第三章 ハイゲート
ハイゲートと呼ばれる施設がある。
衛星軌道上に浮かべられ、超光速航行の加速をするための設備である。亜空間への突入に必要な五次元加速を可能とする巨大な外周環を有する一種の衛星で、人類の英知と莫大な資金と資材の結晶した姿であるともいえる。
ハイゲートは、目的地への方向及び距離を調べその距離を亜空間を伝って跳躍するのに必要な加速度を計算し、宇宙船あるいは航行能力を持たない機械類を撃ち出す。撃ち出されると物質はディメンションオーロラと呼ばれる輪状光を残して亜空間に突入することになるが、我々の次元に存在する物質は亜空間に長時間留まっていることは出来ず、加速エネルギーを消費すると通常空間に押し戻される。その時ちょうど目の前の目的の地点があるように、絶妙の加速で打ち出すための装置なのである。
ハイゲートに通常空間に戻るための特別な装置は必要ない。これは逆にいえば、還ってこられない片道切符のカミカゼにも似た手法であり、かつてこのハイゲートで銀河に散らばっていった人類の祖先たちは、恐るべき勇気があったといえるだろう。いまだにこの時代のことを書いた物語が人気なのは、その危険性と冒険心に満ちた空気が、人類に羨望を念を抱かせるからだ。
さてハイゲートを通ってそれぞれ目的の恒星系に辿り着いた人々はそこで持ち込んだテラフォーミング用の機械を使って惑星改造を行い、文明を築き、そしてハイゲートを造って、地球に戻ってきた。もちろん、戻ってこれたのはごく一部で、その後死が確認された一団、さらにはいまだに公式では行方不明のものの数の方がはるかに多い。
いわば宇宙における大航海時代だった。
途中から、ハイゲートでハイゲートを撃ち出す方法が確立され(それまではハイゲート以下の質量のものしか撃ち出す能力はなく、ハイゲートはバラバラにして何回かに分けて撃ち出す以外に方法はなかった)、人類の版図はより広がった。もっともそれは地球圏に小惑星と見まごうばかりの巨大なハイゲート--アダムが完成しただけのことで、技術革新ではない。
現在、ハイゲートの輸出は禁止されている。
ハイゲートが惑星の文明度を決める基準とされたからである。もともと、ハイゲートはそれを軍事的に使用すれば極めて悪質な利用法が考えられるため、拡散には慎重さを要した。もっとも大航海時代においてはその危険性はほとんど忘れ去られており、人類が気づいたのはハイゲートが軍事的に初めて利用された反動戦争を経た後であった。結果、ハイゲートは人類法によって厳しく管理されるようになり、星系国家がハイゲートを敷設するには莫大な資材と資金とを全て自国負担で用意しなければならなかった。これは国家の乱立を阻止するという意味でも役に立った。惑星はハイゲートを完成しそれを衛星軌道上に浮かべた瞬間、マイケル・アウンサン博士の基準によるところの文明度Sの惑星へと昇格するのである。文明度Sに昇格すると、惑星として様々な権利が保障される。権利は当然義務を孕んでおり、その中に、敵国は文明度Sの惑星に対しては宇宙からの艦砲射撃を行ってよいという項目があった。
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汎ヤーキス連邦ウシャス支邦は特殊な経緯で誕生した国家である。誕生の契機は惑星ウシャスⅡの主な産物である融合炉用内壁材に対して軍事的観点から汎ヤーキス連邦が輸出禁止措置を決めた時に遡る。外貨を獲得する手段が無くなったウシャスⅡの市民たちは汎ヤーキス連邦からの独立を求め、そこでまず産まれたのがスーリヤ共和国だった。ウシャスⅡ史上初の惑星を挙げた選挙で選ばれた第一代大統領ワイヤーマンは、もともと軍人で、この瞬間から独立戦争は始まり、そして今も続いているといえる。当然のことながら汎ヤーキス連邦としては自らの胎内で始まった独立運動を黙ってみているわけには行かなかった。ある一つの星が独立を勝ち取れば、連鎖反応的に汎ヤーキス連邦の支配に不満を持つ星々が独立運動を活発化させることが予想できたからである。しかし当時文明度BであったウシャスⅡに対する介入の方法は制限されており、汎ヤーキス連邦が選んだ選択肢はウシャスⅡ上に残ったごくわずかな連邦支持者に資金を与えると共に、別の星系から膨大な数の移民をウシャスⅡに送り込むことだった。彼らが汎ヤーキス連邦の庇護のもと、創り出した国家が汎ヤーキス連邦ウシャス支邦というわけである。
