AT1 「無気力戦士と凶暴姫」
この世界には、「忌子」と呼ばれる人間がいる。
忌子は、体のどこかに奇形や変異を持っているか、人知を超えた「人間」でないような能力を持っている。奇形が出た忌子は肌のほんの一部が変異していたり、脳まで変異して化け物のようになっていたり、様々だ。また能力が出た忌子は神子と変わらない容姿をしているが、そのうちに抱く力は人一人楽に殺せるくらい強大だ。
だから能力を持つ忌子は変異を持つ忌子より忌み嫌われ、能力者はそれ故に能力者であることを隠す。
能力者だけではない。世界は忌子を嫌う。世界中に点在する街の中には忌子を極端に嫌い、追放する街も少なくない。
だから、忌子は大抵忌子であることを隠す。
彼と彼女が旅をしていたのは――
俺が生きていたのは――
そんな世界。
絵の具の青色をどれだけ混ぜても表せないような色の空を、その空の色に輪郭を溶かした雲が流れていく。
日が傾き始めた、夕暮れ前の赤に染まる前の青い空。
春。そう呼ばれる季節。
壱夜は街の外れに停めた軽トラックの荷台の上で、そんな空を見ていた。その荷台の上はいろんなものがごちゃごちゃと置かれていて、壱夜が座っているところだけ物を押しのけて広げた感じがする。
壱夜はもうすぐ二十九になる――つまり今は二十八歳の男だ。艶の無い黒髪を長めに伸ばし、後ろ髪は癖なのか外に跳ねている。着ているのはこれまた艶の無い黒シャツと、至る所が擦り切れくたびれた黒いジーンズ。それ故に壱夜は全身が黒ずくめだ。夜の闇の中に立てば、その肌の白さだけが浮かんでいるように見えてよほど不気味だろう。
不意に流れた風に黒髪が揺れる。その長めの前髪から垣間見えた壱夜の右目は、人間の目ではなかった。
額の右半分と右頬の半分を覆い、肌に打ち込まれたメタリックな赤い仮面。その中心にあるのは鈍い銀色に光る球体。位置的には目のつもりなのだろうが、そのあまりに機械的な球体は虫の複眼を連想させてどこか不気味だ。
だがその仮面の赤は、黒ずくめの壱夜にとても映えて見えた。
これは裏世界では「鷹の目」と呼ばれている、壱夜の右目だ。
そして壱夜は、空を見ている体勢からぴくりとも動かない。目・・・・・左目はずいぶんとぼんやりして眠そうではあるが、壱夜に目を開けたまま寝れるとかそういう特技が無い限り壱夜は起きているはずだ。
それにしては、本当にちっとも動かない。
不意に軽快な音楽が流れ、壱夜はずいぶんとのろのろとした動きでポケットの携帯電話を取り出し通話ボタンを押した。
「誰だ」
『やっほーい! 僕だよ僕!! いやあ久しぶりだねイチヤ君。一ヶ月ぶりかな? たまには仕事以外でも電話してくれればいいのに』
携帯から聞こえてきたのは軽快な若い男の声。しかも携帯から耳を離しても十分聞き取れるぐらいの声量だ。
「……イチヤじゃない。ヒトヤだ。何回言えばわかるんだ。真希斗」
電話の向こうの男――真希斗は、絶対に壱夜の名前を間違える。ここまで来ると意図的にやっているんだろうけれど、壱夜はめげずに毎回訂正する。めげずに、というよりは事務的に、と言った感じではあるが。
『だってさあ、僕毎日毎日書類で君の名前見てるんだよ? 壱つの夜で壱夜なんてイチヤとしか読みようが無いじゃん』
「でもヒトヤだ。覚えろ」
『やっだなあ、そんなの無理に決まってんじゃん』
電話口の向こうの、明らかにふざけてる声に壱夜は一つため息をついて、今回も諦めた。
「……で? 用件は?」
『えー。そう急かさないでもっと話しようよ。一ヶ月ぶりだよ一ヶ月。そうよ三十日も私のことほっといてどこの女口説いてたのよ! もう! 離婚してやる!!』
「盗聴されてたらものすごく誤解を生む台詞だな」
