ハジマリノヒ 後編
あっけらかんと。
目の前の少女は自分を魔王だと言った。
「あなたが、魔王……?」
「うん! ……あ、その顔はさては信じてないな〜?」
頬を膨らませて、ぷりぷりと腰をくねらせながら、メリィはルルへ指を差した。
異常な空気の中で、ルルは困惑を隠せずに口をパクパクとさせる。
困惑するルルを見つめながら、メリィは笑みを浮かべる。
「ここで出会ったのも何かの縁だろうから、あなたには特別に私の力を見せて差し上げましょ〜!」
言いながらくるりと回転したメリィは可愛らしく腰に手を当てながらポーズを決めて、
「まずはこれっ!」
瞬間、目の前にいたはずのメリィがルルの視界から完全に消えた。
消耗はすれど、警戒を怠っていたつもりはない。動揺したルルは、慌てて周囲を見回して――
「後ろだよ。びっくりした?」
「――ッ⁉︎」
真後ろ。一歩下がればぶつかるほどの距離にまで近づいていたメリィは、ニヤニヤと笑いながら驚嘆に顔色を悪くするルルを眺める。
そうしてようやく、ルルは目の前いる彼女が魔王だと理解した。
あれが親玉。アルベルたちと追ってきた、憎き大将。
ボロボロだが、やるしかない。
だが、決意をしたルルが拳を握った直後、メリィは不敵な笑みを浮かべて、
「右横からのパンチ」
ルルが動き出す前にその攻撃を言い当てたメリィは、空振りした拳の勢いを殺さずに回転しながら追撃を狙うルルへ、こう告げる。
「右上段蹴り。……ありゃ? もう距離を取るの?」
メリィの宣言通りだった。
右足から繰り出された蹴りは当然避けられ、攻撃が読まれると考えたルルは後ろへ蹴りだして距離を取ったのだ。
「…………、」
肉弾戦では決して攻撃は当たらない。ならば、遠距離からの攻撃だ。
懐に隠し持っていたナイフの位置を少し触って確認したルルは、右拳で殴りかかる振りをして近づき、メリィが避けたその間合いを詰めるようにナイフを投げつけた。
だが、
「ぜ〜んぶ無駄だよ」
キィン! という金属音とともに、投げつけたナイフが反射し、ルルの頬をかすめた。
美しい顔に赤い横線が生じ、静かに血が溢れ出した。
手も足も出ない。さらに、魔王自身からはなにも攻撃をしてこない。
完敗だ。だが、だからと言って止まるわけには……
「お話を、しにきたんだよ?」
妙に圧力を感じるその言葉に、ルルの体が無意識に硬直した。どこかで恐怖すら感じている。だが、それを悟られないように、精一杯の見栄でルルは口を開く。
「……なんの、話?」
「私たちのこと。ちょっとだけ、真面目な話がしたいの」
いつのまにか、気の抜けるような声ではなく、はっきりとした口調になっていたことに気づいたルルは、一呼吸おいてから、
「分かったわ。話しましょう」
血だらけのルルは、足を震わせながらメリィの近くまで歩く。
「怪我、大丈夫?」
「さあ。でもまあ、長くはないでしょうね。少し血を流しすぎてしまったから」
「回復魔法は使えるの?」
「使えるけど、もう魔力はすっからかん。気休め程度の延命しかできないわ」
「そう。なら、ちょっと手を出して」
言われるまま、ルルは手を出した。
その手を取ると、メリィは口を開く。
「【妖精の唄】《停止》」
瞬間、ルルの耳に届いていた音の全てが聞こえなくなった。風の音も、なにも聞こえない。
体験したことのない、世界が凍りついたような感覚。
まるで、自分とメリィ以外の全てが止まってしまったかのような……
「これは……?」
「私ね、時を止めることが出来るの」
随分と、落ち着いた声だった。冗談を言うにしてはあまりにも淡々とした口調だった。
メリィの表情だけでなく、この凍ったような世界を見てしまったルルには、それを真実と信じざるを得なかった。
