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影送り

作者: 白沢 遼

 誰にだって、己の道を進む権利がある。

 誰かに押し付けられた仮初めの道ではなく、本心から成し遂げたいと思った道を進む権利を、人は持っている。少なくとも、俺はそう考えている。

 俺自身、それを実行できているのか定かではないが、今は納得したうえでこの生を歩いている。

 都会の喧騒とは無縁の田園風景が広がる郊外線。二両編成の電車が定期的に線路の切れ目で音を立てる。普段俺が生活しているのは薄汚れた都会の片隅なのだが、今回は仕事で田舎に出向くことになった。

 依頼人曰く、都会で生活しているはずの娘や息子がなぜか村に帰ってきた。連絡もなく突然帰省したことに驚きはしたものの、嬉しくないわけがなく、厚く出迎えた。しかし、しばらくすると帰ってきた家族は忽然と姿を消したのだ。持ってきていたはずの荷物も、そこにいた気配も、匂いも、何もかも消えてなくなっていた。

 それが一人だけなら狐や狸に化かされたのだと笑い話にできたのだが、似たような話が他のところからも出てきたのだ。村に住んでいる住人のほとんどは老人で、いわゆる限界集落だった。魔法使いである俺に話が回ってきたのは必然と言えた。

――東黒谷、東黒谷です。お降りの際は忘れ物のないよう、お気を付けください――

車内アナウンスが流れ、ほどなくして電車が停まる。俺は荷物を詰め込んだリュックを背負い、東黒谷駅に降りた。



「何もないな」

 改札がない、建物がない、駅員がいない、ついでに人もいない。さらに言うならバス停もない。ないというものがある、と形容しても良いほどこの駅は無で満ちていた。持っていた切符を乗務員に渡した時、「ここで降りる人を見たのは久しぶりですよ」と言われ、思わず苦笑いをこぼした。

さて、予定通りならこの駅の前に依頼人が迎えに来ているはずなのだが……

 コンクリートで申し訳程度に整えられた駅のホームを降りてしばらく歩くと、一台の軽トラックが道の脇で停まっていた。俺が手を振ると、人が下りてきた。

「いやぁ先生、長旅お疲れ様です」

 そう言って俺を労ったのは、依頼人の松近清冶さん。五十代も半ばに差し掛かった作業着の似合うガッチリした体格のおじさんだ。しかし、村の中では若者扱いされているらしく、それだけで状況が見て取れるというものだった。それに引き替え、俺は三十代を目前に控えたおっさん予備軍。明日をも知れぬ根無し草が老後の心配をしたら鬼どころか閻魔も笑うことだろう。

「いえ、電車で遠くに出るのは慣れてるのでお気遣いなく」

「そうですか。 それじゃあ次はこれで揺られてもらいましょう」

 松近さんは満面の笑みで助手席の扉を開けた。



 軽トラックに揺られること一時間弱、曲がりくねった山道を越えた先に、目的地の東黒谷村はあった。長いこと放置されたアスファルトは所どころひび割れ、舗装されていない道もちらほら見える。小さな商店の軒先にある錆びついた自動販売機には電源が入っておらず、変色した見本の缶を展示するだけの台と化していた。

「辺鄙なとこですが、なかなか悪くないでしょう?」

「そうですね。 どこか懐かしさを感じますよ」

 まだ寒さの残る三月。しつこい寒波によってもたらされた雪が路肩にぽつぽつと点在している中を進むと、一軒の家が見えてきた。

「あそこが最初に幻を見た河西さんの家です」

 家のすぐそばの道に軽トラックを止め、松近さんが先に玄関に向かった。その後を追って俺も車から降りる。

「河西さーん、探偵さんがきましたよー」

 実際は違うのだが、肩書がないと面倒なので普段は探偵を名乗っている。

 少しして奥の方から物音が聞こえ、引き戸が開けられる。出てきたのは高校生くらいの女の子だった。蝶を象ったおしゃれなネックレスを掛けており、服のチョイスも黄緑のセーターに白の長いスカートと、東黒谷という田舎には似つかわしくない存在だった。

