第二章 英傑
ユーデンキュニヒ上級大将からのGOサインはその日のうちに届いた。さらにブレヒト准将に関するデータも届いた。それを見てヤコブ・アイゼンク中佐はひどく驚いた。
英雄と呼ぶにふさわしい戦歴であったからである。
ハインリヒ・ブレヒト准将は根っからの船乗りで、士官候補生として入隊したときからずっと戦艦に乗っていた。中佐であった頃は、第二師団所属の駆逐艦バルクの艦長としてデューレン会戦にも参加している。戦績は撃破二。しかも傷ついた僚艦の盾となってそのままならば撃破されたであろう四隻の砲艦を救っている。その際の操艦は、大胆さと緻密さとが合わさった見事なもので、勲二等朱雀章を受けている。その後も大小さまざまな武勲を重ね、准将となった。准将となってからは、どういうわけか突然華が無くなり辺境の基地を転々とする日々を送っている。どうやらワイス元帥との衝突がその原因らしい。今の風貌からは想像も付かないが、当時のブレヒト准将は上に平然と噛みつくだけの気概を持っており、前線に視察に来たワイス元帥が突然始まった戦闘状況に強引に指揮をしようとしたところ、現場指揮権の所在に関して異議を唱え、ワイス元帥を無視して自ら部隊指揮を行った。これは軍律的にはまったく問題がない行動であったが、現役を気取っていたワイス元帥の心証を著しく害した。結果、見事敵を撃退したにもかかわらず左遷。その後も浮かび上がることなく現在に至っている。
これだから軍というのは面白い、とアイゼンクは思った。こんな辺境の基地に異能が眠っている。
さて今動かしている計画が果たしてその異能を目覚めさせるきっかけとなるか。
ヤコブ・アイゼンク中佐は念のため自分の携帯端末を使って計画書を造り上げた。部屋には迷彩通信システムが備わっているとはいえ、人の行為に完璧はあり得ない。万が一ハッキングされることを怖れてのことだった。その計画書を持って、ブレヒト准将に面会したい旨を伝えると、食事中で士官用食堂にいるということだった。鱒のムニエルをナイフで切っていたブレヒト准将は「可能ならばここで食べながらといいたいところだが、そういうわけにもいかんのだろうな」といいながらナイフとフォークを置いた。
「司令室がいいのだろう?」
「申し訳ありません」
司令室に行くと、食堂には居なかったマンハイム大尉がどこからともなく現れてブレヒト准将の隣に立った。まるで敵を見るような油断ならない目つきでアイゼンクの方を見るのが気に障った。
ブレヒト准将はデスクを回って司令席に向かうとそこに長身を折り曲げるようにして座り、指を組み合わせた。アイゼンクの方を見て、微笑みらしい表情を浮かべた。
「基地の西の大蟹の寝床に行ってきたそうだな? なかなか壮大な景色だっただろう」
あの盆地は大蟹の寝床と呼ぶらしい。アイゼンクは「蟹」という名前の高等甲殻類は食べたことも見たこともなかったが、知識としては知っていた。あの殻で覆われた十本脚の生物の寝床とあの荒涼とした景色とはいったいどういう繋がりがあるというのだろう。
アイゼンクの反応など関係なくブレヒト准将は遠くを見る目になった。
「基地の周囲に大きな町はないが、その分、景色は雄大だ。白い大地と青い空。まさにウシャスⅡという惑星そのものと向かい合っている気がする」
なかなか詩的な表現をするとアイゼンクは思った。この司令室に飾られた銅版画のセンスといい、ブレヒト准将は芸術家肌の人物なのかも知れない。軍組織には意外とこういう手合いが多い。軍務を無味乾燥なものとして捉え、その反動として文化的な「潤い」を不必要に求める輩である。ブレヒト准将ももしかしたら自宅には詩集などを集めていて、定期的に雑誌に投稿しているのかも知れない。確かに軍の機関誌には、「文化欄」という名称の詩やイラストを掲載するコーナーがあり、「文化的」と称して愚にも付かない素人の詩やイラストを載せている。毎月、ちゃんとコーナーが続いている以上、詩の愛好者はアイゼンクが知らないだけで意外と多いのかも知れない。もちろん、皆が書いているからといってアイゼンク自身は詩やイラストを書こうという意志はなく、多少気味が悪いと思うだけで、別にどうでもいい。
「この絵を描いたときにはずいぶん通い詰めたものだ」
「この絵? どれです」
ブレヒト准将はわずかに照れを見せつつ、首を曲げて司令席の背にあたる壁に掛けられた銅版画を見上げた。
「その銅版画ですか?」
「そうだ。私が描いたものだよ。一ヶ月かかった」
「それは……驚きました」
素直に驚きの感情を出した。実際驚いていた。あの絵を探し出して壁のあの位置に掛けただけでも大したものだと思っていたのに、あの絵を描いたのがブレヒト准将その人だとは。
「非常にご趣味のよい銅版画だと思っていたところです」
「好きこそ上手なれ、というだろう。私は大蟹の寝床と呼ばれているあの景色が好きなのだよ」
アイゼンクの胸中に戸惑いが生じていた。今からアイゼンクが提出する計画においてその景観は台無しになる予定だったからだった。しかし、すでに立ち止まることは許されなかった。アイゼンクは計画書を手渡した。
