第二十五話「そして夜は明けていく」
ガラガラ、なんて石が崩れるような音はしなかった。
まるでその天井に命が吹き込まれたように、滑らかに穴が開いた。
「これ、は……」
腹部にぽっかりと空いた穴を押さえながら、グレイは天井を見上げる。
この不思議な力には聞き覚えがあった。確か数か月前、妻であるマゼンタがエルフの里へ攻撃を行った際に出会った、数百年前に途切れたはずの血族の、その生き残り。
「よく頑張ったね、勇者くん。あとは私に任せておくといい」
黒い長髪をなびかせながら上から飛び降りてきたのは、白衣に黒縁眼鏡という知性溢れる装いにはどうしても似合わないゴツゴツとしたガントレットとグリーブを四肢に装備し、両手には紫の煙が立ち昇る銃を握るエストス=エミラディオートだった。
エリオルを護るように立つエストスは、グレイへと銃口を向けて、
「シヤク。彼の治療を任せてもいいかい」
「かしこまりましたなのでございます!」
エストスが銃で牽制している隙に、グレイが先ほど逃がしてしまったピンク服の少女も飛び降り、エリオルの傍へと駆け寄る。
「エリオル! 大丈夫なのでございますか!?」
「……ぅ」
帰ってきたのは、わずかなうめき声だけ。
シヤクは怪我の状態を見る。無数の切り傷。体中の打撲跡。左肩に空いた大きな穴。こうして生きているのが不思議なくらいの重傷だった。
一目見ただけで、どれだけの死闘が繰り広げられたのかは分かった。彼の側にいてあげればこんなことには、なんてありもしない可能性が脳裏を過ぎる。
だが、後悔している暇はない。
今やるべきは、この勇者を決してしなせないこと。
エストスたちを呼びに行った際に持ってきた、師匠であるレイミアからもらった杖を強く握りしめて、シヤクは決意を固める。
「大丈夫なのでございますよ。死んでないなら、絶対に治してやるなのでございますから……ッ!」
シヤクが回復魔法の詠唱を始めたのを見て、エストスは銃の引き金に指をかける。
自分の死期を悟ったのか、グレイは諦めたように笑いながら、
「もし、そいつが逃げようとしていたら、俺は間違いなく殺し切れていた。向こうも俺を覚悟を持って殺しにきた。それ故に手こずり、結果お前たちが間に合った。……俺の負けだよ」
「そうか。覚悟が出来ているのなら、話は早いね」
迷いなく、エストスは引き金を引いて――
「――させないわ」
ガキッ! とエストスの右手が下から蹴り上げられ、銃口が上を向く。
エストスのスキルで開けられた天井の穴が、紫の弾丸によって崩れながら広がった。
突如として現れ、魔弾砲の軌道を変えたその人物に、エストスは見覚えがあった。
「君とはもう二度と、会いたくないと思っていたのだけど」
「ええ。私もあなたのような狂人とは二度と会いたくなかったわ」
暗闇に溶けてしまいそうな黒い髪。それとは反対に透き通るような白い肌。ヒールの部分がやけに高い真っ黒のハイヒール。細部まで引き締まっているのに出るところはきちんと出ている艶やかな外観。
彼女を構成する全ての要素がその妖しさを演出していた。
「……かなり苦戦したみたいね」
「ああ、すまない」
自分の夫であるグレイの重傷を見ても、マゼンタは表情を変えなかった。これでは死なないという確証でもあるのだろうか。
「物資の運搬は完全に完了したわ。最初に予定していた仕事はもう八割方終わり。もう帰りましょう」
「そうだな。あいつを殺しきれなかったのは悔しいが、もうサイトウハヤトも追いついてしまう」
手負いのグレイを守りながらエストスと戦うという選択肢はマゼンタにはないようで、逃げる機会を常に伺い続ける。しかし、エストスは両手の銃を二人にそれぞれ向けて、
「逃すと思うかい?」
「そんな気がないって分かってるから、こんなにも神経をとがらせて逃げようとしているのよ」
マゼンタはいつでも回避できるような体勢を作りながら、ちらりと後ろを見た。
わずかな視線の動きも逃さなかったエストスは、二人に銃口を向けながらほんの少し意識を彼らの後ろへ向ける。
「グレイさんがこんなにボロボロになってるの、俺、初めて見ましたよ」
やってきた、という表現では語弊がある。目にかかる程度に金髪を伸ばした長身の男は、何もない場所から文字通り現れたのだ。
その姿をエストスが最後に見たのは、ハヤトがスワレアラの王都からドーザへ飛ばされたときだ。
「テレポート使いか。逃げるのにはうってつけだね。逃しはしないが」
ドドドッ! とエストスは魔弾砲を連射する。遠くの場所に行くためにはある程度の時間をかけて魔力を練る必要があるという情報は、ハヤトからドーザの話を聞いたときに知っていた。
突然、レアドは細かいテレポートを駆使しながら魔弾砲を回避するが、この地下倉庫から逃げることはできないようで、険しい顔をする。