「お、梓乃しのちゃん。おじいさんは奥かい?」

「そうですよ。 探偵さんって後ろの人ですか?」

「どうも。 探偵の御巫みかなぎと言います」

「みかなぎさん、ですか。珍しい名前ですね」

「ええ、芸名みたいなものなので」

 そう言うと梓乃ちゃんは微笑むように笑った。

「祖父のところまで案内しますね」

 薄暗い廊下の先を梓乃ちゃんに歩いてもらい、俺と松近さんはその後ろに続く。明かりが漏れている障子の前で止まると、梓乃ちゃんは中の人に声をかけた。

「おじいちゃん、お客さんが来たよ」

「おう、通しとくれ」

 部屋の中に通してもらうと、座椅子に座っている眼鏡をかけた老人が新聞をテーブルに広げて読んでいた。この人が河西さんなのだろう。新聞の他には煙草の吸い殻がいくつか入った灰皿と煙草の箱、ライターがあり、河西さんの向かい側には薄型のテレビがあった。小さな音量でサスペンスドラマの再放送が流れているようだ。

「梓乃は席を外しなさい」

「私は一緒に居たらダメなの?」

「……いいから別の部屋に行くんだ」

「はーい」

 つまらなそうなトーンでそう言うと、こちらにお辞儀をして障子を閉めた。部屋を軽く見渡した時、薄くぼやけた光が見えたが、それはすぐに掻き消えた。予想よりも早く見つかったな。

 暖房が効いているので茶色のコートを脱ぎ、差し出された座布団の横に折りたたんでおく。松近さんも隣に座ると、河西さんは口を開いた。

「どこから話すべきか、正直迷っとる」

「どこからでもどうぞ」

「……あの子の母親はわしの娘でな、ここ数年は長い休みの時に梓乃だけこっちに寄越して自分らは仕事に出ずっぱりだ。 共働きだから家族揃ってこっちに来ることなんぞできんと言う」

 吐き捨てるように言って河西さんは渋面をつくる。

「その口ぶりから察するに、河西さんが見たのは娘さんですか?」

 河西さんは無言で頷いた。

「……ああ、夫婦一緒にな。 結局、消えちまったが……」

 河西さんは目を細めながらテーブルに置かれている煙草とライターに手を伸ばす。くわえた煙草に火が点くと、紫煙を天井に向かって吐き出した。

「気が付いたら跡形も無かったんだ。煙のように消えた、ってよりかパッと透明になったような気分だった」

 白い煙の動きを見ながら河西さんは独り言のように話す。

「あんたが事の全てを明らかにできるなんて期待はしてないんだ。 だが、他の連中を納得させて帰ってくれ。 それだけで良い」

 灰皿に煙草を押し付けて火を消すと、河西さんは俺たちを玄関まで見送ってくれた。



 その後、同じように幻を見た人の家を松近さんの車で回って話を聞いたが……

「あのバカ息子が突然戻ってきた時は心底驚いたわ。 帰るのも早くてさらにびっくりだったけどね、アハハハ!」

「俺は確かに娘を見たんだが、もしかしてありゃ夢だったのかね、探偵さんや」

「お茶のおかわりはどうです? お茶菓子もまだまだありますから。 え、幻について何か知らないかって? だって娘に電話したらこっちに来てないっていうんですよ。 私が狐や狸にでも化かされたんじゃないですか?」

「怪談話の類にゃ詳しいが、こんなのは聞いたこともなかったよ。 まぁ、この話を残す相手も梓乃ちゃんくらいしかいないわけだが……」

 ほとんどの住人は幻について不思議がりはすれど、わからないならわからないで良いと言う人が多く、何ともやり甲斐を感じない聞き取りとなった。確かに、今回の依頼は住人たちに実害があるわけではなく、幻の共通点としては自分たちが会いたいと思っていた人物だというところだ。ともあれ、ここまで住人たちが消極的だとここまでやってきた意味を考えたくなってしまう。