ブレヒト准将が十二ページもある計画書を読み終えるのをアイゼンクは直立して待った。
複数回読み直したあと、ブレヒト准将は顔を上げた。
「なるほど」
何ともいえない表情だった。撃たれた直後の熊のような、物悲しさと諦観が混ざり合った不思議な顔をしていた。マナハイム大尉が口を開いた。
「拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
ブレヒト准将は二度首を振り、ひどく疲れた顔で隣のマンハイム大尉に計画書を渡した。ブレヒト准将が計画書を読む間中、アイゼンクのことを睨んでいたマンハイム大尉は立ったまま黙読し、そしてあからさまに眉をひそめた。
「大蟹の寝床における空中戦艦用簡易滑走路の建設計画? なんですかこれはいったい?」
その質問はアイゼンクに向けられたものなのかブレヒト准将に向けられたものなのかよく分からなかったから、アイゼンクは無視した。無視されたことを理解したようでマンハイム大尉の顔色が変わった。唇を歪めて笑みを創り、次はアイゼンクに向けられたことが明らかな質問を吐いた。
「しかも何だ、この大きさは? どこにいったいこれだけの大滑走路を必要とするような大艦隊があるというのだ? 我が軍を全部集めるつもりか? アイゼンク特務中佐、黙っていないで説明していただきたい。けっこうな脳味噌を持っている参謀本部の考えることは、我々凡百にはとうてい理解できないものらしいからな」
計画書をデスクの上に投げ出したマンハイム大尉をアイゼンクは鋭い視線で一瞥した。マンハイム大尉はその視線の強さに身構えたが、アイゼンクは彼に向かっては何一ついわず、ブレヒト准将を黙って見つめた。しばらくしてブレヒト准将は疲れた顔のままため息をついた。
「我々は簡単にはこの計画を受け入れられない。これだけの規模の簡易滑走路を一から創り、しかもこの計画書に書かれてある期限に間に合わせるとなると、日常の軍務に支障が出る。それまでこの計画の重要度は高いのか。ユーデンキュニヒ上級大将にことの次第を確認する。よろしいな?」
仲良しごっこはこれまでか、とアイゼンクは思った。もちろん口には出さず頷いた。
「結構です。しかし、確認には迷彩通信システムを使用していただきたい」
不機嫌な口を開いたのはマンハイム大尉だった。
「基地の通信に関しては、基地司令の判断が適用される。参謀本部に余計な口を出していただきたくない」
「この計画書は特A軍機です。そこのところを、よく認識してあらゆる行動に当たってもらいたいと考えます」
マンハイム大尉が口を開く前に、全ての応答を終えた意味を込めてアイゼンクは敬礼をした。我ながら見事な敬礼が出来たと思った。部屋を出る前にブレヒト准将が疲れた表情で宙に視線を漂わせているのが見えた。軍人というよりは長年親しんだ景色が失われることを嘆く日曜画家の老人に見えた。簡易滑走路の建設予定地として記載されているのは大蟹の寝床だったのである。
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昨夜はよく寝られなかった。エリザにとって寝られなかったことなどずいぶん久しぶりだった。別段、枕が変わったことが問題だったわけではなかった。エリザは十年以上の修道院生活で、精神的な強さを身につけていた。少なくとも、環境が変わった程度で、睡眠不足になるような柔な精神の修道院出は存在しない。より正確にいえば、存在することが出来ない。
エリザが寝付けなかった理由は一つ、エリザがここ第2765基地にいる理由そのものだった。すなわち十四年使ってようやく捜し当てたイマニエル・ゲルトハイマーの存在である。捜し当てはしたものの、いまやイマニエル・ゲルトハイマーはエリザにとっての悩みの種になっていた。狂おしいほど会いたいが、壊れてしまいそうなほど会うのが怖ろしかった。幸い、昨日は面会を断られはしたものの、ここにいる以上いつか会わなければならないのだし、会うつもりが無いのならこれ以上ここにいても仕方がなかった。そして、合理的な行動をするように教育されてきたエリザにとって今からイマニエルとの再会をしないままもとの生活に戻ることなど許されはしなかった。
八方ふさがりだった。
明け方になってようやくうとうととすることが出来たが、長年の習慣で朝の五時には目が覚めてしまった。自分の身体に染みついた習慣の強さに多少辟易しながらエリザは備え付けのコーヒーメーカーを使ってコーヒーを入れ、ミルクも砂糖も入れずに啜った。毎朝のブラックコーヒーは修道院で覚えた悪癖だった。しかも修道院を出てからは朝食は摂らずにコーヒーのみである。マンハイム大尉は、司令付きの調理人を使っての朝食の用意を申し出てくれたが、断った。好意を断られたことに複雑な顔をしたマンハイム大尉には修道院以来の習慣なのですと嘘をついた。実際は修道院は朝食は必ず摂る決まりで、朝食替わりのコーヒーの習慣が身に付いたのは評議員になってからだったが、修道院という言葉の響きにマンハイム大尉は納得したようだった。修道院。まったく便利な単語だ。この単語で何とか上手くイマニエルに再会する方法もないだろうか?
