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第二十二話「私がいる」

 地を蹴ったミアリーは、足元に散らばる剣の破片を両手で握りしめた。

 手のひらに切り傷が生じることなど気にせず、強引に指の間に欠片を挟んで手を振る。


「狂ってるよ、お前」


 指ほどのサイズをした紫の斬撃を避けながら、ナナは呟いた。

 そう思うのも当然だった。

 ミアリーが斬撃を作るために腕を振るたびに、破片によって切れた傷から血が飛び散っているのだ。勝ちを既に確信していたナナは攻撃に移らずただ回避をして、向こうが折れるのを待とうとしていた。

 しかし、ミアリーは止まらない。


「どうしてそんなになってまで、お前は戦うんだよ……!」


 思わずこぼれたナナの問いかけ。

 呟くように、ミアリーは答える。



「今まで誰にも言ったこと、なかったんだけどさ」


 ずっと上品な王女という皮を被っていた。

 王族に生まれ、礼儀や作法を叩き込まれ、王女にふさわしい立ち振る舞いを常に求め続けられた。

 豪華な服も、ふかふかのベッドも、絶品のフルコースも、全てが無条件に与えられた人生。だが、そんな何不自由ない人生が、ミアリーは窮屈で仕方なかった。


「私はずっと、自由になりたかった」


 王族に生まれたミアリーが求めた、たった一つの小さな願い。

 だが、彼女を囲む世界はそれを許さなかった。


「良い子であり続けなければ存在する価値はないと、言葉はなくても伝わった。マスコットを演じ続けることが、私の人生なんだって」


 他の国との交流をする際、自国へ語り掛ける際、美しさというものはそれだけで武器となる。人々を惹きつける存在というものは、ときには国を傾ける脅威にすらなるのだ。

 だが、よく分からない男に媚を売り続ける人生なんて、我慢できなかった。


「でも、そんなの嫌だった。だから私は、剣を握った。知らない世界をするために、こっそり出かけたりもした」


 ミアリーが酒の味を覚えたのは、こうやってこっそりと抜け出して入った酒場だった。地位も何も関係なしに、ゲラゲラと笑って卓を囲んだあの時間が楽しくて仕方なかった。

 だが、外へ飛び出して経験したそれは、この国の小さな一面に過ぎなかった。


「この国は表から見ればとても綺麗。みんなが笑っているように見える。でも、裏には人の命をなんとも思ってない奴らが腐るほどいた」


 それを目の当たりにしても、彼女は何もできなかった。

 いつか父や兄たちが彼らを罰し、苦しむ人々を救ってくれると信じて、ミアリーは自分の役目を全うし続けた。

 ミアリーは視線を横で倒れるギルラインとライゼスへ移す。

 理想と現実の狭間で、彼らが現実を選んだ。それによって見捨てられた人々がいた。

 全ては自分のせいだと、ミアリーは傷だらけの手のひらから流れる血を眺めた。


「ごめんなさい。私に力がなかったからあなたを救ってあげられなかった。もっと前から動いていれば、手を差し出せたかもしれない」

「今更、なんだって言うの。謝られたところで、何も変わらない」

「そう。過去は変わらない。時間を巻き戻してあなたの苦痛をなかったことにすることは、できない」


 それでも、ミアリーの表情に諦観はない。

 その透き通るような双眸の奥に宿す炎は未だゆらゆらと燃え続けている。


「でも、私の夢は変わらない。みんなが笑って暮らせる世界を、私は作りたい」

「……、」


 遅すぎたという後悔をしていた。

 もっと早く、剣を握って立ち上がっていれば。

 兄たちに任せるのではなく、自らの足で進んでいたら。

 目の前に立つあの剣士は、あんな悲しい顔で剣を握ることなんてなかったのではないか。


「もし、今からでも遅くないのなら」


 ハヤトに掛けてもらった言葉を思い出す。

 夢物語だとしても構わない。誰も不幸にならない世界を求めるために進み続ける決意は終えた。

 不安にはならなかった。

 彼の言葉が、自分の背中を押してくれている気がした。

 ふわりと、闇夜の中で流れる風が金色の髪を芸術的に揺らした。


「私は、あなたを救いたい」

「…………けるな」


 ナナは、全身を震わせた。


「ふざけるなァ!!!」


 持っていた剣を投げ捨てて、ナナは右の拳でミアリーの頬を殴りつけた。

 全力の打撃を受けてミアリーの体が倒れて地面に転がる。

 両手に握っていた剣の欠片が周囲に飛び散った。


「救うだと!? 私の人生が狂っていくのを無視して、今更救うだと! そんな都合のいいことを言われて素直に頷くなんて思うなよ!」

「……分かってる。だから、喧嘩をしようって言ったの」


 口元を切ったミアリーは、唇の横から流れる血を手の甲で拭う。

 黒いドレスに血が滲み、黒がさらに生々しく赤黒く染まっていた。


「私はまだ、あなたのことを全然知らないから」

「教えるつもりなんてねぇよ!」


 紫混じりの黒髪が揺れる。

 ナナが放つ右の拳を、ミアリーは左手で受け止めた。剣の破片のせいで血だらけになっているため、ミアリーの顔が苦痛に歪む。


「もう満足に動けねぇんだろうが! さっさと倒れろ!」


 ナナは左の拳でミアリーの右上腕を殴る。

 ミアリーは距離を取ろうと下がるが、今まで積み重ねてきた疲労と出血がゆえに足元が満足に動いていない。

 もう一度、ナナはミアリーの右腕を殴りつけた。

 そしてさらに、もう一度。


「【三度目の正直(ドライチャーム)】ッッ!!」


 バキバキッッッ!!! と。

 ミアリーの右腕の内側から破裂したように血が振り出した。


「ぐぅぅううう!!!」