『まあ冗談はさておき、姫様いる? 姫にちょっと用事があるんだけど』
「祐姫か。祐姫なら買い物に出かけて帰ってこない」
祐姫とは、世界を旅している壱夜の相棒だ。ちなみに真希斗が言った姫さん、というのは祐姫のあだ名で、祐姫は「姫」という字が名前に入っているものの、ちっとも姫らしくないどころか女らしくもないため、ちょっとしたからかいを込めて仲間内でそう呼ばれているのだ。
『出かけたのいつ頃?』
「二時間前」
『……遅くない?』
「………」
『………』
電波によって伝わる二人の沈黙。
「……そういえば、遅いな。祐姫」
『遅っ!』
同時刻。噂の祐姫は。
「さあさあ姫さん今度はどっち賭ける!?」
賭場にいた。
「ああ? んなもん半に決まってんだろ」
酒を飲んで絡んできた賭博仲間を睨みつつ、祐姫は手持ちのチップの半分を押し出す。
「姫さんが半なら俺も半にするかな」
「おいおい、んなこと言ってっとてめえの取り分全部もらっちまうぞ」
「はは! やっぱ姫さんは怖えなあ」
仲間の笑い声を聞きつつ、祐姫は窓から見える空を見る。
空の感じで、ここに入って二時間ぐらい経ったことを知る。
そろそろ帰ったほうがいいだろうかと思ってその琥珀色の髪を掻いた。
祐姫はこんな男口調ではあるが、容姿端麗でスタイル抜群の女だ。しかも中年の男ばかりが集まる賭場では相当目立つ、ぴちぴちの二十三歳。
きれいな琥珀色の髪を腰ほどまで伸ばした頭に、バンダナを巻いている。特徴的なのは、大きくてつり目でしかも瞳が珍しい真紅色の眼。それは威圧的で挑戦的で自信の笑みを浮かべた口元に良く似合っていた。服装はキャミソールとスパッツだけという軽装。
そして祐姫は隻腕だった。左腕が肘の上辺りから無く、腕には包帯が巻かれている。だがそこには鞘に納まったナイフが一本縛り付けてあって、少しものものしさを感じる。それに祐姫の残された右腕は肩の辺りまでの長い手袋に覆われていて、祐姫のさぞスラリとしているであろう腕を見ることはできない。
「四−五の半!」
結果が告げられ、賭場に歓喜と落胆の声が満ちる。
「相変わらず姫さんは強いね。あんまり腕を振るわれるとこっちが潰されちまう」
半ば呆れ顔の胴元に話しかけられて、祐姫はニヤリと笑う。
「そうか? じゃあ潰さないよう今日のところは退散するか。ここは俺のいいカモなんだからよ」
「は! 言ってくれるね」
「何だよ姫さん勝ち逃げかい!?」
「はっ。残念ながら俺は負けて帰ったことなんて一度もねえよ」
ブーイングを背に受けつつ、チップを現金に変えて外に出る。
「……プラス二万ってとこか」
片手で器用に数えた札束を適当にポケットに詰め込んだ。
「さて」
とおりの街並みを見る。ここは大通りの近くだからか、なかなかの賑わいを見せている。
上空には富豪しか購入できない高価な空飛ぶ車が二・三台と、一般人に需要が高い安めな空飛ぶスケートボード――エアースケートが飛び回っている。陸空両用のエアースケートは通りにも多く、人々の間を縫って走り回っている。
「……何しに来たんだっけ?」
ああそうだ買い物だった。と思い出したその時、通りを走っていたエアースケートが祐姫の横を駆け抜け、その瞬間に彼女のポケットに詰め込んだ札束を掻っ攫っていった。
「!」
「やった!」
駆け抜けたエアースケートに乗っているのは黒髪と金髪の二人の少年。黒髪はエアースケートのハンドルを持ち、後ろに乗った金髪がその手に祐姫の金を握っている。
掏りだ。この街では珍しいことでもない。この場合油断していた祐姫が悪いのだ。
エアースケートは追跡を許さないつもりか、空用に切り替えてふわりと宙に浮かびあがり、あっという間に空を翔る。
「ちっ」
祐姫は一度舌打ちして、だけど諦めるつもりなど無く、地面を強く蹴って飛んだ。
