エピローグ
「本当に、申し訳なかった」
開口一番、ドルボザ国王アルミード=フォン=ドルボザは頭を下げた。
この国に来た時に最初に通された玉座のある大きな部屋に、国王の太い声がやけに響いて聞こえた。
その横では、第一王子のギルライン、第二王子のライゼスも深々と頭を下げていた。少し離れた場所には、黒いドレスをまとうミアリーが腰に剣を差して立っていた。もう、彼らの前で取り繕うことはしないらしい。
少し前の王女然とした雰囲気はなく、凛々しく仁王立ちをしていた。
「いやいや。結果的にみんな無事だったわけだし、大丈夫ですって」
若干一名、死にかけた小さな勇者がいたが、今は安静にして城のふかふかのベッドで寝ている。エストスによれば、今日の夕方にでも目を覚ますだろうということだ。
というわけで、ここにいるのは王とその息子二人と娘に加えて、最初にドルボザに来た時の面々だ。二人ほど元魔王軍がいるが、今更だろう。ちなみに、シアンとリリナは興味がないのか、少し後ろで何やら会話をして笑っていた。
だが、そんな無礼を一切気にかけずに国王は口を開く。
「私たちが浅はかだった。国のためと言いつつ、結局見ていたのは目先の利益だけ。結果的に命を狙われ、このざまだ」
物資は奪われ、取引場所に現れたナナはただの時間稼ぎ要因で結果的に魔晶石を受け取ることすらできていない。魔王軍に良いように利用されただけだったのだ。
ギルラインとライゼスも、悔しそうに唇を噛んでいた。
「君たちとあの小さな勇者には感謝してもしきれない。どう礼をすればいいか」
「礼してくれるってさ。シヤク、なんか欲しいもの言ってみなよ」
「ええ!? 私なのでございますか!? ここにいるだけでも恐れ多いのに!」
飛び上がりながら後ろに下がってブンブンと両手と顔を振るシヤク。だが、当の国王は優しい声で、
「君があのとき勇気を出してくれたから、私とルイドは生きていたのだ。是非礼をさせてくれ」
「そんな! 私は咄嗟のことでどうしたらいいのかわからなくて……」
「それでも、一歩前に出たのはシヤクじゃんか。俺は誇らしいぜ」
俺がそう言うと、シヤクは「そ、そうなのでございますか……?」と頬を赤くした。
だがまあ、一歩間違えればシヤクも死んでいたかもしれないのだ。これからはシヤクにそんな機会がないことを祈るばかりだが。
「とにかくだ。返しきれない借りはこれから時間をかけて返していくことにしよう。君たちはスワレアラに帰るのだろう?」
「ええ、まあ。魔王軍のことは気になるけど、まずは帰っていろいろと整理したいので」
第一はシアンのことだ。魔王軍がこれから動くとしたらシアンの回収。他は何をしてくるか分からない以上、みんなが落ち着ける場所に戻る必要がある。
これ以上シヤクやボタンを巻き込みたくないし、これからのことは帰ってから考えよう。それまでは俺もエストスもいるから大丈夫のはずだ。
「わかった。それでは、必ず君たちのことは私たちが責任を持ってスワレアラへ送り届けよう」
「ありがとうございます」
俺が軽い会釈をすると、王は柔らかな声で、
「これぐらいしか出来なくてすまない。本当はもっと手厚くしてやりたいところなのだが、私たちもやることが多いのだ」
「やること?」
「私が仕切っていた地下闘技場で賭博をしていたバカたちは全員把握しているから、その馬鹿どもを処罰したり、もう一度私たちの中でこれからの方針を固める必要があるのよ」
答えたのはミアリーだった。
ナナとの戦いで酷い怪我を負っていたらしいが、ギルラインの丁寧な回復魔法のおかげで傷跡すら残さず完治していた。