「どうして、こんなことを」
「私の力はね、発動するときに誰かを触っていたら、その人も一緒に止まった時間を動けるの。そして、私の力はかなり細かく時間を止める指定ができる」
「どういう意味……?」
「私は今、この世界とあなたの傷の時間を止めたの」
「じゃあ、私の怪我だけ時間を止めて、一時的に傷を塞いだっていうの……?」
メリィはコクリと頷いた。
「うん。すぐに治療をしなくても、時間が傷を塞いでくれる。まあ、解除したら傷からまた血が溢れ出すから、すぐに死んじゃうだろうけど。でも、少なくとも私が時を止めている間は大丈夫だよ」
それを聞いて、ルルはすぐ近くで倒れる二人を指差した。
「そ、それなら! フィオリオとミアにもその時を止める力を使って――」
「あそこで倒れてる二人のこと? 残念だけど、もう死んでるよ」
「……え?」
目を背けたかった現実を、平然とメリィはルルへと突きつけた。
「私を抜けば、グレイは魔王軍で一番強いからね。それに、グレイやマゼンタは敵に対しての容赦とかないから」
ルルはおぼつかない足取りで仲間だった二人の元まで歩く。二人とも、酷い有様だった。想像を絶する痛みと戦い続けていたに違いない。
しかし、ルルはアルベルとの別れの際、彼らの悲鳴などは一つも聞いていない。つまり、これだけの苦しみの中、ルルとアルベルの会話に余計な水を差させないために彼らは耐え抜いたのだ。
「ミアの馬鹿。あなたもアルベルのこと好きだったの、知ってたんだよ……?」
ぎゅっとミアの体を抱きしめたルルは、静かに涙を流した。時の止まった世界の中で、ルルの体から離れた涙がミアへと落ちる前に停止する。
なんて寂しい、世界なのだろうか。
「あなたの名前、教えて?」
沈黙に染まる世界の中に、メリィの小さな声が響く。
ミアの体をそっと地面に下ろしたルルは、ミアを見つめたまま、言う。
「……ルル。ルル=アーランド」
「よろしくね、ルル。隣、座ってもいい?」
ルルは返事をしなかった。ただ、ミアとフィオリオの二人のすぐ隣に座っていた。
返事を待たずに、メリィはルルの横に腰を下ろす。
痛いほどの静寂が、凍った世界に埋め尽くされていた。当然だろう。なにせ、この世界で動けるたった二人が、微動だにしないのだから。
「ねえ、ルル」
おもむろに口を開いたのは、メリィだった。
「私のこと、嫌い?」
「好きか嫌いかで言えば、大っ嫌い」
「……そっか」
一切の逡巡なく放たれたその言葉を聞いて、メリィは表情を変えずに呟く。
「あなたたちのせいで、どれだけ私たちの国に住む人たちが、いいえ、この世界の人々が苦しんでると思ってるの。私はあなたを決して許さない」
「…………そっか」
憎しみのこもった言葉を容赦なくルルがぶつけると、メリィは寂しげに再びそう呟いた。
そして、またわずかな沈黙が流れた後、再びメリィが口を開く。
「私たちって、どれくらい嫌われてるのかな」
「さあ。でも、少なくとも魔王軍や魔族を好きだって言ってる人には出会ったことはないわ」
「……やっぱり、そっかぁ」
ため息を吐きながらそう言ったメリィは、固まった空を哀傷に染まる目で見上げた。
「なんで感傷に浸ってるのよ。てっきり、悪事を正当化して逆ギレすると思ってたのに」
「いやぁ、魔王って立場も楽じゃなくてさ。最近、いろいろ考えるんだよね。だから、お話をしたかったの」
「今のうちに、言っておくけど」
吐き捨てるように言ったルルは、憎悪のこもった目でメリィを睨みつけて、
「私は今、あなたを殺す力がないから話を聞いてあげてるだけ。今この瞬間も、ミアとフィオリオの仇をとってやろうって思ってることを忘れないで」
