第十八話「その機械は合理的だった」
「ハヤトさん。お父さんに回復魔法を使ってもらってもよろしいでしょうか?」
「ああ、分かった」
地面に寝かせたミドロルの衰弱した顔を心配そうに見下ろしながら、ルーシェはそう俺に懇願した。俺もすぐに腰を下ろし、ミドロルの胸に手を当てる。
「――【全癒】」
俺がそう唱えてたった数秒で、ミドロルの顔から苦痛の色が抜け、すうすうと穏やかな呼吸が始まった。もう少ししたら目を覚ますだろう。
「ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。むしろ、ルーシェがいなかったらこのじいさんは助かっていないんだから。俺が礼を言うべきだ」
「……機械の私に心があるとはいえど、やはりあなたのその思考は理解から遠いようです」
そんなことをいいながら、ルーシェはおかしそうに笑った。
俺もつられるように笑いながら、腰につけていたホルダーから魔道書を取り出した。
「この魔道書がきっかけなんだよ。つい最近、女神の魔力が詰まったこの本にあんな力をもらったもんだから、間違った使い方はしちゃいけないって思ってさ」
そうなんですか、と軽く言葉を返したルーシェは、俺の持つ魔道書を見つめながら小さく呟く。
「女神の魔力、ですか」
「そういえば、『女神の心臓』ってルーシェの体にあるんだっけか」
「そのようですね。自分ではそんな大層なものが入っているだなんて感覚はないですが、あれだけの力を持っているようですし」
俺はつい先ほど見たルーシェの莫大な力を思い出した。
エストスの力の上位互換と言ってもいいほどの、『創造』の力。きっと、その可能性は俺の想像をはるかに超えるのだろう。
「あの、少しその魔道書……? とやらを見せてもらってもよいでしょうか?」
「え、ああ。いいけど、どうしたんだ?」
「実は、『女神の心臓』の力が今は使えないようなのです。お父さんが横になれるような物を作ってみようと思ったのですが、ピクリとも力が反応しなかったんです。ハヤトさんはその力を自分のものとして完全に使いこなしているようなので、何かヒントがあるかと」
「見せるのは構わないけど、これを作ったのは俺じゃないから質問には答えられないからな。それは先に断っておくよ」
「大丈夫です。力は使えないのなら使えないで、私は構わないですから」
きっぱりとそう言い切ったルーシェは、ペラペラと魔道書のページをめくりながらそれに目を通していく。
「この文字は」
「俺のいた場所で使われる言葉だよ。多分、俺しか読めないと思うけど」
「そのようですね。このような文字は私の知識にはありません」
やっぱり、前に王都でレイミアに見せたときも日本語は知らなかったようだし、ルーシェも知らないのは当然か。
だが、魔法使いのレイミアとは違う視点を持っているルーシェはこれをどう見るのだろうか。
「確かに、この本からは私の体にある魔力と同じ性質を感じます。本当に女神の魔力が込められているようですね。しかし、これはまた不思議な」
「……? どういう意味だ?」
「私が『女神の心臓』の力で何かを創造する力を得たというのに、この本にはその『創造』の力を感じません。ハヤトさん、この魔道書にはそれについての記述はありますか?」
「いや、魔法とかは書いてあるけど、創造はなかった」
前に一度、魔道書の全てのページに目を通したことがあるが、あるのは冒頭のチュートリアルや魔法、そしてステータスの説明などで終わりだ。
魔法の欄にも、何かを生み出すような力は一つもなかった。
ちなみに、俺がここ最近で習得した魔法は王都で『災い』に憑りつかれたときに覚えた【全癒】だけだ。まあ、単純にこの魔道書で覚えた魔法やらが不発に終わる可能性があるためにポイントを無駄にしたくないからと何もしていなかったからなのだが。
それに、その欠陥を直せる可能性のある『女神の心臓』も、ルーシェの体の中だ。
どうやら、俺の魔法使いキャリアはまだまだ遠い未来にあるようだ。
「そうですか。ならばこの魔道書は私の『女神の力』を使うことは違い、『女神の魔力』を使っているということでしょうか。いずれにしても、私にはこれ以上の分析は不可能のようです」
「そっか。やっぱり不思議なんだな。この魔道書って」
「ええ。私が言えるのはこの魔道書に膨大な量の女神の魔力が詰まっているということだけです。機械が専門のお父さんも、これ以上は分からないでしょう」
と、ルーシェが俺に魔道書を手渡したとき、ミドロルの体がピクリと動いた。
俺もルーシェも、ほぼ同時に視線をミドロルへと移す。虚ろながらも目を開き、自分の娘を見つめるミドロルがそこにはいた。
「……ルー、シェ…………?」
「お父さん!」
ルーシェはすぐにミドロルの首に手を回し、上体を起こして彼の顔を覗き込む。
まだ状況が呑み込めていないのか、目の前のルーシェが現実のものとは思えないような顔で静かにルーシェを見つめていた。
「ルーシェ、なのか……?」