したがって、汎ヤーキス連邦ウシャス支邦は、スーリヤ共和国よりも歴史は浅い。また市民たちは一部を除いて、新移民で、文化や肌の色も様々だった。しかし汎ヤーキス連邦からの援助は巨大で、宇宙に孤立したスーリヤ共和国に対して徐々に圧迫を強めていた。
汎ヤーキス連邦ウシャス支邦には、敵国であるスーリヤ共和国全土で行われた緊急発表が官民を問わず千以上のルートを伝って流れ込んできたのは隣国として当然のことである。地下に敷設された光ケーブル網こそ繋がってないものの宙を飛ぶ電波に国境はなかったし、実際には光ケーブル網も盗聴をされていた。
緊急発表は汎ヤーキス連邦ウシャス支邦が総力を挙げて建設したハイゲートの破壊を示唆する内容であったから汎ヤーキス連邦側も国中が緊張に包まれることとなった。もともとハイゲート建設自体が国民に対しても極秘裏に進められていた計画であり、ハイゲートなどという代物を造れば敵国(つまりスーリヤ共和国)の全面攻勢を誘うことが必至なのは誰の目にも明らかで、そんな風に気づかないところで避け得られなくなった全面戦争を歓ぶ者はウシャス支邦においてもごく一部の鷹派だけだった。
国民の不安は自分たちを守るはずの自軍の戦力に向けられた。果たしてスーリヤ共和国の決死の突撃を跳ね返すだけの力があるのか。
それに答えたのは汎ヤーキス連邦ウシャス支邦軍ボリテクニク元帥だった。スーリヤ共和国ウォルフラム大統領を受ける形でTV発表を行ったボリテクニク元帥は、スーリヤ共和国の対応は予想の範囲内であったこと、ウォルフラム大統領が発表したような全面的な攻勢に出たとしても充分撃退できるだけの戦力が整えられていること、そしてハイゲートの建設は汎ヤーキス連邦本国の協力のもと九割九分まで終了しており約一ヶ月でスーリヤ共和国自体がこのウシャスⅡという惑星上から消えて無くなることを断いした。軍人にしてはやけにカメラ慣れした様子で淀みなく自軍の勝利を高々と宣言するボリテクニク元帥の姿は、国民たちに信頼と安心をもって受け入れられたようである。彼はその後、ウシャスⅡに再び統一をもたらした人間として政界にデビューし、また彼の自伝『統一とその苦しみの果てに』は爆発的な売れ行きを記録する。
ボリテニク元帥が自伝に書いたとおり、汎ヤーキス連邦ウシャス支邦軍においては、敵国大統領単独による緊急発表というシナリオは幕僚が用意したシミュレーションの中に存在したためまったく動揺は見られなかった。
スーリヤ共和国のウォルフラム大統領が緊急発表内で示した衛星写真はカッセル平原で建造中のハイゲートの姿を映していた。カッセル平原はウシャス支邦第二の都市クレーフェルト市の東に広がる広大な平野である。何もないように見える平野であるが、実際は二個師団が巧妙に隠蔽されていた。クレーフェルト市防衛のための艦隊も通常よりも守備力の強い戦艦の割合が多い布陣で、衛星写真が公開された後で考えれば何かあって当然の状況であった。
防衛部隊の長はブレンターノ大将である。ウシャス支邦軍の間では名将の誉れも高いブレンターノ大将は毎朝五時半に起きる。朝起きて彼は体操をする。ブレンターノ家秘伝の健康体操というその体操は、ダイエット用のエアロビクスと筋肉をほぐすための動きが合体したような内容で、背は平均よりも低いが岩のように存在感のある体つきのブレンターノ大将が飛んだり跳ねたりしながら身体をほぐしている姿を見るといささか奇異な印象を感じる。ブレンターノ大将も気にしているようで、准将になってからはそれまでのように外でやったりせず、自室の中でこっそりとやるようになった。
ブレンターノ大将にいわせると、彼の肉体的な健康、精神的な健康は全て早朝のこの体操にかかっており、体操が何らかの事情で出来なかった時など、一日中機嫌が悪い。従って、記者発表から二週間ほど経ちようやくマスコミの攻勢が一段落したその日の朝、思い出したような国営TVの取材申し込みによって体操が出来ないまま司令室に入ったブレンターノ大将はたいそう不機嫌だった。副官はそんなブレンターノ大将の扱いを心得ていて、ブレンターノ大将が椅子に座り足をデスクの上に投げ出すと、その横に何もいわないまま資料を置いた。
ブレンターノ大将は副官の顔をじろっと見上げた後、ため息をついて資料を取り上げた。
資料を読み終わったブレンターノ大将に向かって副官が控えめに「そこに書かれております通り、敵軍に大規模な攻勢の動きがあります」と声を掛けた。
