私の友人の日常
『僕』は私の友人である。
これから私は『僕』から直接聞いた,彼の小話について書いてみようと思う。
ただこの話はどう語れば良いものだろうか。
彼の本名を出すことも憚られ、
だからといって「彼」や「私の友人」では誰が誰だか分かりにくくなる可能性も考慮すると、
やはり読者の便宜を図るためにも『僕』の視点で、彼の日常を綴らせてもらうのが一番だという結論に至った。
まずはあらすじ。
『僕』は18歳。
アパートの六畳間で父親と二人暮らしをしていた。
彼は高校卒業後、自衛官候補生の採用試験を受けるにあたって、
「白いパンツを買ってこい」と父親から言いつけられていた。
彼の父親は厳格な人で、
身体検査でパンツ一枚になるのだからそういうところで試験官に誠意を見せろ、とのことだった。
しかし試験日当日、白パンツを買い忘れていたことに彼は気付いた。
===
自衛官候補生採用試験当日。
朝7時半から受付開始で、僕は7時20分に起床した。
親父が慌てて僕を起こしたのだ。
どうやら親父は僕が寝過ごしたと思ったらしかった。
しかし、僕は目覚まし時計を現在時刻と同じ7:20にセットしていた。
つまり問題なかったのだが、
あまりにも親父が慌てていたため、ここで
「近いから今からでも余裕で間に合うし」
なんて言ったら、絶対に奴は怒る、そう僕は判断した。
親父は怒るとこわい。
この年になって僕は、いまだにげんこつを貰うことが度々あるのだ。
そんなわけで僕も慌てたふりをした。
どたばたと慌ただしく着替えるフリをしている最中に、親父が訊いてきた。
「白いパンツ買って来たんやろなあ」
親父の言葉に僕は焦った。
実は昨日買ってくるはずだったのだが、すっかり忘れていたのだ。
「ん……あぁ、買ってきたょ……」
マズイと思った僕はとりあえず嘘を吐いた。
言ってからしまった、と思った。
親父は嘘が大嫌いなのだ。嘘がばれるともっと酷いことになる。
内心、おおいに緊張感と恐怖を味わいながらも、
僕は脳みその回転数を最大限まであげて、この危機的状況から脱せられる逃げ道、逃げ口上を探していた。
ひらめいた。
僕は、おもむろに寝間着を脱ぎ始めると、ベッドの下から白い下着(上半身)を取り出した。
そして、親父の隙を突いて、その白い下着(上半身)を下半身に装着したのだ。
両腕の袖に、伸縮性があるため問題なく両足を通し、頭を出す穴からは僕のジョニーがひょっこりと顔を覗かせた。
こりゃひでえ。
余分な布は上着で隠し、親父に背を向け、尻だけ見えるようにする。とても正面は見せられない。
何事もないように着替え続ける。
頼む、勘違いしてくれ。
果たして奴は、テレビを見る目を離し、僕のパンツ(?)を一瞥すると、
「早よせえや」
と急かしてきた。
どうやらうまく騙せたようだった。
そしてそのまま家を出て、試験会場まで行った。
もちろん、普通のパンツも持ってだ。
試験会場に着いた。
とりあえず身体検査までにパンツを穿き替えなければ。
誰かにトイレを借りて、そこで穿き替えようと思っていたのだ。
僕は適当に誘導員の一人を捕まえた。
「あの~、トイレ借りても」
「あ。試験説明聞いてからにしてもらえます?」
言い終わる前に断られた。
しかし僕は焦らなかった。
まだチャンスはある。なあに、説明を受けた後でゆっくりと事を運べばいいのだから。
そう考えたからだった。
甘かった。
「それじゃ、早速初受験の方は誘導員の指示に従って身体検査を受けてきてください」
今度は少しばかり焦った。
まさか説明後すぐに身体検査が始まるとは思わなかったのだ。トイレに行く時間くらいはあるかと。
自衛隊という場所が厳しいことは話には聞いていたが、まさか便所にいくことすらままならないとは、想像以上に想像以下だった。
僕は人の流れに押し流され、マイクロバスに乗って、そのまま医療施設的な建物に連行されはじめてしまった。
このままではマズイ。
受験者は男だけだ。つまり、当然どこかの一部屋を借りて、そこでみんなして服を脱ぐことになるだろう。
そうなったが最後、僕の「技巧的モロ出しパンツ」は衆目にさらされ、その前衛的なスタイルについてこれない一般民衆に絶望した僕は、二度と世間に顔を出さなくなるだろう。
そうなる前に手を打たねば。
結局僕が思いついた方法は、さっきと変わらないものだった。
マイクロバスから降りて、玄関で医務官から少し説明を受けた後、こそこそと誘導員の一人を再びつかまえて、我慢できないのでトイレを借りられないかと訊ねてみた。
その誘導員は、僕の話を聞いて頷き、
「トイレェー! 先にトイレいきたいって人がいますっ!」
と、大声で廊下の奥にいる白衣の医務官らしき人に呼び掛けた。
他の受験者たちの視線がいっせいに僕に集まり、男のみといえど、これは恥ずかしかった。
この豪放磊落な心意気こそが自衛官魂というものだというのならば、僕はもう帰りたいと思った。
「こっちです」と、白衣の医務官に案内されたので、僕はついていった。
目的はともあれ、これでようやくトイレに行ける。
そう安心しかけた僕だったが、それは慢心であったとまたしても思い知らされた。
「じゃあついでに尿検査やっちゃいますね」
いい加減にしろっ! と、憤ることもせず、もはや機械的に頭を働かせ始めた自分が少し、切なかった。
しかしどんどんWCのマークは近づき、いい考えも浮かばず、僕は本格的に焦り始めてきた。
万事休す、と思いきや、白衣の医務官はトイレの前で立ち止まり、小さな試験紙を僕に手渡してきただけだった。
「じゃ、ここに尿をつけてきてください」
考えてみれば当たり前だった。
こんな大勢いる男どもの尿検査に、いちいち医務官が立ち会うわけがない。考えるだけで気色悪い。
廊下で待っていてくれるらしい白衣の医務官に毅然とした態度で「では」と会釈して、僕はトイレの扉を開けた。
個室に入り、鍵を閉めた。
いやっっったあああああああああああああああ!!!!!!
