プロローグ
世界で最も東に位置する土地の、そのさらに奥に位置するいつ作られたのかも分からないほどに古めかしく、しかし未だに荘厳さを失わずにそびえたつ巨大な城。
人々はその城を、魔王城と呼ぶ。
その城の正面の扉から入り大広間を抜け、中心からまっすぐ上へと続く大きな階段を進んだその先。豪奢で細長いテーブルが中心に置かれた広間の中でナイフとフォークを握って石造りの椅子に座るその少女は、不満そうに頬を膨らませていた。
「やぁだ。もっと甘いのが食べたい」
「文句言わないで、メリィ。これでも贅沢なほうよ」
「なんでよなんでよ! 悪の権化こと魔王軍でしょ!? 略奪の限りを続けて贅沢をしちゃおうよ!」
「そんな簡単に言わないで。一言で盗むって言っても、そのためにたくさんの人を動かさなければならないの。変に動いて結果的に成果がマイナスになる怖さだってあるんだから」
部隊などを一つ動かすということだけでも、言葉にできないほど多くの労力が生まれる。組織が大きければ大きいほど、考えなしの行動で生まれたたった一つの綻びがいつの間にか致命的な亀裂になることも考慮しなければならない。
それに、どっかのバカのせいで魔王軍が困窮しているという事実もある。
「あーもう! スタラトの奴隷とか王都の鉱物資源とか、スワレアラからもらっていた分がハヤトくんのせいで全部なくなっちゃったせいだ! やはり魔王軍の敵だな、あの男めぇ……」
「うるさい。楽しそうに『王都でハヤトくんとおしゃべりしちゃったぁ~』とか言ってたのは誰。スタラトの町だって、シアンが家出しなければ起こらなかったし、もとはといえばあなたがサイトウハヤトに好きなようにさせたのが悪いんでしょ」
「それはそーだけどさー」
かなり魔王の気まぐれと怠慢が生んだ現状なので、メリィは何も言えずにむぅっと頬を膨らませることしかできなかった。
だが、魔王軍に割のいい話がない、というわけではない。
「だったらドルボザは! あそこの物資回収はどうなの?」
「それはグレイに任せてあるわ。どうなの、グレイ」
ルルがそう呼びかけると、ルルよりも数倍も大きな体をし、灰色で柔らかな毛に覆われた、血に飢えた猛獣すら可愛く感じるほどの威圧感を放つ獣が答えた。
「ああ。もう色々と手を回してある。近いうちに回収するつもりだ」
「近いうちじゃダメ! いますぐ! いますぐに回収して!」
「……どうする、ルル」
荒ぶるメリィには答えず、灰色の獣はルルへと問いかけた。
「たしかに魔王軍の物資が減っているのも事実だからね。できれば早い方がいいかな」
「そうか。ならもうそろそろ行くとしよう」
ゆったりとした動きで広間からグレイが出ようとすると、別の誰かが広間のドアを開けて入ってきた。カツカツとなるハイヒールの音。
現れたのは、メリハリのある引き締まった体をタイトな黒い衣装で包み、艶やかに色気を振りまく黒い短髪をしたヴァンパイア。
「私は何か手伝ったほうがいいかしら?」
「いや、俺だけで大丈夫だ」
グレイが自分の妻であるマゼンタにそう伝えると、甘さの足りない料理を不本意そうに頬張るメリィが声を上げる。
「あっ、マゼンタ! 頼んでた件はどうかな?」
「一応、あれからもこっそりとエルフの里の周辺やエルミエルの調査を続けたわ。見つけたのはこの金属の破片と、何かの素材だったであろう白い土。どちらも不思議な魔力の痕跡があるわ」
マゼンタが懐から取り出したのは、砕けたガントレットの破片とエミラディオート一族の残した遺産の一部。そのどちらにも、魔族には相性の悪い魔力が宿っていた。
「これは女神リアナの魔力の痕跡だね。やっぱり、エミラディオートのところにも女神は行ってたんだ。この魔力、魔族の体に入ったら気分が悪くなったりするはずだけど、大丈夫?」
「ええ、特に問題はないけれど」
「あのさ、あんまり関係ないんだけどさ。シアンってマゼンタ似だったよね?」
「……? ええ。どちらかといえばヴァンパイアの血の方が多いわね」
マゼンタの言葉を聞くと、メリィは嬉しそうな顔で、
「ふぅん。そっかそっか。やっぱりマゼンタを行かせてよかったよ。ありがとねー」
「……そう。で、他にやることは?」
「シアンを回収しよっか」
ピリッと、空気が張りつめた。
当然だろう。なにせ、そのシアンの両親が目の前にいるのだから。
「シアンを回収して、どうするつもり?」
「この世界の誰よりもシアンを強くする。そうすれば、魔王軍は誰にも負けない」
「それで、魔王軍の目標を達成できると?」
「うん。シアンがいれば、私たちはこの世界を今よりもずっと暮らしやすい世界にできる」
今までの柔らかな声ではない、はっきりとした口調だった。
誰も、メリィに対して反論を唱えるものはいなかった。時折見せる異常な圧力と気味悪さ。誰も彼女には敵わないと戦わずとも分かる、寒気のするほどの圧倒的な禍々しさ。ふわふわとした言葉を言ったと思えば、時折確固たる芯を見せつけてくる力強さ。
単純な外観だけでは魔王とは思えない彼女が魔王であり続けられる理由は、そこにあった。
「……そろそろかな」
沈黙の中、メリィがそう呟いた数秒後だった。
この広間に突如として人影が現れた。まるで、瞬間移動でもしたかのように。
「レアドおかえりー。どう、準備のほうは?」