「……三方向からの侵攻か」
「はい」
「……馬鹿げた話だ」
ブレンターノ大将は資料をデスクの上に投げ出した。
まったく馬鹿げた話だった。考えるだに憂鬱な戦いをこれから繰り広げなくてはならない。はっきりと無駄な戦いである。ウォルフラム大統領は発表で脱出準備を進めながら攻勢に出ると語っていた。その方法は、おそらく自分が同じ立場でもそうしたであろう行動だった。つまり全国民を率いてこの星を脱出するのである。技術を持ち社会を形成していた二億の国民。この“資産”は十分に買い手があるだけの価値がある。たとえばラフレシア遊星旅団。彼らは移動能力がある人工コロニーによって宇宙を旅する移動国家であるが、数年前事故があり、コロニーが一つ滅亡したという話だった。コロニーは修理すれば直る。二億の国民が亡命を望めば、おそらく諸手をあげて受け入れてくれるに違いない。他の国家も同様である。宇宙は広く--つまり住むべき土地は山のようにあり--人間の数はそれを満たすにはあまりに少ない。人間は現在ではそれなりの価値がある資産なのだ。亡命を拒むのはエリート主義の地球連邦ぐらいであろう。彼らは“純血”に固執するが、他の国家はそんなことはない。しかし、その脱出の間、こちら側が手をこまねいて見ているとは限らない。無防備に逃げ出そうとしている姿を見れば、ちょいと攻撃をしてみようと思いつく不埒な輩がいないとも限らない。脱出の時間を稼ぎ出す必要がある。また、ただ逃げ出すだけでは国民たちも不満を持つであろう。つまり、国民の自意識を満たし、そしてウシャスⅡという住み慣れた故郷と決別するために流血が必要なのだ。
おそらく攻撃部隊は死を覚悟しているだろう。戦いは守る側が圧倒的に有利なように出来ている。すでに陣地を形成して兵站が整っているという条件はあるが、その条件が満たされている場合、攻撃側は守備側の数倍の兵力が必要であるというのが定説だ。従って、ほぼ同等の国力を持つスーリヤ共和国と汎ヤーキス連邦ウシャス支邦とが戦った場合、攻撃側に莫大な被害が予想される。それが今の今まで全面戦争に至らなかった理由であるし、そして連邦側がハイゲートの建設という“裏技”を使った理由だった。
にもかかわらず、共和国軍は全面的な攻勢に出ようとしている。仮に首尾よくハイゲートを破壊できたとしても、共和国軍の被害はおそらく「壊滅」といっても良いはずであるし、そうなった場合、返す刀で行われるはずの連邦側の軍の反撃を受け止めることが出来ない。結局のところ、共和国の消滅は訪れる。
つまりはカミカゼ、か。
とブレンターノ大将は思った。カミカゼ、そんなものと戦うのはやはり憂鬱だ。撃退は可能だが、そんな戦いで部下を消耗するのは耐えられない。部下たちも同じ気持ちだろう。勝利が分かっている戦いで、怪我をするのは損だと考えて当然である。
いずれにせよ、現在汎ヤーキス連邦ウシャス支邦が持つカードは受け身でしかない。ハイゲートという切り札を出し、それに対する相手の反応を見て、こちらの行動を決めざるを得ない。
もちろん相手が攻めてくるのならば防衛しなければならない。
ブレンターノ大将は副官の方を向いた。
「……三軍全てに動きがあるのか?」
「いえ、東の軍と中央の軍のみです。西の軍はやや動きが遅れています」
「三軍の構成を出せ」
ディスプレイに映し出されたその数を見てブレンターノ大将はうなった。凄まじい数だった。確かにこの数を率いて決戦を行う誘惑は軍人にとって抑えがたいものがあるだろうなと思った。
しかし最も厚ければならない中央の軍の軍容が他の二軍と比べて明らかに薄いのはなぜだろう。中央の軍は囮で、東西の二軍が主戦力なのだろうか。しかし、この時代、軍容はかなりの確度で敵に把握される。奇襲は極めて困難なのである。
まぁいい、とブレンターノ大将は思った。ブレンターノ大将の率いる部隊の目的はハイゲートの防衛である。ブレンターノ軍の眼前に敵が現れるには、当然その前に自軍を突破しなければならず、そして現れた相手は誰であるとブレンターノ大将の部隊に逃げ出すことは許されない。
自分の仕事をやるだけだ。
ブレンターノ大将はディスプレイの北に光る赤い点を見た。これがハイゲートだった。
