第二十三話「最恐の獣」
最初に剣と牙が交わった姿を見た際、シヤク=ベリエンタールは両者の力は互角かもしれないと思った。
だが、二度三度交わるたびに、その考えが変わっていく。
「そんなものか勇者ァ!」
歪な形をした光の剣の攻撃力自体は間違いなく互角のはずだ。だが、グレイはそこかしこに積んである荷物を弾き飛ばしながら、壁や天井を使って縦横無尽にエリオルを攻撃し続けているため、ひたすらに防御をすることしかできない。
(剣を渡したくても、そんな時間一秒もないなのでございます……!!)
青い装飾の施された剣を両手で抱き抱えながら、シヤクは頬に冷たい汗を流した。
エリオルが戦ってくれている今、シヤクがやるべきはこの剣をいち早く手渡し、王とともに逃げ、助けを呼びに行くことだ。
しかし、グレイの猛攻にシヤクが入る余地など一切ない。魔法で助けに入りたいが、こちらにまでグレイの敵意がシヤクに向いてしまえば、間違いなくエリオルの負担になる。
グレイの頭にエリオルしかない今しか、逃げる時間はないのだ。
(どうすればいいなのでございますか……!)
エリオルの剣を握る手のひらが妙に汗ばむ。彼の反撃の機会をどうにか作ってあげたいが、おそらくグレイの攻撃はかすっただけでもシヤクには致命傷だ。
そうなってしまえば、助けを呼ぶことも叶わない。
こうなれば、剣を渡すのは諦めて王を逃し、エストスたちの元へ走ることを最優先に――
「私が、時間を稼ぎます……!」
そんな声が、シヤクのすぐ近くで聞こえた。
ふと横を見る。血だらけの左腕を押さえながら、息を切らした長身で細身の従者、ルイドがそこにいた。
一時的に気を失っていたのか、未だ朦朧とした意識で体がわずかに左右に揺れている。
時間稼ぎといっても、先ほど一撃で吹き飛ばされてしまったはずだ。手練れといえど、相手が強すぎるのだ。
「し、死んでしまうなのでございますよ! あなたも逃げて、助けを呼ぶなのでございます!」
「いえ、ここで剣を渡すのが最善です。彼が先日、あの光の剣を使ったのは手元にあった剣が壊され、追い詰められた状況で強引に剣を作り出したからです。おそらく、彼の力は剣があった方がより安定するはず。剣がない状態では、互角にもなりません」
地下闘技場で見てきたからこそ、ルイドはエリオルの力について良く知っていた。ミアリーに仕えながら、国王の側近として働いていたその情報量に間違いはない。
「でも、どうやって……!」
「最初に、あなたの魔法で不意を突いて、その隙に剣を彼に投げてください。その後に私が後ろから攻撃をして時間を稼ぎます。その時間であなたは王とともに逃げてください」
「そ、それじゃああなたは」
「私の命は元より国王の物。王のために散らすのなら本望です」
その言葉に一切の嘘偽りがないことは、目を見れば分かった。だが、素直に頷くわけにもいない。目の前で命を捨てようしている人を、見捨てるわけには。
「このままでは、王も、あなたも、彼も皆殺されます。あなたは悪くない。だから、お願いします」
「…………」
否定が、できなかった。
自分の無力が、憎たらしくて堪らなかった。
シヤクは大きく深呼吸をする。
「一つ、約束をしてほしいなのでございます」
「はい。なんなりと」
「もし、助かる余裕があれば、死に物狂いで生き延びてくれなのでございます。私も絶対に、王様を逃すなのでございますから」
「かしこまりました。もしそのような状況になれば、見苦しく這いつくばってでも逃げます」
その言葉を聞いて、シヤクは覚悟を決める。
自分でも不思議なくらい、落ち着いていた。だが、今の自分に必要なのは落ち着きではない。
(助ける! 助けろ! 助けてみせろなのでございます、シヤク=ベリエンタール! ハヤトさんたちにまた会ったときに、胸を張れる自分でいろッ!!)