「はい、ルーシェです。お父さんが作ってくれたルーシェ=アルフィリアです」
「戻ってきて、くれたんだな……」
「お父さんが最後に私に埋め込んだ『女神の心臓を守る』という意識のおかけで再びここに戻ってくることが出来ました」
「……そうか」
そう言うと、ミドロルは弱った体をゆっくりと動かし、ルーシェの頬に手を当てて、優しく撫でた。
「すまなかった。魔王軍に攻められたとき、お前を守るためにこうするしかなかったんだ」
「気にしないでください。こうして戻ってこられたのですから」
「お前は、知っているのか。お前が――」
「機械だということ、ですか」
「……、」
ミドロルは何も言わなかった。いや、言えなかったという方が正しいだろう。ルーシェの存在は、言ってしまえばミドロルのエゴによって作られたものだ。
糾弾されても仕方がないという罪に苦しむような表情のまま、ミドロルはわずかに唇を噛んだ。
「後悔、していますか?」
ルーシェは、そう問いかけた。
ミドロルは困惑しているようだった。きっと「何を」後悔していると訊かれたのか分からなかったからだ。
「私を作ったことを、後悔していますか?」
もう一度、ルーシェはそう問いかけた。
ミドロルは答えることが出来なかった。答えのない問いだと、自分で思ったのだろう。
口を開かないミドロルに対して、ルーシェは「では、こう問いましょう」と質問を変える。
「私がこの世界に生まれて、後悔していると思いますか?」
「……ッ‼︎」
父親は、答えられない。
だが、そんな自分の父親に、ルーシェは笑いかける。
「私には心があります。機械であるはずの私に、あなたと同じ心があります。この奇跡は、あなたが生んだ奇跡です。決して、『女神の心臓』を使ったから、なんて安易な理由ではありません」
そう断言したルーシェは笑顔のまま、
「ありがとうございます。私に心を与えてくれて」
「……、」
「ありがとうございます。あなたが私に見せたかった素晴らしく愉快なこの世界を感じることのできる心を与えてくれて」
「…………ルーシェ」
言葉を失っていたミドロルは、ようやっと娘の名前を絞り出すように口にした。
そんな父親に、娘は優しくこう言うのだ。
「ただいま、お父さん。あなたの大切な娘が、帰ってきましたよ」
「……ああ」
老いぼれた父親は、元々しわのある顔をさらにくしゃくしゃにして涙を流す。
ルーシェを強く抱きしめたミドロルは、こう答える。心の底から嬉しそうな、そんな表情で。
「おかえり、ルーシェ……!」
その様子を見て安心した俺は、ふうと一つ息をついた。
ひとまず、ミドロルを助けることには成功した。これにて一件落着……と言いたいところなのだが。
「ルーシェ。まだ動けるか」
「ええ。むしろ腕も直っているのでさらに快調です」
立ち上がる俺に続くように、ミドロルの体を再びゆっくりと横にしたルーシェも立ち上がった。
その直後、この研究所兼管理上が地震が起こったかのように大きく揺れた。さらに、遠くで何かが崩れるような音も響いてくる。
「じいさん。自分だけで動けそうか?」
「……杖があれば、なんとかな」
それを聞いた俺は、近くにあった配管をもぎ取って杖代わりにしてミドロルに手渡す。
「充分だ。この管理場の構造も分かってるだろうから、あんたはこの音とは反対方向に逃げてくれ。出来れば建物からも出てもらいたい」
「それは分かったが、一体何が……?」
「あんたと出会う前に、あんたよりも危険なやつに出会ってるんだよ。おそらく、魔王軍のあいつはまだ『女神の心臓』を狙ってる」
さらに、建物が崩れる音が連続して聞こえてきているということは、戦闘が既に始まっているということだ。
そして、この場所で魔王軍と戦う意思のある人間を、俺は一人しか知らない。
「私たちは、彼らを助けに行かなくてはなりません」
「ま、待ってくれ!」
ミドロルは弱っているにも関わらず声を上げた。衰弱した体を強引に起こした彼が手を伸ばしている先にいるのは、もちろん彼の娘だ。
「あいつらの狙いは『女神の心臓』だ。ルーシェは行ってはならない。もし、ルーシェの秘密が奴らにバレてしまったら……」
「それでも、私は助けに行かなくてはならないんですよ。お父さん」
「どう、して……」
「やっぱり、お父さんも理解は出来ないですよね。論理的に考えても、私はここから逃げたようがよっぽど理に適っています。ですが」
一度言葉を切ったルーシェは、その場に座っているミドロルの目線に合わせるようにしゃがむと、優しく笑う。
「非合理的だとしても、誰かを助けるために前へ進み出せるのが、人間ってやつじゃないですか」
「…………、」
立ち上がったルーシェは、踵を返して俺とともに歩き始める。
振り返ることなく、ルーシェは言う。
「行ってきます。すぐに帰りますから、私の口に合いそうな極上のスープを作って待っていてください」
進み始めるルーシェに対して、ミドロルは何も言うことが出来なかった。
ただ、自分の足で歩いていく自分の娘の背中を見送ることしか、彼には出来なかった。