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スーリヤ共和国軍参謀本部は首都ミュンスターに存在する。航軍省の隣にある赤煉瓦の三階建てに見えるビルがそれである。地上部分よりも広い地階は三階あり実際は全六階、その二階の部分に会議室が存在している。書類上は存在してないはずの会議室で、かつて様々な軍政上の謀議がここで為され、そのうちの三割程度が実行に移されたという曰く付きの部屋である。
その天井の低い会議室にスーリヤ共和国の存在する各師団及び各基地に飛んでいた参謀将校全てが集まっていた。
部屋には奇妙な緊張が満ちていた。部屋にいるのは参謀将校とその上官に当たる参謀本部長のみである。馬蹄形のテーブルに付いた彼らの前にはコーヒーさえ置かれておらず、しかし雑談の一つもなかった。
生真面目そうな顔つきの参謀本部長は立ち上がり、四十人近い参謀将校全ての顔をゆっくりと見回した。出発したときもやはりここに全員集まった。その時と比べて五人ほど足りない。今回の作戦に反対を表明した師団は二つ。その師団とその師団に関係した三つの基地に向かった参謀将校がまだ戻ってきてないのである。おそらく殺されてはいまい。拘束されているだけだろう。
それでも予想していたよりも、よほどよい環境だった。十五師団中、十三師団が参加。反対している二個師団も、重要な戦力ではない。
この目の前の参謀将校たちが説得した結果だった。有能な部下たちを見回して参謀本部長の顔がほころんだ。
参謀本部長の視線に対して参謀将校たちは黙って視線を返した。
時間を掛けて全員の顔を一人一人見た後、参謀本部長は口を開いた。
「--我々は臆病でなければならなかった」
参謀将校たちは動きでうなずきこそしなかったが、視線で同意を示した。参謀本部長一人が大きく頷いた。
「我々の職務が臆病であることを求めたからだ」
その通り。
参謀は慎重であることが求められる。もちろん部隊は大胆であることも必要である。しかし大胆に行動するべきかどうかの判断をするのは参謀ではない。部隊の隊長あるいは将がするべきものである。参謀は判断の材料を提供するに過ぎない。参謀は独善であってはならないのだ。
参謀本部長は言葉を続けた。
「我々参謀将校はしばしば臆病者のそしりを受けてきた。そしてそれを我々は賛辞として受け入れてきた。それでいい、今のままで良い、そう思い、我々のことを軍人にあるまじき勇気に欠く者と呼ぶ者たちに対して胸を張って相対してきた。それが我々の誇りだった。しかし--その時代は終わった。すでに慎重という言葉は存在しない。未来という言葉も存在しない。我々は勝算を度外視した全面攻勢に出る。すでに参謀本部のそうあるべき姿は無い。我々は敢えて臆病者である必要はなくなった。我々は我々が生来身に持っている勇気を示すべき時間帯の前にいる。我々は、兵士に立ち返るべきなのだ--」
参謀本部長の言葉にも参謀将校たちは黙ったままだったが、視線は明らかに変わっていた。会議室の室温が二度ばかり上がった気がした。
参謀本部長はしばらく押し黙ると、感情を押し殺した声で参謀本部の解散を宣言した。そして、望めば今回の戦闘部隊に席を用意させると告げた。参謀将校たちはほとんど全員それを望んだ。
参謀本部の存在を象徴するその会議室からは誰もいなくなった。帰ってくることはないはずだった。慣れ親しんだ赤煉瓦のビルの中にもすでに残っているのは先ほど会議室に居た四十名の参謀将校と参謀本部長だけである。その彼らもやがて出ていき、そして最前線の部隊に加わり、戦う。そのために参謀本部を出ていこうとしている。彼らはビルを出てそれぞれ配置された部隊に向かう。彼らが戦地からここへ帰ってくることはないだろう。
ビルから出る参謀将校たちの中にアイゼンク中佐の姿もあった。アイゼンク中佐もまた最前線を望んだ者の一人だった。彼が廊下を歩いていると旧知の参謀将校が声を掛けてきた。
「--どうするんだ?」
アイゼンクは歩きながら答えた。
「西の部隊に席を用意してもらっています。砲艦を一隻預からせていただくことになっています」
「砲艦? 砲艦を指揮するのか?」
「はい」
「それは……懐かしいことだな」
旧知の参謀将校は、アイゼンクがフッパーダールのレアメタル鉱山を巡る戦いで砲艦を指揮して武勲を立てたことを思い出したらしかった。アイゼンクは微笑で返答した。
