空いた子どものおやつのように。

 食べられている姿を見て。



「……殺してやる」



 そう、思った。


「絶対に、殺してやる」


 もう、アスルの視界に映るのは恩人であるシアンではない。

 大切な家族を殺した、憎き仇。

 シアンの形をした化け物。

 逃げてくれという兄たちの願いも、生きてくれという姉の願いも。

 闇のようにうごめく憎悪と憤怒の中では、決して響かない。


「この世界から消えてなくなれ、この化け物ガァァア‼‼」


 兄弟全員の力とスキルの全てを受け取ったアスルは、地面が抉れるほどの力でシアンへと飛びかかった。


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