第四話。
深紅の燃え上がるような髪を靡かせたセレナが養い子を裏切った愚者達の命を刈り取り終えた姿を見届け、次は己の番だといった様子でシルヴィアが動き出す。
「シルヴィア様……。」
しかし、そんなシルヴィアの歩みを止めるようにコンラッドが服の端を掴み、何か言いたげな眼差しを向けてくる。
「…………。」
いつまで経っても変わらぬ己を見詰めるその眼差しに視界の端でセレナが戻ってくるのを確認しながら、シルヴィアの脳裏にはコンラッドを拾ったばかりの頃のことが蘇っていた。
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「……おい、死にたがりのクソったれ。 此処は孤児院じゃねえぞ。」
机の上だけで無く床にまで紙切れが散乱し、至る所に乱雑に抜き身の刃が光る武器の数々が放置されているとしか思えない散らかった部屋の中で、己が立ち上げた傭兵団“リベルテ傭兵団”の頭領を努める一人の顔に傷がある大柄の浅黒い肌の男が顔を歪めて吐き捨てる。
「……頭領、理解している……このような汚い部屋が孤児院なはずが無い。」
「てめえ、喧嘩売ってんのかっっ?!」
執務用の机とは名ばかりの大小様々な傷跡が目立つ机の上に、骨張った大きな拳を叩き付けて声を荒げる頭領、イヴァンは机を挟んで目の前に立つ死にたがりのクソったれと呼んだ漆黒の傭兵、シルヴィアの全く感情の浮かぶことのない白い顔を睨め付ける。
「喧嘩など売った覚えは無い……第一、頭領へと喧嘩を売る理由もない。」
何故イヴァンが声を荒げているのかも分かっていないのか、無感動な瞳で静かに見詰めるシルヴィアの姿に、こいつはそんな奴だった、とばかりに大きなため息を付いて髪を掻き毟る。
「……ちっ!……おい、シルヴィア! 此処が孤児院じゃねえって理解してんなら話しは終わりだ。 さっさとその小汚ねえ餓鬼を適当な孤児院に放り込んでこいっ!!」
大声で悪態をつきながら話す癖が身に染みてしまっているイヴァンは、シルヴィアの背中に縋り付くように怯えた瞳を向けてくる子供を前にどんな言葉使いをすれば良いのかなど正直に言えば分からなかったのだ。
ただ間違いないと胸を張って分かるのはどんな理由が有ったにしろ、命を遣り取りを日常的に行い、どんなに洗っても既に血や怨嗟が落ちることは無く両手と言わず身体や、魂の奥深くにまで染みこんでしまっているような自分たちの側に置いておくべきではない言うことだけである。
「……頭領の言葉でも、それは了承しかねる。」
「あぁっっ?! てめえ、何を言ってやがるか分かってんのかっっ!!」
普段は唯々諾々と特に反抗的な態度を見せることもなく、機械仕掛けの人形のように従うシルヴィアの初めての反抗とも言える言葉にイヴァンは驚き、聞き返してしまった。
「……頭領は私に言った。“いい加減、死ねない理由を作れ”と。」
「確かに言ったな。 てめえの戦い方は見てるこっちの方が心臓に悪いんだよ。 てめえの身体が傷つくこともお構いなしに白刃を奮い、死んでも構わないとばかりに命を削るような戦い方はな。」
感情が浮かぶことのない人形のような部下の身を削り、命を燃やし尽くすかのような血みどろの戦い方を“リベルテ傭兵団”の仲間達も、イヴァンもずっと案じていたのだ。
だからこその“いい加減、死ねない理由を作れ”という言葉だった。
「じゃあ、何か? その小汚い餓鬼がお前の死ねない理由になるのか?」
もしも、子供を側に置くことでシルヴィアの心が感情を一欠片でも取り戻すことが出来るならば、子供にとってはとんだ迷惑かもしれないがそれも良いだろうとイヴァンは思ってしまう。
「……分からない……だが、そうなれば良いとは思う。」
「シルヴィア、てめえ……」
己の服を掴み、背に隠れる子供へと視線を向ければ、涙眼でシルヴィアを必死で見上げてくる碧い瞳と視線が重なる。
子供の相手などしたことも無いシルヴィアはどうして良いのか暫し逡巡し、いつのことだったかも覚えていない、誰かが己の頭を撫でてくれた感触を思い出し、ぎこちない手つきでそれを実行する。