もちろん考えつかなかった。
ブラックのコーヒーを時間をかけて啜り終わったエリザは外の空気を吸おうと部屋を出た。ドアを開けるとちょうど隣の参謀本部の軍人だという男が帰ってくるところだった。昨日とはまるで違うひどく暗い表情をしているのが気にかかった。頭を下げたが向こうはこちらに気づいてない様子で、そのまま自室のドアを開け、中に消えた。昨夜、寝付かれないまま部屋の外に出たとき、隣の部屋のドアの隙間から光が漏れていた。深夜二時近くだったのでこんな時間まで何をしているのだろう、もしかしたら軍人とはいざというときのために明かりをつけて寝る習慣があるのだろうかなどと想像した記憶があった。あるいは徹夜で仕上げなければならない仕事があり、そのことで悩んでいたのかも知れない。エリザは勝手にそう思い、隣の軍人のことは忘れて基地司令に挨拶に向かった。すでに午前八時で、ブレヒト准将は起きているはずだった。
ブレヒト准将は起きていたが、彼もまたひどく暗い顔をしていた。相手の機嫌を見て引き返すのも間が悪く、ちょっと困った顔で外を歩きたい旨を伝えると、ほとんど上の空で「ああ……そうですか」というだけで、結局「構いませんよ。基地の外に行かれるようでしたらジープを用意いたしましょうか?」といってくれたのは副官のマンハイム大尉の方だった。マンハイム大尉も険しい表情だった。何か基地に問題が起こっているのだろうと思い、好奇心が湧いたが訊けるはずも無く、早々に退散して、マンハイム大尉の好意に甘えてエリザはジープが待たされているという第一基地前に向かった。周囲を見て回ろうと思ったこと自体が、イマニエルとのことを後延ばしにしようという無意識の望みの結果であることをエリザは知っていた。「まぁいいわ」とエリザは思った。とりあえず評議員としての仕事が忙しくなるのは二ヶ月後である。今まで勉強し続け働き続けた。少しくらいの休暇は自分自身に許して上げても構わないと思う。それにこんなにドキドキすることは生涯にそうはないだろう。この瞬間を引き延ばすことも自分自身の成長という意味では意味があるのではないか。もちろんそれもただの言い訳に過ぎないことをエリザは良く知っていた。
エリザが運転手付きのジープで半日かけて周囲の景色を見て回り、帰ってくると基地全体の雰囲気ががらりと変わっていた。理由を聞くと大規模な工事が始まるのだという。
「工事、ですか?」
首を傾げたエリザに今朝よりもさらに不機嫌な顔をしたマンハイム大尉は答えた。
「参謀本部の命令でやむを得ないのです。景色を見て回ってこられたのですか。それはよかった。この景色の良さはウシャスⅡの誇りの一つですが、参謀本部の命令でその誇りの一部が失われようとしています。せめてこのすばらしさを憶えていてくれる人が一人でも増えたことは喜ばしいことでしょう」
吐き捨てるようにそういったマンハイム大尉の態度に何か感じるものがあったエリザは詳しく聞かせて欲しいと頼んでみたが、軍事機密であるということでそれ以上聞き出すことは出来なかった。しかしこの第2765基地で何かが起ころうとしていることは間違いないようだった。
疑問を疑問のままに置いておかないように教育されてきている。エリザはしばらく考え、星の福音教団に連絡を取ることにした。星の福音教団は政党を持っており与党として政府にも強い影響力を持ち、また軍に根を張り巡らしている血と鉄騎士団との関係も深い。大きな動きがあるのなら情報が入っているはずだった。エリザの頭からはここでの時間を休暇にしようなどと考えたことなど消えて無くなっていた。
エリザが最初に連絡を取ったのはすぐ隣の市の教会だった。評議員は党の代表者であると共に、星の福音教団においても有力者である。弱冠二十四歳ながら、エリザは幹部と呼ばれる立場におり、その質問はかなりの優先順位を持って処理された。結果、エリザの質問に答えることになったのは、市教区の司祭で、これはいわば本社の取締役が子会社の支店の店長に連絡を付けたようなものだったから、ビジフォンに出た司祭はひどく緊張していた。言葉もろくに出ない有様で、エリザが望む情報はほとんど得られなかった。やむを得ず、本部に連絡を取ると、エリザと同じく評議員をしている幹部が出た。二十歳ほども歳上の幹部は複雑な表情で、答えた。
『軍に妙な動きがあるのは間違いない』
「……そうですか。政府の方に情報は?」
『入っている、らしい』
「らしい、ですか?」
『腹立たしいことに大統領レベルで話は止まっている。お前も知っている通り現在の大統領は我が党の人間ではない。戦争の英雄、ウォルフラムだ。彼は我が党には好意的ではない』
「大統領は我が党の人間ではないにしても、その周囲には補佐官でも官僚レベルでもいくらでも教団の影響下にいる人間がいるでしょう。彼らから情報は入らないのですか。それとも、周囲にはまったく情報が漏れていない、ということですか?」
『後者ということになるな』
「それは……大事ですね」
『間違いない。ああ、いい忘れた。一応、今晩、我が党の党首が非公式に大統領から面会の要請を受けている。大統領がどんなに我が教団を嫌っていようと、大きい動きであればあるほど、我が党の協力無しには出来ないはずだからな。おそらくそこで全貌が明らかになるだろう。そちらには何か情報が入っているのか? なぜ連絡を取ってきた?』
「こちらで分かったことといえば、おそらくその軍の妙な動きとやらには参謀本部が深く関わっているということくらいです」
『参謀本部か。なるほど、見えてきたぞ。参謀本部に強い影響力を持つ上級大将がいただろう』
「ユーデンキュニヒ上級大将ですね?」
『そいつだ。そいつとウォルフラム大統領はデューレン会戦で轡を並べている。いまだに個人的にも親しい間柄だという情報もある。二人が何かをたくらんでいる、ということか』
「--いったいなんでしょう? 軍事革命でもやらかそうというのでしょうか?」
『正直想像も付かんな。いずれにせよ、今晩には分かることだが……』
「私はどうしましょう? 戻った方がいいでしょうか?」
『いや。党の人間が現在動きのある軍の中にいるというのは好都合だ。そこに居続けられるだけ居続けろ。もっとも身に危険が及ぶようだったら無理はするな。速やかに脱出しろ』
「分かりました」
『お前は確か休暇中だったな』
「そういうことになっています」
『休暇が潰れて悪いな』
「いえ。ちょうど退屈していたところでしたから」
退屈ではなく、先延ばししたい問題があるのだ、ということまでを説明するつもりはなかった。エリザはビジフォンを切り、首から下げた十字架を口元に当てた。唇にひんやりとした金属の感触が伝わった。考え事をするときのエリザの癖だった。いったいなんだろう。この国になにが起ころうとしているのだろう。とてつもない何かであることは間違いない。おそらく多くの人々がその事件に巻き込まれることになるのではないか。自分はその中でどんな役割を果たすことになるのだろう? そしてイマニエル・ゲルトハイマーは?
