第四章 脱出
ユーデンキュニヒ上級大将が率いる中央軍がまず動き、間髪を入れずランディーニ大将の西の軍が続いた。
ユーデンキュニヒ艦隊とランディーニ艦隊の動きは連動しており、連邦を縦断するハルツ山系を挟み込むように汎ヤーキス連邦ウシャス支邦内に侵攻していった。
ハルツ山系は岩肌が剥き出しの、防御に不向きな地形で、共和国軍の侵攻を知った連邦軍はすでに撤退を終えていた。
ハルツ山系がとぎれた地点で二つの艦隊はそれぞれ独自の行動を取り始める。
ランディーニ艦隊は北に位置するハイゲートではなく連邦の首都を目指し、一方、ユーデンキュニヒ艦隊は留まることなくハイゲートに向かってさらに侵攻した。
最初に敵と接触したのはユーデンキュニヒ艦隊である。ユーデンキュニヒ艦隊は完全な陣地を敷き終えていない連邦軍とぶつかり、緒戦を勝利で飾った。もっとも連邦側にしてみればこれは時間稼ぎの抵抗であり、部隊の主力である戦艦と重巡洋艦は後方に撤退し終わっており、ユーデンキュニヒ艦隊は勝ったとはいえ、浮かれることなくさらに内部へ進まなければならなかった。
会戦と呼べるような戦いに至ったのは、侵攻が始まってから二日後である。以降、ユーデンキュニヒ艦隊は、一ヶ月に及ぶ血みどろの戦いに突入することになる。
彼我の兵力及び装備に差がない場合守備側が圧倒的に有利という基本にも関わらず、共和国軍が善戦したのにはいくつか理由がある。
まず、共和国軍の攻撃はやけっぱちになった暴挙ととらえられており、各部隊の司令官たちが不必要な被害を嫌ったこと。
この戦いを最後にウシャスⅡという惑星から戦いは消えて無くなることが予想され、功名を求める司令官たちにとってこの全面戦争は戦功を上げる最後の機会であるためお互いにライバル心を剥き出しにしたこと。
共和国軍側が三軍に分かれて侵攻を開始し、さらにその軍がそれぞれ進軍速度を故意にバラバラにしたため、守備側としては大いに混乱し各個に対応せざるを得ない状況になったこと。
全ての状況を有機的にコントロールできる意思統一機関が存在しなかったこと。
などが挙げられる。
もっとも、最終的に共和国軍が勝利を得る可能性は皆無に等しかった。ユーデンキュニヒ艦隊とランディーニ艦隊はそれぞれ現れた敵部隊と戦い勝利を重ねたものの被害は敵以上で、いずれすりつぶされるのは明らかだった。
それでもユーデンキュニヒ艦隊とランディーニ艦隊は戦い続けた。次々と現れる敵に対して、自ら血を流しつつも、あるいは中央突破し、あるいは包囲殲滅し、あるいは一隻一隻叩き落としていった。
その記録は絶望的な戦いとして後世に伝えられる。
最初に力尽きたのはランディーニ艦隊であった。
ランディーニ艦隊は、連邦における最強師団と呼ばれる第六師団と一週間近くも激しく戦い、辛うじて勝利を得た。だが、その直後に第三師団から側面に攻撃を受け、大混乱に陥ったのである。
ランディーニ大将は前国防学校総長で、著書もあるほどの戦術の大家であったが、この側面攻撃には為す術を持たなかった。
混乱したランディーニ艦隊はそれでも何かの執念を感じさせるように敵国首都に向かって十キロ以上前進し、そしてそこで首都防衛師団の迎撃に遭い、完全に四散した。ランディーニ大将の旗艦ウィンリッヒを中心に残兵を集め、後の世にタンネンベルクの突撃と謳われる最後の攻撃を行う。これは、その段階でランディーニ艦隊の三倍近い兵力を持つ首都防衛師団を数キロ近く後退させ、あまつさえその旗艦を轟沈させるほどの激しさであり、ランディーニ大将の名を不滅なものとした。しかし、ランディーニ大将はこの突撃の最中、戦死している。敵砲艦の攻撃が旗艦ウィンリッヒの複合装甲を貫いて、彼の肉体を蒸し焼きにしたのだった。ランディーニ大将は死後元帥杖を授けられている。
ユーデンキュニヒ艦隊はさらに絶望的な状況にあった。
ハイゲートまでの道のりを半分以上残した地点で前に進むことも後に戻ることも出来なくなったのである。
これは連邦側がハイゲートの守備に最大の戦力を割き、巨大な防御戦を構築していたことに理由がある。当初、順調に幾重にも張られた戦線を突破し続けたユーデンキュニヒ艦隊であったが、突破した敵戦線が後方で再編されたことによって、腹背に敵を抱えることとなった。結局、ユーデンキュニヒ上級大将は、侵攻の刃を収め、防御に回った。そしてここからがユーデンキュニヒ上級大将の独壇場となる。ユーデンキュニヒ上級大将は防御力の高い空中戦艦を一種の陣地として扱い、砲艦及び軽巡洋艦を遊撃部隊としたのである。連邦軍はあるいは、“陣地”と部隊とで挟撃され、あるいは移動する“陣地”に圧迫され戦線を崩壊させた。
この一種芸術的なまでの戦術行動は、連邦軍の注意を大いに引いた。
ユーデンキュニヒ上級大将は共和国最高の勇将として知られている。彼を倒すことがこの戦いにおける随一の戦功となることは間違いなかった。連邦軍でその名を知られた将軍たちは、各個にユーデンキュニヒ艦隊と戦い勝利することを求めた。いわば一騎打ちを申し出たわけである。そして、そんな彼らに対してユーデンキュニヒ艦隊は千変万化の艦隊運用を見せ、確実に撃破していった。
この状況に危機を抱いた連邦側は、大統領令で、各指揮官の指揮権を一時剥奪する羽目となった。そして、その指揮権をボリテニク元帥に集中させた。ボリテニク元帥は軍事面というよりは軍政面に優れた軍人である。軍才という意味ではユーデンキュニヒの足元にも及ばなかったが、兵力が違っていた。ボリテニク元帥は自らは首都の軍務省から動かないまま、指令を発して無傷の艦艇をユーデンキュニヒ艦隊の北に集中させた。さらに敗残部隊を再編しユーデンキュニヒ艦隊の東に集結させた。
対して、ユーデンキュニヒ艦隊に動きはなかった。戦艦を前面に、砲艦及び巡洋艦を背後に配置し、盤石の布陣を布いたままだった。動かなかったわけではない、動けなかったのである。すでに艦隊には無傷の艦は存在せず、ただ浮いているだけというものも多かった。艦隊行動は最も遅い艦艇に速度を合わせるのが基本である。だとすると、亀の歩みに近い速度しか出せないわけであり、それは敵に攻撃を受けた場合、壊滅を意味した。ユーデンキュニヒ艦隊は援軍があり得ない敵領の中、身動きできないまま孤立していたのである。
ユーデンキュニヒ上級大将は旗艦ザルツァの中で健在だった。第一艦橋の一番高い席に陣取り、わずかな微笑みさえ浮かべながらスクリーンを見ていた。背後に副官の姿もあった。