 だが、まったく情報が無かったわけではない。幻の共通点もそうだが、河西さんの家で見たぼやけた光を他の家でも何度か見かけたのだ。

 光源のないおぼろげな光。魑魅魍魎の幻術ではまず残らない痕跡だった。それに、妖怪やそれに類するモノの仕業ならあるはずの獣じみた足跡や毛などがなかったということからも、今回の騒動に絡んでいるのは魑魅魍魎以外の存在。

 もっと踏み込んで推理するなら、この東黒谷村には魔法使いがいる。

 手帳に書き込んだ情報を確認していると、不意に真っ白な蝶が横切った。

 ん? 蝶だと。

 手帳から顔を上げると、蝶が飛んだ先に誰かが立っていた。一体誰だろうと思い目を凝らすと、そこに立っていたのは俺の友人だった。かつて俺が手に掛けた、この世にいないはずの友人が穏やかな笑みを浮かべていた。だが、その姿はぼやけており、服の色や形もはっきりしない。あれが幻であると看破するのは簡単だった。冷静に分析する頭に反して、心臓は早鐘を打つ。これは幻だとわかっているのに、すぐに消し去ることができない。幻とはいえ、あいつをまた消すのは躊躇われた。しばらくすると幻は溶けるように消え、後には何も残らなかった。あの蝶の姿も消えていた。

 心拍を落ち着かせながら近くに誰かいないか気配を探っていると、背後から聞き慣れたエンジン音が聞こえてきた。

「御巫さん、どうかしましたか? 少し顔色が悪いですよ」

 用事で別の場所に行っていた松近さんが軽トラの窓から顔を出しながらこちらに声をかけてきた。

「いえ、何でもないです。 気にしないでください」

「はぁ……もう夕方ですし今日はこれで切り上げましょうか」

 俺は松近さんにそうですね、と返事をして助手席に乗り込んだ。



「御巫さん、今日はお疲れ様でした」

「いえいえ、寝泊まりする場所を提供いただいてありがとうございます。それに夕食まで……」

 俺は松近さんの家で夕食をご馳走になっていた。炊き立ての白ごはんに山菜のおひたし、なめこの味噌汁、アジの干物と、質素ながら美味しい料理でもてなしてくれた。炊事が下手な自分にはとても有難かった。

「調査の方はどうですか」

 晩御飯も食べ終わり、お茶で一服していると、松近さんにそう訊かれた。

「ちゃんと説明するとなると、なかなか厳しいですかね……材料自体は揃いつつあるのですが」

「そうですか。 まぁ、誰かが怪我したとか聞きませんからね。 危ないものじゃないみたいですし、ゆっくり調べてください」

「遅くても3日でやる予定なので、そこまで悠長にはできませんよ」

 苦笑しながら白い湯気が立ち上る湯呑に口を付け、予想以上の熱さに舌を軽くやけどした。


 お風呂もいただき、寝床の準備をしながら今後の予定を考えていた。魔法の痕跡は至る所にあったし、夕方の幻の件で魔法使い絡みなのはほぼ確定したと言っていい。あとは魔法使いを特定して軽く尋問して、相手が強硬策に出るようならそれに倣ってこちらも力で潰すだけだ。抵抗された時の対応が面倒で気が重くなる。