夜が更けていく。
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アイゼンクは第2765基地にシラー中将の部隊を引き入れる必要があるかも知れない、と考えていた。ユーデンキュニヒ上級大将の計画に賛同しているのは、参謀本部の他、シラー中将率いる第八師団など九個師団である。スーリヤ共和国には十五師団存在しており、半数以上がユーデンキュニヒ上級大将の同志であるわけであるが、六師団の去就は定かでなく、さらに各基地には基地部隊が存在していて、彼らとも意志の疎通が出来ていないというのが現状であった。状況を開始するには時期尚早であるという考え方もできるが、残念ながらそれ以上に差し迫った事情があった。
そういうわけで、アイゼンクは巨大な宇宙船用滑走路を建設する土地を探していただけでなく、もう一つ、各基地に対する判断を下す役目も担わされていた。完全敵対の動きをしそうな基地に対しては先手を打って無力化しておく必要がある。第2765基地に関して、戦力としてはそれほど重要ではない。しかし、今回の計画の要である大空港の予定地に選ばれた以上は、基地部隊に抵抗されたら全ての計画が頓挫する可能性もあったし、それは絶対に避けねばならなかった。
正直、アイゼンクはいまだ第3765基地司令ブレヒト准将の性格を掴みかねていた。少なくともかつて高い能力を持った軍人であったことは確認できた。しかし、それが今も残っているのかどうかははっきりしなかったし、さらにこの計画に対して賛同を得ることが出来るような「理性的」なタイプかどうかも分からなかった。
軍人の中には国民よりも国土を絶対視する者も多い。
ユーデンキュニヒ上級大将もその点を心配していた。
先の司令室での言葉通り、ブレヒト准将はユーデンキュニヒ上級大将に確認を取ったらしい。もちろん、ユーデンキュニヒ上級大将は「正式な命令」であることを伝えただろうし、実際に工事は始まっている。速乾性コンクリートの土台と、磁気レール式打ち上げシステムの敷設のみであるから意図的なサボタージュがなければおそらく一週間程度で完成するだろう。マンハイム大尉が現場指揮を行っているというのが気に掛かりはする。彼は明確にアイゼンクに対して悪意を持っている。アイゼンクが持ってきた命令というだけでサボタージュを行う可能性もあった。しかし、最終的に軍隊というのは完全な上意下達式の組織であり、基地司令官であるブレヒト准将が積極的に行動すれば、自ずと周囲も積極的になる。つまり鍵はブレヒト准将なのである。そして、そのブレヒト准将の意向が分からないのである。
やはり、シラー中将の第八師団を呼び込むべきだろうか。
しかし、可能ならば今の段階で軍を動かすのは避けたかった。軍の移動に関しては敵もそして味方も敏感である。今の今まで極秘裏に進めてきたのが全て無駄になってしまう。
ブレヒト准将と二人きりで会い、説得を試みるべきだろうか。先日の会話では、ブレヒト准将は何かを掴んでいるような気配があった。しかし、データを調べてみたところ、彼に情報源になりそうな階級の高い「知人」は存在せず、もし彼が概要なりとも計画を掴んでいるとすれば、当事者から聞いたのではなく、耳に入ってくる情報を分析した結果、そのような結論を出したということになる。それは大した能力であるといえたが、それがこちらに有利に働くことになるかどうか。そもそもこの空中戦艦用の簡易滑走路の建設計画も、理性的な思考を経ればある程度の推測が可能な材料となる。普通に考えればマンハイム大尉がいうように馬鹿げた意味のない計画なのである。それを敢えて命じる意味。マンハイム大尉は参謀本部の気まぐれと断じてその裏に潜む意味を考えようともしなかったが、そんなものではない。これが計画の要なのだ。
自室のベッドの端に座りしばらく悩んでいたアイゼンクは意を決して立ち上がった。
ブレヒト准将と話をするつもりだった。いよいよ決裂し、基地ごと計画に敵対するようなことになりそうな場合にはブレヒト准将を射殺することも辞さないつもりだった。それなりに騒ぎになり自分も当然生きてはおられないかも知れないが、全てがお釈迦になるよりはましだった。これはスーリヤ共和国二億の国民の未来に関係することなのだから。
アイゼンクは腰に吊した銃の弾丸を確認し薬室に初弾を送り込んでから部屋を出た。
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ブレヒト准将の副官、マンハイム大尉は全てに腹を立てていた。突然参謀本部からやってきた中佐に対しても腹を立てていたし、中佐が「指令書」と称して立案してきた計画にも腹を立てていたし、最終的にその計画を実行に移すことを決めたブレヒト准将に対しても腹を立てていたし、その計画の現場指揮を執ることになった自分自身にも腹を立てていた。
そのアイゼンク中佐が「人払いの上、ブレヒト准将と単独で話をしたい」といってきたときに怒りは最高潮に達し、さらにそれをブレヒト准将が受け入れ、自分に向かって部屋を出るように命じたときにはめまいさえ感じた。
マンハイム大尉は基本的に自分を被害者だと思っている。
