第二十五話「ルル=アーランド」
俺の前にいる目の眩むほどの美女は、自分を魔王軍だと、そう言った。
レアドを何かしらの手段で守ったのだ。その言葉自体を疑うつもりはない。俺が困惑しているのは、全く別の理由だった。
「ルル……? どうして、君が……」
幽霊でも見ているかのような虚ろでおぼろげなアルベルの瞳が、まばたきもせずにルルと呼ばれたその女性を見つめていた。
ルルはアルベルに久しぶりと言っていた。
知り合いなのかもしれないが、どうしてあれほど魔王軍を嫌うアルベルの知り合いが魔王軍として目の前に立っているのだ。
嫌な沈黙が、瓦礫の絨毯の上にいる俺たちの空気を支配する。
「……もし、かして。そう、だったんすか……?」
聞き覚えのある少女の声が、後方から聞こえた。
振り返ると、そこにいたのはルーシェに抱き抱えられたラキノの姿だった。
「起きたのか、ラキノ! 大丈夫なのか⁉︎」
「かなり気分は悪いっすけど……なんとか平気みたいっす。それよりも、アルベルさんが……」
あれだけの苦労の末にラキノを助けたはずなのに、アルベルの意識の全てがルルへと向いていた。ラキノが目を覚ましたことなど、一切気づいていないようだった。
勇者とは思えない弱々しい背中を見つめながら、ラキノは口を開く。
「外に出る前、アルベルさんから聞いたっす。アルベルさんは昔、三人の仲間と一緒に冒険をしていたって。そして、その仲間の一人の名前が……ルル=アーランドだって。まさか、幹部のルルさんがその人とは思わなかったっすけど……」
「ちょっと待てよ。だって、あのルルって人は魔王軍の幹部なんだろ? どうしてアルベルの仲間にそんな人がいるんだ」
「私が魔王軍に入ったのは六年前から。アルベルと離れたのもその時よ」
うんざりとした声で、ルルはそう言った。
別に秘密にする気もないのか、呆然とするアルベルを無視してルルは続ける。
「魔王軍に入る前は確かにアルベルと一緒に旅をしていたわ。もっとも、アルベルが勇者と呼ばれ始めた時期だから、彼ほど有名ってわけじゃないんだけどね」
「どうして、そんな人が魔王軍に入ったんだよ。アルベルの仲間ってんなら、こいつがどれだけ魔王軍と戦ってきたか知ってるんだろ?」
「ええ、もちろん。あなたの何十倍も知っているわ。仲間だったもの」
淡々と、ルルは言う。
なんでだよ。それなら、どうしてアルベルの敵になるようなことをするんだ。
「そりゃあ、分からないでしょうね。私がなんでこの場所にいるのかなんて。それ以前に、アルベルに至っては私が生きてること自体知らなかったんじゃないかしら?」
そんな言葉が耳に届いたのか、アルベルは触れれば壊れてしまうかもしれないというような姿で必死に口を動かす。
「なん、で…………?」
「死ななかったのよ。いいや、死ねなかったと言う方が正しいのかしら」
「どういう意味だ……?」
「メリィに助けられたのよ。それでこう言われたの。『力を貸してほしい』ってね」
再び現れた、メリィの名前。聞くだけで背中に寒気の走るような、おぞましい魔王の名前。
でも、そんなやつに言われただけで、手を貸したっていうのか。
俺は思わず、声を上げた。
「それで、魔王軍に入ったってのかよ……!」
「ええ、そうよ。向こうからのスカウトだから、すぐに魔王軍幹部として働くことになったわ」
まるで仕事に飽きた会社員が職場を転々とするような雰囲気。たった一つのその行動にどれだけの意味があるか、ルルは分かっているはずなのに。
疑問が、止まらない。
「…………一つだけ聞いてもいいか、ルル」
探るような声で、アルベルは言う。
「君は、僕の敵になってしまったのか……?」
その勇者は、正義と悪の狭間で苦しんでいるように見えた。少し考えれば分かることだ。ずっと、魔王軍の打倒だけを目的にしてきたのに、かつての仲間がその魔王軍にいる。絶対的な彼の正義は、ルルにも剣を向けなければならなくなってしまうかもしれないのだ。