 そんなことをつらつらと考えながら布団を敷き終わり、気だるい身体をその中に潜り込ませた。

 聞き取りで村中を回った疲れも手伝って、意識はすぐに暗転した。



 目を開けると、そこは住み慣れた都会の風景だった。歩道は灰色の人混みで溢れかえり、各々が行きたい場所に足を向けている。

「夢、か」

 普段ならこの時点で自由に夢を操作できるはずだが、夢は変化することなく進む。

 その雑踏の中で、鮮明な色を放つ異質な人影があった。それは周囲の人と馴染むよう服を選び、表情もにこやかで相手に好印象を与えるよう計算されていた。その人影はかつての友人であり、魔道に堕ちた魔法使いのなれの果てだった。

 人の心を惑わし、捕え、貪り、捨てる。人としての尊厳を平然と踏みにじり、その尊厳の上に至高の魔法があると言って憚らない。はっきり言って手遅れの状態だった。

 俺は右手に光の粒子を集め、鋭い刃を形作る。何よりも強く、鋭く、清く、眩いほどの光をさらに押し込み、整形する。そうして作り上げた刃を、あいつの心臓目がけて飛ばす。文字通り光のように、その刃は邪な魔法使いの心臓を刺し貫いた。友人だったその男は口から黒い液体を流し、笑みをより深くする。

「俺は、お前に殺されたかったんだよ」

黒い飛沫を上げながら、そいつは口を動かす。

「お前の手が誰かの血で染まるくらいなら、俺の呪われた血で穢したかったんだ。この『気高い一族の血』で、な」

 口だけでなく、目、鼻、耳からも黒い液体が溢れはじめ、顔が崩れていく。

「良き魔法使いに災いあれ! 良き友に祝福あれ!」

 呪いとも祈りともつかない叫びを上げ、そいつは自分が作った黒い液体に沈んだ。



 目を開くと、そこは見慣れない天井だった。当然だ。今は東黒谷村にいるのだから。

「また……か」

 不意に寒気がきたので布団をめくると、ひどい寝汗で寝巻きが湿っていた。このままでは風邪を引きそうなのですぐに脱ぎ捨て、リュックサックからタオルを取り出して寝汗をふき取る。

 そうしながら先ほどまで見ていた夢を思い返す。

 数年前に起きたカルト教団絡みの事件。そのカルト教団の教祖は、かつて共に魔法の修行を行っていた友人で、由緒ある魔法使いの家系だったが魔法の力に魅せられて魔道に堕ちてしまっていた。教団に入った一般人から生命力を絞り取り、自分の力としていたために、魔法使いの組合に命を狙われた。

 何人かわからないが多くの魔法使いがあいつの討伐に関わったらしいが、結果的に友人を殺したのは俺だった。

 抵抗らしい抵抗もせず、友人は俺に命を差し出した。俺に対する呪いと祈りの言葉を囁きながら。

 あの日からしばらくの間はずっと悪夢にうなされていたが、最近はほとんど見なくなっていた。

 自分の体験の中でも最も強烈なもののひとつなのだから、フラッシュバックのひとつやふたつ、起こっても不思議ではない。昨日見た幻の影響が出たのだろう。

 そう思おうとした時、見覚えのある光が視界の上方に映った。

 飛び起きて後ろを振り向くと、薄ぼんやりとした光はゆらゆらと蜃気楼のように揺れており、ともすれば靄が漂っているにも見える。これは昨日見た魔法の痕跡だ。

 俺は布団のそばに置いてあるリュックサックのポケットからインク用のスポイトを取り出し、そっと光を吸い取る。ちゃんと吸い取れたことを確認して、透明な液体を入れた小瓶の中に、吸い取った光を流し込む。光は液体に触れると青色に変化し、次第に青色のインクが作られていく。ある程度色が均一になったことを確認してから小瓶をリュックサックにしまい、寝床を片付けることにした。



 二日目の聞き取りも昨日とさほど変わりなかった。

 危機感のない体験者の雑談に付き合う構図に慣れ始めた頃、ある体験者がこう言った。

「病で若くして先立った妻が目の前に現れた時、奇跡が起きたと思いました。 生前の姿のまま、私に微笑んでくれた妻を見た時は、もう死んでも良い。 そう思いましたよ。 また、また妻の元気な姿を見られたら……」