ただ、目見える傷ではない、心の中にある何かは残り続けているようだった。
「結局、今の私ではナナを救えなかった。だから、まずはナナに認めてもらえるような行動をしようって思うの」
昨日のことは、少しだけミアリーから聞いた。
ナナとの決着は結局つかず、彼女が心を変えてくれることはなかったそうだ。しかし、ミアリーは諦めてたまるかという表情をしていた。
「頑張れよ、ミアリー」
「あんたに言われなくても頑張るわよ。余計なお世話だわ」
「ははっ。そうだな」
表立ってこういった会話をするのが新鮮で、俺は思わず笑ってしまった。
俺たちもミアリーたちも、やるべきことが終わったときにはまたこうして笑って酒を飲みたいな、なんてことを素直に思う。
そんな俺たちを見て、ギルラインは言う。
「本当に済まなかった。言葉だけで示せるものではないと思うが、それでも言わせてくれ」
「大丈夫ですよ。それより、ミアリーの目指す平和な世界のために力を貸してやってください」
「……ああ。必ず」
ギルラインはまた、深く頭を下げた。
一通り話が終わったのか、国王はコホンと咳払いをして、
「ここで長々と話すのも悪いだろう。彼らを見送るとしようか」
「わざわざいいですよ。馬車とか全部手配してもらってるんですから」
「私たちがやりたいのだ。わがままを許してくれ」
まったく。ミアリーの頑固さは父親譲りだったのか。
「分かりました。なら、お言葉に甘えます」
「うむ。それでは、新たなドルボザの始まりと、勇敢な戦士たちの門出を――
「やっほ〜っ!☆ みんな、元気〜っ?」
聞き覚えのある、最悪の声。
吐き気を催すような、心の芯を掴んでくる異常な気配。
誰もいなかったはずの場所に、それは現れた。
「メリィ……ッッ!!!」
「はいはぁ〜い、その通り! みんなの大嫌いな魔王こと、メリィちゃんの登場で〜っす!」
メリィが現れたのは王の真横。一度この現象を体験している俺とエストスは、もうすでに臨戦態勢を整えてメリィを睨みつける。
数瞬遅れてリリナがシアンを庇うように立ち回り、シアンもスキルを使っていつでも攻撃ができるように重心を落としながら、近くのシヤクとボタンに危険がないかにも神経を尖らせる。
「全員逃げろッ! そいつが魔王だッ!」
俺の声色と圧力で事の重大さを感じ取ったのかギルラインとミアリーはほぼ同時に剣を抜いたが、メリィと対峙した瞬間、ミアリーの顔色が一気に青ざめた。
「お父、さま……??」
「……み、あ……ぃ」
俺にもすぐに、目の前に映っている光景を理解できなかった。
喉から血が噴き出し、今の際の言葉すら紡げずに倒れる国王。
横に立つメリィが持つ、血だらけのナイフ。
不気味なほど鮮やかに飛び散る国王の血の雨の中、魔王はまるで、雨の中をスキップで駆け回る子どものような無邪気な笑みを浮かべていた。
「やっぱり何かを始めるに至って、火種って必要だと思うんだよね~! ってことで、手始めに国王様の喉を掻っ切ってみたよ~っ!」
特別な恨みや大義などはそこにはなかった。
ただ、これから始める何かのきっかけのためだけに、自分の父親の首が切られ、崩れ落ちていく。
「キサマァァァァァァァァアアッッッ!!!!」
「やめろ、ミアリー! そいつに攻撃をしても――」
「【剣の残り香】ッ!!」
憤怒に支配されたミアリーが、両手に握る剣を同時に振り下ろし、紫の斬撃がメリィを襲う。だが、それが意味をなさないことを俺はもう知っている。
原理はよく分からないけれど、メリィは攻撃を反射することができたはずだ。
間に合えッ!
