第七話「勇者の剣」
力が拮抗することはなかった。
火花を散らす剣を力で強引に押し切ったのはミラルド。しかしエリオルも一度腹を蹴られているからか、隙を作らぬように体制を変えずにそのまま後ろへ下がった。
二人の距離が空いた瞬間、ミラルドは剣を一度鞘へと戻して姿勢を落とす。大きく後ろへ下げた左足の筋肉が、力を溜めているのかミシミシと軋む音を立てていた。
「【一閃】!」
エリオルが一度だけ瞬きをしたそんな刹那の間に、ミラルドはすでに彼の懐へと入っていた。
慌てて剣を握る手に力を入れるが、崩れた体勢で受け止め切れるような攻撃ではない。吹き飛ばされたエリオルは、転がりながらステージから落ちる直前で止まる。
「まだまだ行くぜェ!」
ミラルドは再び剣を鞘へと戻し、抜刀の体勢を作る。エリオルがステージの端から戻る前に、すぐさまミラルドは攻撃を始めた。
「【二閃】!!」
ミラルドの速さを体で知ったエリオルは、その声が聞こえた瞬間に剣を振り下ろした。
「【会心の一撃】!」
ミラルドが距離を詰める前に、エリオルの剣から光の斬撃が放たれる。高速で一直線に進んでいたため、ミラルドは光の斬撃へ向かって剣を振った。
エリオルの攻撃力自体は高かったらしく、ミラルドは剣を斬撃に当てながら体をひねって攻撃を回避。しかしそのまま左手でもう一本の剣を握って引き抜くが、
「……いない?」
「こっちだ!」
光の斬撃でミラルドの視界を埋めた隙に後ろへと回り込んだエリオルは、躊躇いなくミラルドを両断するために剣を振り下ろす。
しかし、
「アイデアは悪くねぇな!」
その場で左回りに回転して両手に握る剣でミラルドは攻撃を弾いた。
今度はステージの中央付近にエリオルが転がっていく。
食い下がってはいるが、その力の差は明らかだった。しかし、剣士であるミラルドは油断せずにエリオルへと剣を向け続ける。
「お前が弱くないことはよく分かった。負けるつもりもないのもよく分かった。ガキの遊びに付き合うなら手を抜くが、お前がちゃんと俺を殺しにきてるなら、俺もちゃんとお前を殺しにいく」
ミラルドは両手に剣を持ったまま、静かに腰落とした。そしてエリオルに切っ先を向け、左手を腰辺りへ、右手を顔の横へ。横から見たら大きなハサミを縦に持っているような体勢。
精神を鎮めるように深い呼吸をした瞬間、ミラルドは小さく呟いた。
「――抜刀」
音もなく、ミラルドの周りに紫色の剣が五本現れた。ミラルドの持つ二本の剣と同じく、その切っ先はまっすぐエリオルへ向く。
「サイトウハヤトには今の速さでは届かない。俺の剣も届かない。だから俺は考えた。どうすればあの男を切れるほどの威力を今以上の速度で叩き込めるかを」
その説明は、きっと俺へと向けたものでもあるのだろう。先に手を見せて、正々堂々正面から俺を殺そうという純粋な殺意。
俺が思わず触れた自分の腕に、無意識のうちに鳥肌が生じていた。
「風を切り、音を超える速さで。岩を切り、壁を貫く威力で」
本能的に、エリオルは自分の身を守るように剣を構えた。
そしてほんのわずか、揺れるようにミラルドが体勢を変えた直後だった。
「――【七刃一閃】」
その最高速は、どれだけ速かっただろうか。
もしかしたら、エルフのリヴィアの全力と変わらないかもしれない。
紫色をした宙に浮く五本の剣とミラルドの持つ二本の剣の切っ先が全て一点に集まり、体全体が一本の槍に見えてしまうほどの突き。
その余りの速さで、自分の剣が砕かれたことにエリオルが気づくよりもさきに彼の右肩が異常な威力の突きで貫かれる。
誇張なく、エリオルの肩にミラルドの剣が根元まで突き刺さっていた。
「……急所は、外した」
ぐちゃ、という生々しい音を立てて、ミラルドは剣を引き抜いた。
その剣がエリオルを支えていたのか、剣が抜かれた瞬間彼は力なく地面へと倒れた。
「まだ若い。そいつが剣士として死ぬかはそいつ次第だ」
エリオルの血を払って剣を鞘にしまったミラルドは、エストスへと目を向ける。