 そう言って嗚咽を漏らす老人の姿に心が動かなかったと言えば嘘になる。

「藤谷さん、その奥さんの写真とか残っていますか?」

「ああ、大事にとってあります」

 古ぼけたアルバムを取り出してもらい、写真を見させてもらう。

「この私の隣に立ってるのが妻です」

多少色褪せた写真に写っている笑顔の女性。この人が藤村さんの奥さんだという。

「やっぱりこういう思い出の品は大事に保管してるものですよね」

「そうですね。最近だと、梓乃ちゃんが見たいというので見せてあげたりもしましたが」

 また梓乃ちゃんか。

 昨日、今日とやっている聞き取りの中で梓乃ちゃんの名前は上がらないことはないと言っていいほど話題に上がる。村にはほぼいないと言っていい若者である梓乃ちゃんに村の老人たちが関心を寄せるのはそう不自然なことではない。梓乃ちゃん自身も人当たりが良く、東黒谷の老人たちと良好な関係を築いているのも当然と言えば当然だ。だが、それが逆に気になった。あまりに親密すぎるとその関係が違和感として立ち上がってくるのだ。ただ人当たりが良いからという理由だけでは片づけることのできない密接な関係性。それがおそらく鍵となるはずだ。




 軽トラックに揺られながら松近さんと聞き取りの内容を話していると、夕暮れ時の田舎道を歩く姿を見つけた。

「あれは梓乃ちゃんだな」

「せっかくなんであの子にも話を聞いてみましょう」

 軽トラックから降りて小走りで梓乃ちゃんに近づく。軽トラックが近づいた時点で気づいていたのか、立ち止まってこちらに手を振っている。昨日とは違い、厚手の白いコートを着ていた。