と、叫びたくなる衝動は確実に抑えておき、
それよりもさっさと着替えてしまおうと僕は思い、
ポンポンと下半身の衣服を脱いでいった。
喜びと焦りのあまり、鼻息荒く、脱ぎながら体が個室のスイングドアにガンガンあたった。
外から見れば、その個室はなかなかにいかがわしい雰囲気を発していただろう。
しかし僕は、そんなことには微塵も気づかず、
代わりに、あることに気付いた。
「あれ……?」
パンツが無い。
もちろんノーマルタイプだ。
なぜだ。家を出た時から左ポケットに忍ばせておいたはず。
僕は慌てて全身を調べ、足元を見、それでも無いことを確認すると、トイレ全域に捜索範囲を広げた。
といってもトイレ内をそんなにうろついたわけでもなかったから、案の定出ては来なかった。
恐ろしい未来の光景が頭をよぎる。
泣きそうになりながら、ワラにもすがる思いで最後にもう一度だけ、僕は個室の中を見回してみた。
すると普通にあった。
個室の上段、つまり予備のトイレットペーパーを置いておく所に、僕の麗しのノーマルパンツは無造作に投げ上げられていた。
そういえば、と僕は思い出した。
スーツを脱ぐときにそこに放り投げておいたのだった。
とにかく安心した。
はああ~~良かったあ、僕がバカで良かった。どこかに落としたとかじゃなくて僕がバカだっただけで本当に良かったあ~~。
バカの思考とはこんなものだ。
スパッと着替え、その後何事もなかったかのように僕は身体検査を終えた。
その後の面接試験は、かなり生き生きと話せた。
二種類あった適性試験も難なくこなし、
この調子で最後までいける、などと思っていたが、
予想外のところでつまずいた。
学科試験。
国数社の三科目30問を45分で解くというもので、
レベルとしては中学卒業レベル、つまり基本的にすべて常識問題なのだが、
残念なことに僕には常識がなかった。
二次方程式? 忘れた。
和して……? 殉ぜず?
アメリカでもっとも長い川? ドナウ川?
久しぶりに中学問題を解こうとしたところ、僕は知恵熱を出しそうになってしまった。
ここはどこ? ぼくはだあれ?
自我を失うギリギリをさまよい、
それでも何とか乗り越えたら、最後は作文問題が待っていた。
自慢ではないが、作文は僕の得意とするところだ。
試験官が合図をした。
「……十秒前………………ようい」
始め、の合図と同時に、僕はシャーペンを爆走させはじめた。特に意味はなかった。
これまでの鬱憤を叩きつけるかのように、僕は解答用紙に書き込んだ。
書く内容を決めないまま書き始めたため、前半はかなり要領を得ない文章になってしまった。
書きながら次の文章を考え、次の文章を書きながらさらに次の文章を考える。
悲しいことに書き終わってみても、結局意味不明な雑文のまま終わっていた。
あらためて解答用紙を確認してみると、問題、
”感情や欲求を抑えることについて、あなたが思うことを書きなさい”
で、自分の解答の最後の一文を見ると、
”もはや使命である。”
だった。
すべての試験を終えて、家に帰ると、休日で一日中のんびりしていたであろう親父がいた。
親父のせいで今日は大変な目にあった。
白パンツの受験者なんて一人もいなかったではないか。
親父が僕の帰ったことに気付いた。
「何か食いにいくか?」
金をくれ。一人で行くから。