「さあ、次はお前だ」
そんな声をかけられたエストスは、返事をせずにエリオルの元へ歩く。
俺はてっきり、エリオルのことを戦わせたことを後悔していると思ったが、そうではなかった。
息はあるものの、もうすでに虫の息のエリオルの顔の近くでしゃがみ込んだエストスが、優しくこう問いかけた。
「助けて、ほしいかい?」
「ぇ……?」
剣が折れ、握るもののなくなったエリオルの目の前に、エストスは微笑みながら自分の手を差し出した。
もうすでにガントレットは外しており、白く細い綺麗な指が露わになる。
「君が望むのなら、この手を取ってくれ。この手を取れば、私は君を助けてあげよう。彼を倒して、勝ちを君に譲ってあげよう。君の怪我が治るまで、私がずっと看病をしてあげよう」
この世界で最も甘い誘惑だった。
血に染まるどころか、もう頑張る必要などないのだというように。鼓膜が溶けるような声を放ちながら、エストスは少年の前に手を伸ばす。
「いい提案だと、思わないかい?」
エリオルの視界に、華奢な女性の手が映り込む。
ただそれを取るだけで、エリオルは助けてもらえる。
戦いも何もかも、全てエストスが引き受けてくれる。
俺はそれを、とても酷だと思った。
その誘惑は、勇者になりたいエリオルを、剣士としてのエリオルを殺すようなものだ。今までの努力を水の泡にして、全てを諦めて、誰かに押し付けて自分だけは幸せに生きろと言っているのと同じだ。
外見上は失うものなど一つもない。
しかし、その手を取れば彼はきっと二度と勇者として戦うと胸を張って言うことはできないだろう。
それを分かっているから、エリオルはその手を取れない。エリオルの血で染まった手が、エストスの白い手へ伸びる。しかし、触れる直前に手が止まる。
「迷っているのなら、一つだけヒントをあげよう。どこまでも甘い私からの、些細なプレゼントだ」
血だらけの体で、肩に風穴が空いたエリオルへ。
剣は砕け、圧倒的な力の前に倒れた勇者になりたい少年へ。
「君は、どうして剣を握ったんだい? 強くなりたいから? 兄のようになりたいから? それとも、別の理由かい?」
エリオルの過去など、俺も、きっとエストスも知らない。彼にしかない理由が、そこには存在しているはずだ。
「僕が、剣を握った理由」
問いかけているエストスも知らない過去を思い出すために、エリオルは目をつぶった。
誰に言うでもない細い声で、彼は言う。
「幼い頃、兄とともに冒険をした。誰よりも強い勇者は、誰かが困っていたら必ず足を止めて手を貸していた。兄の仲間も、どんなときでも誰かを助けるために戦っていた」
俺がこの世界に来る前、勇者として戦っていたアルベルの背中を、エリオルは見てきたのだろう。その背中を見て、彼は剣を握ったはずだ。
それを、エリオルは形にする。
「兄のようになりたいと思った」
小さかった声に、はっきりとした輪郭が浮かび上がる。
「あの人たちみたいに、たくさんの人たちを護りたいと思った」
エストスへと伸ばしていた手をひき、エリオルは地面に両手をついた。
両手でしっかりと体を支える。右肩から溢れる血を無視して、弱弱しくも立ち上がる。
自分の原点を見つめなおしたエリオルの眼には、まだはっきりと光があった。
戦士としてのエリオルは、まだ死んでいない。
「いいのかい? 私の手を借りなくて」
「僕が勝つ以外に、あなたを護る方法がない」
「……そうか。なら、私はその好意に甘えるとするよ」
そんな問答をすると、エストスはそっと後ろへと下がった。
よろめきながらも、肩を押さえてエリオルはミラルドを睨みつけた。
「いいのか? 急所は外したが、これ以上は死ぬぞ」
「死なない。僕は勇者だぞ」
「その心意気は認めるよ。でもどうする。剣、折れたぞ」
エリオルはまだ動く左手の指を大きく開いた。
「僕の【会心の一撃】は、剣に魔力を流し、その力を蓄積して放つ技だ。それを剣なしでやればいい」