シヤクのスキル、【情念開花】。これは感情が昂ることでステータスが向上するスキル。
助けるという覚悟。
護るという信念。
ハヤトたちとまた笑って日々を過ごすという願い。
誰も殺させないという決意。
その全てが、彼女を強くする。
「【木々は唄い、煌めく果実は空へと落ちる。時を動かす傲慢な息吹よ。大地を嗤う群青の天よ。ああ、どうか私を其処へと落としたまえ。】」
本来なら、スワレアラ王都でレイミアからもらった杖を使いたいが、今はそれを持っていない。
シヤクは両手を正面に突き出し、力強く指を広げる。
目の前で戦い続ける勇者をほんの少しでも支えるために。
「《ヴェダリレーベ》ッッッ‼︎‼︎」
ゴォ‼︎ と、シヤクの両手から緑色の烈風が吹き荒れた。
凄まじい速度で逆巻く颶風は、エリオルへ爪を振り下ろそうとしていたグレイの身体を目指して突き進む。
「懐かしい魔法だな。勇者を助けるための風か」
「いいや、てめぇに一泡吹かせるための風なのでございますよ!」
グレイは自分へと向かう風を相殺するために、空中で体を捻ってエリオルへ向けていた強靭な爪をシヤクの方へ向ける。
ガァァア! という唸り声とともに渾身の力で振られた前足による風圧だけで、シヤクの全力の風魔法が相殺される。
「想像よりも弱いな小娘。期待外れだったか」
「勝手に失望してろなのでございますよ!」
煽り言葉に反応したグレイの意識がシヤクに向き、殺意とともに地を蹴ろうとした瞬間だった。
「こちらです、王! 今のうちに!」
「――ッ!」
グレイの目的は元々、ドルボザの国王を暗殺することだった。
エリオルやシヤクのような子どもよりも、王を殺すことが最優先のはず。
案の定、その言葉を聞いて、グレイはシヤクとは反対の方向に飛び出した。瞬く間にルイドの元へ移動したグレイは眉間にしわを寄せる。
いないのだ。目の前にいたのは血だらけで剣を構える従者が一人だけ。
グレイはすぐさま視線だけを後ろへ向ける。
ピンクの服を着た少女は既に、腰の抜けた王の肩を支えて逃げ出していた。
「謀ったな」
「ええ。せめて死ぬならその顔を拝んでからと思いまして」
「……死ね」
躊躇いなく、グレイは爪を振り下ろして――
「今なのでございますッ!」
叫んだのは、グレイに背を向けて逃げているピンクの少女。
ルイドが稼いでくれた時間を無駄にしないように。されど、ルイドの命をこんなところで散らすことのないように。
「その人も護りやがれなのでございますよッ! クソ勇者ッ!」
「当たり前だッ!」
エリオルは右手を上に掲げた。
すると、歪だった光の剣がどんどんと圧縮され、剣と同じ大きさへと変わる。いや、いつの間にかエリオルの手の中にあった剣へと全ての光が閉じ込められた。
「想像よりも魔法が弱くて申し訳なかったなのでございますよ! あいにく、別方向に向けて風で剣を運びながらだと制御するのが困難なのでございましてね!」
「……これまた懐かしい使い方をするものだ。だが、ここはお前の間合いではない。その剣は届かない」
ルイドを狙うグレイはエリオルから数メートル離れているため、剣を振っても届くことはない。
しかし、エリオルの顔に焦燥や諦観はなかった。
「覚えておけ。勇者には、常に奥の手があるものだ……ッ!」
光が凝縮された剣を強く握りなおしたエリオルは、突きの姿勢を作りながら右腕をわずかに引いた。
シヤクもルイドも、おそらくグレイも、その動きの意味が分からなかっただろう。
