第十四話「王女とデート」
思わず奇声を発してしまった俺の横腹へ、見えない様にミアリーのひじが打ち込まれた。
俺の言葉が半ば強制的に止まり、その隙にミアリーが俺の耳元で囁く。
「(いいから、話を合わせなさい!)」
「(わ、わかった)」
外向けの完成された笑顔で、ミアリーはライゼスの言葉を待つ。
ミアリーと同じく、端正な顔立ちをしたライゼスの吊り上がった目が訝しげに歪んだ。
「恋仲……? どういうことですか、ミアリー」
「そのままの意味ですわ。ほら、私たちは既に相思相愛なんですの!」
ミアリーは俺の腕に絡めた自分の腕をさらに密着させた。
どうやら、見た目よりもずっとミアリーの胸は大きいらしい。……ということを気にしている場合ではない。
ただ、ここで変な動きをして事態が悪化するのは避けなければならない。
必死に俺は湧き上がるいろいろな感情を抑えてライゼスに笑いかけた。
しばらく考えるように黙り込んでから、おもむろに彼は口を開く。
「なるほど、そうでしたか。生真面目なミアリーがこんなにも惚れ込むとは」
もっと疑われるかと思ったが、想像以上に好意的のようだ。
表情こそないものの、声自体の威圧感は薄れていた。
「それにサイトウハヤトといえば、あの勇者アルベルと互角と聞きます。そのような強者が我が国の一員になるのならドルボザとしても利益になります」
「そうですわ。それなら――」
「ですが」
期待を感じたミアリーの明るい言葉を遮ったライゼスは、高そうな服の襟元を正しながら、俺たちが立つ廊下を見回す。
「いくらそのような仲だとしても、まだ王族の一員になったわけではありません。来客であるハヤトさんがこの場にいるのはよろしくない」
こればかりは言い逃れの出来ない正論だ。さすがのミアリーも次の言葉を探すのに苦戦しているようで、緊張によって俺に抱き着いているミアリーの腕に必要以上の力が入っていた。
シアンに比べればだいぶマシだが、それでも華奢な体からは想像もできないほどの力が腕に伝わってくる。
俺もミアリーも何も言わずに立っているために嫌な沈黙が流れる。
すると、ライゼスは思いついたように指をピンと立てた。
「そうだ、せっかくです。最近少し忙しいのでしょう? 今日は公務を休んで、彼と一緒に出かけてきたらどうでしょうか?」
なに? まさか、俺とミアリーにデートをしろっていうのか?
さすがにそれは色々と問題がある。
そろそろ何かを言うべきだと思って口を開いた瞬間、俺より先にミアリーが慌てた声で、
「そ、そんな。お兄様たちが働く中、私だけ休むなんて出来ませんわ」
「気にしなくてもいいんですよ。私もギルラインも、この国の全員が、ミアリーが今までどれだけ頑張ってきたのかを知っています。一日休んだ程度で後ろ指を差す者などいませんよ」
「ですが……!」
「どうしてそこまで拒絶するのでしょう? まさか恋仲というのは嘘、なんてことはありませんよね?」
その言葉に妙な威圧感を覚えた。
やはり、ミアリーの嘘を素直に信じてくれているわけではないらしい。デートをして、その言葉が嘘ではないと証明してみせろというわけだ。
ミアリーの真面目というハリボテそのものが疑われているわけではないだろうが、この展開に違和感を覚えないほど鈍感ではないということだ。
というよりも、万一嘘でも、こうして強引に話を進めることで事実さえ作ってしまえば、俺がドルボザ陣営に組み込まれる可能性が高くなる。
俺でも気づけるそんな予想は、ミアリーの頭にも浮かんでいるはずだ。
だが、ようやくギルラインが尻尾を見せるかもしれないというこの状況で、ミアリーが本性を明かしてしまえば、すぐそこにある尾を掴み損ねるかもしれない。
……というわけで、だ。
「……本当にごめんなさい」
再び部屋に戻るやいなや、ミアリーは深く頭を下げた。
