第十六話「心のありか」
「ぁ……?」
言葉にならない声が、思わず口から溢れた。
その文字を読むことは出来る。書いてあることの理解も出来る。
だが、それを素直に飲み込んでいいのか、分からなかったのだ。
ならば、後押ししてやるのが、俺の仕事だってことだよな。
「もうわかっただろ、ルーシェ」
依然として暴れ続けるミドロルを押さえつけながら、それでいて穏やかな口調で俺は言った。
放心しているのか、ルーシェの口はわずかに開いたままだった。
「お前は、このじいさんに望まれてこの世界に産まれたんだ。機械だとしても、命のない空っぽの機械じゃあ決してない」
「…………、」
ルーシェの本を持つ手が、小刻みに震えているのが見えた。開いているページはきっと、最後にミドロルが残したルーシェに向けた言葉が書かれた場所だろう。
何度も何度も、目が同じ場所を通っていた。噛みしめるように、体の芯まで染み込ませるように、ルーシェはそれを読み続ける。
そこには、確かに愛があった。
一字一句に、これ以上ないほどの愛が詰まっていた。
「私は、捨てられたんじゃなかった……?」
「そうだよ。お前を逃がそうと必死になっていただけなんだ」
誰に問いかけるでもないルーシェの言葉に、俺はそう答えた。
「私が作られた理由は」
「ただ、お前と一緒にいたかっただけなんだよ。ルーシェっていう、自分の娘と一緒にな」
「それだけ……?」
「きっと、そうだろうよ」
「私は、ただの機械なのに……?」
「関係ないだろ。家族だと思ったら、人種も種族も、機械かどうかなんてどうでもいいんだ」
俺が抑えているミドロルの力が段々と弱くなってきていた。もう限界が近いのかもしれない。
ギャギャギャとなり続ける関節部が妙に痛々しく見えた。
機械の中心で動力となっているミドロルは、苦痛に顔を歪ませていた。こめかみに浮き出る血管や、砕けるかと思うほどに食いしばる歯を見るだけでも明らかだった。
そんな、見るも無残なミドロルを見て。
ルーシェ=アルフィリアは、こう呟いた。
「…………おとう、さん……?」
直後、ルーシェの吸い込まれるような美しさを孕む双眸から、涙が溢れ出た。
涕涙と表現しても誇張のないほどに、ボロボロと。
数秒経ってから、ルーシェはハッとしたように瞳から溢れるそれを手で拭った。
「なんで、涙が……?」
「お前に、心があるからだろ」
俺は、そう確信していた。
きっと、エストスが見たらルーシェの中にある『女神の心臓』による力だというのだろうけれど、俺はそうは言わなかった。
その涙は、機械的な機能でも、『女神の心臓』によるものでもない。
ルーシェ=アルフィリアが流した涙だと、確信していた。
「『女神の心臓』なんて関係なしに、そもそもお前の心はあったんだよ!」
「私に……心が……?」
ルーシェは自分の胸に手を置いた。
おそらくそこには『女神の心臓』が埋まっているのだろう。だが、ルーシェが手を当てているのはきっとそれじゃない。
探るように自分の胸に置いた手を握りしめると、静かに目を閉じた。
俺の方も、そろそろ痛みに耐えるのが辛くなってきた。怪我をしないために耐えられるからこそ、苦痛が体を襲い続ける。
俺を殴り続けるミドロルだって、もうボロボロだ。もう終わりは近い。
「さあ、どうする。お前はどうするつもりなんだよルーシェ!」
「私は……」
わずかな逡巡の後に、ルーシェは口を開いた。固い決意を込めた瞳で、まっすぐに前を見つめながら。
「ミドロル=アルフィリアを助けたい。お父さんを、助けたい」
すがるように、振り絞るように。
ルーシェは言う。
「無理だなんて分かってるのに。もう助かる可能性なんてほとんどないのに。それでも、私は……ッ!」
「それが心ってやつだろ、ルーシェ。随分と人間臭くなったじゃねぇか」
きっと今のルーシェならば、俺の気持ちを分かってくれるはずだ。
助けたいと思ったらもう止まれない。リスクやデメリットだらけの中にあるたった一つの割りに合わない希望に手を伸ばそうとするこの気持ちを。
その非合理を孕むのが、感情を持つ俺たちの心だってことを。
「分かってんだろ、やるしかねぇって。無謀だようと、進むしかねぇときがあるって」
「……でも」
だが、ルーシェの中の迷いは未だに拭いきれない。当たり前だ。心があるとしても、ルーシェの機械的な思考がストッパーになっているんだ。
でも、やるしかない。ミドロルを救うためには、ルーシェが立ち上がらなければならない。
頭の中で導き出した結論に苦しみながら、ルーシェは言う。
「確率は限りなくゼロに近いです。もし、失敗したら――」
「そんなこと、考える必要なんてねぇんだよ!」
ミドロルも俺も、もう限界に近かった。
もう進むしかない。
俺はミドロルを押さえていた手を離し、重心を下げて肩で押し込むようにしてミドロルを突き放した。
近くが消火砂の貯蔵施設のため、床の表面に薄く散らばっていた砂がミドロルの足の摩擦を減らし、体勢を立て直すのに充分な距離まで飛ばしてくれた。
わずかに生じたこの時間で、俺はルーシェへ叫ぶ。
「たとえ可能性がほぼゼロだとしてもよ、ゼロじゃあないんだったら、そのちっぽけな可能性をここ一番で引くような奇跡を起こせばいいだけじゃねぇか!」
俺がこの世界に来てから、そんなありえない可能性の連続だったんだ。
今更、そんな可能性なんかで怯んでたまるか。今ここで立ち上がなければ、ミドロルは死んでしまうのだから。
「やってやろうぜ、ルーシェ。俺たちがミドロルを救うんだ!」
俺のそんな決意を聞いて、驚いたような顔をしていたルーシェは、
「…………ふふっ」
無邪気な少女のような笑みを浮かべて、ルーシェは俺の顔を見上げた。
わずかに口角を上げた笑顔のまま、ルーシェは口を開く。
「あなたは本当に訳が分かりません。そんな考え、理解不能です。でも」
生き生きとした笑顔のまま、上げていた口角をさらに上げて、人間味溢れる色に表情を染めたルーシェは、左腕を失っている体でもバランスを崩さずに滑らかに立ち上がった。
「奇跡の一つぐらい起こしてやろうじゃねぇかクソッタレ、ぐらいの気合は入りました」
思わず、俺も笑ってしまった。
最初からそんなこと言えるんだったら言ってくれよ。なんだ、楽しくなってきたじゃないか。
「言うじゃねぇか。頼むぜ、こいつを助ける鍵はお前が持ってる」
「ええ。私はお父さんを必ず助けるつもりなので、絶対に足を引っ張らないでくださいね」
俺の横に並んだ隻腕の機械は、右手に握る魔弾銃の銃口を自分の父に向けて構えた。
そして一つ呼吸を置くと、ルーシェは魔弾銃の引き金に指をかけて、
「絶対に一人じゃ死なせない。私の命を懸けてあなたを救ってみせる」
その機械は、魂を懸けてその引き金にかけた指を引いた。
大切な家族を、守るために。




