第十三話「王族たちとの嫌な予感」
「おー! ハヤトだー!」
店に戻った俺を笑顔で迎えてくれたシアン。横にステーキの皿が六枚程度重なっているのが気になるところだが、リリナが申し訳なさそうな顔で俺を見ていたので責めることもできなかった。
フードを深くかぶったアスルも座っていたが、俺が戻ってきたのを確認するとゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ、私は失礼します」
「あれ? 帰っちゃう感じ?」
「はい。そろそろお姉ちゃんも帰ってくるでしょうし」
どんな話をしていたのかはよく分からないが、フードのわずかな隙間から覗くアスルの視線がかなり鋭かった。
悪いことはしていないつもりなのだが、心を開いてくれることはなさそうだ。
「……最後に一つだけ」
店から出る前に俺の横で立ち止まったアスルは、こんなことを呟いた。
「これは私の予想ですが、おそらくグレイ様たちは近々シアンさんを力ずくで魔王軍に連れ戻すつもりだと思います」
「なんだって……?」
「それが、あなたが先ほど言っていた取引がどうのという話とどう繋がっているのかは分かりませんが、魔王軍の内部で何か大きな動きが始まっています。もしシアンさんとこれからも一緒にいるつもりなら、用心しておいてください」
「わかった。肝に銘じておくよ」
「では。またどこかで」
フードを深くかぶりなおしたアスルは、そのままどこかへ去っていってしまった。
俺もミアリーの元へ行くためにここを出なくてはならない。
俺がいない間に膨れ上がったステーキの会計を済ませた。今度お前にも働いて返してもらうからなとリリナに言っておいた。
よほど働きたくないのか苦笑いをしていたが、これで少しくらいは金銭の不安がなくなることを祈るとしよう。
店を出て、俺たちは城へと戻った。シアンたちはボタンたちがのんびりと過ごしている来客用の宿泊部屋へ。そして俺は、従者として入り口で仕事をしていたルイドに声をかけ、ミアリーと話がしたいと伝えた。
「かしこまりました。こちらへ」
ルイドについていくと、ミアリーが公務に使っている書斎へと案内された。
勉学などもこの部屋で行っているのか、分厚い本が四方の壁をカーテンのように埋めていた。
そして、その中心にあるダークブラウンの机に、ミアリーはいた。
動きやすそうではあるが、それでも王族という威厳を損なうことはない純白の服をミアリーは身にまとっていた。
今も絶賛公務中らしく、何やら上質な紙にインクを使ってひたすらに文字を綴っている。
「お嬢様。ハヤト様がお嬢様に話したいことがあると」
ルイドがそう問いかけると、ミアリーはペンを動かし、視線を机に落としたまま。
「そう。どんな様なのかしら?」
「お、おい。ルイドがいるのにその喋り方でいいのか?」
「何言ってるのよ。闘技場の運営も手伝わせてるのに今更何を隠すというの?」
「えっ。やっぱりあの人ってルイドさんだったの?」
「はい。ハヤト様ならお気づきかと思いましたが」
し、知ってたさ! ただ、それに触れていいのか分からなかっただけだし。
俺は少し上ずった声で、
「も、もちろん最初に会った時から確信してたからな!」
「そう。それで、話というのは?」
俺の反応にすら興味がないのか、冷たい声でミアリーは言った。
俺はこほん、と咳払いをして空気を整える。
「お前に伝えておいた方がいい情報がいくつか手に入った」
「……分かったわ。ここじゃ他の人も来る可能性がある。私の部屋へ行きましょう」
ペンを置いたミアリーは、足早に扉へと進んでいく。
「ルイド。こいつと二人きりで話をするから、場所を聞かれたら適当にごまかしておいて」
「かしこまりました。ただ、私に出来るのは時間稼ぎ程度ですので、ご注意を」
「わかってるわ。行くわよ、ハヤト」
ミアリーの後に続いて、俺は城の廊下を進んでいく。
それにしても、あれだけ用心する必要があるのか? ミアリーがあれだけ外面よくできるんだから、もし見つかっても大丈夫な気がするけど。
そのことについて訊くと、ミアリーは淡々と答える。
