第六話「矛と盾」
テリアとリリナに魔物を任せて先へと進んだハヤトたちは、想像以上にすんなりと魔王城へとたどり着いた。
空を飛んでいるだけあって、道中に障壁となるものがなかったのが一番の要因だろう。
目の前にそびえ立つ巨大な城を見上げるハヤトは、思わず唾を呑み込んだ。
「ここが、魔王城か」
「今まで見てきたどの城よりも大きいわね。さすが、何百年も前からあり続けるだけあるわ」
灰色の石で形作られた城の入り口を眺めながら、ミアリーは呟いた。
ハヤトたちが立っているのは城の正面。周りには城壁も目立つ建造物もない。当然といえば当然だった。ここにたどり着く人自体がいないのだから、こんなところを守る必要はないのだ。
戦いで使うような外観はしておらず、その門はハヤトたちを招くように大きく開いていた。
「……待ってろ、シアン。今、助けてやるからな」
自分を鼓舞するようにそう呟いたハヤトは、城門へと続く階段を上り始める。
城の中へと入った。絨毯などはなく、石の床が広がっており、室内を照らすための魔晶石が壁に連なっていた。
どうやら、魔族の拠点ながら魔物の魔晶石は利用しているらしい。
「魔王がいるのは、上か?」
城を入ってすぐ、中央に大きな階段が見えた。
左右に部屋がいくつか見えるが、そんな場所にメリィはいないだろう。
他も同じ考えらしく、言葉を交わさずにまっすぐ階段を上っていく。
「あら。思ったより早かったわね。……なるほど、テリアが残ったってこと」
階段を上った先に独りで立っていたのは、ルルだった。
テリアがいないことに、どこか満足げな顔をしたルルは、悠然とした表情で、
「サイトウハヤト。上でメリィが待っているわ。どうぞお先へ」
「……どういうつもりだ」
「ここでの私の役割は、あなた以外を足止めしてメリィとあなたを二人きりにすることだから」
意味が分からなかった。
一対一でメリィと戦わせることが目的なら、最初からこんな回りくどいことをせずにハヤト一人を呼び出せばいいものを。
「この城の最上階。そこにメリィはいるわ。そこへ行けば、全てが分かる」
「そういうことらしいわ。行きなさい、ハヤト」
ルルの誘いに、ミアリーは迷わずに応じた。
「私とルージュの相手なら、引き受けてくれるんでしょう?」
「もちろんよ。なんなら、そこにいるエミラディオートの生き残りも相手してあげるけど」
「随分と舐められたものね」
「あなたたちに戦い方を教えたの、私なんだけど」
極東での敗北がなければ、ランドブルクの歴史に名を刻むはずだった戦姫ルル=アーランド。間違いなく、その力は本物だ。
ルージュとミアリーは、既に臨戦態勢をとっていた。
「行きなさい。ハヤト、エストス。この馬鹿は私とルージュが倒す」
「大丈夫なのか」
「安心してください。私たちがこの六年でどれだけ成長したのかを、ルルお姉ちゃんに見せてあげます」
答えたのはルージュだった。
ルルへと向かう二人の気迫は、隣にいるハヤトすらも感じるほどに溢れていた。
心配はないと、そう思った。
「分かった。すぐに追いついてくれ」
「ええ。任せなさい」
「エストス、行くぞ」
「ああ、そうしよう」
ハヤトとエストスは、走り出すと同時、ミアリーとルージュがルルへと向かって攻撃を仕掛ける。
「うーん。できればサイトウハヤト一人で行ってほしいんだけど」
横を過ぎ去ろうとするハヤトとエストスへ向かって、ルルは見覚えのある銃を構えた。
ゴツゴツとした灰色の銃身に、それを囲む紫色の煙。
それはまるで、エストスが使っている魔弾砲そのもので。
「あなたが残した武器、だったわね。今は【遺産(レガシ―)】って呼ばれて、高値で取引されてるのよ」
「それは私が触れるだけで壊れるということも知っているはずだけど」
「触りたかったら相手をしなさい。まあ、やれたらだけど」
そう言って、ルルが引き金を引こうとした瞬間だった。
「【剣の残り香】!」
紫色の小さな斬撃が、ルルが右手に握る魔弾砲めがけて放たれた。
小さな舌打ちをしながら、ルルは引き金を引かずにその斬撃を回避する。
「さっさと行きなさい! あんな武器を無効化しなくても、私たちは勝てるわ!」
「……というわけだ。挑発には乗らないでおくよ」
「つまらない女」
「数百年前から言われ慣れてるよ」
それだけ言い残して、ハヤトとエストスはルルの横を通り過ぎて上へと進んでいく。