旧知の参謀将校に答えた通り、アイゼンクはブレヒト准将の好意で砲艦を任せてもらえることになっていた。しかも麾下に参加するのはイマニエル・ゲルトハイマー軍曹と、その他二十名の兵士たち。艦の進退はアイゼンクに一任されており、事実上の艦長といっても良い。正確には名目上の艦長は別に存在するが、その艦長はブレヒト准将の乗艦の臨時艦長を引き受けるために彼の船であるブランデンブルグに入っていて、砲艦内にはアイゼンクより階級が上の者は存在しなかった。つまりこれは軍の私物化にも等しい行為で、決して褒められるようなことではなかったが、絶望的な突撃が行われる共和国軍内では同様の感傷的人事があちこちで行われていた。アイゼンク自身は砲艦で勲一等鳳凰章を受けるほどの武勲を挙げているのは事実であり、決して無謀な人事というわけではない。しかし、これまでの秩序を考えればやはりそれは、何かたがが外れたとでも呼ぶべき状況で、共和国軍はこの突撃の無謀さを自覚していたのは確かである。
攻勢を前にした共和国軍には活気があった。あるいはそれは軍としてはあってはならない類の活気であったかも知れない。勝利を求める士気の高さというよりも、どこか枯れた、自らの命を諦めたあとの活気であったからである。しかしそれを非難し修正しようとする空気はすでになく、皆その枯れた雰囲気と胸中にぽっかりと開いた虚無感を楽しんでいるようなところさえあった。この時の雰囲気を後に生き残った者はこう回想している--死を覚悟したが、不思議と恐ろしさはなかった。死を引き替えにして守るべきものがあるというのは、軍人としては最も理想的な状態である、と。
アイゼンクは旧知の参謀将校と握手を交わした後、空路を使って彼が所属するすることになった第六師団に向かった。第2765基地から、師団が集結している大蟹の寝床の東に向かうため軍用ヘリに便乗した際、第六師団が所属する西の軍を一望することが出来た。その壮大さに、アイゼンクの唇に自然に微笑が浮かんだ。これだけの軍が動くというのは前代未聞である。もちろん宇宙ではこの数倍、下手をすれば数千倍の規模の大会戦も行われている。しかしウシャスⅡ史上においては間違いなく最大の軍隊であり、しかも同規模の軍があと二軍存在して、ほぼ同時に侵攻する予定なのである。ウォルフラム大統領とユーデンキュニヒ上級大将の立てた計画は雄大かつ壮大なものであった。国民の脱出を進めながら、その行動を妨害されないために軍を三軍に分けて敵国に侵攻。ハイゲートを破壊し、汎ヤーキス連邦に一矢報いる。兵力集中の大原則を無視して敢えて三軍に分けたのには理由があった。三軍に分けることで、敵の兵力に混乱を招くこと、がその理由だった。一カ所に集中すれば当然、敵も防衛力を一カ所に集中することが出来る。それでは意味がない。ある部隊は数倍の敵に囲まれて殲滅されても残りの部隊が目標であるハイゲートに到達できればよい、そう考えているのである。中央と東の軍は戦艦を有しそれなりに守備力を持っているが、アイゼンクが所属する西の軍は砲艦、巡洋艦の割合が大きく、機動力と打撃力に突出した部隊であった。これはこの部隊を率いるシラー中将の攻撃的な性格を根拠にしたものであったが、結果としてハイゲートに到達する確率が一番高い部隊と考えられていたのである。一応攪乱のために戦艦も多数配備されているが、途中でこの速度に劣る艦隊は切り捨てて、砲艦及び巡洋艦で先行していく予定だった。戦艦は捨てるわけではなく、宇宙に持っていくのである。西の軍に配備されている戦艦は主に宇宙空間でも使用できるシリーズで、ラフレシア遊星旅団と約束は出来ているとはいえ、当座の防衛力は必要であり、数少ない宇宙空間仕様の空中戦艦は絶対に失うわけには行かなかった。
西の軍本部に到着したアイゼンクはまずシラー中将のもとに向かった。
旗艦であるアルブレヒトの艦橋内でシラー中将は忙しく立ち回っていた。シラー中将は四十五歳で、一見どこか小さな会社の営業課長といった風貌の持ち主である。小太りで、目が細くいつも笑っている様に見える。しかし、戦闘に入るとその身体のいったいどこにあれだけの闘志が眠っているのかというほどの激しさを見せる。激しさを見せながら冷静さは失わず、撤退戦においても優れた才能を見せていた。
シラー中将は、アイゼンクにとって上級防衛学校のゼミの後輩に当たり、個人的にも親しい。アルブレヒトを訪れたアイゼンクが配属を伝えるためにシラー中将への伝言を頼むと、作業を止めてわざわざやってきた。
「やぁ、元気そうだな」
シラー中将はひどく陽気な顔を見せた。
