第十三話「不意打ち」
レアドは逃げ、博士を取り込んだ機械は下層の消化砂を貯蔵している場所に落ちていった。ひと段落ついた俺たちは、休憩混じりに歩きながら研究所の探索をしていた。
逃げ回っていたために自分たちの位置を見失っていたが、ある程度歩いたところでルーシェが方向を掴んだらしく、さらに奥へと歩いていた。
「機械化した博士が最初に現れたのは管理上の奥側です。当初の想定通り、この先に『女神の心臓』があるかと」
「よし、『女神の心臓』がある場所ならあの博士を助ける方法を見つけるきっかけもあるかもしれないからな」
「はい。それに、私の記憶の手がかりもあるでしょうから」
そうだ。元々、ルーシェは記憶喪失だから俺たちと一緒に『女神の心臓』を探しているんだっけ。かなり色々なことが起こったので完全に忘れてしまっていた。
だが、確かにあの変わり果ててしまった姿を見て、この場所には何かがあるとほぼ確信できた。良くも悪くも、この先で見つけたものが俺たちにとって最も重要なものになるはずだ。
「あの博士を助ける方法も探さなくちゃならない。結構忙しくなってきたな」
「ハヤトさん。一つ、質問をしても?」
「どうした?」
「博士という人はもうほぼ確実に助かりません。それなのに、どうしてあなたは見ず知らずの他人を助けるためにそこまでするのですか?」
「どうしてって言われても、なあ……」
俺はその場で足を止めて返事の言葉を探す。
複雑な事情があるため、具体的に言葉にするのは難しいが、それでも一言だけ言うとしたのなら。
「助けたいって、思ったからかな」
こぼれるように言ったそれを聞いて、ルーシェはポカンとした顔で俺を見ていた。
数秒経って、ようやく返事をしてくれた。
「それだけ……でしょうか?」
「え? あ、うん。確かに俺がここに来た事情とか、やらなきゃいけないことがあるってのはもちろんそうなんだけどさ。それでも、どうしてって訊かれた俺の答えはこうかな」
だからといって、俺が生まれついての善人ってわけじゃない。
前の世界にいたとしたら、きっと不良にカツアゲされている人すらも見過ごして、人並み程度の努力だけして生きていたんだと思う。
でも、もうそうじゃないんだ。誰にも負けない力をもらってしまった。守りたいって思った誰かを守れるような力をもらったんだ。
アルベルのいうように、俺の行いが全て正しいのかって問いかけられたら、そりゃあ全てが正しいなんて冗談でも言えない。それでも、救いたいって思った人を救うのが俺の使命なんだって、そう思ってるんだ。
「非合理的です」
「そんなもんだろ。人間ってさ」
「理解、不能です……」
そう呟くルーシェの顔は、どこか寂しげだった。
きっと、本当に俺の気持ちが分からなかったのだろう。
でも、俺はそうやって生きていくって決めたからな。
「分からなくてもいいよ。さあ、先へ進もう」
無表情のまま、困惑しているのか床をただ見つめるルーシェの背中をポン、と押して俺は歩き出した。
それに続くように、小走りでルーシェがついてくる。
そろそろ、この研究所と管理場の大きさを考えると最奥部に着くらしい。確かに、陳列されている魔晶石の棚はいつの間にかなくなり、部屋ではなく俺とルーシェが並んで少し余裕がある程度の幅の廊下を歩いていた。
たまに扉があるが、そのどれにも見向きもせずにルーシェは歩き続ける。
「おそらく、ここです」
ルーシェが立ち止まったのは、なんてことはないただの扉の前だった。
ラスボスの部屋の直前のような嫌な感覚は一切ない。むしろ、家の中にある平凡な扉のように開けることに迷いを一切感じないような扉だった。
だから、ためらいなく俺はドアノブを回した。
「ここは、何の部屋なんだ?」
「まだ断言はできませんが、ミドロル博士が使っていた部屋ではないかと」
俺は周囲を見渡す。
部屋に置かれているものが少ないので窮屈な感覚はないが、かなり質素な部屋だった。
部屋の奥に置かれた机に、壁を埋めつくす本棚。そして別のスペースには焦げ付いた鉄製の机が別にあり、その周囲には失敗作なのか細かな鉄の塊が転がっていた。
床に落ちているがガラクタは別に放っておいていいだろう。何か情報があるとしたら、書物の方だ。
俺は奥に歩きながら、本棚に並ぶ本のタイトルを眺める。
しかし、めぼしいものは見つからない。小難しいタイトルのものだけで、俺には理解できそうになかった。
「どうだ? 何か参考になりそうな本はあるか?」
「今のところはまだ。しかし、ここで作られている機械の基礎となっている書物がいくつかありました」
「博士は助けられそうか?」
「分かりません。なにせ、動力源が魔晶石ではありませんから」
確かに、町の中に魔晶石を動力とする機械しかないということは、人間に関してのものはかなり例外的なんだろう。だが、少しでもあの博士を助ける足掛かりになればいいが。
と、なんとなく視線を向けたミドロル博士の机の上に置かれた本の一つに、俺はなぜか目を奪われた。