兵士たちには三交代で久方ぶりの睡眠を取らせていた。望む者には食事も出されていた。補給部に「最上の食事を」とユーデンキュニヒ上級大将は命じ、ユーデンキュニヒ上級大将自身が誰よりも早く食事を済ませた。三週間ぶりの栄養剤以外の食事は厨房のコックが腕を振るったステーキとカツレツだった。食事を食べ終え、誰よりも早くユーデンキュニヒ上級大将は艦橋に戻ってきた。
スクリーン上に示されている敵マークに動きは無かった。
--それで良い。
とユーデンキュニヒ上級大将は思った。
それで良いのだ。そのためにユーデンキュニヒ上級大将はここにいる。ここにいて、敵の目を引き続けている。
ユーデンキュニヒ上級大将と入れ替わりに食事をとりに行っていた副官が背後に戻ってきたときも何も言わなかった。副官も黙ってスクリーンを見上げたきり、動かなかった。
連邦軍に動きがない理由は分かっていた。
ボリテニク元帥が今考えているのは、どう勝つかではない。戦後処理をどうするか、である。勝つのは当然なのだ。それだけの戦力差がある。そしてボリテニク元帥が重要視している戦後の人事は、この戦いをどう集結させるかにかかっている。ボリテニク元帥は息がかかったものに手柄を立てさせ、戦後の軍部を自らの派閥で抑えたいのだ。そのためには何とも微妙な艦隊運用が必要になってくる。おそらくボリテニク元帥はその政治力を縦横無尽に使って、様々な政治行動を行っていることだろう。構わない。好きにしてくれ。それによってもたらされる時間が必要なのだ。
二日の間、動きがなかった。
三日目、敵の動きに乱れが生じた。
その理由も分かっていた。
ユーデンキュニヒ上級大将は副官を振り返った。副官は謹直な表情で頷いた。そしていった。
「シラー中将がやったようですな」
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凄まじい突撃だった。地上五十メートル程度の高度である。艦隊行動においては不可能というその高さを、巡洋艦と砲艦とが突き進んでいた。町中であった。当然、五十メートル以上の高さの建築物も多数ある。その中で不運なビルを衝角で突き崩しながら、全速力で艦隊は進んでいた。人々は凄まじい轟音を響かせながら頭上を過ぎゆく艦隊を呆然と見上げた。それが敵国の艦隊であることに気づいたのは、通り過ぎた後だった。
もともとシラー艦隊は、共和国が最後に振りかぶった三本の牙の中で最も遅々とした動きを示した艦隊である。
あまりに場違いなその進軍速度の理由は連邦軍によってすぐに判明した。シラー艦隊は何を勘違いしたのか陸軍部隊を引き連れていたのである。このことは連邦軍内部で大いに失笑を買った。おそらくこの戦いに参加する意志がないのではないかとさえいわれた。この状況下では拙速が何よりも必要であったはずであるからである。
のんびりとどこか長閑ささえ感じさせる速度でシラー艦隊は連邦内に入り込んだ。そして、激戦を重ねつつ進軍する残りの二つの艦隊とはまるで異なる態度で進んでいった。シラー艦隊のやる気のなさを感じさせたのはもう一つ、大きく迂回した点が挙げられる。ランディーニ艦隊もユーデンキュニヒ艦隊も、目標は異なるがそれぞれ最短距離を進んだのに対して、シラー艦隊はハイゲート前に構築された防衛戦を嫌がって迂回行動を始めた。もちろん、やる気がないように見えても、いつ豹変するか分からない敵である。シラー艦隊の動きは連邦軍によって常にチェックされていた。そこで判明したのが、シラー艦隊は後方との連絡を密に取り頻繁に小部隊を自国と行き来させているという事実だった。さらにこの連絡用部隊を待つために、一日近く進軍を止めることさえあった。これもまたシラー艦隊のやる気のなさを示しているように連邦軍の目には映った。連邦軍の意識から徐々にシラー艦隊の重要性は薄れていった。その方向を助長するように、シラー艦隊を率いるシラー中将の情報が入った。勇猛なことで知られるシラー中将は、今度の突撃に関してひどく懐疑的であったという。突撃を敢行するならば、部隊を全て一カ所に集め、圧倒的な突破力を確立した後に、行うべきだと主張し、だが、ウォルフラム大統領によって一蹴された。連邦軍情報部が集めてきた情報によると一時期シラー中将はウォルフラム大統領から離れて独自の動きをしかけたとさえいう。それをウォルフラム大統領とユーデンキュニヒ上級大将が説得し、三艦隊の内のひとつを任せることで何とか懐柔したらしい。
それらこれらでシラー艦隊に対する警戒は薄れ、さらに内地深くにまで侵攻してきたユーデンキュニヒ艦隊が華麗な用兵術を見せつけることで、シラー艦隊は半ば忘れ去られた。
もちろん、それらすべては擬態であった。
シラー中将は端から、砲艦及び巡洋艦の軽快な運動性に立脚した小部隊による矢のような突撃に賭けていた。そして共和国軍全体が、ユーデンキュニヒ上級大将、ランディーニ大将を囮にして、その作戦を成功させようとしていた。
その作戦は半ば成功した。
シラー艦隊の一部に懐に食いつかれたことを知ったハイゲート守備部隊司令ブレンターノ大将はさすがに驚いた。とりあえずシラー艦隊が侵入してきた方面に展開していた部隊で守備戦線を構築しつつ、軍務省に緊急連絡を行った。その結果、ユーデンキュニヒ艦隊を包囲しつつ動いていたボリテニク元帥の軍に動揺を生じさせたのであった。
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アイゼンク中佐が指揮する砲艦もまた、シラー艦隊の突撃部隊に配属されていた。出発した当初は久しぶりの砲艦指揮に戸惑うことも多かったがすぐに勘を取り戻し、我ながら納得できる操艦を行うことが出来た。
シラー艦隊突撃部隊は、重巡洋艦二十、軽巡洋艦六十二、砲艦四十三、という中規模艦隊である。もともと本隊に組み込まれていたそれらは連絡用艦を偽装してスーリヤ共和国との間を行き来している間に、隠密裏に数隻ずつ本隊と離れ、伏兵として機会を待った。彼らは、あるいは数日間動きを止めて敵をやり過ごし、あるいは高速で移動して、自らの航跡を隠し、ある時期を境に一斉に最高速でハイゲートに向かった。集結地点は決まっており、ハイゲートの南西に位置する都市上空であった。さらに、遅れたものを待つことなく、ハイゲートに向かって進軍を始めた。それは進軍というよりは、エネルギーの消費が最大になる攻撃速度であり、この突撃部隊がその名の通り、あとのことなどまったく考えていないことは明らかであった。