一方少年二人は。
「すげえ三万は軽くあるぞ!」
「マジか!? 今月の小遣いゲットオ!」
「これで遊びに行ける……な?」
そんな会話をしていたエアースケートの前に、鳥にしては大きすぎる影があった。
二人の少年はぎょっと目を見張る。黒髪の少年のほうは、驚きのあまり口の中でヒュッと悲鳴の欠片を鳴らした。
「俺の金に手を出すとはいい度胸してんじゃねえか」
その影は、祐姫だった。
「ええええええええ!?」
すでに上空十メートルほどまで昇ったエアースケートの目の前に、居た。
「悪りいが返してもらうぞ」
そして空を踏んでいるはずの祐姫の足が振り上がり、少年の鼻先を掠める猛烈な蹴りで以て青年達のエアースケートをぶち壊した。
ハンドル付近を完膚なきまでに破壊されたエアースケートは、当然飛行能力を失くし青年と共に落下する。
「ああああああああっ!!?」
「ちょっと御免よ」
宙に投げ出され涙目になって悲鳴を上げる少年の、金髪は手を取って黒髪は落ちてくるところを器用に背で受け止めて、祐姫はゆっくりと降下する。背に乗せるなんて面倒くさくて嫌だったが、隻腕なのだから仕方ない。
「え……?」
「危ねえから暴れんなよ」
祐姫は、飛んでいた。正真正銘、翼も無いのに空を。
それを可能にしてるのは祐姫の黒いブーツにつけられたジェット噴射のノズルだ。今はガス噴射を弱めて降下しているが、これが十メートルを軽く超える跳躍力と単身の飛行、そして強烈な威力の蹴りを生む。それ故にいかにも重量感があってごつくてメタリックで、祐姫のスリムな体とミスマッチではあるが。
「あーあ。お巡りさんにどやされんなこりゃ……」
祐姫はゆっくりと地面に着地して、路上で粉々になってるエアースケートにため息をついた。
エアースケートも本当は落とさないでおこうと思っていたのだが、定員を超えてしまったのだから仕方ない。通りの人に被害が無かっただけいいと思おう。
通りの人々は遠巻きに祐姫たちを見ている。空を飛んで見せた祐姫の芸当がよほど珍しかったのだろう。
街中で飛ぶとすぐこれだ。
「さて」
だがそんな群集もすぐに祐姫の興味から除外され、祐姫は呆然と地面に座り込んでいる少年二人に向き直った。
「ここに長居する手はねえさ。俺は悪くねえんだから」
まだ金髪が握っていた金を引ったくり、枚数を確認するとさっきと同じように適当にポケットに突っ込んだ。
「じゃ、とんずらさせてもらうぜ」
「ま…待てよ!!」
立ち去ろうとした所を黒髪のほうの少年に呼び止められて、祐姫はすごく面倒くさそうに振り返った。
「お前っ! お前何者だよ! まさかお前……忌子か!?」
「いいや。違うね」
祐姫は、腕を組んで自信満々の笑みを浮かべてとてつもなく楽しそうに答えた。
「リラベルアームスだ」
少年二人の顔が驚愕と畏怖と後悔に歪み、次の瞬間二人は声にならない絶叫を上げた。
リベラルアームス [liberal arms] 。
自由な兵器。そう呼ばれる職業がある。
彼らの主な仕事は現行犯の逮捕。
この荒んだ世界中で起こっている事件は、警察署に常駐している一般の警察官ではどうしても反応が遅れてしまう。そこで作られたのが、事件と直面すれば実力行使で現行犯を逮捕する、リベラルアームス。
彼らはセントラルシティと呼ばれる都市が発行するライセンスを持ち、世界中を旅する。
リベラルアームスに求められるのはただ一つ。力だ。現行犯を捕まえるだけの実力があれば誰でもリベラルアームスになれる。ただそんな力を持っている奴は、大抵元マフィアだったり暗殺者だったり、ろくな奴がいない。それにそんな奴らがセントラルの手足に成り下がっていることもあって、リベラルアームスは「セントラルの狗」と世間で呼ばれ蔑まされていた。