「わかってるよ。それだけのことをしてる自覚はあるから」
「…………、」
ルルの言葉が返ってこないことを確認したメリィは「でも」と言葉を加えて、
「最近ね、自分でも分からなくなるの。どうしてこんなことになっちゃったんだろうって」
「ふざけないで。そんな曖昧な気持ちで人々を苦しめたっていうの?」
「ううん。元々はずっと昔に起こった魔族狩りに対抗するために魔王軍を立ち上げたの。そして今もなお、燃え尽きない火種がずっと燃え続けてる。もう、あの頃に生きていた人なんてほとんどいないのに」
「私たちの世代に残されたのは、魔族とそれ以外を分ける谷だけだったってこと」
「そうなるのかな。私は、そんなつもりはなかったんだけど」
「随分と詳しいのね」
「うん。そりゃあ、その戦いをずっと見てきたわけだから」
「……冗談でしょ?」
ルルの表情がメリィのスキルを使っていないはずなのに凍りついた。
それもそのはずだ。なにせ、人間たちが行った魔族狩りは文書にもまともにその内容が残っていないほどの大昔なのだから。百年や二百年前どころの騒ぎではない。魔王軍という存在が当たり前になった世界の、その前の世界の話なのだ。
その世界について、知っているだけでも珍しいのに。その時代に生きていたと言われてしまったら、驚嘆なんて言葉で表現しきれない衝撃を受けるのも当然だった。
「私は異常な発達で、人と同じ大きさにまで育った妖精なの。普通は人間の手のひらで居眠りできるぐらいの大きさなのにね。だから、身体能力こそ高くないけど、魔力の量はかなりある」
「それが、なに?」
「手のひらサイズが普通の妖精が人の大きさになったってことは、その分寿命も長いってこと」
「あなた、何歳なの?」
「うーん。二百までは数えてたけど、それよりあとは面倒になって数えてないや」
「…………」
端的に告げられた信じられない事実をゆっくりと消化したルルは、おもむろに口を開いた。
「ねぇ、魔王」
「メリィでいいよ」
「……どうして、私の命を繋ぎとめてまでこんな話を?」
単純な疑問だった。敵を生かし、自分の能力や秘密をここまで話す。しかもそれが魔王だときたら、そんな感情も湧いてくる。
「私がこの世界からどう思われているのかを知りたかった。今まで魔族としか関わらなかったから」
「それで。あなたが、いや、魔族がこの世界から嫌われていることを知って、どうだったの?」
単純な問いかけだった。
どこか遠くを悲しげに見つめながら、メリィは小さな息を吐いた。
「……決心が、ついたかな」
「なんの」
「私のこれからの人生全てを、一つの目的のためだけに使うっていう決心」
決意を固めた割には、随分と哀愁を感じているような顔をしているメリィを見て、ルルは声を上げる。
「あなたまさか、全ての魔族を使ってこの世界を支配するつもりじゃ……」
「ううん、そうじゃないよ。私の目的は、そんなちっぽけなものじゃない」
「どう、いう……?」
戸惑いを見せるルルの目を改めて真っ直ぐに見つめたメリィからは、もう魔王と呼べるような嫌な空気を感じなかった。
そこにいたのはただただ、どこにでもいるような少女の姿。
「聞いてくれる? 私の、この世界を救うための計画を――」
そして、だ。
その全貌を。魔王メリィが成し遂げようとするその到達点を知ったルルは、その話が終わってから自分の体が震えていたことに気づいた。
外傷は一時的にふさがっているはずなのに、ぐわんと体の芯が揺れるような感覚があった。
「そんな、こと……‼︎」
そんな言葉を思わず口にしたルルを、メリィは穏やかな顔で見つめる。
「不可能だと、思うかな?」