「梓乃ちゃん、ちょっといいかな?」

「あ、御巫さん。 調査はどうですか?」

「うーん、芳しくないね」

 聞き取りの時に使っていた手帳を梓乃ちゃんに差し出すと戸惑う仕草を見せたが、俺が頷くと手に取って目を通し始めた。

「今回の件について梓乃ちゃんは何か知ってるかな?」

「祖父はほとんど話してくれなかったので、他の人たちから話を聞きました」

「そういえば、みんな梓乃ちゃんの話をしていたよ。 ずいぶん可愛がられているようだね」

「私くらいの子は東黒谷にはいないから、みんなの孫みたいになってますね」

 そう話しながら手帳のページをめくる梓乃ちゃんは嬉しそうに微笑んでいた。

「ところで、今どこら辺を読んでるのかな?」

「えっと、黒松さんのところですね。 青いインクで書かれてて……」

「ほうほうほう。 ちょっとそのページ見せてもらえるかな?」

「どうぞ」

 不思議そうな表情を浮かべつつ梓乃ちゃんが差し出したページをスマートフォンのカメラで撮影して、彼女に見せる。

「どこに、青いインクがあるのかな?」

 梓乃ちゃんは目を見開き、沈黙した。当然だ。目視したはずの文章が、撮影した画像の中に映っていなかったのだから。

 場の雰囲気が変わったのを察したのか、松近さんの軽トラックがゆっくり近づいてくる。

「どうかしましたか?」

「いえ、大丈夫です。 梓乃ちゃんにも話を聞きたいので先に戻っててください」

「それならうちで話しますか? 河西さんがいない方が話しやすいでしょう」

「そんなに長くならないんで河西さんのところに送りながら話しますよ。 先に帰って晩御飯の準備でもしててください」

「そうですか……もう暗くなるんで気を付けて」

 松近さんはそう言うと俺たちを残して走り去った。もしここで居座られたら面倒だったのだが、誠実な振る舞いを心がけたおかげか信用してくれたようだ。

 改めて梓乃ちゃんの方に向き直ると、開いた手帳をじっと見ている。

「さっきのって、実は先に撮ったフェイクだったりしますか?」

「正真正銘さっき撮ったやつだよ。 もう一度目の前でやろうか」

「……お願いします」

 彼女のそばに立ってスマートフォンの画面越しに手帳を見せると、青いインクの部分だけが画面の中から消えていた。

「なんですか……これ」

「俺が作った特製のインクだよ。 特定の人にしかこのインクは見えない」

「そんなお伽話みたいなもの……」

「もう証拠は揃ってるんだ、梓乃ちゃん。この騒動は君の魔法によって引き起こされたものだという、ね」

 魔法。多くの人にとって陳腐で滑稽な単語に聞こえるだろう。しかし、それを知り、扱う者たちにとって、それは一つの技術であり、覆すことのできない現実である。最初、梓乃ちゃんに会ったときはわからなかったが、今なら確信できる。彼女は俺と同じ魔法使いだ。

 さっきまで困惑していた梓乃ちゃんは、魔法という単語を聞いた瞬間、ハッとした表情を浮かべた。

「御巫さん、もしかして魔法使いなの?」

「一応、ね」

「なら、これは見える?」

 彼女が右手を出すと、手の中にどこからか現れた帯状の水が入り込み、銀色の杖に変化した。

「銀の杖か。ずいぶんはっきり見える。それなりに訓練をしてるみたいだね」

「そこまで見えた人は御巫さんが初めてです」

「俺の魔力で作ったインクを見れる人もそう多くないよ」

「魔力から作ったインク……それで確信したわけですか」

「まぁ、君の魔力を混ぜて判別しやすくしたんだけどね。梓乃ちゃんが犯人である証拠も確認したよ。聞くかい?」

 無言で頷いたので俺は彼女に歩くよう促し、緩やかな下り道を歩きながら証拠を列挙していった。

「一つは最初に河西さんの家で見た薄ぼんやりとした光。 これは魔法を使った後にできる魔力の残りカスだ。 他の家に行った時も同じような光を確認したよ」

「それが私とどう関係あるんですか」

「この光にはね、魔法を使った人と同じ波動を放つ性質があるんだ。 そうだな、例えるなら犯行現場に残った指紋みたいなものかな。 こんなのがそのまま残ってたらわかりやすいったらありゃしない。 そもそもこんな田舎に魔法使いが来るなんて考えてなかったんだろうね」

「……確かに、ちょっと油断してましたね」

 梓乃ちゃんはむすっとした表情で歩き続けるので、このまま話を続ける。

「二つ目は幻を見た人たちが梓乃ちゃんと親密だったという共通点。 聞き込みをした限りだと、身の上話をしたり悩み事を打ち明けたりしていたみたいだね。 こういう話の中からまた会いたい人の情報を手に入れた、と俺は推理したんだけど、どうかな」

「まぁ、概ねそれで合ってますよ。 私の魔法は面影の魔法。 在りし日の親しい人を映し出す」

 そこまで言ってこちらに顔を向ける。どこかあっけらかんとした表情をしていた。

「……それで? 御巫さんはどうするんですか? 私は確かに魔法を使った。 でもそれのどこに問題があるんです?」

 悪びれる様子のない、むしろ開き直って彼女は俺に問いかける。

 確かに、今回の魔法の行使で不利益を負った者はいない。むしろ感謝されるくらいのことをやっている。しかし、一見良いことをしているように見えても、これは青臭い押し付けの善意だ。梓乃ちゃんは魔法で村の人たちに仮初めの再会をさせた。だが、どうあってもそれは仮初めでしかない。彼女が見せる幻はまるで辛い痛みを消してくれる鎮痛剤のようだ。幾ばくかの時を安らかにしてくれる気休め。ひと時痛みを忘れても決してその痛みから逃れることはできないのに、健康だった在りし時に戻りたいがために鎮痛剤を求め、少しずつおかしくなっていく。