壱夜と祐姫は、そんなリベラルアームスだった。
祐姫が少年たちのエアースケートをぶっ壊してから十分後。日が暮れ始める時間帯。
「ただいま〜」
祐姫はやっと壱夜の元に帰ってきた。
「……遅い」
「うるせえなあ、日は沈んでねえんだからいいじゃねえか」
買物袋を壱夜に渡して、祐姫はさっさと軽トラックの荷台に座る。
「……でも暮れてるぞ」
「うるせえ」
「しかも袋の中身は酒と肉しかないし」
「うるせえっつってんだろ」
祐姫は取り付く島もなく、いろんな荷物が散乱してる軽トラックの荷台によじ登って、ごろんと横になった。
「……そうだ祐姫。昼間真希斗から電話があったぞ」
「なんて?」
「リラベルアームス殺しが出た」
祐姫は閉じていた真紅の目を見開き、がばりと勢いよく体を起こす。
「強いのか?」
「昨晩レベル3のリベラルアームスが一人殺された。これで犠牲者は七人だそうだ」
無感動で無表情の壱夜の言葉に、祐姫の獰猛な笑みが深まる。酷く嬉しそうな笑顔。
「俺はそれなりに有名だからな。リベラルアームス殺しも狙ってくるかもしれないぞ」
壱夜もその無気力な表情に小さな笑みを浮かべ、癖なのかカリ、と左手親指の爪を噛む。
「あと依頼してた改良型のブーツができたそうだ。明日あたりセントラルに着くからな。乾杯でもするか?」
壱夜は祐姫に渡された買物袋から酒のビンを二つ取り出す。
「OK。酒と肉で正解だったろ?」
「……まあな」
夕日の色を反射して鈍い赤銅色に染まった二つのビンが、二人の手によってカチン、と音を立てた。
夜が街を優しく抱きしめていた。
月は出ていない。暗い闇を照らす明かりは通りに並ぶ街灯のみ。その暗い通りを、黒いコートを着た黒髪の男が歩く。
レベル3のリベラルアームス・閑真。
閑馬は泊まっていたホテルを抜け出して近くの酒屋で一杯やっていくつもりなのだ。
「ふう……。春だってのに冷えるな今夜は」
冬の痺れるような寒さこそないが、夜の冷え込みはまだ強い。コートの下の身をブルリと震わせ、閑真は酒場へ向かう足を速める。
その時、だった。
「リラベルアームス」
前方から聞こえた声に閑真は足を止める。
少年がいた。
パーカーのフードと闇で顔こそ見えないが、自分よりもずっと低い背と声で少年とわかる。歳は十代の半ばぐらいだろうか。フードの端から覗いた色素の薄い金髪が印象的だった。
「レベル3の……閑真だな」
閑真は少年への警戒を強めた。
自分の名を知っているのも、年端も行かない子供がこんな夜中に一人で通りにいるのも、そして何よりリベラルアームスレベル3ほどの実力者である自分が、声をかけられるまでその存在に気づけなかったことが、この少年が危険であることを警告していた。
「誰だ」
「彩火っていう」
少年・彩火はなんでもないことのように即答する。そして次の一言も。
「リベラルアームス殺しをしてる」
閑真の目が一瞬見開かれ、だがすぐに口元に笑みが浮かぶ。
「最近セントラルで騒がれてるあのリベラルアームス殺しか? それがここにいるってことは俺を殺しに来たのか?」
「ああ」
殺人予告をしたようなものなのに、彩火には殺気も何もない。ただ平坦な声。
「レベル3を六人も殺したリベラルアームス殺しが、まさかこんなガキだったとはな」
「……昨日一人殺したから、七人だ」
誇張も謙遜もないただ事実を述べるような言葉を、閑真はハッと鼻で笑い返した。
「レベル3はレベル3でも老いぼれかレベル2から上がったばかりの雑魚だろう? 俺はレベル3になってもう五年。他のリベラルアームスとは違う」
「……どうだか」
「試してみるか?」