「はい。おかげさまで」
「ま、景気よくやろう」
握手をして、アイゼンクは自分が任せられた砲艦に向かった。
砲艦には戦艦のような名前は存在しない。識別番号で呼称される。つまりアイゼンクが任された砲艦は正確にはKL-5581と呼ぶべきである。KL-55までは型番であり、81というのは、製造番号を意味する。つまり、KL-55型の81隻目がアイゼンクの艦というわけである。
そのKL-5581の艦橋には先客が居た。アイゼンクが懐かしい匂いにどこか胸を躍らせながら艦橋に入ると、足音に気づいたのか先客は振り向き、微笑みを浮かべた。
「--お久しぶりですね」
アイゼンクは驚いた。そこにいた四人の人物は、かつてフッパーダールの鉱山を巡る戦いで彼の下に配属されていた部下たちだったからである。
「--どうしたんだ? お前たち……」
予想も付かなかった友人たちの登場にアイゼンクが呆気にとられていると、背後からひどく嬉しそうなイマニエルの姿も現れた。五人を代表してかつての軍曹、現在大尉であるケルゼンが口を開いた。
「みんなこの基地にいるんです。西の軍に所属しているというわけです」
「そうか……懐かしいな」
「はい」
そういってケルゼンは周囲を見回した。
「こうして、砲艦の中に揃うと、あの頃のようですね……」
「まったくだ。で--どうしたんだ? 何かあるのか?」
「何かあるのかなんて水くさい。我々は皆今夜は第二種待機ですよ」
ケルゼンは片手に持ったウィスキーのものらしい瓶をこれ見よがしに振った。
「フールジュ産の十五年ものです。これを少尉と飲もうと思ってね、来てみたところ、俺以外にも同じことを考えた奴がいたと、こういうわけです」
皆の方を見回して、そういった。残りの四人は笑みを浮かべてそれぞれ後ろに回していた片手を前に出して上げた。ウォッカ、スパークリングワイン、ジン、焼酎とまるで種類の違う酒瓶が同じように揺れていた。
アイゼンクは頭を掻いた。顔がほころんでいくのを止めれなかった。
「……明日は戦闘だぞ。二日酔いするまで飲むのは許さないからな」
「分かっております、隊長殿」
おどけた様子でケルゼンが敬礼して見せた。
「--つまみはどうする?」
「決まっています」
「なんだ?」
「昔話、ですよ」
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エリザはこの三日の間、眠ったのはわずかに三時間程度、それもソファでとった仮眠であり、普通ならば倒れてしまうほどの忙しさだった。もちろん、倒れている暇など無かった。惑星脱出。この国家始まって以来の一大事件を前に、星の福音教団は、宗教団体として政権第一党として最高の頭脳を集めたアカデミーとして、やらねばならないことが山積していた。
エリザは脱出用船団での医療班配置を担当していた。簡単そうに聞こえるその言葉にどれだけ悩まされたことか。医者の数は圧倒的に足りなかった。なぜか--明確である。この国家における医者のほとんどは軍属、すなわち軍医だったからである。
軍医は半ば強制的に艦を降ろされる予定だったが、それでも半分ほどが無理矢理艦に残った。慣れ親しんだ艦とその乗組員が絶望的な戦いに向かうのを見ていられなかったからだった。「軍医でなくても構いません。軍籍を剥脱されても結構です。志願兵という形で、乗せていただけるだけで良いんです。私たちの患者だった人間が危険な戦いに行こうとしているのを安全な場所で見ているなど、出来るわけがありません。それを許したら、自分はすでに医者ではあり得ません」彼らの懇願を、軍上層部は無視できなかった。結局、軍医は艦隊に残り、民間の医者の数が足りなくなったというわけだった。
エリザは医者の数の少なさを、設備と床数が揃った医療船を輸送船十隻に対して一隻配置することで解決した。医者の数は足りなかったが、看護婦の数は充分だった。これは軍医たちが自分たちのことを棚に上げて、看護婦は下船させたためである。看護婦といっても一通りの医療知識は持ち合わせている。後はそれを指揮する婦長と、そしていざというときのための医者が一人いればよい。医療船は小型の貨物船を手配、改造して数をそろえた。それで医療班配置は完全のはずだった。
その作業をエリザは夜を徹して行った。同僚の一人が休んだ方がいいと薦めてくれたが、首を振って続けた。エリザには他にやらなければならないことがあった。--出撃前にシラー艦隊を訪ねること。より正確にいうならば、シラー艦隊に所属しているイマニエル・ゲルトハイマー軍曹を訪ねること。