挑発に失敗したルルは、不機嫌そうな顔でミアリーを見下ろす。
「小賢しい真似だけは、上手になったみたいね」
「地力も昔よりもよっぽど上がっているわよ!」
ハヤトとエストスが先へ進んだのを確認したミアリーは、連続で紫の斬撃を放つ。
しかし、ルルはそこから動くことはせずに逆に銃を握っていない左手で剣を抜いた。
「【守護の衣】」
その言葉を唱えただけで、緑色の光が盾となってルルを守り、紫の斬撃は弾き飛ばされる。
片手に銃、もう一方に剣を持つということは、普通は自分の身を守る方法はほとんどない。身のこなしや、剣でいなすなど、回避をする程度しか選択肢はないはずだが、ルルのスキルはその全てを無条件に弾き返す。
攻撃中さえも防御が可能で、その柔軟な身のこなしから繰り出される多彩な攻撃。
これが、戦姫。
「昔は剣を二本使っていたのに、今は銃も使うのね」
「ええ。私も六年前とは違うのよ」
かつてミアリーに剣を教えたのはルルだ。そして当然、ミアリーの二刀流の原型も、ルルから教わったものだ。
だが、ミアリーもルルから教わったことを基礎にして自分なりにその腕を磨いている。
負けるつもりは、どこにもなかった。
さらに、新たな戦姫もここにいる。
「負けないよ、お姉ちゃん」
地面にヒビが入るほどの力で空中へと飛び上がったルージュが、ルルの頭上で小さく呟いた。
攻撃をしようとする動きだが、その手にはどこにも武器はない。
しかし、一切の油断はなく、ルルはすぐに緑色の盾を頭上に集中させた。
ルルへと簡単に攻撃が当たるとは思っていない。だが、一度その盾と交わったときにどうなるか試そうとしていた。
それはいわゆる。
新たな戦姫が、戦姫と呼ばれるに足る存在だと証明する力。
「【撃砕の衣】」
その言葉を唱えた瞬間、ルージュの体から朱色の光が溢れ出した。
そして数瞬の間に、その光は凝縮されて槍のような武器を形作る。
ガキィ!! という金属音が、光通しの衝突によって鳴り響いた。
全力でその槍をルルへ向かって押し込むルージュ。今までどんな攻撃でも防いでいた鉄壁の守り。六年前に戦ったグレイでさえも、勝ちはしたがこの盾を正面から砕くことは出来なかった。
が、しかし。
「お姉ちゃん。私ね、ずっと思ってたんだ」
ピキ、とヒビが入るような音が聞こえた。
ルルとルージュの双方を視界に映すミアリーは、朱色の槍と緑の盾のどちらにもわずかな亀裂が入っていることに気づいた。
そう、これは簡単な問題だった。
同じく戦姫と呼ばれたルージュの槍は、今までどんなものでも貫いてきた。
では、相手が絶対に壊れない盾だったら。
「最強の矛と最強の盾がぶつかったら、一体どっちが勝つんだろうって」
その勝負が決まるよりも先に、ルルは右手の魔弾砲をルージュへ向け引き金を引いた。
ルージュは槍を起点に体を回転させ、魔弾砲の弾を回避する。
冷めた目で自分の妹を見つめるルルは、小さく息を吐いた。
「そんなの簡単じゃない。より弱い方が負けるだけよ」
「それなら、私の勝ちだね」
「今の盾が全力だと思われていたのなら、心外ね」
たちまちのうちに、ルルの周囲を囲んでいた緑の光がさらに凝縮され、フード付きのローブのような形になって彼女を包み込んだ。
緑色の衣。先ほどよりも柔らかに見えるそれが、本当の意味でルルを守っている。
だが、ルージュも同様に、最強の矛だという自信があった。
「お姉ちゃんの力は知ってるよ。そして私は、その全力を超えるために、ずっと努力してきたんだ」
ルルの緑の衣と同じように、朱色の光がルージュを包み込んで衣となった。
だが、それはルルのようなローブではなく、薄手の上着を羽織ったように胸元は開いているが、代わりに両腕を肩から指先にかけて包んでいた。
そしてその手には、先ほどルルの盾へ突き立てた槍があった。
「必ず、その盾を貫いてみせる」
皮肉なことに、世界のために戦った勇敢な心を持つルルは盾を、臆病者で誰かの影に隠れて過ごしてきたルージュは矛を、それぞれ持っていたのだ。
だが、この場でそんな背景は関係ない。
いるのはただ、目の前の敵を倒すという覚悟を決めた戦士のみ。
「ミアリー姉さま。私が前に出ます。援護を」
「任せなさい。あの馬鹿の目を、私たちで覚ましてあげましょう」
相対するルルは、わずかに口角を上げた。
「なんでもいいわ。まあ、始めるとしましょうか。世界を救うための時間稼ぎを」