閑真の左手にはいつの間にか一振りの刀が握られていた。それに対し彩火は今までずっとポケットに突っ込んでいた手を出しただけ。
閑真は何か隠密性に長けたものを獲物にしていると解釈した。刀に対し素手で戦おうとするなんて無謀にもほどがある。
「来い」
その直後、彩火が地を蹴り閑真との間合いを一気に詰める。そのスピードに一瞬驚くが、それは少年にしては速いというだけで致命的というほどの速さではない。十分に見切れる。
彩火のスピードは緩まず、刀の間合いに入る。その無謀に閑真は驚くこともなくただ目を細めて確実に刀を彩火の側頭部に叩き込んだ。
彩火は左手を頭を刀から守るように添える。ただそれだけだ。左手の中には何もない。刀は彩火の左手を切り裂き米神辺りにめり込むだろう。
だが、彩火の指先が刀に触れた瞬間。
鋭い音と共に、閑真の左腕ごと刀が弾かれた。
「!??」
弾かれただけじゃない。閑真の刀は彩火の指先が触れたあたりで折れていた。弾かれたときの鈍い音は、刀の折れる音。
彩火の手には何もない。指先には刀に触れたときの小さな切り傷しかない。
ただの少年の無力な手でしかないはずなのに。
「くそぉ!!」
リーチがずいぶん短くなった刀を放り捨て、右手でコートの中から拳銃を取り出した。
だが彩火に銃口を向ける前にそのシリンダーが彩火の手に包まれ、そして次の瞬間にはまたしても鋭い音を立てて拳銃が潰れていた。
「――――!!」
ただ驚愕で目を見開くことしか出来ない閑真の顔を、彩火の手が掴んだ。刀を折り拳銃を潰した掌が。
「お、前っ、まさか……!!」
激しく動いたせいかフードが取れ彩火の素顔が露わになる。闇のせいではっきりとは見えない。だが薄い金髪の奥で死ぬほどに無感情で冷たく薄い碧眼が、恐怖と共に目に焼きついた。
それが最後だった。
骨がへし折れる鈍い音がして、閑真の首が冗談のように吹き飛ぶ。彩火の手に掴まれただけで切り落とされたわけでもない。それなのにまるで手品のように閑真の首は体から離れ、闇に放り出された。
首を失った体は一度びくんと痙攣し背中から倒れ、吹き飛んだ首はアスファルトに転がり黒い地面を紅く染める。その首の、その顔は、まるで槌でも叩きつけられたかのように潰れて血でぐちゃぐちゃになっていた。
だらんと下げた彩火の手からはぽたりぽたりと血が滴り落ちる。怪我したのではなくそれは閑真の、返り血だった。
「見事だ、彩火」
不意に夜の闇に手を叩く――拍手の――音が響いた。
「レベル3のリベラルアームスを瞬殺か。確かな腕だ」
いつの間にか、闇の中に男が立っていた。顔は見えない。街灯の光が白コートに包まれた足だけを闇から映し出す。
「……毎回同じようなこと言うなよ。聞き飽きた」
取れたフードをまたかぶり、彩火の色素の薄い綺麗な金髪が隠れる。彩火の言葉に男はくすくすと笑った。
「次の仕事だ。受け取れ」
男が二枚の紙をピッと放る。男と彩火の間はなかなか距離が開いているが、それでも二枚の紙は風もないのにひらりひらりと闇に舞い彩火の手の中に納まった。
二枚の紙は、写真だった。
そしてそれにはそれぞれ、黒髪黒目の気だるげな男と琥珀色の髪に釣り目の紅眼の女――壱夜と祐姫が写っていた。
「リベラルアームスレベル2の壱夜と祐姫だ。次はこいつらを殺してもらう」
リベラルアームスにはレベルがある。逮捕した現行犯の数が多ければ多いほどレベルは上がってゆく。レベルは1から5までで、2,30年リベラルアームスを続けてる玄人でもレベル4が精一杯だったりするほど、レベルを上げることは難しい。
だから祐姫たちの若さでレベル2というのは感嘆に値する。
「………」
「そう不満そうな顔をするな。レベル2でもかなりの手練だ。もしかしたら今までのレベル3より強いかもしれないぞ」