俺の意識が向いた理由の一つとしては、本棚などにある本とは違い、その本の背表紙にタイトルが書かれていなかったからだろうか。特別何かが変わっているわけではないのだが、どこか他の本とは違うように見えたのだ。
「まあ、ほんの少しでも手掛かりが見つかればそれでいいよな」
そう言って呑気に俺がそのタイトルの無い本を手に取ろうとした瞬間だった。
「――危ない、ハヤトさんッ‼」
こんな風にルーシェが声を上げたのは初めてだな、なんて思考すらする余裕がなかった。
俺が手を伸ばした博士の机。そしてその上の本。それはちょうどこの部屋の一番奥に位置しているのだ。
そして、異常は俺の真正面。机が触れている壁から現れた。
もうそれは人と呼んでいいのか分からないほどに変わり果てていた。機械化したミドロル博士が、この町を発展させた張本人が、壁を突き破って現れたのだ。
まるで重機のような推進力で壁を壊した勢いそのままに博士は俺へと向かってくる。どのタイミングで、ルーシェはそれに気づいていたのだろう。
俺が今の状況を理解したときには、もうすでにルーシェに押されて博士の進行方向から外れていた。そして、入れ替わるように俺の身代わりになったのは、
「ルーシェ‼」
間に合わなかった。
咄嗟に体を捻るように回避しようとしたルーシェだったが、左肩がミドロルのタックルをもろに受けた。
ぶちぶちぶち、と。
何かが千切れるような嫌な音が、鼓膜を経由せずに俺の脳を揺さぶった。
目が脳に送る情報を心が理解しようとしなかった。
だが、それでも。強引に俺は体を動かした。
「らああぁぁぁぁああ‼」
拳を握りしめて床を殴りつけ、再び足場を壊して即座にルーシェの元へ走る。
左肩から先が、抱きかかえたルーシェにはなかった。すぐそばに持ち主を失った左腕が転がっていた。
絶望的な状況だろうが、そんなの関係ない。治す魔法は使えるんだ。
俺はルーシェを持ち上げ、転がる左腕を掴むとミドロルから逃げるために崩れる床が足場でなくなる前に部屋から飛び出した。
苦し紛れの策だったからか、今度はミドロルも下へは落ちずに俺たちを追ってきた。
逃げながらも、俺はルーシェの傷を治そうと口を開く。
「【治療】‼」
俺の手のひらから何か力のようなものがルーシェに送られている感覚があった。
よし、これでルーシェの怪我も治って、上手くいけば腕だって。
「……え?」
おかしい。
何かが、おかしい。
慌てていたからなのか。どうして、こんなことに気づけなかったのか。
俺の腕の中で一時的に意識を失っていたルーシェが、そっと目を開いた。
「……なんとなく、自覚はしていました」
口を開くと、まずそんなことをルーシェは言った。
その意味を、俺はよく分かっていた。
理由は落ち着いて今の状況を冷静に見ればすぐに分かる。
まず、俺の魔法はルーシェに効かなかった。千切れた腕はルーシェの元に戻らなかった。
そして肝心なのは次だ。見るべきはルーシェの傷だ。
血が、一滴たりとも流れていなかった。
急なことで逆に気づかなかった。傷口からも、千切れた腕からも全く血が流れていないことを、違和感と感じれなかったのだ。
本来見えるはずの骨や血管の代わりに見えているのは、鉄で出来たパイプと配線だった。それが意味することは、馬鹿な俺でも充分わかった。
そして、ルーシェはそれを自覚していたと、そう言ったのだ。
きっかけが何かは俺には分からない。きっと、彼女の中でどこか引っかかる場所があったのだろう。
「ハヤトさん、私を置いて逃げてください」
「なに、言ってんだよ」
「それが最も合理的です。だって」
淡々と。
彼女は、言った。
「機械の私に、命なんてないんですから」
そんな言葉を言われて。
俺が納得してお前を置いていくと。
そう、思ってんのかよ。この馬鹿野郎が。
「嫌だ。俺はお前も救ってみせる」
「何を――」
俺はもう一度、床を拳で強打した。
凄まじい音を立てて床が崩れる。今度は成功だ。ミドロルも足元を取られ、下へと落ちていっているようだった。それを見た俺はルーシェを床が崩れていない場所まで放り投げた。少し痛いだろうけれど、多少は我慢してもらおう。
「さあ、ちょっくら俺と二人で遊ぼうぜ、じいさん!」
俺は動揺した顔でこちらを見ているルーシェに親指を立てて「すぐに戻る」と一言伝えてから、ミドロル博士と共に下層へと落ちていく。
再び断末魔のような重低音が空気を大きく震わせた。
そして、落ちていく瞬間、ミドロルは機械の腕をこちらへ伸ばしながら、
「ルー、シェ……ワタサ…………ナイ……!」
わずかに聞き取れるような音を発した。
その言葉の意味を理解するのに、少しだけ時間がかかった。
なんて言ったんだ。この人は、今。
一体、自我もなくなってしまったはずの博士の中に残っている目的って。
あんな姿になり果てるリスクを知っていて、どうして。
そんな答えの見えない疑問とともに、ルーシェを置いて俺は下層へと落ちていった。