マンハイム大尉は現在三十一歳である。二十三歳の時、士官待遇の政治将校としてブレヒト少佐(当時)の側近となった。それ以前は血と鉄騎士団の熱心な構成員の一人であり、軍内部にある程度足場を固めた血と鉄騎士団から、より軍との関係を緊密にするために将校待遇として途中入隊した者たちの一人であった。以来、ブレヒトの周囲の細々とした雑用を片づけ続け、気が付くと副官になっていた。尊敬する軍人である(様に見えた)ブレヒトの手助けをして、スーリヤ共和国のためにもなり、さらに血と鉄騎士団にも貢献できる仕事であるのだから、幸福なことだったと思っていた、少なくともブレヒト准将がワイス元帥と衝突して出世コースから外れるまでは。マンハイムの信頼にも関わらず、ブレヒト准将はワイス元帥に「虚栄心」から逆らい自分勝手に立場を悪くし結果としてマンハイム大尉の信頼を損ね、マンハイム自身もまた血と鉄騎士団における扱いが変わってくるに及び、マンハイム大尉の中でブレヒト准将は仰ぎ見るべき偶像から蔑むべき対象へと変わった。そしてそれからは自分のことを不運を通り越して不幸だ認識するようになった。
“まともに人の相手をすることが出来ない”ブレヒト准将に代わって、マンハイム大尉が前面に出るようになったのはその頃からである。無礼と取られてもおかしくない行動にも関わらずブレヒト准将が何もいわないのでマンハイム大尉はますます増長した。自分をブレヒト准将の頭脳的な役割を果たすものと勝手に決め、そのように行動した。周囲の人間はマンハイム大尉の行動に好意的ではあり得なかったが、ブレヒト准将が何もいわないためにほとんどの人間は何もいうことが出来なかった。それでも敢えてマンハイム大尉に不快を示す人間もいたが、そんな場合はマンハイム大尉の方が「相手は自分のことを嫉妬しているのだ」と思い込み苦言をシャットアウトしてしまうために何の効果もなかった。
マンハイム大尉は基地において奇妙に浮いた存在である。局所に出来た一過性の腫れ物に似ている。手術して取り除くには勇気が必要であるし、我慢していればそのうち掻痒感は去る。
触らぬ神にたたり無しとばかりにマンハイム大尉の周辺から人が居なくなり、彼はいよいよ孤立して、しかしそのことに気づかなかったため彼自身の態度はまったく変化しなかった。相変わらずまるで基地の司令官であるかのように振る舞い、周囲に反感と憎しみを撒き散らし、そしてその攻撃を彼自身の特異な精神システムとブレヒト准将の存在でガードし続けた。
そして今なお、マンハイム大尉は、自分を被害者だと思っている。
ブレヒト准将さえしくじらなければ、軍において自分に与えられた権限はもっと大きかったはずだった。血と鉄騎士団内でもそれなりの地位、たとえば爵位などを授けられていたはずである。
すべてはブレヒト准将が悪い。
ブレヒト准将のせいだ。
マンハイム大尉が星の福音教団の幹部で評議会議員エリザ・カウフマンの来訪を聞いたときに最初に考えたことは、「彼女の力で間違った軌道を進んでいる自分の人生を正しい位置に修正できないか?」ということだった。星の福音教団は血と鉄騎士団に対して巨大な影響力を持つ。スーリヤ共和国国民のおよそ六割が信仰している宗教であったし、マンハイム大尉自身も星の福音教団の教会に通っていた。あらゆる時代において数は力を意味する。星の福音教団出身の評議会議員ともなれば、当然血と鉄騎士団上層部にも何らかの繋がりはあるだろうし、あるべきだった。そしてマンハイム大尉は、星の福音教団の幹部が、信者のために働くことは当然であると考えていた。
エリザ・カウフマン評議員到着の際にマンハイム大尉がブレヒト准将よりも先に彼女に挨拶したのはそんな思惑があってのことだった。
普段でも外来者が来た場合にブレヒト准将を出し抜いて挨拶することがあったが、今回のマンハイム大尉は真剣だった。ブレヒト准将が馬鹿なことをいって評議員が怒って帰ってしまったりしたら元も子もないのである。マンハイム大尉が持っている愛想を最大に振り絞り、彼が十六歳の時に付き合っていた女の子が「可愛い」といってくれた笑顔を振りまいた。評議員は思っていたよりもずっと若く見える美しい女性で、そのことが多少マンハイム大尉を戸惑わせたが、計画を変更する必要は認められなかった。いやそれ以上に、もともと女性であるからこそマンハイム大尉は、周囲の人間が彼の唯一の長所として認識している彼の外観を最大限利用つもりであったし、その結果得られるであろう相手の好意は、マンハイム大尉に限定的な快楽をもたらしてくれる可能性もあった。
上手く進んでいると思っていた。しかし司令室でエリザ・カウフマン評議員が口に出したある個人の名前がマンハイム大尉を戸惑わせた。
イマニエル・ゲルトハイマー。
マンハイム大尉は彼のことを知っていた。
軍における経歴に付いてではない。
それ以前のことである。
それはマンハイムが軍に入る以前のことだった。
マンハイムが血と鉄騎士団の準構成員となったのは、高等学校を卒業してすぐで、十八歳の時だった。在学時から地元の青年団に出入りしていたから、顔見知りの事務員にもらった書類に必要事項を書き込んだだけで彼が入団するために行った手続きは極めて簡単だった。もともと彼は血と鉄騎士団創設者ゴットフリートの熱心な信奉者で、彼の著作は暗記するほど読んでいたし、父親は彼がほんの幼児の頃に戦死して母親の手で育てられたため、父性的な存在を求めていた。あらゆる意味において、血と鉄騎士団に入るべくして産まれてきた人間だった。彼の中では世界は明確に「善と悪」に」区別されており、その判断基準はゴットフリートの教えに沿った生き方をしているかどうかだった。
ある意味で彼は純粋であったといえる。