着いてこれず脱落するもの、敵と交戦を開始してしまったものを全てあとに残して、突撃部隊はひたすらハイゲートを目指した。そして、ハイゲートの前に立ちはだかった連邦軍ブレンターノ大将直属の部隊とぶつかるまで前進を続けた。ついにその前進が止まったとき、突撃部隊はその数を半数ほどにまで減らしていたという。その中に辛うじてアイゼンクの指揮する砲艦は残っていた。
突撃部隊の前に立ちはだかったブレンターノ直属部隊は突撃部隊のほぼ倍の数だった。
激戦が始まった。
激しい砲戦の最中にありアイゼンクはひどく昂揚していた。当然であった。スクリーンに映し出された映像を見ると、目標であるハイゲートまであとわずか、百キロ程度にまで迫っているのである。敵も味方もそのことに気づいているのだろう。飛び交う光線は今までにない密度であり、空気の粒子は熱せられ続けて、半ばプラズマ化していた。
全速力で進軍していたために共和国軍側の隊列が乱れていたこと、連邦軍側には地上軍の支援があったこと、など純軍事的状況からいえば共和国軍が圧倒的に不利だった。共和国軍にあったのは勢いと士気の高さだけで、勝利はおぼつかないはずであった。
しかし--
一五:三○--自ら軽巡洋艦に乗って指揮を行っていたシラー中将は、勢いを殺さないまま微妙に艦艇を動かし、くさび形の陣形を造り上げた。そして強引に前進を開始した。すでに微妙な指揮や陣形が必要なほどの艦艇数は残っておらず、前進のみが状況を打開する唯一の方法だと確信したのである。
一六:四○--シラー艦隊の圧迫に耐えきれず、ブレンターノ大将直属部隊の隊列は崩壊した。ブレンターノ大将は旗艦とわずか二隻の重巡洋艦のみで踏みとどまり主に地上部隊の支援でもって、さらに十分間耐えた。これにより、最も近くに展開していたハイゲート守備部隊の一部がようやく戦場にたどり着き、戦況は再び膠着状態に陥る。
一七:五○--シラー中将が左翼を伸ばし、自らが乗り込む軽巡洋艦を中心に半包囲網を形成。圧迫をかける。その隙をつかれ、中央部隊と左翼部隊との連結部を連邦側突撃部隊に突破されるも、冷静に対応し勝利を目前とする。
一八:二○--ブレンターノ大将は満身創痍の旗艦と、そして戦艦三隻でもって一か八かシラー艦隊の旗艦を葬るべく突撃を行う。それを待ちかまえていたシラー艦隊は四隻を完全に包囲し、集中砲火を浴びせる。
一八:三○--ブレンターノ大将の乗る旗艦轟沈。司令官を失いハイゲート守備部隊は潰乱。この時共和国軍の残存兵力は、重巡洋艦十一、軽巡洋艦五、砲艦四というものだった。
本来ならば勝利できるはずのない状況である。その突撃を可能にした背景に一隻の砲艦の存在があった。その砲艦はKL-5581。その艦艇はおよそ信じられない高い撃破率を示した。撃破数十五。その内四隻が戦艦である。これはウシャスⅡの戦史に残る記録であり、そしてその立て役者たちはかつて勲一等鳳凰章を受賞した人物たちであった。人物の名はヤコブ・アイゼンク中佐と、イマニエル・ゲルトハイマー軍曹。シラー中将は途中からこの砲艦を中心に戦術を組み立てた。砲艦はシラー中将の期待に答え、いっさい引くことなく、確実に自らの仕事をこなした。
最後まで抵抗したブレンターノ大将旗艦の機関部を貫いたのはその砲艦の荷電粒子ビームだった。
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一八:五○。
シラー艦隊の前には、ハイゲートまで無人の荒野が広がっていた。
シラー艦隊はあちこちから煙を引き出させながら、ハイゲートを目指した。電磁的迷彩を施されたハイゲートはレーダーには映らなかったが、監視衛星によって位置は確認されていたし、そこから動かすことが出来るような代物ではないはずで、必ずそこにあるはずだった。そしてそのことを証明するようについにハイゲートは肉眼で確認された。
白くそして巨大な構造物--。
もっとも高い辺りには雲さえ掛かっている。横幅が広く厚みが薄い板のような形をしていた。もっとも薄いといっても二百メートル近くはあり、その巨大さが伺えた。連邦は、地上で完全に組み立て終えたハイゲートを衛星軌道上に打ち上げるマオ式設置法を選んだらしい。
流れ弾が万が一、ハイゲートに当たることを怖れたのか、α粒子が高密度で存在していた。そのため、ハイゲートを破壊するには三百メートル近くまで近づかなければならなかった。
シラー艦隊は最後の数百メートルを踏破した。
そしてハイゲートを射程に収めようとしたその瞬間、公開周波数に映像が入った。
映像に登場したのはウシャス支邦第六十九代知事メルロだった。
顎髭を蓄えたメルロは共和国軍がハイゲートに手をつけた場合、問答無用で共和国各都市にレベル2の戦略攻撃を行う、と明言した。それを阻止するべき戦力は連邦領土内であるいは潰滅し、あるいは足止めされていた。
シラー艦隊の動きは停止した。
シラー中将が乗艦する臨時旗艦内は一気に慌ただしくなった。もともと軽巡洋艦に、乗員用スペースはそれほど多くはない。基本的には艦長用の席と副長用の席以外は、操舵手や航海士、砲手、機関士、通信士など操艦に必要な七百人程度の人々が活動する場である。シラー中将と幕僚たちなど、操艦よりもはるかに高いレベルの人間たちが艦隊全体を指揮できるようなスペースはなく、そのため、会議は食堂から他の人間を占めだして行われた。会議は当然のことながら紛糾した。メルロ知事の警告を無視してハイゲートを破壊してしまえばよいという派とそして軍そのものの目的として市民を守るために存在しているのだから当然ここは撤退するべきであるという派、さらにはそもそもこの作戦自体が間違っていたのだといい始める派と、ひどく混乱していた。
シラー中将は黙って彼らの議論を聞き続けた。射程にハイゲートを収めたまま二時間近く続いた議論は、やがて一つの結論に辿り着いた。
シラー艦隊はこのまま射程内にハイゲートをとらえたまま、全国民脱出を支援する。いわばハイゲートを人質にして国民を守るのである。今まで無防備になった都市に攻撃を加えなかった連邦側であるが、いつ豹変するか分からない。そのことがメルロ知事の発表によって分かった。再びそのようなことがないように、シラー艦隊は全国民の脱出が完了するまでここに居座り続ける。