「クソッ! めんどくせぇ女だな!」
「いいから、とにかくグレイだけでも逃しなさい」
「素晴らしい夫婦愛ですね!」
マゼンタは強引にエストスとの距離を詰め、ほんの少しの隙間を作る。それを縫うように進んだレアドは、テレポートのためにグレイに触れるが、
「少しだけ、待て」
「なんですか。マジで死にますよ」
「……シアンは、来ているか?」
意識が朦朧としているのか、エリオルの応援にシアンが来ているのかどうかまでの判断ができないようだった。
魔王軍がシアンを回収しようとしていることは向こう側も重々承知のはずだ。
レアドが「いません」と一言口にすると、「そうか」とグレイは答えた。
時間がないからと、レアドは口を開いて、
「【転――」
「ちょ、シーちゃん! 待てって言ってる感じ!」
魔王軍たちに聞き覚えのある声。レアドの動きが途端に止まる。
音源は上。全員の視線が上を向いた。
「シアンはちゃんと話したいんだ! 話して、分かってもらうんだ!」
赤いくせ毛をしたサキュバスの制止を振り切って地下倉庫に飛び降りてきたのは、父親に似た灰色の髪と褐色の肌を持ち、母に似た豊満な体と吸血に向いた鋭い歯を持つ少女。
「パパ! ママ!」
家出をしてから約四ヶ月。シアンは初めて両親が二人同時にいる場に顔を見せた。
スキルを使っているのか、小柄な体ではなく、来ている服がはち切れそうなほどに体が大きくなっていた。
「久しぶりだな、シアン」
「うん。とっても久しぶりだぞ」
父であるグレイの言葉に、シアンはそう答えた。
きっと、話したいことはたくさんあるのだろう。だが、多く話せる時間がないことはシアンもよく分かっている。
だから伝えるべきは、一つ。
自分は自分の意思でハヤトとともに過ごし、誰かを守れるような優しいシアンになりたい、ということだけだ。
「シアンは今、とっても楽しいぞ! それにやりたいことも、やっちゃいけないことも、らなくちゃいけないことも、ちゃんと分かったんだ! だから、パパとママも――」
「一つだけ、伝えておこう」
エストスとマゼンタは今も攻防を繰り広げながら、シアンとグレイをそれぞれ庇うように立ち回っている。マゼンタまで怪我をさせるわけにはいかない。
長話をしている余裕はない。
シアンの言葉を遮ったグレイは、端的に言う。
「魔族が極東から出るためには、お前の力が必要だ。お前が、世界を変える最後の鍵だ。近々、嫌でも戻ってきてもらう」
「……パパ」
シアンは、寂しげに目を細めた。
父や母が、自分のことを娘として見てくれているのかすら、分からなくて。
魔王軍幹部としてのシアンしか、彼らの眼には映っていない気がして。
「……時間だ、レアド」
「分かりましたよ」
シアンは、目の前から消えようとするグレイを止めるために動くことができなかった。
マゼンタの決死の時間稼ぎによって、エストスもグレイへ攻撃が出来ない。
そして、ついにレアドはグレイをどこかへ瞬間移動させてしまった。それを確認して、マゼンタはすぐにエストスから距離を取る。
「残念だったわね。でも、またすぐに会うことになるわ」
「……ッ」
エストスはすぐに引き金を引くが、
「【転送】」
エストスの放った紫の弾丸は、風を切ってそのまま壁を破壊するだけだった。
また、逃げられた。悔しそうに舌打ちをするエストスだったが、すぐに後ろを振り返る。
どうやら、シヤクの回復魔法は間に合ったらしい。シヤク自身は疲弊しているが、エリオルの傷はほとんど塞がり、すうすうと息を立てて眠っていた。
シアンも連れ去られていない。いつの間にかスキルの力はなくなり、幼いいつもの姿へと戻っていた。
ただ無言で、シアンは床を見つめ何かを考えている。
そして、
「シアンは間違ってるのか……?」
俺がようやくそこについたときに、悲しそうな顔でシアンはそんなことを言っていた。
ボロボロの地下倉庫、天井に空いた大穴、血まみれの服を着て眠るエリオル、呆然と立つシアン。
一目見ただけでは、一体何が起こっているのか分からなかった。
「大丈夫か、みんな!」
「ああ。少年が幹部と戦って重傷だったが、シヤクが一命をとりとめてくれた。物資の回収が終わったとは言っていたが、命を落とした人は誰もいない」
「そう、か。それならよかった」
きっと、物資に関しては仕方のないことだろう。ナナの時間稼ぎや王、王子たちの動きもあったのだ。先回りして止めることは不可能だった。
命があればなによりだ。でも。
「シアンは、どうしたんだ?」
戦いに負けたとか、そういった表情ではなかった。
ただ、もっと大切な何かにヒビが入ってしまったような。
エストスはただ、黙っているだけだった。本人と直接話せということだろう。