血と鉄騎士団がある程度大きくなってからは、他のあらゆる政治団体同様上位構成員たちは純粋では居られなくなった。政治とは妥協と計算とで成り立っているものであり、熱意だけで騎士団の運営は不可能であるからである。
また上位構成員の名簿を見れば、高学歴の者が多い。これは組織が大きくなれば専門的な知識を必要とする部署が増えてくるということと、また組織の運営とは多かれ少なかれ知性を必要とするものであるからだった。マンハイムの様に高等学校を卒業してすぐに入団するなど、使い捨て要員に名乗りを上げるようなもので、騎士団における出世のことを考えれば、まったく不利で愚かな選択だった。
しかしマンハイムは高等学校卒業後すぐに血と鉄騎士団に入った。給料は払われず、寝るところと三度三度の食事のみで働きに働いた。マンハイムはそれで満足していた。彼のこの努力によって少しでも世の中がよくなると考えていたのだった。
当時の彼の仕事はカッセル市のクルダにおける指導員だった。そして、そのクルダに、各地のクルダを転々としてきた十五歳のイマニエル・ゲルトハイマーが送られてきた。
出会ったとき、イマニエルは十五歳で、マンハイムは二十歳だった。
イマニエルは札付きの「能なし」としてカッセル市のクルダに送られてきた。十五歳になると、クルダの子供たちは「実働教育」が施される。労働することによって、社会のシステムを学ぶというたてまえだったが、要は、金銭を稼ぎクルダに納めるという奴隷制的システムであった。これにイマニエルも駆り出されたわけだが、彼は金を稼いでくるどころか苦情を持って来たらしい。指導員はそれぞれの下についたクルダの子どもたちを使っていかに多額の金を稼ぐことが出来るか競わさせせられていて、イマニエルはマンマイムの下につけられていたためマンハイムは焦り、そして怒った。
マンハイムの見たところ、イマニエルは決して頭が悪くて問題を起こしているわけではなかった。それは度重なる知能検査によってもはっきりしていた。平均よりもむしろ高いほどである。にもかかわらず、“まともに”仕事もできないのは、イマニエルの性根が腐っているからだ、とマンハイムは判断した。
性根を叩き直すため、私的制裁が行われた。
マンハイムのために弁護しておくならば、血と鉄騎士団は軍隊的な要素が強く、上位にいる者から下位の者に対して頻繁に私的制裁が行われるため、マンハイムにとってはそれが常識で、悪いことであるなどとはまったく思っていなかったはずである。マンハイム自身、合宿などでたびたび指導員から殴られていたし、それを当然のことと考え、制裁を受ける自分を恥じて、次は失敗しないように努力した。むしろ指導員に対して感謝していたほどである。イマニエルも当然そうなるだろうとマンハイムは期待していたのだが、イマニエルの態度に変化はなかった。マンハイムは知らない事実だったがかつてデューレンのクルダにおいて瞑想室に入れられた後も変化がなかったように、彼はまったく変わらなかった。
教育のための制裁はやがて怒りを吐き出すためだけの暴力に変わった。
イマニエルはただ耐えた。殴られても戸惑ったような顔のまま泣きもせず、蹴られても怒りを見せなかった。食事を抜かされると空腹のまま床についた。一度も不満も不平もいわなかった。ただ、哀しそうな顔を時々浮かべるだけだった。
いつまで経っても変わらないイマニエルに、マンハイムは殺してしまいたいほど憎悪したが、同時に彼自身の成績も上げなければならなかった。
まともな仕事ではイマニエルは稼ぎを上げられない。
そこで彼が思いついたのは違法すれすれのアルバイトだった。
ブレイン・レンタル--そう呼ばれている。
その名の通り、脳を貸す仕事である。人類は五十年前にすでに人類の脳と同等の能力を発揮する直感型コンピュータの開発に成功していたが、それは一軒の家がいっぱいになるほど巨大なもので、その後のダウンサイジングはうまくいっておらず、いまだ商業化には至っていない。直感型コンピュータは、膨大な情報の中からある種の傾向を見つけるのに非常な効果があり、たとえば景気の行く末や、さらにはプロジェクトの問題点などを調べ上げるのに有効な手段である。つまり脳は現状商業ベースで使用できるほとんど唯一の直感型コンピュータなのだった。脳を端末として使用するといっても、脳を体内から取り出すわけではない。入力と出力は特殊な磁気発生システムを使って、頭蓋の外から行うのである。もっとも不自然な負荷がかかるために脳と精神に後遺症が残り、多くの星系国家では禁止されていたし、禁止していない社会でも十八歳になるまでは絶対許されなかった。
マンハイムはイマニエルに自らの意志で行うという宣誓書を書かせ、さらに店側には十九歳と偽らせてブレイン・レンタルを行わせた。借り主は、違法と分かっていながらイマニエルにブレイン・レンタル用の機器を取り付けた。金になると分かっていてもその危険性からブレイン・レンタルの志願者はほとんど居なかったのだった。
その週からマンハイムのチームの売り上げはトップになった。そしてそれはイマニエルにブレイン・レンタルをさせている間は変わらなかった。
一年ほどたち、マンハイムは“優秀な”準構成員と認められ、本部に戻ることになった。
別れる際にマンハイムはイマニエルを呼び出してブレイン・レンタルのことを絶対に秘密にしておくよう念を押した。イマニエルは黙って頷いた。