分かるとしたら、兄である本物の勇者か、その勇者と肩を並べたサイトウハヤトか。
いずれにせよ、その場にいた誰もが予想できない光速の突きをエリオルは放つ。
「【勇者の一撃】ッッッッ‼︎‼︎‼︎‼︎」
音はなかった。
ただ遅れて、空気がかき分けられ、壁に穴が開く音が地下倉庫に響いた。
ガララ、とわずかに一部が崩れる石造りの空間の中で、光を味方にする勇者は声を張り上げる。
「僕の目の前で、決して命は奪わせないッ!」
「……もっと面白くなってきやがったな」
壁の近くで、ゆらりと立つ四足歩行の影。
エリオルは視界の隅にルイドを見つけ、あごで逃げるように指示を出す。
シヤクも王も既に逃げている。もうこの場に留まる理由はない。ルイドはすぐに駆けだした。
そんな彼に目もくれることなく、グレイはエリオルを見つめる。
「これ以上、遊ぶ余裕はないな。メリィには申し訳ないが、今ここで開花するだろう芽を摘む方が大事だ。お前は間違いなく、この先俺たちの障壁になる」
先ほどよりも明瞭で鮮明な殺意がエリオルに向けられる。
覚悟のない人間ならば、それだけで気を失ってしまうだろう。
エリオルの攻撃によって左肩に穴が開き、グレイの左前脚は赤く染まっていた。しかし、グレイは一切狼狽えることなく凛々しく立つ。
「俺は戦いにおいて小細工はしない。そんな俺が、どうして魔王軍の幹部として立ち続けられるか分かるか?」
魔王軍が結成されたのは、メリィが魔族狩りに対抗するために立ち上げた数百年前。グレイが魔王軍に入ったのは約百年ほど前だ。
その魔族の歴史の中で、グレイを凌ぐ力を持つのは魔王メリィと娘のシアンだけだと言われている。
彼がどうして、長きに渡り魔王軍の幹部として君臨し続けたのか。
その理由は、これ以上なく簡潔で、端的だった。
「ただ純粋に、俺より速く動けて、俺より力のあるやつがいなかったからだ」
ただただ、彼は強かったのだ。
ひたすらに暴力的な力を、持っていただけだったのだ。
その力の根源を、グレイは口にする。
「【闇帝獣牙】」
唐突な変化だった。
獣だったグレイの体が、たちまちに人の姿へと変わっていく。
「俺のスキルは少々特殊でな。お前が剣に魔力を圧縮して力にしたように、俺も人の姿に力を圧縮することができる」
すらっとした細身の長身。娘と同じ鮮やかな褐色肌。
スキルによって姿そのものを変えたからか、黒を基調とした質素な無地の服が彼を体を包んでおり、灰色の髪は目元を隠すように垂れていた。
数秒で姿を変えたグレイの手足には獣の特徴は何一つ残っておらず、外見からは人間にしか見えない。
いつの間にか、エリオルが貫いたはずの左肩の穴が塞がり、完治していた。
「獣としての力を、全て体の中に詰め込んだ。この姿が一番動きやすく、殺しやすい。これは六年前には使わなかったな」
薄暗い空間の中、わずかに見える口元から覗く八重歯がかすかに光を反射していた。
手を開閉して具合を確かめると、手を勢いよく開いた。
ズバンと、赤黒い鉤爪がグレイの五指を覆った。
グレイは確かめるように壁を鉤爪で撫でる。音もなく、グレイが爪を立てた箇所が石造りであるはずなのに切れていた。
先ほどのような、攻撃するための獣の爪ではない。ただ純粋に、息の根を止めるための武器だった。
そんな武器を両手の指全てに携えた魔王軍幹部は、楽しそうに笑う。
「さあ、本番だ。兄のように逃げ出すんじゃないぞ」
人の姿となった最恐の獣が、勇者の喉元へ一直線に飛びついた。