元はといえば俺が無警戒に外へ出てしまったのが悪いわけだしミアリーを責めるわけにもいかない。
「あ、いやぁ。俺は別に大丈夫だけど……」
「焦って考えも無しにあんなことを言うなんて……。もっとうまく誤魔化せただろうが。馬鹿じゃねぇか私……」
はぁぁああ、と深いため息をミアリーは吐き出した。
綺麗にセットされた金色の髪をぐしゃぐしゃと乱しながら、なにやらぶつぶつと独り言を呟いている。
「とにかく、俺たちはこれからデートをするしかないんだよな?」
「ええ。申し訳ないけど、ライゼスを騙すためにはそれしかないわね」
半ばやけになっているミアリーだが、さすがにこれから外に出るからか酒を飲もうといはしなかった。
全身鏡の前に立ち、自分で崩した髪を整えなおす。
「公務の途中で抜けたから、その分の埋め合わせも任せたせいでルイドを部屋の入り口に置けなかったのが失敗ね。次はもう少しうまくやらなきゃ」
短く息を吐いて、気持ちを切り替えたミアリーは鏡で営業スマイルを確認する。
よし、と呟くと、彼女は俺に強気な声で、
「昨日も言ったわよね。こうなったらとことん付き合ってもらうわ」
実は俺は生まれてこの方、女の子とデートをしたことがないのだが、そんなことを言う状況ではないぐらいは分かる。
俺にも責任はある。ここまで来たら、最後までやるしかない。
……再び、というわけで、だ。
「さあ、ハヤト様。参りましょう!」
「お、おう!」
ミアリーの明るい作り声とともに、俺は城を出た。
さすがに王女様と公開デートはまずいので、服を着替え、顔が見えないようにフードを被ってお忍びデートという形になった。
とはいえ、ミアリーによるとライゼスの従者が陰から様子を伺っているため、油断はできないらしい。
それが分かっているのか、ミアリーは見せつけるように俺の腕を抱きしめていた。
「ハヤト様、お食事になさいませんか? 私、とても美味しいお店を知っていますの!」
「そ、そうだな! そうしようか!」
ぎこちなく頷く俺。
俺の女性経験のなさをなんとなく察していたのか、ミアリーがエスコートする形で俺の手を引いて高級そうな飲食店へ足を踏み入れた。
ドレスコードが厳しい店だからか、フードを被ったミアリーと普通の洋服を着ている俺だと相応しくないと入り口の従業員が不快そうな顔をしたが、ミアリーが少しだけフードを上げて顔を見せた途端に店の一番奥の最も豪華な席まで案内してくれた。
天井は高く、二階建てにしても問題ないほどで、その中心には細部まで装飾の施されたシャンデリアのランプが灯っていた。
あれを売るだけでも一ヶ月は食事に困らない気がする。どうやら、この店はドルボザでも最高級の店のようだ。
少し離れた位置にこちらを頻繁に見てくる客がいる。あれがライゼスの部下なら、ここでも気を抜くことが出来ない。
「さあ、ここの料理はとても美味しいんですわ。是非味わってくださいな」
言いながら、ミアリーはフードを取って座りなおした。
「フード、取っていいのか?」
「ええ。ここなら軽はずみに騒ぎ立てる者もおりませんから。安心してくださいな」
名画から切り取ったかのような非の打ちどころのない笑顔だった。
料理が運ばれてきても、それを崩さずに料理を上品に切り分けて口へと運んでいく。
「とても美味しいですわね、ハヤト様」
「ああ、そうだな」
そう言っている今も、ミアリーはドキドキするほど輝く笑顔を向けてくれている。
しかし、それが嘘だと知っている俺には、ミアリーの綺麗な笑顔が寂しく見えて仕方なかった。
普通の公務もあれだけ真剣に取り組んで、空いている時間で闘技場を管理していつかくる兄たちとの対立に備え、多忙どころではないはずなのに。
こんなどうしようもないきっかけだとしても、せっかく得れた休みをこんな笑顔のために使わせていいのだろうか。