俺は全力で地を蹴り、ミアリーに飛びつく。
「うんうん! やっぱりハヤトくんは助けるよねぇ」
「あぶ、ねぇ……ッ!」
案の定、ミアリーの放った紫の斬撃はメリィには当たらずに反射した。
反射のことを知っていたから紫の斬撃はミアリーを抱えた俺の腕をわずかにかすめる程度だった。
紙一重で無傷だったミアリーは、俺の腕の中で暴れていた。
「離してッ! お父様がッ!」
「だったらメリィに攻撃する前にあの人を助けるんだよ! まだ死んだかどうかなんてわからないだろ、落ち着け!」
「――!」
俺の言葉を聞いて、ミアリーは落ち着いてくれた。
すぐに周囲を見渡して状況を確認する。敵はメリィ一人だけ。これなら、隙を作って王を助けることができる。すぐにスキルを使えば間に合うはずだ。
攻撃の反射を見て、ギルラインとライゼスは動けずにいた。依然としてエストスとリリナはシアンたちを護るように動いてくれている。
俺が行くしかない。
「ギルライン、ライゼス! あいつの視界を塞ぐように炎と氷を! 自分に向かってくる攻撃以外を反射したことはまだ見たことがない!」
「了解した!」
ギルラインの詠唱を省略した炎と数秒遅れてライゼスの氷が玉座の間を埋めるように現れた。
これでメリィの視界を封じて、俺は炎と氷の中へ突っ込めば不意をつけるはずだ。
「派手にやるなぁ、ハヤトくんは。でも、発想は良くてもここでは悪手だったかもね~」
一切の動揺を見せないメリィは、炎と氷を突き破って出てきた俺を待ち構えるようにたっていた。
嗤う魔王。真意が分からない。
俺はメリィを無視して国王を抱えてその場から離れた。
「【全癒】!」
唱えた瞬間、国王の喉にあった深い切り傷が数秒で塞がっていく。
しかし、国王は目を開かない。呼吸も、していない。
待てよ。そんなことって。
「ギルライン! 傷は治したけど息が戻らない!」
俺は目を閉じたままの国王をギルラインの元まで運び、床に静かに下ろした。
ギルラインは慌てて駆け寄り、国王に手を当てる。魔法に精通した者だからか、脈を図るよりも先に胸に手を当て、命の根源を探るように意識を集中させた。
数秒して、ギルラインは悔しそうに歯を噛みしめた。
「……おそらく、即死だ」
「そんな……!」
ナイフ一本で、国王の命が奪われてしまった。
その光景を見て、ミアリーは呆然と立つことしかできない。
一方で、とろけるような笑みを浮かべる魔王は、踊るようなステップをして、
「だから悪手だって言ったでしょ~。ハヤトくんが優先すべきだったのは、死人じゃなくてシアンだったのに」
「な、に……ッ!」
すぐに振り返る。俺の視界にいるのは、エストスと、リリナと、シヤクと、ボタンと。
……いない。
その場で起こっている出来事を把握しきれない。
「すまない、ハヤト。炎と氷に一瞬だけ意識を向けたタイミングを狙われた……!」
「クソクソクソッ! シーちゃんを返せッ! クソ幹部どもッ!」
シアンがいた場所に代わりにいたのは、瞬間移動の使い手である魔王軍幹部レアドと、それを護るように立つもう一人の魔王軍幹部、ルルだった。
全力でエストスとリリナは彼らに向かって攻撃をするが、ルルの作り出す緑色の光が楕円形の盾となって攻撃の全てを遮断していた。
それを見て口を開いたのは、かつての知り合いだったミアリー。
「……ルル」
「久しぶり、ミアリー。その様子からすると、サイトウハヤトから私のことは聞いていたみたいね」
「どうして」
「よかったわ。あなたが人前で堂々と剣を持つことができて」
ルル=アーランドに対話の意思はなかった。
ただ、言いたいことだけを言うと、ルルは視線をメリィへと送る。
「無事にシアンは予定の座標へ送ったわ、メリィ」
「うん! ありがとね~っ!」
ピョンピョンと嬉しそうにその場で跳ねるメリィは、俺を指差してこう言った。
まるで近くの駄菓子屋でお菓子を買おうと誘うような、軽い声で。
「ハヤトくん。戦争、しよっか」
「……は?」
あまりに唐突な言葉。
もうすでにシアンを失ったエストスたちも、攻撃の手を止めてその言葉を聞いていた。
だが、意味がわからない。
こいつは、この魔王は今、なんて言った?