「……わかった」
彩火は写真をポケットに突っ込み、男に背を向ける。
「約束は守るんだろうな」
背を向けつつ、最後に男に問いかける。
「まだ捜索中だ。君が仕事をしてるうちに見つかる」
彩火は何も言わずに歩き出す。
その後ろで男は姿を消し、そこには夜の闇だけが残った。
「やっほー。久しぶりだねイチヤ。それに姫さんも」
「……ヒトヤだ」
ここは世界の治安を維持するセントラルシティ。
世界のありとあらゆる技術の粋が集まり、政治や司法の最高権力もここに詰め込み常に変わり続ける街。しかし技術が発達し富豪ばかりが住む故に、犯罪者や盗人の子供がはびこる「進化と堕落の街」セントラル。
ここにはリベラルアームスのライセンスを発行し、一人一人を管理するリベラルアームス管理局、つまりリベラルアームスコントロールステーション[liberal arms control station]、通称LACSが存在する。
そこの局員である真希斗のところに、壱夜と祐姫は訪ねてきたのだ。
真希斗は茶色の髪と深い蒼の目を持つ二十歳半ばの好青年だった。眼鏡と白衣で知的な印象を受けるが、軽い口調は真希斗に軽快な雰囲気を纏わせている。
二人がいるそこは、真希斗の仕事部屋。比較的広い机の上には書類の山が築かれ、床にも足の踏み場も無いほど書類がまき散らされている。さらにその上に何故か子供用の玩具が多々散乱してるからやたら奇妙だ。
そして壱夜と祐姫は何の遠慮も無く、散乱した書類を踏みつけて立っている。
この部屋の状態じゃ無理の無いことなのだが。
「まあとりあえずはい! 姫さんの改良型ブーツできたよ!!」
とりあえずということで真希斗が机の上にどんと置いたのは、一抱えほどの大きさのダンボール。
「おお!! さすが真希斗! 天才! エリート! 悪代官!」
「はっはっはなんのなんの」
適当な褒め言葉で鼻を高くしてる真希斗など全く意に関せず、祐姫は早速ダンボールを床に下ろしてガムテープを引っぺがす。
ダンボールの中から出てきたのは、今祐姫がはいているのと同じメタリックなノズル付きのブーツ。
ただそれは祐姫がはいているものと比べてややスリムになっているようだった。
「おお!」
「今回のは軽量化に力入れてスリムにしてみたんだ。あと姫さんはブーツも乱暴に扱うから硬質化もしてみた。結構頑張ったんだから褒めてよ」
「それは知らねえ」
適当な椅子に腰掛けて、祐姫は履いていたブーツを脱ぎ捨てて新しいブーツに早速足を突っ込む。
その時、壱夜達とは真希斗の机を挟んだ奥の扉が開いた。
「……お客様?」
顔を出したのは、背にかかるほどの長い髪が白く、切れ長の瞳が紅い―― 一般的にアルビノと呼ばれる――十歳前後の少女だった。
黒のひらひらしたドレスを身に纏い左手にくまのぬいぐるみを抱えたその姿は、幼さに似合わぬ美貌とそれを固める無表情で、どこか卓越した人形師の最高傑作のように思える。
「あああああああん真希菜ちゃんおかえりー!!」
少女が顔を出した瞬間、真希斗の顔が一瞬にして緩み奇声が発される。そのボリュームと奇妙さはブーツの留め具をはめていた祐姫をビビらせ動きを止めるほどだ。
「真希菜ちゃん、お外で遊んでたの?」
「うん。ちょっと酔虎とアルキメデスの原理を復習してたの」
「そっか。ゴメンなお兄ちゃん仕事忙しくて一緒に遊んであげられないんだ」
「うん。酔虎がいるから大丈夫。それにお兄ちゃんアルキメデスの原理わかんないでしょ」
若干……いやかなりおかしな会話を繰り広げて、それでも真希斗は申し訳なさそうに少女の頭を撫でる。
壱夜はその少女を知ってる。
真希菜という名の、どう見ても十五歳は離れている真希斗の……寵愛する妹だ。