 梓乃ちゃんの優しさは、依存性の残酷な優しさだ。

「梓乃ちゃん。 君の面影の魔法は確かに素晴らしいものだ。 もう会えない人との再会は得てして感動的なものだからね。 だけど、魔法に縋るようになれば人はおかしくなってしまう」

「それ、どういうことですか」

 梓乃ちゃんはどこか怪訝な表情を浮かべ、首を傾げた。

「少し昔話をしよう。 俺の友人にして魔法使いだった男は魔法の魅力にとり憑かれ、魔道に堕ちた。 甘い言葉で一般人を惑わし、命を啜り、そして捨てる。 自分の魔法をより高めるために、多くの人を犠牲にした。 ……俺は、害悪と化したあいつをこの手で殺した」

 山から吹き下ろす風がやけに冷たく感じた。

「ああなる前に止められなかった、正気に戻せなかった。 自分の無力さをあれほど恨んだことはなかった」

 贖罪にもならない独白が薄暗い空に溶けていく。

「君の魔法だって、悪用すれば多くの人間の金や命を搾り取る道具にできる。 人の望みには限りがないからね」

「そんなことに使うわけないじゃないですか」

「そうやって言い切れるなら大丈夫……と言いたいが、思ってるよりも人の心は脆い。 気をつけなさい」

 これが余計な世話であることは間違いない。だが、前途ある若者を導くという良き魔法使いの真似事をしても罰は当たらないだろう。

「私は御巫さんのお友達じゃないんですから、そうはなりませんよ」

 梓乃ちゃんは不敵な笑みを浮かべて緩やかな坂道を下っていく。自分のすぐ側に底知れぬ穴が口を開いていることなど全く知らない、不安の欠片すら抱いていないからこその宣言。俺はそう感じた。

「さて、どうかな。 戻れない道を歩くのが人生だ。 人生を悔いることができるのは、そういう経験を積んだ人たちだけだからね」

「経験者が言うと重みが違いますね」

「君だって多かれ少なかれそういうのはあるんじゃないかい?」

 二人分の足音だけが静かに響く。太陽は姿を隠し、星々と半月の光が夜道を照らし始めていた。

「……ありますよ。 御巫さんには内緒ですけどね」

 そう言うと梓乃ちゃんは俺に向かって舌を出した。きっとこのまま話を続けても平行線のままだろう。それでも、彼女の本心を垣間見れたようで少し嬉しく思えた。

「それでいい。 個人的には、今回の一件を期に色々と控えてもらえれば幸いなんだけど……」

 チラチラと梓乃ちゃんに視線を向けるが、

「検討させていただきます」

 どうやらダメなようだ。

 彼女の受け答えに苦笑していると河西さんの家が見えてきた。ここで話は終わりだ。

「最後に一つ聞いても良いですか」

「俺が答えられるもので頼むよ」

「御巫さんにとって、魔法は何ですか?」

 玄関の前で、梓乃ちゃんは振り返りながらそう訊いた。

 悪夢で会った友人の歪んだ笑顔が唐突にフラッシュバックする。

 俺は少し考え、こう答えた。

「魔法は生きるための道具だ。 魔法自体を生きる目的にしちゃいけないし、魔法に振り回されてもいけない。 俺はそう思うよ」




 結局、今回の仕事はノーギャラになった。俺が幻を原因不明と結論付けたのだから仕方ない。そもそも、魔法だ何だと説明しても理解を得られる方が稀なのだ。しかし、松近さんがせっかく来てくれたのだからと、ご飯を用意しただけでなく交通費を上乗せしてくれたのは僥倖と言えた。

 東黒谷駅に二両編成の電車がやってくる。ここに来ることはもうないだろう。

 東黒谷の幻、住民の心の影を癒そうとした彼女がこの先をどう歩むのか。その希望を駄賃代わりに俺は電車へ飛び乗った。



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