「当たり前でしょう⁉︎ 百歩譲ってそんな状況を作ったとしても、不確定で不安定な要素が多すぎる! 一つの失敗で全てが破綻する可能性すらあるのよ⁉︎ 世界を救うどころか、世界が滅びることだってあるかもしれない‼︎」
「でも、これが一番だと思うんだ。この世界を救うためには」
あれだけ叫んでも、メリィは顔色一つ変えない。冗談でも空想でもなく、それを現実の延長線上に見ている者の顔だった。
「……本気、なの?」
「うん。やるよ、私は。私の全てを懸けるつもり」
「無理よ。そんな夢物語、願うだけ無駄」
ルルはうんざりと首を横に振った。だが、反対にメリィは首を縦に振る。
「そう。今の私じゃあほぼ不可能。だから、ルルに協力してほしい」
「――ッ⁉︎」
「あなたの力は、必ず私の計画に必要になる。だから、力を貸して欲しい」
「……自分が何を言っているか、分かってるの?」
「うん。こんな計画を成し遂げるためには、手段なんかにこだわるだけ無駄だから」
「だから、あなたのために私の全てを捨てろと?」
「……うん」
コクリ、と。
その少女は、頷いた。
「一つ、教えて」
「うん」
「今の話に、嘘はないのよね?」
「全部本当で、全部本気。私はこれから、この計画のためだけに生きる」
魔王と呼ぶには、その姿はあまりに真摯だった。嘘をついているとは、思えない。
ふぅ、と一つ息を吐いたルルは、震える唇で強引に言葉を紡ぐ。
「みんなは、許してくれるのかな」
「そこで倒れてる二人のこと?」
メリィは側に転がる二つの死体へ視線を移した。
「ミアとフィオリオはもちろん。アルベルや私たちを見送ってくれた今まで出会った人たちよ。あなたの仲間になるってこては、そういう覚悟が必要ってことでしょ?」
「そう、なるね」
ミアとフィオリオの死体をじっと見つめるルルは、苦しそうに唇を噛み締めた。
時の止まった音のない世界で、彼女たちだけの時間が流れる。
そして、ルルはゆっくりと口を開いた。
「私には、世界を救う義務がある」
そう呟いたルルは、隣に座るメリィへ告げる。
「…………分かった。あなたと手を組むわ。よろしくね、メリィ」
「うん。よろしく、ルル」
落ち着いた顔で、メリィは手を差し出した。その手をルルは強く握る。
「この計画を知ってるのは、私だけなんだよね?」
「そうだよ。話したのは、ルルが初めて」
「……そっか。これからも、秘密にするの?」
「そのつもり。全てが終わる瞬間まで、私は『魔王』でいるべきだから」
メリィの返答を聞いたルルは、さらに問いかける。
「じゃあ、あなたが言う『主人公』っていうのは?」
「待っていれば、きっと現れてくれるはず。それこそ、あの勇者君でもいいしね」
「そうね。アルベルなら、『主人公』になってくれるかも」
「まあ、いずれにせよ。『主人公』が確定したときに備えて、準備を始めよっか」
「そうね。そうしましょうか」
メリィが立ち上がるのにつられるように、ルルも腰を上げた。
塞がっているとはいえ痛みは残っているので、苦痛に顔を歪めるルルへ、メリィは優しく言う。
「もう少しだけ我慢してね。後でちゃんと治してあげるから」
「傷を残したら怒るわよ。これでも私は女の子なんだから」
「分かってるよ。まかせて」
そう言ってメリィは歩き出そうとするが、ルルはその場から動かず、
「待って。ルルとフィオリオを弔わせて。ここに二人を置いていけない」
「……うん、分かった。」
メリィはミアを、ルルはフィオリオを背負うと、止まった世界の中をゆっくりと歩き始めた。
「これが、私たちの始まりの日。必ず、成し遂げてみせる」
魔王メリィは、力強くそう言った。




