第十五話「空っぽの機械」
乾いた銃声が聞こえた次の瞬間には、もう状況が変わっていた。
ミドロルからルーシェを逃がすために走りまわり、もう一度ルーシェがこの場所に戻ってきてくれていることを祈ってどうにか戻ってきた。
ルーシェを見つけたとき、俺は本当に嬉しかったんだ。
なのに。
「なに、やってんだよ……‼」
俺は手に持っていた少し厚い本を思わず強く握ってしまった。
これは魔道書ではない。この部屋が壊れる前に机の上にポツンと置かれていた、題名のない本だった。
間に合っていたんだ。あの本を手にすることが。
ルーシェのことがあって本のことに意識を向けることができなかったが、ミドロルから逃げている間に軽くその本に目を通すことが出来た。
さすがに追われている途中だから全てに目を通すことは出来なかったが、それでもこれを書いた人の気持ちはよく伝わった。
だから俺は、届けなくちゃいけない。
「俺が救ってやるよ、ミドロル‼」
迷いなく、俺は下層へと飛び降りた。
ミドロルに銃を向けるルーシェが見えた。あいつはミドロルを独りで殺すつもりだ。
そんなこと、絶対にさせるか。
床に足がつくと同時に全力で地を蹴り、俺はミドロルを追い抜いてルーシェの前に立ち、ミドロルに向けていた魔弾銃を押さえた。
「なにを、しているんですか……!?」
「お前の馬鹿げた行動を止めに来たに決まってんだろ‼」
「馬鹿げているのはあなたじゃないですか! この銃でミドロルの頭と心臓を打ち抜けばそれで全てが終わるんです!」
「そんな終わりは認めねぇ! 俺は許さねぇぞ!」
「どうして!? 理解が出来ません!」
初めて見る、ルーシェの激昂に思わず気圧されそうになるが、俺は腹に力を入れて声を上げる。
「理由なんて簡単だろ! 俺がお前を、お前とミドロルを救いたいからだ! だって、お前は――」
「私に命はありません‼」
はっきりと、ルーシェはそう言い切った。
一体、今、彼女の中でどんな感情が渦巻いているのだろう。
機械なのに人らしくするのが嫌なのか? 機械的な思考と人間的な思考の間で苦しんでいるのか? いや、違う。
怖いんだ。機械の自分が、人間らしく生きたいと思ってしまうのが。
『女神の心臓』を守るという目的だけの機械が、人らしく生きちゃあいけないなんて。そんなくだらないことを考えているのだろう。
だったら、俺はそれを否定しなくちゃいけない。
「でもお前には、心があるじゃないか!」
「そんなものありません! 私はこれから合理的にミドロルを殺して、そして私の役目を全うするだけです!」
「嘘ついてんじゃねぇよ!」
「嘘なんか――」
「だったら、なんで嘘までついて俺をミドロルから遠ざけた!? その場でミドロルの頭を打ちぬけばそれでおしまいだったじゃないか!」
俺はルーシェをミドロルから遠ざけるように突き飛ばし、手に持っていた題名のない本をルーシェの前に放り投げた。
そして、こちらへ突っ込んでくるミドロルを、俺は相撲のがっぷり四つのように体で止めた。さすがに力負けすることがないが、重機を体一つで止めているのと変わらないために体中に激痛が走る。
「それを読んでみろ、ルーシェ!」
「なにを――」
「いいから読め‼」
体で押さえつけてはいるが、力を入れすぎるとミドロルの負担になってしまう。
耐えるしかない。しかし、ミドロルは鉄塊のような右腕を振り上げると、俺に向かって全力で振り下ろしてきた。
ドゴォ! と鈍痛が頭頂部からつま先まで電流のように駆ける。
怪我はないが、その痛みだけでも意識が飛びそうになる。
ここからは、精神力勝負だ。
「それを読んで、それでもお前の考えが変わらないってんなら、俺はミドロルを諦める! だから、さっさと読め!」
「理解が、できません……!」
俺の投げた題名のない本を見つめながら、ルーシェは魔弾銃を握り締めた。
ギリギリと、無機物の手からきしむような音が響くほどに。
「私はこの男に作られ、そして捨てられてたんです! 私はこの世界に存在する価値なんてない! そんな存在なんですよ!」
「そんなわけ、ねぇだろうが!」
何を言われても、俺の決意は変わらない。
そんな考え、俺が全て否定する!
「俺たちはお前のおかげでここまで来れた! お前が案内してくれなかったら、俺たちはまだ互いに文句を言いながらそこらへんを歩いていたはずだ!」
「それは私ではなく、私の知識です! 機械の私に最初から埋め込まれた作りもの。それをあなたたちに伝えていたのにすぎません!」
「だったらなんだ! それも含めてお前じゃねぇのかよ! 俺はお前が機械だろうがなんだろうが知ったこっちゃねぇ! 俺が今話しているのは、ルーシェ=アルフィリアだ!」
「――ッ‼」
俺は知ってるんだ。
あの題名のない本さえ読んでくれれば、きっとお前は立ち上がってくれるってことを。
だから、お願いだ。
俺の言葉じゃ、お前を救えない。救えるのはその本に書いてあることだけだ。
「そうだろ? だから、少し大人しくしてろやクソジジイ……‼」
依然として、ミドロルの動きは止まっておらず、今もミドロルを押さえている俺の体を全力で殴り続けている。俺の体が丈夫だと言っても、痛覚が変化していない以上は苦しいことに変わりない。
それに、ミドロルが殴り続けているせいで、鉄でできた機械の腕も変形してきていた。
もし機械の動力が体と直結しているのなら、ミドロルだってただでは済まないはずだ。
早くこれをなんとかしなければ、ミドロルは自滅してしまう。
「アアアアアアアァァァァァァアアアア‼‼‼」
俺たちの敵意にしか聞こえなかった叫び声も、今となっては悲しい泣き声にも聞こえてきた。ミドロルも戦っているのだ。
救うんだ。ミドロルを。そして、ルーシェのことも。
「本を開け。そんで立ち上がれ! ルーシェ=アルフィリア‼ お前に価値があるかないか、そんなこと関係ないって分かるはずだ!」
「なんで、あなたは……」
「ついさっきも言っただろうが! 助けたいって、救ってやりたいって思っちまったんだよ! もうお前らを見捨てるなんて選択肢は捨ててんだ!」
「だって、私は」
「まだ数日しか過ごしてないけどさ。お前に心がないなんて思ったことはないぜ。俺たちを助けてくれた時も、飯を作ってくれた時も、俺を庇ってくれた時も。それだけされてお前を空っぽの機械だなんて呼ぶ奴がいたら全員呼んでこい! 俺が全員ぶっ飛ばしてやる!」
「……、」
それ以上、ルーシェが何かを言うことはなかった。
ただじっと、目の前に落ちている題名のない本を見つめていた。
ちらりと俺の姿を見ると、ルーシェは静かにその本を持ちあげた。
そして、ルーシェは開いた。
この町の全てを作った一人の老人の日記を。
ミドロル=アルフィリアの日記を。