本当はもっと大きな声で笑って、楽しく酒を飲んで、美味しい料理を口いっぱいに頬張って、好きなだけ愚痴をこぼしたいのではないのか。
俺の勝手な想像かもしれないし、余計なお世話かもしれない。
でも、それでミアリーが少しでも楽になるなら。
俺は他の人に聞こえない程度の声で言う。
「なあ、ミアリー。これを食べた後、少しだけいいか?」
「は、はい。どうなさいましたか?」
「五秒でいいから、誰にも見られない時間をつくりたい。できるかな?」
「そ、それはどういう……」
「せっかくの休みだろ? 酒、飲みたいんじゃないか? 五秒あれば上手くやれる」
そう言って俺が笑ってみせると、ミアリーの黄金比のような笑顔にわずかな綻びが生まれた。しかしその綻びから見えたのは、何かを期待したような奥にいるミアリーの笑顔。
ミアリーはわざと大きめの声で、
「まあ! お口に合ったようでなによりですわ!」
一瞬戸惑ったが、あえて噛み合わないセリフを言ったことが返事だと俺は思った。
そして、食事を終えるようになった頃、ナイフを持ったミアリーが一瞬だけ鋭い視線を俺に送った。
きっとこれが合図だ。
俺は神経を尖らせてミアリーの動きを見守る。
「【剣の残り香】」
ミアリーの事を凝視していなかったら、その動きに気づけなかったかもしれない。
手に持ったナイフで料理を切る素振りの中で、一瞬だけ手首にスナップをかけてナイフを振った。
すると、人差し指程度の大きさの紫色の塊がナイフから放たれ、少し離れた席に座っていた客のコップに当たり、陶器の割れる音がレストランに響いた。
誰もその原因が分からず、視線が一斉にコップへ向く。もちろん、ライゼスの部下らしき客の視線もそちらへ注がれた。
ミアリーはその刹那を逃さず、今度はナイフを素早く頭上に振った。
再び紫色の塊が飛び、天井につるされていたシャンデリアに衝突した。
ガキィ! と耳鳴りのような金属音とともにシャンデリアの一部が壊れ、客席へと落下してくる。
「きゃあ! ハヤト様!」
もちろん俺とミアリーの近くに落ちてきたわけではないが、怖がったふりをしてミアリーが俺に抱き着いてきた。
コップだけなら無理だが、シャンデリアともなれば数秒は客の安否や自分のことを考えてライゼスの部下でもこちらから視線を逸らすはずだ。
一瞬だけ視線をライゼスの部下へ。
よし、今だ。
「【変装】」
俺はミアリーと自分の姿を数秒の間にどこにでもいそうな一般人へと見た目を変化させた。変化する瞬間さえ見られなければ、しばらくの間は誰にも正体は気づかれないはずだ。
自分の姿が変わっていることに気づいていないミアリーだが、俺の見た目が変化していることから思惑を察したらしく、すぐに視線をライゼスの部下へ向ける。
案の定、シャンデリアに気を取られた好きに逃げられたと勘違いしたらしい。
俺たちはまだレストランの中にいるのに、俺たちに気づかぬままそいつは店から飛び出していった。
「ハヤト。これは……?」
「見た目を変えるスキルだよ。今は俺もお前も、どこにでもいる一般人だ。何度か人を騙してるし、普段からシアンにも使ってるから扱いには慣れてるんだ。今日一日なら、誰にも気づかれないはずだぜ」
俺がそう言っても、まだ受け止めきれていないのか、ミアリーは戸惑っているようだった。
だが、先ほどの作り笑いの隙間から見えた笑顔は本物のはずだ。
俺はミアリーの手を掴んでシャンデリアの騒ぎに乗じて店を飛び出す。
「ち、ちょっと! どこへ行くのよ!」
「決まってんだろ! デートするんだよ!」
王女というミアリーを縛り付けている重圧が今日だけはなくなったんだ。
好きなだけ、やりたいことをやらせてあげよう。
俺は町の中心の高価な店が並ぶ場所ではなく、庶民たちの暮らす繁華街へとミアリーを引っ張っていった。