つまり、エリオルがやろうとしていることは魔力の剣を作りあげるということだ。あのクソ勇者も剣に光のような魔力を宿して剣を強化していることがあった。剣の周囲にまとわせていた魔力に追加して、その中身を埋める魔力を注ぎ込めばいい。
話は単純だが、その難易度がどれほどかは俺には分からない。
だが、すでにその技を会得しているミラルドはエリオルの挑戦を鼻で笑う。
「俺の真似をするつもりか? 無理だよ。俺がこの技を手に入れるためにどれだけの鍛錬を積んだと思っている」
「そんなこと、知ったものか」
ミラルドの言葉を、エリオルは力強く跳ねのけた。
「勇者は、そんなことで諦めない。勇者には、不可能なんてない」
今にも倒れてしまいそうなほど膝が震え、息は上がり、顔は青ざめている。
それでも、心だけは誰よりも強くそこにいた。
小さな勇者は、静かに左手を挙げる。
「忘れていた。僕が強くなるのは勇者になりたいからじゃない」
見つけた原点を、エリオルは叫ぶ。
可能性なんて言葉になど縛られない、最強の存在へと向かう足音が聞こえた。
「人々を救うための力が欲しいから、僕は強くなりたいんだッ!」
直後だった。
地下にいるはずのエリオルへ、どこからともなく雷のような白い光が直撃した。理解のできない現象を前にして、観客たちはざわざわと騒ぎ始めた。
しかし、俺にはそれがなんなのか知っている。
その光が何を示すかを、俺の右拳が覚えている。
「【勇者の煌剣】」
それは紛れもない、勇者の証だった。
天へ掲げたエリオルの左手に落ちてきた光は、たちまちその姿を歪な形をした剣へと変えた。まるで、強引に雷を手づかみしたかのような剣。
しかも、その歪な光はエリオルの左腕から肩までのすべてを覆い、左の肩甲骨から翼のように光が溢れていた。
よろめきながらもミラルドを見つめるエリオルは、光り輝く剣を静かに構えた。
その姿を見て、ミラルドは思わず声を出す。
「なんだよ、それ」
粗削りとはいえ、ほんの一瞬で魔力の剣を作り上げたエリオルの力を信じられないと、ミラルドは動揺を露わにしていた。
だが、そんな機微を観察する余裕のないエリオルは、光の剣の切っ先をミラルドへ向けて、
「誰かを殺すことに喜びを感じるやつから、僕は人々を守らなきゃいけない」
ただ、自分の信じる正義のために。
ただ、目の前の誰かを助けるために。
静かに剣を握るその背中は、俺のよく知る勇者にそっくりだった。
「僕がお前を倒す。行くぞ」
エリオルがそう言った瞬間、左腕を覆う光の輝きがさらに増し、光の翼がはばたくように広がった。そして、彼の背中を押すように光が噴き出し、エリオルは宙へと浮かび上がる。
噴き出す光がその方向を決めた瞬間、浮かんだエリオルが猛スピードで進み始めた。
危険を察知したミラルドは、二本の剣を一気に抜いて身を守る。
「抜刀ッ!!!」
二本だけでなく魔力でできた五本の剣でミラルドは守りを固めるが、
「勇者はその程度の剣では止まらないッッッ!!!!」
魔力と魔力が削れる音が闘技場に響き渡る。
その凄まじい衝撃によって発生した圧だけでも、息苦しさを感じる。
ミラルドは必死にエリオルの剣を止め続けるが、
「おおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおああああ!!!」
バキバキバキバキバキッッ! とミラルドの剣がたちまちに砕け、光の剣がミラルドの体を捉えた。そして、歪な形をした光の剣はその敵を切るのではなく、押しのけ、吹き飛ばす。
ドゴォォォ! という音が響く。
吹き飛ばされたミラルドが、壁にぶつかった音だった。そのまま、崩れた壁の破片とともに、ミラルドは地面へと落ちていく。
壮絶な戦いを前に、観客たちは静まりかえっていた。
静寂の中、血だらけのエリオルの左腕を覆っていた光が空気に溶けていく。
ふらつきながら、それでも倒れずに踏ん張ってエリオルは顔を上げた。
「僕の、勝ちだ……ッ!」
この世界に生まれた新たな勇者は、その拳を高々と掲げた。