「本来、私たちの私室の近くは王族かルイドみたいな位の高い従者しか入っちゃいけないのよ。客人のあなたを勝手に入れたってなれば、私の作ってきた『いい子』が崩れるかもしれない」
「……いいのか? それなのに俺を入れて」
「くだらない体裁を保つよりも、国を腐らせない方がよっぽど大事よ」
きっと、外でずっと上品に振舞っているのも、このドルボザ国での外交や公務を円滑に進めるためなのだろう。
そして、それを捨てるかもしれない可能性を前にしても、真実を求めるのなら俺も精一杯で応えたい。
部屋に入ったミアリーは、前と同じようにベッドに腰かけた。
「それで? 何を見つけてきたの?」
「まず一つ目は、近々この町の外れで魔王軍が関わる大きな取引が行われるってことだ」
「……なるほど。やっぱりあの地下のキナ臭い物資は魔王軍向けのものだったのね」
この一つ目が、最初にナナから聞いたことだ。
俺はこの情報を得た経緯を話した。借金取りに襲われ、ギルラインに助けられたこと。
そして……
「ギルラインが、借金取りたちの動きを今朝から予測していた……?」
それを聞いて、ミアリーは考え込むようにあごに手を当てた。
ぶつぶつと独り言を呟いて脳内で思考を整理しながら、ミアリーは俺に言う。
「でも、どうしてそんなことをする必要があるの……?」
それは俺も疑問に思っていたことだ。
借金取りたちを一網打尽にするのは分かるが、それが元々予定されていたことの理由が分からない。ナナを助けるためなら、もっと先に保護できたはずだ。あそこまでの怪我を負う前にやってきているはず。
ギルラインの目的は借金取りたちのはず。なら、借金取りたちがああやってギルラインに直接狙われる理由はなんだ。
「ギルラインと何か話をしたかしら?」
「ああ、少しだけな」
「全力で思い出しなさい。どこかに違和感があるはずよ」
俺は白い天井を見上げて記憶を辿り始める。
何か変なところ。普通だったら、無いはずの動き。
と、少しだけ俺の中でひっかかることがあった。
「そういえば、魔王軍との取引についての話を聞いたとき、ナナさんにやたら細かく話を聞こうとしてたな。帰るときも、何か思い出したらすぐに言えって」
「……口封じ、じゃないかしら」
「ってことは、借金取りたちはただ魔王軍絡みの情報を知ってしまっただけで、それで都合が悪くなりそうだったギルラインが直接手を下したってことか……?」
「可能性は、ゼロじゃない」
あくまでもこれは俺とミアリーの推測で、本当にギルラインは借金取りたちを取り締まるために動いていたということもあり得る。
だが、それでもギルラインが王族の中でも怪しくなったことには間違いない。
「よくやったわ。近々取引があるなら、ギルラインを警戒して入れば尻尾を掴めるかもしれないわ」
「そうだな。それはお前に任せるよ」
「ええ、身内を見張るのは私の役目よ。……それで、他には何かあるかしら」
他の情報としては、魔王軍がシアンを取り返すために動いているということだが、それをミアリーに言ったところでどうにもならないし、それは言う必要はないな。
「いや、それだけだ」
「そう。でもたった一日でこれは充分すぎるわね。意外と使えるじゃない」
「どーも。スワレアラまでの食料が豪華になってくれれば嬉しいけどな」
「それは特に関係ないわ。ほどほどの味の物を必要な分だけよ」
「……そうですか」
「冗談よ。少しだけ上等な物にしてあげるわ」
ミアリーはいたずらに笑った。
めちゃくちゃ顔が整っているせいで、不覚にもドキッとしてしまった。
酒豪で口が悪いお嬢様だということは忘れてはいけない。
俺はぶんぶんと顔を振った。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょう。長居して誰かにバレたら元もこもないわ」
「そうだな。なら早速戻るか」
俺はすぐに立ち上がって出口の扉のノブに手をかけた。
「ちょっと、待ちなさい。外の様子を見ながらじゃないと――」
「え?」
ミアリーの言葉が終わる前に、俺は扉を開いてしまった。
そして、本当にヤバいときは後悔などが頭に浮かぶことはなく、ただ思考がからっぽになってしまうということも、俺は初めて知った。