だが、対するルルは余裕のある表情のまま、
「私はあなたの敵になったつもりはないわ、アルベル」
「な、に……?」
「私はあの始まりの日から、誰の敵でもなく、メリィの味方になると決めたの。この世界を救うためにね」
さらに、理解ができない。
どんな思考を超えて、彼女はメリィの味方になるだなんて考えたのだろうか。
俺は洗脳すらも疑い始めていた。
だが、それを調べる術を俺は持っていない。ならばせめて、会話を。
「お前たちの、メリィの目的はなんなんだ」
俺が問いかけると、さも意外と言うような目でルルは言う。
「あれ、メリィからは何も聞いてないの? スワレアラの王都で少し話をしたって聞いたけど」
「たしかに、少しだけ話はした。でも、曖昧すぎて理解はできなかった」
「メリィはなんて言っていたの?」
「『この世界をみんなが住みやすい世界に変えること』……だ」
「なるほど。あの子らしい言い方ね。……まあ、その認識で構わないわ。特に間違いはないから」
世間話でもしているかのような雰囲気と、話の内容のギャップに吐き気すら催しそうだった。
なんでメリィもルルも、こんなことをあんな顔で話せるんだ。たくさんの人たちが、苦しんでるっていうのに。
「お前はメリィのことを信じてるっていうのか? これだけたくさんの人たちを苦しめておいて、それでもこんなやり方が正しいって思うのかよ……!」
「その気持ちはよく分かるわ。私のそっち側にいた人間だから」
「じゃあ、なんで……!」
「一つだけ、覚えておきなさい」
ピリッと痛みすら感じそうな空気を針のように俺へ突き立てたルルは、殺気すら感じる視線を俺へ向ける。
「世界に正義があるのなら、必ず悪がなければならない。そして、その正義と悪の力が強まっていけばいずれ、それは世界すらも動かす強大なエネルギーになる」
「なにを言って――」
「そろそろ動ける程度にはなったでしょう、レアド。さっさと立って」
ルルのその言葉で、衰弱したレアドが無理矢理に立ち上がった。
ルルとの会話に夢中になっていたからか、緑の光に守られていたレアドの傷が治っていたことに気づかなかった。
「ま、待て! まだ話は――」
「もうほとんど準備は終わってるから、また近いうちに会えるはずよ。焦らずともあなたは全てを知ることができる。ってことで、これからもみんなを助けてあげてね、『主人公』さん」
ルルがそう言い終わった瞬間、ふらつきながらも魔力を練り上げたレアドがスキルを発動しようとしていた。
まだだ。レアドがスキルを言い切る前に止めれば瞬間移動はできない!
「おらァ!」
腰の入っていない強引な拳だが、スキルの邪魔をするには充分のはずだ。
タイミングは間に合っている。あとは、これが届けば――
「【守護の衣】」
ゴッッ‼︎ という鈍い音とともに、俺の拳に異常な痛みが突き刺さる。
「ぐぅぅう⁉︎」
どういうことだ。俺の力は魔道書のおかげで誰よりも強くなっているはずなのに。
まるで、この世界にくる以前の俺が壁を殴りつけるのと同じぐらいの手応えのなさ。
「私の【守護の衣】は、ただのパンチならどれだけ威力があっても壊れない。残念だったわね」
マズい。このままだと逃げられる。
どうにかできないのか。
「クソ……ッ! おい、アルベル! どうにかできないのか!」
そう俺が声をかけても、勇者は動かない。
否。動けない。
「……ルル」
アルベルは泣きそうな顔で手を伸ばした。
震える指先をわずかに見たルルは、微笑して、
「ルージュによろしく言っておいて。またどこかで会いましょう、アルベル」
直後、レアドのスキルが発動し、魔王軍幹部の二人は目の前から消え去った。
ガラガラと崩れる瓦礫の音が、俺はやたら寂しく聞こえて仕方なかった。