実は、エリザは教団に帰るやいな、教団出身である軍務大臣に頼み、イマニエル・ゲルトハイマー軍曹を歩兵部隊に配置転換させようとしていた。エリザにしてみれば、再会前のほんの手みやげのつもりだった。しかし、エリザの好意は、イマニエル自身の転属拒否という答えによって拒否された。シラー艦隊の一員として突撃を行うことはすなわち、死への最も近道である。イマニエルの行動が理解できず、エリザは激しく混乱した。あるいはイマニエルには自殺願望があるのか、しかもそれはエリザが本来は彼が受けるべき恵みを奪ってしまったからではないかと懊悩した。懊悩しながらも、医療班配置の作業を行っていたのだが、ようやくそこで彼女は答えを得た。敢えて艦に残ることを望んだ軍医たちと同様、軍人はしばしば無謀を美徳と勘違いする生き物であると知ったのである。
エリザはイマニエルもまた軍人という人間の業を最も強く背負った種族に染められたことを、不思議な安心感と共に納得した。彼女にとって、現実離れした存在であったイマニエルが血と肉を帯びた人となった瞬間だった。
エリザは今度こそイマニエルと会えると思った。
だが、イマニエルと会う前にまだやらなければならないことがあった。国家が蜂の巣をつついたような騒ぎになっているのである。一人の私事を、国家の大事に優先するわけには行かなかった。
文字通り不眠不休でエリザは働き、自らの責務を果たし終えた。そして、三日の休暇をもらい、シラー艦隊が駐屯する野営地に向かった。
野営地となっている荒野には軍用迷彩が施された宿営車両がずらりと並んでいた。その上を見上げれば、天を覆い尽くすように巨大な戦艦群が浮かんでいた。シラー艦隊は戦艦が四十、重巡洋艦が三百、砲艦が六百という規模だった。もっともエリザにはそれらの区別は付かなかった。艦隊を一瞥すると、視線を地上に転じた。一隻だけ地上に戦艦が降りていた。黒々とした鋼の表面をミラーコーティングされたその姿はまるで太陽そのものを地上に落とし引き延ばしたような圧倒的な量感を持っていた。艦首近くに太陽を意匠化した浮き彫りが施されている。これが第十二艦隊旗艦アルブレヒトであろう。
この巨大な艦隊の中でイマニエルはいったいどこにいるのだろう。エリザが途方に暮れて視線を巡らせていると、ジープに乗った兵士が声を掛けてきた。兵士は酔っている様で、エリザを誘うつもりで声を掛けてきたようだが、エリザが評議員であることを知ると慌てて姿勢を正した。
エリザはイマニエルの名前とそして2765基地司令のブレヒト准将の名前を出した。兵士はイマニエル・ゲルトハイマーの名前は知らなかったが、ブレヒト准将のことは知っており、その部隊が駐屯している場所を教えてくれた。西の端だった。教えられた場所に向かい、まずブレヒト准将へ挨拶するために、彼の宿営車両を訪ねた。あいにくブレヒト准将は作戦会議のためにシラー中将の旗艦アルブレヒトに行っていて留守だったが、代わりに副官であるマンハイム大尉がいた。彼はエリザを見た途端、ひどく嬉しそうな顔をして、それから一転して深刻そうな表情になった。
「ちょうどいい。大事なお話があるのですが……」
エリザがイマニエルの件を口に出す前にマンハイム大尉がいった。
「大事な話……ですか?」
「はい。評議員にご内密にお伝えする必要があるのです」
エリザは一度目をつぶり、ゆっくりと息を吐いた。それから頭を評議員である「エリザ・カウフマン」に切り換えた。「何でしょう?」マンハイム大尉はまるで出来の悪い映画のスパイの様に周囲に視線を配り、
「人に聞かれるとまずいので」とエリザを人気のない個室に誘った。
マンハイム大尉の話はとりとめがなかったが、一言でいうと自分の不遇を何とかして欲しい、というだけだった。いわば陳情である。政治家である以上、エリザも何度か陳情を受けたことがあったが、陳情には客観的に見て“正しい”ものと、そうでないものと二つあり、今回は明らかに後者だった。自分のことしか見えておらず、正しいのは常に自分、間違っているのは常に他人という性格の持ち主がこの手の陳情者となる。エリザはうんざりした顔でいった。
「……大事な話というのはそれだけですか?」