俺がシアンの元へ歩くと、彼女は静かに顔を上げた。
「……ハヤト」
「大丈夫だったか?」
「うん……」
こくりと頷いたシアンは、おもむろに口を開く。
「ハヤト。さっき、パパとママに会ったんだ。でも、シアンの言うこと、分かってくれなかった。パパとママはシアンのこと、シアンって思ってくれてるのか……?」
少しだけ意味が分からなかったが、俺はシアンの言葉を頭で反芻して解釈する。
きっと、魔王軍幹部としてではなく、娘のシアンとして話を聞いてほしかったのだろう。でも、両親から求められたのは魔王軍としてのシアンだった、というところだろうか。
マゼンタともグレイともまともに話したことがないから、断言することは俺にはできない。でも、言えることはある。
「多分、シアンの父さんと母さんにも、やらなくちゃいけないことがあるんだよ。だから、シアンが嫌な思いをすることを言ったんだと思う」
「そうなのか?」
「うん。でもさ、そのやらなくちゃいけないことが、誰かを傷つけたり苦しめたりすることだったら俺たちで止めてあげよう。絶対に俺はシアンの味方だからさ」
「分かったぞ。シアンは、ちゃんと守れるシアンになる!」
「よし、いい子だ」
俺がシアンの頭を撫でると、シアンは「えへへ……」と頬を赤くした。
やっぱり、シアンは笑っている方が似合う。
魔王軍だとか、敵だとか味方だとか、そういったものがある限り、シアンが世界のどこでも笑える世界はないのかもしれない。
やはりいつかは魔王軍と、メリィと決着をつける日が来るのかもしれない。
「ハヤト!」
戦いの不安を抱く俺に、シアンは笑って、
「シアンは誰も殺さない! 誰も傷付けない! パパとママにも、もう誰も苦しめさせない! みんながポカポカになれるように頑張るぞ!」
「おう、そうだな。俺も頑張るよ」
もう一度クシャクシャと
魔王軍のやつらは逃げてしまったが、一番である皆の安全は最低限守ることはできたはずだ。
きっと、また近いうちにあうことになるだろう。
まだ月明かりが天井の大穴から差し込んでいるが、次第に太陽も登っていくだろう。
「エストス。ここを任せていいか?」
「いいけど、どうしたんだい?」
「お姫様が無事かどうか心配なんだ」
それだけ伝えて、俺はもう一度走り出した。
地下倉庫の方が大丈夫だったのなら、一番心配なのはミアリーだ。ナナとの戦いがどうなったのか、もし命に係わる怪我をしてしまっていたのなら。
そう思って、全力で更地になった廃墟へと俺は走った。
「……サイトウハヤトか」
廃墟につくと、俺の姿を見たギルラインがそう言った。
ギルラインはその場に座っており、その横にはギルラインのマントをかけられて眠るミアリーがいた。
「ミアリーは無事なのか?」
「魔法学校で回復魔法は一通り覚えた。外傷はほぼ治った。休息を取れば問題ないだろう」
「そっか。よかった」
「父上は?」
「無事だってよ。誰も死んでないってさ」
「……そうか」
ギルラインはそれだけ呟いた。
綺麗な顔で眠る自分の妹を見つめながら、ギルラインは口を開く。
「私はいつの間にか、多くの事を諦めてしまった」
ミアリーの言う、みんなが幸せになれる世界のことに関して言っているのだろう。ギルラインは、夢物語よりもドルボザ国全体の利益を見て動いていた。
それを一言で間違っていると、俺は言えなかった。
「ミアリーはずっと、自分を殺しながらも自分を見失わず、光り輝く未来をずっと見つめていたのだな」
王女ミアリーとしての役目を全うしながら、国のために動き続けていたのだ。
地下闘技場もそのための手段の一つだったわけで。
「ルイドがいうには、闘技場で賭博をしていた連中は全て入り口を任せていたやつらに顔を名前を覚えさせていたらしい。全てが終わった後、まとめて全部処罰する予定だったそうだ」
「そこまで考えてたのか」
「本当に、よくできた妹だ。それに気づけなかった私たちが愚かだった」
ギルラインは、ミアリーの頭を優しく撫でた。
「これからは、ミアリーとともにこの国のために生きていくことにしよう」
「なんかあれば手伝うよ」
「それは心強い。また借りができてしまうな」
「見返りのためにやってるわけじゃないよ」
俺のいない間に、ミアリーの気持ちはちゃんと伝わったらしい。
今までの威圧感のあるギルラインの雰囲気は、いつの間にか優しい兄のようなものになっていた。それに呼応するように、わずかに朝日が昇り始めていた。
夜が明けていく。
それはまるで、全ての戦いを終えた俺たちをねぎらうかのような、温かい光だった。
本編には書かれてないですけど、ちゃんとルイドも逃げて治療を受けてるので生きてます。死者ゼロです。よく頑張ったぞ、エリオル。