頭を撫でる剣を振るいすぎて固くなった無骨な手の平の感触に、両親の手の温もりを思い出しながら一層にシルヴィアへと縋るように擦り付いて行く子供。
「……けっ! 好きにしろっ!! だがなあ、犬猫と同じで子供ってえのは俺達に比べりゃあ簡単に死んじまう。……俺は手を貸したりしねえからな! てめえ自身がちゃんと最後まで面倒を見てやれよ、クソったれ!!」
「了解した。」
不器用ながらも歩みよろうとする二人の姿に眼を細め、イヴァンは舌打ちをしながら子供を“リベルテ傭兵団”の本部に置く事を了承するのだった。
それからのぎこちない二人の生活は様々な驚きや失敗の連続であり、シルヴィアと同じく不器用な仲間達や手を貸さないと言ったはずのイヴァンさえもを巻き込んで、少しずつ歩み寄り、親子と言うには奇妙な信頼と師弟関係を結んでいく事となっていく。
手加減を理解できていなかったシルヴィアの容赦ない剣術の修行、何度も死にかけても歯を食いしばってその度に立ち上がる子供。
シルヴィアの相棒を名乗るセレナの激しい威嚇に対し、怯えながらも側から離れることは無かった子供。
日常的に血と死の臭いを纏い、時には怪我をして帰るシルヴィアを出迎えた子供の流す大粒の涙を前に、どうすれば良いのか分からず狼狽えるシルヴィア。
沢山の日常が積み重なり、子供は少年となり、少年は青年へと成長していく。
その過程で闘う意思を持たぬ弱い存在を助ける価値もないと切り捨てるシルヴィアへと、青年となった少年が諫めることもあった。
考え方の相違にぶつかり合い、互いに背を向け、一人の漢として見て欲しいのだと青年が飛び出していく後ろ姿を只見つめる事しか出来なかったこともあった。
だが、それでもシルヴィアにとって積み重なった日常は宝となり、頭領の“いい加減、死ねない理由を作れ”という言葉を理由に拾った子供は、何時しかその通りの存在になっていたのだ。
殺伐とした世界で感情を凍て付かせたシルヴィアの氷のような心を溶かし、己が生きて戻らねば、いや怪我をしただけでも大粒の涙を流す存在は、確かにシルヴィアに生きる意味を与えた。
……だからこそ、全力でシルヴィアへと温もりを教えた、泣き疲れて眠る子供を腕に抱き誓ったのだ。
どんな強大な敵を相手にすることになろうとも、己の魂と信念に懸けてこの小さくも温もりを護ると……誓ったのである。
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考えの相違や、擦れ違いから一度は袂を別つことになった出会った頃は頑是無き子供だったコンラッド。
己が元を去っていったとしても、コンラッドがシルヴィアにとって大切な存在で有ることに変わりなど無かった。
「コンラッド。」
「はい……」
己を見詰める揺れる眼差しに、シルヴィアは出会った頃では考えられない柔らかな微笑を浮かべる。
「お前が何処に旅立とうが、どんな道を歩もうが……もし万が一にでも、人の道を逸れたことをせぬ限り、私はお前の味方だ。
お前が意に沿わぬことを強要され、涙を流すというならば私はどんな汚名を受けようとも、お前を……強大な敵が相手であろうとも必ず退け、コンラッドを連れ去ってやる。」
慈愛と優しさといった感情の宿る眼差しに、コンラッドは再び泣き叫びたくなってしまう。
「……だからこそ……私は今此処に来たんだ。」
“リベルテ傭兵団”の仲間達に依頼し、コンラッドの情報を収集していたシルヴィア。
何時だって養い子の動向を心の片隅に留め、飛び立って言った先での幸せをずっと祈っていたのだ。
そんな大切な存在に権力を笠に着て、身勝手な欲望を盾に意思を奪うような真似をする者達を許せるはずがなかった。
“双黒の鬼神”と呼ばれる最強の傭兵は国でも、世界でも、平和でもなく、只一人の養い子のためだけに大国と呼ばれる権力者達に躊躇うことなく反旗を翻したのだった……。