「全面戦争だよ。スワレアラ、ランドブルク、リーンリアラにも今頃連絡が言ってるはず」
その場にいた全員が怒り、焦り、悲しみのすべてを忘れるほどに突拍子もない言葉だった。誰もその意味を理解しきれていなかった。
だが、当の魔王は指を二本、ピンと立てて、
「二ヵ月後、魔王軍は一斉に世界四国を攻撃する。だからハヤトくん、止めにおいで。二ヵ月以内に極東の魔王城まで辿り着いて私を倒したら、魔王軍は世界に対して完全降伏をするよ」
また、訳がわからないことを言う。
二ヵ月の猶予。それまでに魔王城にたどり着き、勝てば降伏だと?
これだけ不意をついて王を殺して、いますぐに攻めれば有利に進められるはずなのに、それでもあえて後手に回ると言っているのか。
「何を、言ってるんだ。お前は」
「あれ、分からなかった? 結構短くまとめたはずなんだけどなぁ」
おかしいなぁ~と、首を傾げながらメリィは頭を掻いた。
仕方ないと、メリィは仕切り直すように言う。
「二ヵ月経つ前に魔王城まで来て私を倒したらあなたたちの勝ち。負ければ全部ぶっ壊す。おっけ~?」
親指と人差し指で丸を作ったメリィに対して、俺は素直な疑問を投げかける。
「……本当、なのか?」
「本当だよ! ちゃんと降伏するし、ちゃんと待つよ!」
「シアンは」
「私を倒せたらちゃんと返してあげる! 今は準備中だからね!」
理解できないことが多すぎる。
だが、ここで頷かなければシアンが返ってくる保障はない。
どこに瞬間移動させられたかもわからないのだ。だが、これに対して素直に承諾することはできない。
万が一、間に合わなかったとき。全ての国が戦争に巻き込まれるのだ。
俺がこの場で決めていいことでは、ない。
「……いいわよ、ハヤト」
言ったのは、ミアリーだった。
目の前で父を亡くし、涙を流す王女は震える声で、
「こっちはもう、王を殺されてるのよ。どっちにしろ、ただで引き下がれるわけがない。ランドブルクも、ルルがいる以上無視できるわけがない。やるしか、ないわよ」
「ミアリー……」
俺は周りを見る。
みんな、大丈夫だと目で言ってくれていた。
巻き込んで申し訳ないという感情と、絶対にこの魔王を止めてみせるという決意が同時に湧き上がる。
「わかったよ、メリィ。絶対に、お前を倒す」
「さすが! 『主人公』はそうじゃなきゃね!」
そんなことを言うと、メリィは楽しそうにくるりと回って、
「それじゃあ、私は魔王城で待ってるから。頑張ってね~! 楽しみにしてるよ~!」
そう言った次の瞬間には、メリィもルルもレアドも、この空間から跡形もなく消え去っていた。
残っていたのは、重い空気と、血の匂いと、これから始まるだろう最悪の出来事に対する不安と、様々な怒り。
奪われたシアン。殺された国王。始まる戦争。
ほんのわずかな時間で起こったこの幕切れと同時に、最後の戦いが始まろうとしていた。
これにて、五章ドルボザ国編、完結です。五章もお読みくださった方々、本当にありがとうございます。実はこの五章が一番文字数多いっぽいです。四章に引き続きフォールアルド一族の大健闘、さすが勇者。ほんの小さなことでもいいので感想をいただけると嬉しいです。基本的に作者というものは感想に飢えておりますので。そして、もしここまで読んだのにブックマークも評価をしないという強者の方がいましたらそちらもお願いします。目に見える数字はポテンシャルに繋がりますので。細かいことは活動報告で書きますので、もしお暇があればそちらもどうぞ。そしていつものことながら、一旦更新を止めて書き溜めをしようと思います。六章、なんかすごいことになりそうなので。てか、もうなっているので。再開は三月か四月になります。頑張ります。
というわけで、次からは六章「世界VS魔王メリィ編」です。世界を敵に回したメリィ。集まる四国の王や王女たち。ついに明らかになるメリィの真の目的。その全てを前にしたとき、サイトウハヤトが選ぶ選択とは。最終章に向けて物語は一気に動きます。どうぞお楽しみに。