シラー中将はそのことを連邦軍に伝えた。連邦軍は大いに不快を示したが、ハイゲートを抑えられているため、強くは出られなかった。
敵地で奇妙な平穏な日々が始まった。
背後には再編を済ませたブレンターノ大将の部隊が迫っており、砲口を共和国軍に向けていた。もっとも発砲する気配はない。発砲すれば、シラー艦隊はハイゲートに向かって反撃する。ハイゲートは破壊されるだろう。莫大な資金と技術を結集した全てが一瞬で消失するのだ。
奇妙なにらみ合いの中、やがて緊張の糸がとぎれた兵士たちの間には笑顔が戻り始めた。
一方、アイゼンクは虚ろな表情を見せていた。
何も考えてないわけではない。虚ろな表情の背後で脳味噌は猛烈に働いていた。アイゼンクには全国民が脱出したあとの、シラー艦隊の先行きがまるで見えていなかった。
自らを囮にしてシラー艦隊にハイゲートを破壊させるという計画は、メルロ知事の発表によって白紙に返った。そのため、戦う意味を失ったユーデンキュニヒ上級大将は撤退を開始しているという。もちろん、連邦はそれを許さず、再び戦闘が始まっているらしい。ここではないこの星のどこかで血と油と電磁波が嵐のように渦巻いているのだ。
それに比べてこの地の平穏はいったいどういうわけか。
艦長席でコーヒーを片手に物思いに沈んでいるアイゼンクに背後から声が掛かった。
「どうしたんですか?」
振り返らずとも声の主は分かった。イマニエル・ゲルトハイマー。この度の戦いでも恐るべき才能を見せつけたKL-5581の砲手。KL-5581が破壊した艦艇数は十五。その中には戦艦が四隻含まれている。一隻の砲艦としては破格の撃破数である。
後にイマニエル・ゲルトハイマーは軍事研究家たちの研究対象となり、その能力の源は明らかにされた。すなわち、ブレイン・レンタルを頻繁に行うことによる脳加速。皮肉なことにクルダにいる時に行われた虐待がイマニエルを英雄にしたのであった。もちろん、この時のアイゼンクがそのことを知るはずもなく、まぶしいものを見るように目を細めて振り返った。
「やぁ、イマニエル」
「何か悩み事でもあるんですか?」
心配げな表情でイマニエルが聞いてきた。
「なんでもない。ちょっと考え事を、な」
「僕にお手伝いできることがあれば何でもいってください」
「もちろん、そうするよ。だが、まだどうするかも決めていないんだ」
イマニエルの表情が晴れやかなものになった。
「ならまだ悩まなくていいじゃないですか」
「ん?」
「嫌なことに決めたのなら悩む必要もあるかも知れませんが、まだ決めてないなら何を悩んでいるんです?」
「……なるほど、そうかも知れないな」
「そうですよ」
「ああ、そうだ。--またイマニエルに教えられたな」
「お役に立てて嬉しいです」
「で、何のようだ?」
「シラー中将から連絡です。旗艦に来て欲しい、と」
「分かった、すぐに行く。ありがとう」
「どういたしまして」
アイゼンクはコーヒーカップを置いて立ち上がった。イマニエルに微笑みかけ、そして砲艦を下りた。
旗艦で待っていたのは、圧倒的多数の連邦軍に包囲されたユーデンキュニヒ艦隊が潰滅したという情報だった。ユーデンキュニヒ上級大将の生死は不明である。
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シラー艦隊はおよそ一ヶ月、ハイゲートの前で踏ん張った。その間に、残ることを望んだ一割五分程度の国民以外の全国民がウシャスⅡを脱出した。ラフレシア遊星旅団からの迎えの船艇も来ており、汎ヤーキス連邦は公式にこのことに関して抗議はしたが、そのための軍事力は動かさなかった。ラフレシア遊星旅団側もウシャスⅡまで送り込んだのは基本的に輸送船で、軍艦は海賊対策用の二艦だけであったことから、裏では話がついていたのではないかと推測する向きもある。
マンハイム大尉に襲われたエリザ・カウフマンは宇宙で目を覚ました。
目を覚ますやいなや、彼女は再生用カプセルから半身を起こし痛みに顔をしかめながら周囲を見回し、「イマニエルは?」と訊ねた。意識が戻りそうだということで付き添っていた中年の看護婦は戸惑った。エリザの口調がひどく幼かったからだ。まだ十歳程度の少女のような--。
数瞬でエリザは状況を理解したらしい。考え込む顔つきになり、それから自分の上半身に巻かれたゼリー状の細胞賦活材封入バンドを見た。中年の看護婦は咳払いをして、エリザに声をかけた。
「ひどい傷だったんですよ」
エリザは看護婦の方を見た。看護婦は微笑みを浮かべた。
「大丈夫、傷は残らないから」
「……有り難うございます」
頷いたエリザの言葉から先ほどの幼さは消え、普段の口調が戻っていた。
「人の名を呼んでいらしたようですが、夢を見ていらしたんですか?」
「……ええ、夢を見てました」
「素敵な夢かしら?」
「この現実の方が夢であったらどんなにいいだろう、そう思わせる内容でした」
「あらあら、現実も捨てたものじゃないですよ」
エリザは儀礼的に頷き、それから訊ねた。
「脱出の方は?」
「全て終わりました」
「そうですか」
「残っているのは軍の一部だけです」
「軍の一部? まだウシャスⅡに残っている人間がいるのですか?」
「ええ。シラー艦隊の方たちが……」
「シラー艦隊!?」
エリザの切迫した様子に看護婦はたじろいだ。
「え、ええ……そうですが」
「なぜ? どうしてシラー艦隊だけがウシャスⅡに残っているんです?」
「それは、我々を無事に脱出させるために--」
「どういうことです!?」思わず高い声を上げたエリザはおどおどしている看護婦に気づき、語気を緩めた。
「あなたに怒っても無駄でしたね。申し訳ありませんが、私をすぐに動けるようにしてください。星の福音教団の主船に行きます」
「でも--」
「これは評議員としての命令です」
「も、申し訳ありません。直ちに」
エリザは看護婦に微笑みかけた。それからこんな無茶をいうときの呪文の言葉を告げた。
「ごめんなさいね。私修道院の出身だから、やらなくちゃ行けないことは、どんな状況でもやり通す主義なの」
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エリザは評議員で、教団内においてもそれなりに尊重される立場である。しかし、星の福音教団における最高位権力者教皇と会ったことはこれまで二十回に満たない。さらに話しかける機会に至ってはわずかに二回。評議員に推薦されたときと、評議員に選ばれた時だけだった。それでも教皇と会わなければならなかった。直接会って話をする必要があった。