「……君は、誰でしょうか?」
ミアリーの部屋の前を、ちょうど誰かが通っていたところだったらしい。
金色の髪で前髪は目にかかる程度。ギルラインよりも体は一回り小さく、細身で筋肉質には見えない。
だが、近寄れない雰囲気を醸し出す鋭い目つきと、身にまとっている赤と黄色で彩られた服。
そして、この外見もミアリーの部屋にある絵に描かれているものと同じだ。
それはつまり。
「あんた、王族の……?」
「ライゼス=フォン=ドルボザ。この場所にいて知らないとは言わせません」
ライゼスは威圧感を放ち続ける。
「その部屋は僕の妹の部屋です。見たところ従者でもないようですが、なぜそこにいるのでしょうか? 回答によっては、牢獄に入ることになりますが」
ギルラインよりもずっと高い声だが、寒気のするほど冷たい声だった。
俺が返事に迷って黙っていると、後ろから慌ててミアリーが出てきた。
「お、お兄様。ごきげんよう」
「おや、ミアリー。この者は誰です? あなたも部屋にいたということは、もちろん知り合いなのでしょう?」
「ええ、もちろんですわ。この方はドーザを護ったサイトウハヤト様ですの」
うまいフォローだ。これならそこまで怪しまれないはずだ。
だが、ライゼスは訝しげに俺を見つめたまま、
「なるほど。御客人でしたか。しかし、いくら客人と言えどもこの場にまで呼ぶ理由にはなりません。気軽にこの国の者ではない者をここに入れてはいけないことくらいは、真面目なあなたなら知っているはずです」
沈黙が流れる。
俺から変なことを言って場を乱すわけにはいかない。俺は助けを求めるようにミアリーへ視線を移す。
彼女の頬に、わずかな汗が流れてた。
必死に思考を巡らせているのか、ミアリーは乾いた唇を少し舐めた。
そして、意を決したミアリーは大きな声で、
「ほ、本当は秘密にしたかったのですが、お兄様に見られてしまっては仕方ありませんわ!」
そう言うと、ミアリーは俺の腕をガッと抱きしめた。
ミアリーの膨らんだ胸の感覚が右腕を襲う。
ドキドキすべきなのだろうが、それよりも俺は脳裏によぎる嫌な予感に背筋を震わせた。
顔を少し赤らめたミアリーは、奮えた声でこう叫ぶ。
「私たち、恋仲になったんですの!!」
「は、はぁぁあああ!!???!?」
「あの、リリナさん。シアンさんは、もう魔王軍には戻ってこないのでしょうか?」
「ん? それは本人に訊けばいいって感じじゃん?」
「あの、すごい勢いでステーキを食べてるので話しかけにくくて……」
「なんだかあれ、ハヤトに怒られそーって感じだけど……まあいっか。シーちゃん! アスルが魔王軍に戻るつもりはないのかって感じだって!」
「おー? シアンは戻らないぞ! まおーぐんじゃ、守れないからな!」
「え……?」
「シーちゃんは誰かを殺すんじゃなくて、誰かを守りたいって感じなんだって」
「そんな……! シアンさんは魔王軍にいたときも私たちを守ってくれたじゃないですか!」
「あの時のシアンは、守れるシアンじゃなかったんだ!」
「守れ……る?」
「シーちゃんはね、守るために戦うって決めた感じなんだって。誰かを殺したら結果的に守ったんじゃなくて、誰も殺さずに、守るために戦いたい感じなの」
「そーだぞ! シアンはハヤトみたいに守るために戦いたいんだ!」
「……、」
「敵わないって感じっしょ? あーしもエルミエルで会ったときは理解できなかった感じだけど、今はわかるって感じ。命ってのは大切で、それを奪ってきたことを償うには、それ以上の命を救うしかない。自己満足でもいいから、そうやって生きればいいって先頭切って走ってくれる馬鹿がいるから、あーしたちも付いていこうって思える感じなの」
「本当に、敵いませんね……」
「アスルも来るかー? 来てくれたらシアンはうれしーぞ!」
「……いえ、遠慮しておきます。私にはお姉ちゃんたちがいますから」
「やばかったらいつでも言いなって感じ。あーしたち、すぐに助けにいくから」
「シアンもいくぞー!」
「分かりました。いつかシアンさんたちに救われるときを、楽しみにしています。……ほら、来ましたよ。シアンさんの大好きな人が」
「おー! ハヤトだー!」