その後、政治将校として軍に入ったマンハイムはイマニエルもまた軍に入隊させられたと聞いた。後任はイマニエルの便利な使用法を見つけられなかったのだろう、とマンハイムはあざ笑った。そして忘れた。
スーリヤ共和国軍には百万人近い人間が所属している。まさか基地で再びその名を聞くことになるとは思わなかった。
イマニエル・ゲルトハイマー。
まだ直接会ってはいない。
会う意志もなかった。
ブレイン・レンタルは精神に奇怪な後遺症を残すとされている。ちまたの噂では、ブレイン・レンタルの常習者は肉体にも変化が現れる場合があるといわれ、妖怪の様に扱われることさえある。
マンハイムに明確な罪悪感があったわけではなかったが、もし実際にイマニエルに会って、昔も変だったがそれ以上に変になっているのを見たら、さすがに多少の良心の疼きは感じるであろうし、それを本能的に避けていたのだった。
しかし状況が変わった。
会う必要があるかも知れなかった。
彼が利用しなければならないエリザ・カウフマン評議員とイマニエル・ゲルトハイマーは個人的な繋がりがあるらしい。イマニエルの口から余計なことをいわれたら、もくろみが全ておじゃんになってしまう。その前にもう一度イマニエルに絶対にブレイン・レンタルのことは黙っているように念を押す必要がある。かつてイマニエルは昔もマンハイムの命令に唯々諾々と従った。今度もまた同じだろう。いや、上手くコントロールできればイマニエルを通してエリザ・カウフマン評議員を動かすことも出来るかも知れない。
そうだ、そうに違いない。そうするべきなのだ。昔そうだったように今度もイマニエルは俺の役に立たなければならない。
マンハイム大尉は奇妙に晴れやかな表情で、イマニエルの部隊が入っている兵舎に向かった。
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司令室で二人きりになってもブレヒト准将個人の印象はまるで変わらなかった。しかし、副官が居ないというだけでずいぶん話しやすい雰囲気になった。
なぜだろう、とアイゼンク中佐は思った。
おそらく、ブレヒト准将のいつもどこか戸惑っている様な雰囲気が、相手の警戒心を解くのではないか。普段であると代わって副官のマンハイム大尉が出しゃばってくるので、こちらは否が応でも警戒心を抱かざるを得ず、そしてブレヒト准将個人の印象としてはお飾りの司令というイメージが残る。しかしこうして二人きりで向かい合っていると、どこか頼りのない叔父の様な親しい雰囲気が醸し出され、そしてそれは自分の力で可能な限り手助けしなければ、という気にさせるのである。
不思議なものだ、とアイゼンクは思った。
ブレヒト准将という人物は自信満々という雰囲気から最も遠い人物だった。初めは左遷されることによって覇気を失ったのかとも考えていたが、どうやらそうではなく生まれついての性格のようである。つまり名将の条件の一つである「人を強引に引っ張る統率力」というキャラクターからは外れている。しかし、それでもなお、かつての戦場における働きをなるほどと思わせる何かがあった。
おそらくこの人物は戦場の、それも最も砲火が激しい最中にあってもこの雰囲気を保ち続けるに違いない。それは部下に信頼と安心感とを与える。
しかもいつも戸惑ったような顔をしているブレヒト准将であるが実際に決断を迫られた場合、その判断に迷いはない。首を傾げ一瞬考え込んだ後、いつもよりもはっきりした口調で結論を語る。普段、戸惑ったような雰囲気がある分、普通に話をしてもそれが自信があるような錯覚を起こさせる。
おそらくブレヒト准将はそれを計算してやっているのではないのだろう。天性のものである。そしてそれが戦場において“たまたま”役に立っているのだ。
ブレヒト准将に対して三日後に迫った『発表』に関するあらましを説明しながら、アイゼンクはそんなことを考えていた。
ブレヒト准将は表情を変えることなく、相変わらず戸惑った顔つきでアイゼンクの説明を聞き続けた。
全てを説明し終わったとき、アイゼンクはもしブレヒト准将が反対行動を起こそうとした場合は殺してでも阻止しようと考えていたことなどすっかり忘れていた。それほど、ブレヒト准将は聞き上手で、アイゼンクは熱心に語ったのだった。
アイゼンクが口を閉じてブレヒト准将の答えを促すようにまっすぐ目を見ると、ブレヒト准将は頷き、それから首を傾げた。今日の夕食は何にしようか、という程度の表情だった。しばらくそうしてからブレヒト准将は口を開いた。
「他に方法がないことはよく分かった。しかしそれを全国民に強制的にやるつもりかね?」
「いえ。志願者のみです。参謀本部の計算ではおよそ七割の人間が同意すると考えられています」
「……ならばやむを得ないだろう」
「協力いただけますか?」
「協力するも何も、我々の目的は一つ。自国の国民を守ることだ。そのためであったら地獄に出兵するといわれても断れやしない」
そういってブレヒト准将は微笑した。
「有り難うございます」
「君に礼をいわれる筋合いはないが、まぁ悪い気持ちはしないな」
「申し訳ありませんが、宣誓をお願いいたします」
「いいだろう」
聖書の上に銃を置き、軍の中で一般的に流布されている方法で、ブレヒト准将は宣誓を行った。それを受け、ようやくアイゼンクは顔をほころばせることが出来た。
「この作戦は同志たちの間ではケルベロスと呼称されています」
ブレヒト准将は拳銃をホルスターに戻しながら頷いた。
「--なるほど、三方向からの進軍というわけか」
「ご推察の通りです」