エリザの素っ気ない言葉にマンハイム大尉は顔をこわばらせた。改めて見るとマンハイム大尉の顔色は悪く、目の下には隈が出来ている。しかも落ち着きが無く身体を動かし続け、視線も一点に定まらない。体調なり精神なりに変調を来しているようだった。しかし、エリザはだからといってマンハイム大尉に気を使う気にはなれなかった。突き放すようにいった。
「まず、あなたの上司であるブレヒト准将にいうのが筋ではないでしょうか?」
マンハイム大尉は大げさな手振りでエリザの言葉を遮った。
「ブレヒト准将はおかしいのです。彼に私の価値は分からない」
「では、軍上層部に願い出てみてはいかが?」
「だから、評議員であるあなたにお願いしているのです」
エリザはため息をついて見せた。
「……私は軍の人間ではありませんよ」
「しかし私のことを一言口添えしていただくことぐらいは出来るはずです」
「仮に出来たとしても、それを行う理由がありません」
「あなたは星の福音教団の評議員でしょう」
「そうですよ」
「だったら、信者である私のためにそれくらい--」
「この共和国の国民ほとんどが星の福音教を信仰していただいています。あなた一人を特別扱いは出来ません」
マンハイム大尉の視線がさらに乱れ始めた。手を口元に持ってきて親指の爪を噛み始める。しばらくその様子をうんざりした顔で見て、ため息をもう一つついたあとエリザが席を立とうとしたその時、マンハイム大尉の顔が明るく輝いた。
「--イマニエル・ゲルトハイマー軍曹……」
エリザは動きを止めた。
「……なんです?」
マンハイム大尉はぎらぎらと狂的な視線をエリザに向けてきた。
「確か、先日基地にいらしたのは彼を訪ねるためでしたね?」
「ええ、そうですが。それが何か?」慎重な顔でエリザはいった。
「彼がどうなってもいいんですか?」
「……どういう意味です?」
「そうだ、それがいい」
「……何をいっているんですか」
「私はゲルトハイマー軍曹が所属する部隊の司令官の副官だ。その気になればイマニエル・ゲルトハイマーをどうとでも出来るんですよ。無茶な突撃をさせようが、営巣にぶち込もうが思いのままだ。ブレヒト准将も私のいうことなら絶対聞いてくれる。そうして欲しくなければ、私が中央に戻れるようにしてください。簡単なことでしょう」
エリザは困って首を振った。
「……何をいっているのか分かっているのですか? あなたは評議員を脅迫しているのですよ」
マンハイム大尉は明るく答えた。
「私はただ、より国家に尽くしたいだけなんです」
エリザはため息をつき、それからまっすぐにマンハイム大尉を見つめた。
「あなたは一度医者に診てもらう必要があるようですね」
「私は健康体です」
エリザは深く息を吐き、立ち上がった。
「……あなたのことを司令官に報告しなければなりません」
「私のことを申請してくれるのですね?」
「いいえ。残念ながら」
「では?」
「イマニエル・ゲルトハイマーに危害を加えることが出来ないよう、拘束してもらいます」
マンハイム大尉も立ち上がったのが見えた。顔は笑っていたが、口元は醜く歪んでおり歯の間からキリキリと異音が聞こえていた。マンハイム大尉がエリザに向かって片手を伸ばした。エリザは身の危険を感じ後ろに飛び退こうとしたが、先ほどまで彼女自身が座っていた椅子が邪魔をした。もつれて床に転がったエリザに向かってマンハイム大尉が後ろに回していた右手を突き出した。右手にはブラスターが握られており、その銃口が光った。エリザは右脇腹に熱を感じた。
そこから先の意識はない。
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イマニエル・ゲルトハイマーは楽しんでいた。彼は酒は飲んでいなかったが、懐かしい人々と一緒にいることは心地よかった。イマニエルは彼もその場にいた時の話をする仲間たちの話を聞きながら、微笑み、うんうんと頷き続けた。遅れてきた古い戦友が、旗艦の方で騒ぎがあり、星の福音教団出身の評議員が撃たれたという噂を仕入れてきたが、そのことも気にならなかった。ひたすら楽しい時間だった。イマニエル・ゲルトハイマー以外の人々も楽しんでいた。誰もがこの楽しい時間が永遠に続かないことを知っていた。
明午後一時、動き始めた西の軍--後にシラー艦隊と呼ばれるその部隊の二人に一人が、まともに動くためには血中アルコール分解注射を必要とし、そして三人に二人が二度と酒を飲むことが出来ないまま戦死した。