教団主船に向かったエリザが到着し次第会見を申し込むと、会議中であったにもかかわらず教皇は会ってくれることになった。さすがにすぐにではなく三十分後であったが、教皇のスケジュールは分単位で決められているはずで、エリザは訝しく思った。
疑問は、待っている間に解けた。教団幹部たちがエリザの顔を見る度にわざわざ寄ってきて様態を訊くのである。どうやら、エリザは惑星脱出の邪魔をしようとするテロリストを阻止しようとして怪我をしたことになっているらしい。エリザは苦笑した。知らない内に、英雄にされてしまっていたようだ。しかし、その誤解が役に立った。気がつくと自分を襲ったマンハイム大尉に感謝したい気持ちになっているのがおかしかった。
三十分後、エリザは現教皇の前に歩行補助具付きで立った。
教皇は一段高い椅子の上に座っていた。
星の福音教団現教皇は八十歳近い白髪の老人である。老人にしては背が高く足腰もしっかりしているが、それは若い頃街頭で布教活動をしていたおかげであるらしい。つまり末端の司教からの叩き上げで、星の福音教団二百年の歴史の中でもかなり珍しい存在だった。
教皇はひどく興味深そうな目でエリザを見ていた。エリザは顔を上げ、まっすぐに教皇を見返した。教皇は微笑み、それからもの柔らかな声でいった。
「……怪我をしたそうですね。もうよろしいのですか?」
「教皇猊下のご威光を持ちまして」
「そうですか--何かお話があるということでしたが」
「はい。ウシャスⅡに残っておりますシラー中将率いる艦隊についてでございます」
教皇が眉をひそめると同時に、
「これ、軍事はお前の分野ではないだろう」と横の教団幹部から叱責の声が飛んだ。
それを聞こえない振りをして、エリザは教皇を真剣な顔で見つめた。
「よい……何か存念があるのでしょう。いってみなさい」
エリザは頭を下げ、話し始めた。
国民が無事に逃げ出すのにどれほどシラー艦隊の存在が大きかったか。今後、平穏ならざる道を行かなければならないスーリヤ共和国民にとって、軍事的英雄の存在がどれほど心強いか。シラー艦隊の功績とシラー艦隊を犠牲にすることの害悪を三十分近くも滔々と述べ立てた。
途中で教皇は手を振ってエリザの言葉を遮った。
「分かっています。しかし、シラー艦隊を救う方法がないのです」
「あります」
「ある?」
「はい」
エリザは自信ありげに頷いた。教皇は戸惑った表情を浮かべ、それからふっと微笑んだ。
「--聞きましょうか」
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汎ヤーキス連邦ウシャス支邦知事エーリッヒ・メルロに星の福音教団教皇から通信が入ったのは、ウシャスⅡから最後の輸送船団が離れて十二時間後のことだった。
ハイゲートの前に鎮座したシラー艦隊の存在に悩みきっていたところだったので、メルロはその通信に天啓を感じた。
汎ヤーキス連邦クベーラ星出身のメルロは星の福音教団など信じていないどころか、教義の中身さえ知らなかったが、一つの宗教団体のトップに相対する際の礼儀は知っていた。知事執務室のヴィジフォンを通して偽善的な挨拶が済んだあと、メルロはまず「このような時期に教皇猊下が、いかなるご用でしょう?」ととぼけて見せた。このような場では先に要求を出した方が負けであることを知っていたからである。だが、星の福音教団教皇の方が上手のようだった。教皇は滔々と星の福音教団の教義を語り始めた。最初は唖然としていたメルロだったが、こいつはもしかしたらただの宗教馬鹿かも知れないと疑って真剣にヴィジフォンの映像を見た。幸いいくら見つめても口の端に泡がついていたり目がうつろだったりという“徴候”は見て取れず、少なくとも映像的には極めて知性に溢れた顔に見えた。メルロは多少ほっとしつつも、だとすればこれは演技であるはずだったので、気分を害した。メルロは手を振って、演説を遮った。
「用件をさっさと済ませてしまいましょう」
教皇はにやっと笑って見せた。笑うと五歳ばかり若くなったように見えた。ますますメルロは腹を立てた。
メルロは投げ出すようにいった。
「シラー艦隊、何とかしてください」
メルロの言葉に教皇は驚いたように目を開いた。
『シラー艦隊? ああ……そのことですか』
その過剰な演技に、教皇の用件もやはりシラー艦隊に関することなのだとメルロは知った。
「ハイゲートの前にいつまでも陣取られていても困ります。投降を命じてください」
『投降!? これはまた驚いたことをおっしゃる。シラー中将以下、共和国軍人は皆敬虔な星の福音教団教徒です。教義の名誉にかけてそのようなことを命じることは出来ません』
「では、あなたの大切な信徒が死ぬことになりますよ」
『彼らには天国が約束されています。もっとも彼らとしてもただで死ぬことはないでしょうが。何かあなた達にとって大切なものを奪っていくことでしょう』
ヴィジフォンを介して二人の間に沈黙が落ちた。
口を開いたのは教皇の方だった。
『……我々はもう少し率直に話し合う必要があるようですね』
「私もそう思います」
『落とし所はどこ辺りだと考えていらっしゃいますか?』
「休戦地区、辺りではないかと」
『これは話が早い。私もそう思っておりました』
「あとは場所、ですか?」
『それは大変重要な問題です』
秘密めいた会話が、三十分ほど続き、それから二人は再び儀礼的な挨拶を交わし、ヴィジフォンを切った。
教団主船のもっとも奥まった位置にある通信室を出た教皇は側近を呼び、一つの地名を示した。
「このロートハールを中心に十キロ四方が、二日後の十二時より二十四時間の間、休戦地帯と決まった。このことを直ちにシラー艦隊へと伝えるがいい。そしてお前たちの教皇が英雄を祝福するために宇宙で待っている、と」
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ハイゲートを巡る攻防で戦死したブレンターノ大将のかつての部下、ワイツ准将はブレンターノ大将に代わって一軍を率いて、敵共和国軍シラー艦隊包囲軍の一角を担っていた。
首尾よく艦隊の司令官に収まったワイツ准将であるが、その割にひどく不機嫌だった。ウシャス支邦の国力を挙げて建設したハイゲートを、敵主砲の射程内に完全に収められている状態で、連邦軍としては手も足も出せず、敵を前にしてワイツ准将としては歯ぎしりしたい気持ちだったというわけである。