「我が第2765基地は何をすればいい?」
「基地の歩兵は、脱出する市民の護衛を。さらに基地艦隊は侵攻部隊に加わってもらいます」
「いいだろう。私も私の艦ブランデンブルグに乗って侵攻部隊の一翼を担おう。私が加わる予定の艦隊の総司令は?」
「シラー中将閣下です」
「それは楽しみだな。彼の用兵は重厚かつ華麗であることで有名だ。間近で見る機会が訪れるとは思っていなかった」
「それにしても閣下はこの作戦の概要をある程度掴んでいらっしゃるようにお見受けしましたが--」
「いや、宇宙港の建設と聞いて、ある程度の想像は付いていた。私にも友人はいる。軍ではなく、民間だが、な」
「民間にこの作戦を掴んでいる者がいるのですか?」
ブレヒト准将は微笑んで首を振った。
「君たちのいくつかの動きのほんの一部を掴んでいるに過ぎない。私は情報部が動いていること、ユーデンキュニヒ上級大将閣下とウォルフラム大統領とが密会を重ねていること、そしてこの宇宙港建設を知って、概要をようやく把握することが出来た。それでも、脱出なのか、あるいはラフレシア遊星旅団など外部勢力を呼び込むつもりなのか判断は付かなかった」
「安心しました。現段階で情報が漏れるのは避けなければならないので……」
「発表はいつするのかね?」
「三日後です」
「宇宙港が出来る日だな」
「はい。ここ以外に、四カ所で宇宙港が完成しつつあります」
「……全ては予定通りということか」
「だと良いのですが--」
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本部からエリザあてに連絡が入ったのは深夜に近い時間だった。
エリザは部屋でちょうどシャワーを浴び終わったところで、裸体にバスタオルを巻いただけの姿でビジフォンを取った。
画面にひどく疲れた昨日の評議員が現れ、『夜分にすまんな』といった。
「いえ。まだ床に就く前でしたので」
エリザはシャワーを浴びてさっぱりした顔で答えた。一方、画面の中の相手は少なくとも丸一日はシャワーを浴びてない顔だった。その顔を、ごしごしと擦り、『--軍が何をしようとしているか分かった』
「そうですか」
『エクソダスだ』
「エクソダス?」
『大脱出だよ。この星から、な。昨夜から今朝に掛けて我が党の党首と大統領とが会談をして、分かったことだ…………驚かないのか?』
「--驚いてます」
『そうは見えないがな』
そう見えなくてもエリザは驚いていた。大脱出? 何をいっているのだろう?
詳しい説明を聞きたかったが、評議員は防諜設備の整った場所でないと話が出来ないといって、それから『すぐに戻ってこい』といった。
「すぐに……ですか?」
どことなく現実感が無くて間抜けな返事をしてしまった。
『すぐに、だ。教団として早急に対応を決めなければならない。国民に発表されるのは二日後だが、それまでには準備態勢を整えておく必要がある。--どうした? 何か不都合でもあるのか?』
「いえ……」
イマニエル・ゲルトハイマーの顔が脳裏に浮かんだ。しかしそれをエリザは振り払った。
「すぐに戻ります」
ビジフォンが切れてしばらくその場に立ち尽くしそれから自分がバスタオルを巻いただけの姿であることを思い出した。思い出した途端に寒さを感じ、エリザは慌てて服を着た。
寝間着替わりのナイトガウンを着ながら、何か運命とかそういうものが二人を隔てているのかも知れない、とエリザは思った。
十四年経ってようやく見つけだした彼女にとって唯一家族と呼べる相手と、直接会うことが出来ないままこの基地を去る。
神とまではいわないまでもそれに近い何かが二人に嫉妬しているのではないか。
そこまで考えてエリザは苦笑した。基地に到着してからイマニエル・ゲルトハイマーと強引に面会しようとしなかったのは彼女自身の意志である。自分が再会を怖れ後延ばしにしてきたからこうなったのだ。今日はもう遅すぎる。そして明日、党からの迎えは早朝に来るらしい。当然、イマニエルと会う機会は無いだろう。
それからエリザは気づいた。
手紙という手段があるではないか。
直接会う前に手紙で近々会いに行く旨を伝える。ひどくまっとうなことに思えた。突然、エリザが会いに行った方がイマニエルは驚くだろうが、それだけのことだ。あらかじめ知っておけばエリザとの想い出も思い出しておいてくれるだろうし、話す話題も増えるだろう。そしてエリザが密かに怖れていること--イマニエルがエリザのことをすっかり忘れているという事態を避けることもできる。
なぜこんな単純なことを思いつかなかったのだろう。
幸い電子メールが主流になった時代でも紙のメールは無くならなかった。手紙とハガキの配達を主な産業とする組織は存在しなくなったが、惑星上を網の目のように巡る宅配システムが、巨大な家具と同様に紙メールを送り届けてくれる。
エリザは端末を立ち上げ、ディスプレイの下に収められていたキーボードを引っぱり出した。
そして紙メールを書き始めた。
ひどく長い紙メールになり、ナイトガウンという薄着で作業していたエリザは風邪を引いた。書き上がった紙メールを封筒に入れ、ようやく眠りに就いた。すでに夜明けは近かった。
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緊急発表は、あらゆるメディアで行われた。その発表を見た国民の割合は全国民の九十二%に及んだ。
そしてその半分が泣いた。
発表したウォルフラム大統領も泣いていた。