「言われた通り、ドーザで回収した魔晶石をリーンリアラのはずれに設置しておきましたよ」
リーンリアラ。極東にある魔王城とは正反対の西に位置する自然に囲まれた国だ。巨大な樹木や多種多様な動植物が生息しているため、国民のほとんどが国の中心に住んでおり、それらを囲む森の中に小さな村が点在している。
北のスワレアラ、南のドルボザ、東のランドブルク。この世界に存在する他の三つの国の方が国力も領土の広さも勝っているのにどうしてリーンリアラに設置するのかについては、メリィはレアドに伝えていなかった。
ただ、レアドにとってはそこまで興味のあることではなかったので特別訊こうという気は起きなかったが。
「うんうん。順調だね~」
「俺が言うのもなんですけど、『女神の心臓』をまた回収しにいかなくてもいいですか? 俺がドーザで回収できたのはあの魔晶石だけだったんですけど」
「うーん。本当はあったほうがいいんだけど、なくてもなんとかなるからね。ちゃんと指定した大きさの魔晶石を回収してきただけで及第点かな~。それにルルから聞いたけど、ドーザには手ごわい敵がいるんでしょ?」
メリィが問いかけに代わりに答えたのはルルだった。
ルルはレアドのドーザでの戦いを思い出しながら言う。
「ええ。見ていた限りだと、あの謎の銃を使う女を倒すのはかなり苦労するはずよ。あのときに『女神の心臓』を回収できなかった以上、今更また部隊を送るメリットは少ない。計画そのものに支障がないのなら、行く必要はないでしょうね」
「ってことだってさー。本当は勇者くんが邪魔になるだろうから、ハヤトくんを送って仲間割れしてる間に回収してもらおうと思ってたんだけど、仲良く敵になられたらきついかったもんねー。まあ仕方ないよ」
「は、はぁ」
実際、最低限の仕事しかできていないのに、まったく怒られることがないということに拍子抜けしたレアドは、気の抜けた声を出した。
思いのほか今食べている料理がおいしかったらしく、少し機嫌のよくなったメリィは自分を囲む幹部たちへと視線を送る。
「それじゃあ、グレイはドルボザに行って物資の回収ね。グレイの回収が終わり次第、シアンを回収するから、いつでも動けるように他は待機で」
「じゃあ、俺は先に行くぞ」
「うん。よろしくねー」
メリィの指令を聞いて、グレイは部屋から静かに出ていった。
その背中を見送ったマゼンタは、メリィに問いかける。
「シアンがどこにいるのかは分かっているのかしら」
「さあ? でも、多分ドルボザに来ると思うよ」
「確証はない、ということなの。さすがにそんな勘に素直には従えないのだけれど」
マゼンタが不服そうな顔で言うと、メリィは難しい顔をした。
「ハヤトくんをドーザに送って、もうすでにシアンたちがスワレアラから合流しているはずだから、次に食料とかを整えるならドルボザに行くはずなんだよね。シアンたちの動きを長期間制限するのも、ハヤトくんをドーザに送った理由の一つだから。」
「……そう。なら信じるわ。でもいいのかしら? スワレアラのときと同様に彼らに邪魔されたら、それこそ本当に魔王軍はボロボロよ?」
「大丈夫大丈夫。グレイに任せておけば問題ない。でも、もし心配なら少し早めにマゼンタもドルボザへ行く?」
「ええ、そうするわ。レアド、テレポートは使えるかしら?」
「ええ!? さすがにリーンリアラから戻ってすぐドルボザは魔力が足りないっすよ! せめて一日休憩してからじゃないと」
「……じゃあ、明日の昼までには回復させておきなさい」
「人使いが荒いなあ、もう」
大きなため息を吐きながら、レアドは休息のために広間から出ていった。
マゼンタもメリィと一瞥してから、今は何もすることはないため自室へと向かって歩き出す。
そして残ったのは、メリィとルルの二人だけ。
メリィの横に立ったルルは、寂しげに言う。
「もうそろそろね」
「うん。たった六年でここまで行くとは思わなかったよ」
「私からしたらもう六年よ」
寿命の長さの違いから生まれる時間感覚のギャップ。そんな違いを気にせずにメリィは笑う。
「もう、全部終わるんだね」
「サイトウハヤトはちゃんと『主人公』になってくれるかしら」
「なってくれるよ。それに、万一のときにはルルがいるから」
「そうね。安心して、メリィ」
踵を返したルルは広間から出る直前にこう呟いた。
「もしサイトウハヤトがダメでも、私がちゃんとあなたを殺してみせるから」
バタン、とドアの閉まる錆びれた音が広間に響いた。
たった一人ではありあまる空間にポツンと座るメリィは、誰にも聞こえない声でそっと呟く。
ほんの少しだけ震えた、弱弱しい声で。
「……うん。ありがとね、ルル」
メリィの眼からこぼれた液体は、誰にも気づかれることなくテーブルに敷かれたマットに染み込み、ゆっくりと消えていった。
2/6 改稿した内容は、途中で出たリーンリアラという国名についてです。僕の手元にあったメモ書きが雑でリーンリアラが別の国名になっていました。この世界にある国は北のスワレアラ、南のドルボザ、東のランドブルク、西のリーンリアラの四国で、ランドブルクからさらに東へ進んだ谷を超えた先が魔族たちの住む極東です。アホですいません。踏んでもらって構わないです。