ワイツ准将の攻撃衝動には、ブレンターノ大将の仇討ちという意味合いもあったが、一番大きかったのは、艦隊を率いる機会に手柄を立てたいという功名心だった。
その苛立ちはあからさまに態度にも現れてしまい、ワイツ准将の評判はひどく悪かった。自分の評判に関してはワイツ准将自身気づいており、そのことが彼をいっそう不機嫌にさせた。名将の条件の一つに部下に慕われるということがあることを知っていたからである。
せいぜい声を荒げることだけは無いように努力しているワイツ准将であったが、本部から、現在の位置より二十キロばかり後退せよとの指示が来たときは、思わず大声を出していた。ワイツ准将自身が驚くような大声で、それを誤魔化すためにワイツ准将はさらなる大声を張り上げた。
「なぜです!?」
『知事からの命令だ』
「命令!? そんな馬鹿な命令がありますか!?」
ワイツ准将の怒号にも画面の中のノバーリス中将は厳格な表情を小揺るぎもさせなかった。
『今の発言は聞かなかったことにしよう。とにかく命令は絶対だ』
「……」
『明一一:○○までに十キロ後退するように。間違いなく伝えたぞ』
ワイツ准将は目がくらむような怒りの中、それでも命令を実行した。軍に入って以来そのように教育され、その通りに生きてきたことによる反射にも似た行動だった。
ワイツ准将の軍を含め、共和国軍シラー艦隊を包囲していた連邦軍が一斉に十キロ後退した。さらに包囲を崩し、一方向を開けた。ハイゲートからその方向に進めば、ロートハールがあるはずだった。
それまで包囲されたまま、どこか虚無的な気配が漂っていた共和国軍シラー艦隊であるが、やがて動きが生じ、シラー艦隊の残存兵力、重巡洋艦十一、軽巡洋艦五、砲艦四は隊列を組み上げ、ロートハールを目指して行軍を開始した。
無人の野を行くかのように、見事な堂々たる行軍であった。
昂然として、畏れるところのない美しい隊列。速度は戦闘速度でも戦術速度でもなく、むしろ勝利を決めたあとの凱旋軍の速度であった。
巡洋艦の一隻には、旗艦を示す軍旗が掲げられ、上空の冷たい風の中ではためいていた。
この行軍は本来決して、このような形で為されてよいものではなかった。メルロ知事と現教皇との間で取り交わされた約束には様々な政治的な要素が加味されており、たとえば連邦側としても、内陸奥深くにまで侵入された敵軍を無傷で帰すことは軍が拒否するであろうし、必死の脱出行ならばシラー艦隊はせめてハイゲートを破壊してうさを晴らすだろう。結果、シラー艦隊の生存確率はおよそ五十%。そのようになるために選ばれた休戦地区がロートハールであり、そして包囲網の十キロの後退だったのである。従って、シラー艦隊には隊列など組む余裕などあるはずもなく、算を乱して休戦地区に逃げ込むのが最上の策であったはずである。
だが、シラー艦隊は連邦軍を挑発するかの如く、堂々たる行軍を行った。シラー艦隊にすでに最高速を出すだけのエネルギーは残ってなかったことが理由の一つであったようである。
そのシラー艦隊の行軍を、連邦軍は遠巻きにしたまま何もしなかった。取り決めで何もできなかったのであるが、歯ぎしりしたい心もちであっただろう。
連邦軍はシラー艦隊が通り過ぎたあと、その後を同じ速度で追った。
しばらく追い、シラー艦隊がハイゲートから充分な距離を離れたことを確認した後、戦闘が始まった。
シラー艦隊は応戦しながら、ロートハールに向けて後退を続けた。
連邦側でもっとも積極的に動いたのはワイツ准将の部隊であった。ワイツ准将の部隊は、シラー艦隊に追いすがり、激しく攻撃を加えた。その様はすでに死を悟って端然としている老人に打擲を加える様な残虐非道な行いにも見え、ワイツ准将はこの戦いのあと降格処分を下されている。
しかし、少なくとも戦闘の間、ワイツ准将の戦意は旺盛だった。
ワイツ准将は旗艦の艦橋で、戦術スクリーンを睨みながら、「進め、進め」と絶叫していた。その様子は、歴戦の勇将そのもので、これまでの数々の失態を勇猛さで糊塗しようとしているのは明らかだった。ワイツ准将の狂気が乗り移ったかのように、部隊は凄まじい圧力で前進し続けた。目の前の敵とは異なり食料もエネルギーもたっぷりと補給してきたワイツ准将麾下の部隊は、過日の恨みを晴らすため、飢えた野獣のようにシラー艦隊の最後尾に食らいついた。
シラー艦隊の殿を固める重巡洋艦に肉薄して集中砲火を浴びせる。たちまち最後尾の一隻が炎を上げ、蛇行を始めた。おそらくスタビライザーが破壊されたのであろう。とどめを刺すべく、さらに前進を命じたところ、共和国軍旗を掲げた一隻が、その重巡洋艦をかばうような航行を始めた。
軍旗を掲げた艦--すなわち旗艦である。
ワイツ准将にしてみれば願ってもいない状況であった。
ブレンターノ大将を破った敵の勇将を倒す。これは最高の戦果である。
ワイツ准将は、全艦に敵旗艦に射撃を集中するよう命じた。ワイツ准将の命令を実行するため、艦艇は有機的に隊列を組み替え、扇形を取った。シラー艦隊旗艦までの距離は五百メートル。まだこの距離からではα粒子に阻まれて、射撃効果は低い。完璧を期すにはさらに肉薄する必要があったが、これまでの状況からワイツ准将は敵シラー艦隊は何らかの事情で戦術速度が出せないのであろうと推測していたため、問題はないはずだった。
その時、敵砲艦が一隻、するりと後方に回ってきた。
シラー艦隊は、少しでも多くの艦艇を休戦地区に届けるためか、守備力のより低い砲艦、軽巡洋艦を前に、重巡洋艦を殿に配置していた。
旗艦をかばうように射線の間に割り込んだその砲艦の砲門が光った。
次の瞬間、ワイツ准将の部隊の戦艦一隻が炎を上げて隊列を離れた。よろめくように高度を下げ、そして地上百メートルほどの高度で、突如として爆散した。火災が機関部に及んだのであろう。
何事が起こったのか分からないまま、ワイツ准将は攻撃命令を下そうとした。
再び、砲艦の砲門が光った。
次に破壊されたのは、ワイツ准将の乗る旗艦のすぐ隣を飛行していた重巡洋艦だった。前面にある主砲砲口に直撃を受けたらしい重巡洋艦は中央からへし折れ、一瞬後に爆発した。爆発の衝撃はワイツ准将の旗艦を揺らし、立ち上がっていたワイツ准将は司令席の脇息を必死に掴んで、辛うじて倒れるのを免れた。
偶然か--?