これだけ年が離れていて顔もあまり似ていないのに、真希斗は彼女を義理でもなんでもない血も繋がっている正真正銘の妹だと言い張る。
それにあの寵愛っぷり。
この兄妹にどんな経緯があるのか壱夜は知らないが、それでも結構複雑なものがあるのだろう。
それに首を突っ込む気など、ちっともないが。
「ねえお姉さん」
「あ?」
真希菜はべたべた引っ付いてうるさい真希斗の相手を適当に切り上げて、ブーツを履き終えた祐姫に話しかける。
「それ私の造ったブーツ?」
「そうだよ!!」
真希菜の首を傾げた可愛らしい質問に答えたのは、祐姫ではなく後ろから真希菜に抱きつかんばかりの真希斗だった。
「真希菜ちゃんの技術で造った武器はこのお姉ちゃんが使ってくれてるんだ! 真希菜ちゃんの武器はすごく良いって言ってくれてるからちゃんとお礼言うんだよ?」
そう。
祐姫の強烈な蹴りや飛行さえも可能にする、武器としてはおかしな形態のこのブーツは、実はこのまだたった五・六歳の少女が造った物だと言う。
壱夜も初めは信じられなかった。だがふとした時にこの少女が目の前でフェルマーの定理を解いてみせたのを見て、納得した。
この少女は、数千年、数万年にいるかいないかの、天才なのだ。
「うん。ありがとうございます」
「おう、こっちこそサンキュな」
ぺこりと可愛らしく頭を下げた真希菜を、祐姫はちらりと一瞥して礼を返す。
壱夜に対し祐姫は、この少女の頭脳について特に感想は漏らさなかった。
祐姫の反応はふーん、とただそれだけ。自分の武器を造っているのがこんな幼い子だということにも衝撃という衝撃は覚えていないようだった。
「おっし、できた」
ノズルなどのチェックも終えて、祐姫はひょいと椅子から立ち上がる。
「壱夜、俺ちょっと外でブーツの点検してくるけど、チビも来るか?」
祐姫は足元にいる真希菜を見下ろして言った。
祐姫が真希菜を誘った理由はないのだろう。祐姫は特に子供好きというわけでもない。
まあ、あるとすれば「なんとなく」だ。祐姫の行動理由は大抵なんとなくで片付けられる。
「うん」
「よしじゃあ行こう」
白い頭をコクリと動かしてうなずいた真希菜の襟首をぐわしとつかんで、祐姫は「じゃあなー」と真希菜を引きずって入ってきた扉の向こうに消える。
真希菜へのそういう扱いを見る限り、祐姫が子供好きなどという結論は誰も出さないだろう。
「きゃああああああ真希菜が誘拐されたああああああああ」
「馬鹿。祐姫だぞ。誘拐するか」
必要以上に狼狽する真希斗を一喝して、さっきまで祐姫が座っていた椅子に座る。
「で、祐姫への用件は済んだだろ。俺達への用件もさっさと済ませろ」
その一言で、真希斗の狼狽がぴたりと止まった。
「イチヤはせっかちだねえ。そんな急かさないでもっとゆっくりしてこうよ」
真希斗は頭をかきながら散乱した自分の机の前に座った。
「ヒトヤだ。で、そのリベラルアームス殺しってどんな奴なんだ?」
「……イチヤって心読めんの?」
「読めはしないが用件と言ったらそのくらいだろう」
真希斗は困った感じにため息をついて、だけど気を取り直したらしく椅子に座りなおして口を開いた。
「リラベルアームス殺しは、二人いるらしい」
「――二人?」
「うん。最初に犠牲になった二人のリベラルアームスがさ、遺体は全然遠い離れた街で見つかったんだけど、どう考えても死亡時刻がほぼ一緒なんだよね」
壱夜は黙ったままで、だが真希斗はそんな壱夜の反応には慣れたものなので構わず続ける。
「それだけじゃリラベルアームス殺しが二人って決める要素にはならないんだけど、三日前までに殺された六人は二人ずつ離れた街でほぼ同時に、って感じの殺され方だから、警察は犯人は二人って断定したんだ。今まで殺された八人の死因も二通りだったしね。しかし僕たちも嘗められたもんだよね。わざわざ二人で殺す時間合わせて犯人が二人だって悟らせることないのにそうしたのは、僕たちリベラルアームスや警察への挑発だよ。僕たち馬鹿だと思われてるのかねぇ」