 だらりと右腕がぶら下がる。おそらく、ミアリーの右腕の骨は粉々に砕けてしまったのだろう。まるで操り人形が故障したように右腕だけ力なく垂れ下がっていた。


「私のスキルは、素手でも発動する。残念だったな。もう右腕は使い物にならないぞ」

「……知ったことじゃ、ないわよ……!」


 ズタボロになっているのはミアリーだ。

 追いつめられて、今にも命が奪われそうなのはミアリーだ。

 それなのに、なぜ。

 温室育ちの王女の瞳は、どうしてまだ死なない。

 その執念に、ナナは恐怖を覚えた。


「いい加減に死ね! この病人がッ!」


 ナナは投げ捨てた剣を拾ってミアリーの腹を突き刺そうと走り出した。

 もうミアリーにそれを避ける力はない。

 だが、その剣はミアリーには刺さらなかった。


「私の妹を、殺させはしない……!」


 顔に大きな打撲跡を作りながら、朦朧とした意識の中でナナの剣を弾いたのは、ギルラインだった。

 ナナもミアリーも、信じられないという顔をしていた。

 体に力が入っていないのか、重そうに両手剣を握るギルラインは、小さな声で、


「途切れ途切れだが、聞いていたよ。そんなことをずっと、考えていたのだな」


 力なく、それでも優しい笑みを浮かべてギルラインはミアリーを庇うように立つ。


「私も少しだけ、お前の夢見る世界を見てみたくなった……!」


 対して、ナナは吐き気を感じているのか、胸元を強く握りしめて、


「クソが……ッ! そうやって守って、善人気取りかよ……!」


 重傷を負っていないはずのナナの体が、立ち眩みをしたかのように揺れた。

 小ぶりの剣を両手で握りしめながら、ナナは絞り出すようにこう言った。


「私はずっと、独りで戦ってきたのに……!」


 ミアリーは、その言葉を聞き逃さなかった。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、ナナの元へと歩く。


「ようやく、聞けた。それが、あなたの本音だったのね」

「ミアリー、その怪我では……」

「いいの。私の足で、歩かなくちゃ」


 剣を構えるギルラインの横を抜けて、ミアリーはゆっくりとナナへと近づいていく。

 動揺か、恐怖か。ナナはその場で動けずに立ちすくむ。


「弟がいるって、言ってたわよね。……その子を守るために、ずっと独りで戦い続けていたのね」


 両親から借金を押し付けられたと言っていた。

 ドルボザの兵士から見捨てられたとも言っていた。

 誰にも頼ることができず、ずっと独りで。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 まるで自分のことのように、ミアリーは涙を流していた。

 自分と正反対の人生を送り、不幸のどん底を生きてきたナナを、心の底から助けてあげたいと思った。


「来るなよ。来る、な……!」

「あなたにとっての居場所が魔王軍だっていうのなら、私はそれを否定しない。あなたの人生だから、自由に生きて」


 ミアリーは、止まらない。

 血だらけの左手でナナが剣を持つ手を優しく抑えると、体を預けて抱きしめた。

 砕けた右腕は上がらず、左手を回すことしかできない。

 ナナの右肩にとん、とミアリーのあごが乗る。


「でもね。私は絶対にあなたを見捨てない。絶対に独りにしない」

「……、」

「苦しかったら頼っていい。辛かったら泣いていい。私が全部、受け止めるから」

「…………私の主は、グレイ様だ」

「それでいいよ。……だから、さ。友達でいいよ」

「……どういう、つもりだ」

「ずっと欲しかったんだ。本音を言い合える友達」


 優しい声。

 王女でなく、ただ一人の人間として。

 ミアリーは、語り掛ける。


「嫌だ。お前みたいなやつと関わりたくない」

「あはは。そう言うと思ったわ」

「なめてるのか」


 そう言いながらも、ナナはミアリーを振り払うことをしなかった。

 体重を預けているので、少し体をずらせばミアリーは倒れてしまうだろう。

 でも、ナナはそうしなかった。


「これからどんな辛いことがあっても、私は絶対にあなたの味方。気が向いたときでいいからさ、頼ってよ。あなたには、幸せになってほしい」

「……くだらない」

「だからさ、あなたが幸せになったら、私の手伝いをしてほしいのよ。この国を、世界を、笑顔でいっぱいにしてさ……」


 そんな会話をしている途中で、ナナは呆然とするギルラインの方を向いた。

 ナナの顔には、もうどんな感情も浮き出ていない。戦闘の意思がないことは明らかだった。


「ねえ、この馬鹿のこと、どかして。もう、気絶してる」


 嬉しそうに口角を上げながら目をつぶるミアリーの体を動かしながら、ナナは言った。

 とん、と柔らかな手つきでギルラインにミアリーを受け渡すと、ナナは踵を返す。


「さっさと治療をすれば、死ぬことはない」


 地面に落ちているもう一本の剣を拾い上げたナナは、二本の剣を鞘へと戻した。

 ボロボロになった廃墟から去っていくナナは、振り返らずに言う。


「その馬鹿王女に、これだけ伝えておいて」

 ナナは一つ呼吸を置いて、


「次に会うときも、私はあなたの敵だ。せいぜい死なないように鍛えておけ」


 そう言い残して、ナナは再び歩き始める。

こちら側を見ていないので、ギルラインは彼女がどんな表情でそれを言ったのか分からない。

 だが、その声は、ついさきほどまで命のやり取りをしていたにはあまりにも柔らかかった。


「本当に狂ってるよ、ミアリー」


 誰にも聞こえない声でそう呟き、ナナは闇夜の中に消えていった。


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