最初はそう思った。しかしそれを否定するように再び、くだんの砲艦の砲口が光った。
一撃で轟沈こそされなかったものの、一隻の右側から炎が上がった。
あの艦だ--とワイツ准将は思った。
ブレンターノ大将が戦死した戦いで、異様な撃破率を誇った敵砲艦がいたという。初めてその数値を見たときは信じられなかった。事実だとしたら、よほど運の良い指揮官が乗っているのかとも思った。あるいは、こちらの司令官がただ歩いていて隕石の直撃にぶつかるほど運が悪いかったか、だ。それを証明するようにブレンターノ大将は、艦隊戦の中戦死した。将官クラスの戦死はこの時代においては極めて珍しい。
味方の何隻かが、砲艦に向けて発砲した。しかし攻撃は集中されておらずα粒子の厚い壁に阻まれてどれほどの効果も無かった。後退する艦はα粒子を効率的に味方と敵部隊の間に散布することが出来るため、単純な撃ち合いでは有利なのである。そのため、このウシャスⅡ上では戦術的後退という戦法がしばしば使われるほどだ。それを破るためには、α粒子の壁が無効になるほどの近接戦か、あるいは火力の集中という極めて単純な理屈しか存在しない。そしてその理屈を実現するのは、隊列の維持が必須である。
しかし、連邦軍の艦艇の足並みは明らかに乱れ始めていた。
砲艦の砲撃は間断なく続き、その度に味方の艦艇が撃ち減らされていくのである。
すでに砲艦は共和国軍の完全な最後尾に位置していた。砲艦独特の前部面積に比べて異様に大きな砲口から砲撃の光が溢れる度に、味方の船の一隻が炎を上げた。
ワイツ准将は舌打ちした。大きく足を広げ、安定を確かめてから、脇息を離し、部隊に新たな目標を示した。あの砲艦を叩きつぶさなければ、旗艦に辿り着くことなど不可能に思われた。
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アイゼンクは通信を切るように命じた。シラー中将からの通信であったからだ。中身は聞かなくとも分かっていた。退却に専念せよ、反撃の必要はない、殿はシラー中将自身が守る--だが、そんなことをさせるわけには行かなかった。シラー中将と自分の命ならば、シラー中将の命の方が重い。このあとのスーリヤ共和国民の運命を思えば、シラー中将の名声と指揮能力は必ず必要になる。
もちろんアイゼンクは自分自身だけの都合と計算とでそれを決めたわけではなかった。この度の二ヶ月近い戦いですっかり気心の知れた砲艦KL-5581乗り込み士官三十二名と話し合い、出した結論だった。砲艦には他に八十一人の戦闘要員が乗り込んでいたが、彼らにはすでに別の艦に移ってもらっておいた。砲艦は高度に自動化されたシステムで、可動最低人員数がひどく少ない。動かすだけならば五人でも可能である。
アイゼンクは自分たち--正確には砲手であるイマニエル・ゲルトハイマーの力があれば、生き残ることさえ不可能ではないと考えていた。イマニエル・ゲルトハイマーの能力はそれほど際だっていた。実際、彼はα粒子の密度を読みとったように射撃を行い、相手の砲撃が効力を発揮しない距離で次々と撃破していった。すでにこの脱出行が始まってから五隻を轟沈させ、十二隻近くに被害を与えている。もちろん、こちらも被害がないわけではない。α粒子越しに無数の砲撃が突き刺さり、第一装甲はほとんど蒸発し、鏡面の意味を為さなくなってきている。しかし、まだ航行可能であるし、砲撃を続けるだけのエネルギーも残っていた。
つまり、戦闘可能であった。
“艦長”であるアイゼンクには、最後尾に出るように命じたあとはとりあえずすることはなかった。次に必要な命令は、退却、だけである。アイゼンクは艦長席の目の前にずらりと並んだモニターの中から、砲手を映したモニターを見た。砲手であるイマニエル・ゲルトハイマーはヘッド・ギアを着けたまま目を閉じていた。そうしている間にも、砲艦は荷電粒子ビームを吐き続け、そして、敵のビームに晒された周囲が白く染まった。
一時間以上、近づく相手に確実な一撃を加え続けた。気がつくと敵の追跡速度はひどく落ちていた。アイゼンクの砲艦を恐れて、安易に近づこうとするのを諦めたようであった。一方、その間も味方はロートハール目指して進んでおり、あと一時間程度で目的地に達するところまで来ていた。
相手が最後の攻勢に出る前に、十分近い休息があった。
それから戦艦の形をした無数の死神が、一斉に光そのものの死を吐き出した。
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大気圏に突入するとき、あらゆる艦艇は同じ浄化の炎に焼かれる。
星の福音教団所属の評議員という、教団の喧伝が事実であれば人間の業を捨てた一人であるエリザが乗る連絡艇であっても、それは変わりはなかった。
小型シャトルは赤い炎に包まれ、窓の外は千度オーバーの高温に晒され、全長五十メートル程度のシャトルは木の葉のように揺れた。
紅色に染まったシャトルの中、エリザは客用スペースで、シートベルトで椅子に縛り付けられた状態で、うつむき両手を握り合わせていた。
祈る姿勢だった。
轟音が室内に満ち、およそあらゆる物質を破壊し尽くさんといわんばかりの振動が押し寄せてきたが、エリザの姿勢は変わらなかった。
ただ祈る。
突然、振動が緩まった。
エリザは顔を上げた。
せっぱ詰まった動きですぐ横の窓に顔を向け、強化ガラスに顔を押しつけるようにして下を見た。ちょうど防熱シャッターが下ろされつつあるところで、窓の向こうに地表が見えた。その地表に、十隻ばかりの艦艇が浮かんでいるのが見えた。
数が少ない。シラー艦隊がハイゲートを出発したときは二十隻という艦艇が存在した。その半分がやられてしまったというのか。あるいはまだ休戦地帯に逃げ込めていない艦艇が残っているのではないか。
今の席からは今見えている範囲以上は確認することが出来ず、エリザはシートベルトを無理矢理外し、別の窓に駆け寄った。エリザが席から離れたことを感圧式のシートが感知し、「降下中です。直ちにシートにお戻りください」と警告を発した。エリザは警告を無視して反対側の窓に飛びつくように近寄り、ハイゲートの方角を見た。
三隻ばかり煙を噴き出しながら、休戦地帯に向かってくる姿が見えた。その最後尾にいるのは旗艦として使われている巡洋艦だ。
エリザはちょうどシラー艦隊が休戦地帯に逃げ込むまさにその瞬間に到着してしまったらしい。逃げ込んできた三隻のさらに後方では、いまだ煌めく砲火が見える。一部は交戦中のようだ。エリザとしては可能ならば、休戦地帯で迎えたかったのだが、教皇との接見のあと傷口が開きドクターストップが掛かってしまい、それでも最大限に急いでこの時間だった。
エリザは休戦地帯に逃げ込むことが出来たらしい艦艇の中に、教えられたKL-5581の形を探す。
無かった。
全身から冷や汗が噴き出した。