真希斗は呆れたように面倒くさそうにため息をついたが、壱夜はやはり黙ったまま大した反応を返さない。
壱夜は何事にも興味や関心がなく、滅多なことでは驚かないし笑いもしないし怒ることすらない。かと言って感情が欠落しているわけでもなく、彼が纏っているのはただ少し疲れているようなそんな雰囲気だ。
「死因の一つは鋭利な刃物で滅多刺しにされての出血多量。でもこの鋭利な刃物って言うのがなんかおかしいらしくてさ、貫通してる傷もいくつかあって、その穴がやたらでかいんだよね。中には直径十センチの穴が胸にぽっかり開いてる遺体とかもあったし。こんな傷、どんな凶器でつけられるんだかさっぱりわかんないし、でも他の致命傷じゃない浅い傷は刃物で斬った裂傷だっていうし……。殺人に使われた凶器が特定できないらしいんだ」
「……忌子か」
「やっぱりそうだよね」
ポツリとこぼれた壱夜の呟きに、真希斗は大きく首肯した。
しかも能力を持つ忌子だ。全人口の三割ぐらいしかいない忌子の中でも能力が出るものは稀らしいが、そうなるとリベラルアームス殺しはなかなか珍しい人間のようだ。
「警察もそういう見解で調査を進めてるみたい。もう一つの死因も、おそらくは忌子の能力によるものだから」
真希斗はニ、と口だけで笑う。つまり目は笑ってない。そこにいつもの軽快さは全くと言っていいほどなく、あるのはLACSの職員である事務的な雰囲気と、怪しさだけ。
それは真希菜には絶対見せないどこか軽薄で冷徹な真希斗の顔。壱夜はいつも、この壱夜にしか見せない表情が真希斗の本当の顔ではないかとそう思うのだ。
「もう一つの死因は、まるでトラックにでも撥ねられたみたいな内臓破裂。だけど致命傷を負ってる箇所がピンポイント過ぎるんだよ。心臓破裂と肋骨を骨折してるだけで腕とかの骨は折れてない、とかね。昨日殺された閑真ってリベラルアームスは首が吹き飛ばされてたし。多分これも……忌子の能力だと思う」
真希斗は机の上に散乱していた書類をひっくり返してひとつの書類を取り出した。
「目撃証言だとリベラルアームス殺しの一人は細身で長身の男性。茶色の短い髪で、目撃当時白コートを着てたらしい。そんでもう一人が、まだ十代半ばぐらいの少年、だって」
壱夜の瞼がひくりと反応する。たったこれだけの動きでも壱夜にしては珍しい。
「その少年の容姿はフードかぶってたらしいから確かじゃないんだけど、薄い金髪碧眼みたい。この二人がきっと忌子で、能力者だよ。どっちがどっちの能力かはわからないけどね。どっちにしろAランクぐらいの能力だし、能力を使いこなしてるみたいだし、結構厄介だよ、今回のリベラルアームス殺しは」
忌子にはランクがある。ただ変異があるだけの忌子はDランク。戦闘に応用できる変異を持つものはCランク。能力を持つものがBランク。その中でも戦闘に特化された能力を持つものがAランク。そして本当に稀なのはSランク。このレベルを持つものは大抵神か、悪魔か、魔女か。そういう扱いを受けるほどのものだ。
「そういうわけでリベラルアームス殺しには気をつけてね。なんか僕の管轄のリベラルアームスばっかり殺されちゃって大変なんだよ。真希菜ちゃんとも遊べないし」
真希斗は立ち上がり、ぐっと背をそらす。背骨がぱき、と鳴るのが聞こえた。
「そーだ。僕の仕事もあらかた終わったしさ、みんなで食事にでも行かない? どうせまだ食べてないでしょ?」
その真希斗の言葉に、黙っていた壱夜はやはり黙って立ち上がった。