それを無視して、見間違いだといい続けながら、もう一度ゆっくりと確認する。
やはり無い。
背後からドアの開く音がしてエリザはすごい勢いで振り返った。よほどの形相をしていたのか、入ってきた機長が顔をこわばらせた。
「ひょ、評議員--とにかく席にお戻りください」
「構わない。ここにいます」そう答えても機長は操縦席に戻る様子がなかったので「--なに? まだ何かあるの?」
「いえ、下では戦闘が続行中です。とりあえず一段落するまで上空で待機しておきたいのですが」
エリザは荒々しく首を振った。
「ダメです。すぐに降りなさい」
「しかし……」
「降りるのです。これは命令です」
それ以上聞く耳を持たないという意志を態度で示して、エリザは再び窓の外を見た。機長は何かいおうと口を開いたが、そのまま首を振り、弱り切った様子で操縦席に戻っていった。
降下し続けるシャトルの中、エリザは左右の窓を行き来してイマニエル・ゲルトハイマーが乗っているはずの砲艦を探した。
見つからなかった。何度探しても、KL-5581の姿はなかった。砲艦は残り三隻は見つけたが、肝心のKLタイプは見つからなかった。
激しい混乱に襲われながらエリザは、無意識に操縦席へ続くドアをくぐっていた。
突然入ってきた客に、機長と副機長が驚いた顔で振り返った。エリザは乾いた唇を舌で湿しながら、機長に訊ねた。
「戦闘が行われているのはどちらの方です」
「東、ですが……」
「では、このシャトルをすぐに東に向けなさい」
「は、はぁ?」
「戦闘に可能な限り近づいてください」
「し、しかし……」
「この機体は民間機です。戦闘用のシステムは存在しません。連邦軍もすぐに気づくはずです。攻撃はしてこないでしょう」
「いったい何を……」
「イヤならばすぐにパラシュートでこのシャトルから出て行きなさい。私が操縦します。操縦は修道院の教育課程で学んでいますから」
唖然とした顔で、機長はエリザを見てから、どうしようもないというように首を振り、前を向いた。
「分かりました。どういう意味があるのか分かりませんが、ぎりぎりまで近づいてみましょう」
「--お願いします」
エリザの口から漏れたその言葉には万感の思いが込められていて、機長は驚いてエリザの顔を見上げた。
エリザはフロントスクリーンを睨み付けたまま、それ以上何もいわなかった。
シャトルが恐る恐るしかし民間機としてはあまりにも大胆に戦闘地区に近づいていった。
そして、その奇妙な現象に気づいた。
先ほどまで熱いほど空中を灼いていた光線がまったく見えなくなっているのである。
また、敵連邦軍の前進も止まっていた。
奇妙な静寂が戦場を支配していた。
共和国のシャトルの機長も副機長もその静寂に不思議な神経の高ぶりを感じた。恐怖が麻痺し、どこか宗教的ともいえる安らぎを感じていた。
シャトルをさらに近づけた。敵連邦軍の陣形が見て取れた。百隻以上の艦艇が横に広がり、扇形にまるで何かを半包囲するような隊列を組んでいた。
その扇形の接点、要に当たる部分に一隻の砲艦が浮いていた。
その姿を見た途端、エリザの背筋の戦慄が走った。
KL-5581。
見間違えようがない。
その砲艦はおびただしい煙を噴いていた。満身創痍だった。特に右側面は主砲クラスに削られたのか、外殻は完全に無くなっており中の緩衝剤が飛び出していた。
それでもKL-5581は宙に浮いていた。
浮いたまま停止していた。
砲口も右側が削られ、すでに戦闘力を喪失していることは間違いない。
しかし、たった一隻のKL-5581を恐れるように、連邦軍は遠巻きにしたまま近づこうとしない。
あたかも一隻の砲艦がその威で連邦軍百隻を押さえ込んでいるように見えた。
エリザは口を開いた。たったそれだけの動作で、ひどく体力を消耗した。忘れていた息を吐き出した。吸った。それからいった。
「……あの砲艦にシャトルを接舷してください」
今度は機長は文句をいわなかった。
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地上百メートル程度に浮かんだ砲艦の“残骸”にゆっくりと近づいてきた一隻の民間シャトルが横付けした。
接舷チューブが伸び、砲艦の緊急用ハッチに固定された。
異様な静けさの中、全てのものがまるで時間が止まったかのように静止していた。
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砲艦の狭い右舷廊下をエリザは駆け抜けた。シャトルの機長が何か叫んだようだが、聞こえやしなかった。思考が止まっていた。何も考えれなかった。二つ気密扉をくぐり抜け、最後の一つを開ければ艦橋のはずだった。
開くと見えるはずのない青空が広がっていた。
エリザは呆然と立ち尽くした。
KL-5581の艦橋は上部装甲を完全に吹き飛ばされていた。
場違いなほど優しい夕刻の日差しがエリザの顔を赤く染め上げた。
風が吹いた。
エリザは周囲をゆっくりと見回した。
思考は停止したままだった。停止していてよかったと思った。
二層構造の艦橋の内、上層艦橋は完全に無くなっていたが、下層艦橋は奇跡的なほど無事だった。下層艦橋は機関士や砲手などフルボディ型の席がまるである種の昆虫の卵のように敷き詰められており、人々はそこに行儀よく収まったまま、しかしぴくりとも動かなかった。荷電粒子ビームがすぐ上を通り過ぎたのだ。当然の結果だった。
しばらく息を整えてから、エリザは艦橋の中に入っていった。
かすかなオゾン臭がした。
震える足を一歩一歩踏みしめ、エリザはブルボディ型の席で死んでいる一人一人に近づき、目を閉じ祈ってから彼らの顔を見た。皆、見たことがない顔で、見たことがない表情で死んでいた。
半分ほど確認したところで、生き物の気配にエリザは振り向いた。誰かが生きていたのかと思って胸がドキドキした。しかし、それは勘違いだとすぐに分かった。外から迷い込んだらしい一匹の小鳥が、飛び出した緩衝剤の上にとまっているのが見えたからだった。
小鳥は小首を傾げ、それからエリザの方を見て、チチと鳴いた。エリザは立ち止まったまま小鳥の動きを見守った。
小鳥はまるで惨状を確認するように艦橋のあちこちに視線を走らせたあと、突然ぴょんと跳ね降りた。降りたその下に一つのフルボディ型の席があった。エリザがまだ確認していない席だった。席には一人の若者がヘッドギアをかぶったまま横たわっていた。小鳥はそのヘッドギアをかぶったまま倒れている人物の肩にとまり、起こすようにその頬をつついた。
人物は何の反応も示さなかった。
小鳥は何度も何度も頬をつついた。
それからふと何かに気づいたように鳴き、それから羽を広げて飛んだ。そのまま振り返りもせずいなくなった。
エリザは気づいていた。
その席に座っている人物が誰なのかを。
エリザは無理矢理笑みを浮かべた。それからいった。
「……久しぶり」
もちろん返事はなかった。
涙が溢れ、光景が歪んだ。




