【第二夜‐孤独の兆し】
放課後の廊下は、雑音で満ちていた。
靴音、笑い声、ふざけ合う男子の声。教室の隅からも、スマホを囲んで笑う女子たちの声が漏れてくる。
俺――鈴木大翔は、その輪のどこにも入らない。
入れるはずもない。
声がうるさい。笑い声がうるさい。
「青春」だか何だか知らないが、俺には関係がない。
孤独でいることに慣れた。慣れたはずだった。
――なのに。
「ねぇ、大翔君」
不意に肩を叩かれ、心臓が跳ねる。
振り向けば、そこに立っていたのは昨日出会った少女、神無だった。
「……なんで」
思わず声が掠れる。
俺に話しかける理由なんて、どこにもないはずなのに。
神無は小柄な体を少し傾け、俺の視線を覗き込む。
その瞳は澄んでいて、作り物めいた笑顔ではない。
俺が一番嫌う「陽キャのきらびやかさ」も、場の空気を壊す寂しさもない。
「昨日、あんまりちゃんと話せなかったから。少しだけ、一緒に帰らない?」
唐突な誘いだった。
普通なら即座に断る。
「楽しくないだろ」と冷たく突き放して、二度と近寄らせないのが俺のやり方だ。
「別に……俺なんかと歩いても楽しくないだろ」
口をついて出た言葉も、いつものように鋭さを持っていた。
だが神無は微笑むだけで答えた。
「楽しいかどうかは、決めるのは私でしょ?」
――息を呑んだ。
あまりに自然すぎる即答。
拒絶をものともしない軽さ。
それでいて押しつけがましさがない。
俺の偏見が揺らぐ。
二人で歩き出す。
廊下を抜け、夕暮れの校門へ。
周りは相変わらず喧噪に満ちているのに、俺の耳には妙に遠く感じられた。
沈黙が続く。
普段なら、この沈黙が耐えられないはずだ。
「何か話さなきゃ」という焦りに駆られるのが普通だろう。
だが、不思議と苦しくなかった。
神無は俺の言葉を急かさず、ただ歩幅を合わせている。
それだけで、居心地がよかった。
歩きながら、頭の奥に小学校時代の記憶が浮かぶ。
あの頃、好きだった漫画や手芸、ゲームや絵――全部、友達やクラスメイトに馬鹿にされた。
「男のくせにそんなのやるの?」
「女のくせに、そんなんじゃダメだよ」
その一言で、俺は心の扉を閉じた。
誰かに見せることも、理解してもらうことも諦めた。
「男らしさ」「女らしさ」――そういうものを考えるのも、もうやめた。
自分の感情や趣味を、他人の目に委ねるのは怖すぎたからだ。
あの日以来、俺は孤独と偏見の鎧をまとった。
「陽キャどもはうるさい」
「自分とは違う世界だ」
その感覚は、単なる偏見じゃなく、生き延びるための防衛策だった。
――だから、神無の自然体は異様に眩しかった。
俺が閉ざした世界に、初めて小さな光を差し込む存在――それが彼女だった。
「……どうして、俺に話しかけたんだ?」
とうとう俺は聞かずにいられなくなった。
神無は少し考えるように夕空を見上げ、答えた。
「大翔君、すごく寒そうに見えたから」
――寒い?
教室の暖房は効いていた。気温の話ではないことは分かっている。
胸の奥が、刺されたように痛む。
「……余計なお世話だ」
本当はその言葉が、妙に心に沁みていたくせに。
神無は怒らず、ただ微笑むだけだった。
その微笑みが、俺を狂わせる。
俺の孤独に、初めて誰かが触れた。
それが怖くて、同時に――救われるようでもあった。
気づけば、俺は無意識に手首へ指を伸ばしていた。
冷たい皮膚をなぞる。
ここに爪を立てれば痛みが走る。
その痛みでしか、生きている実感を得られない夜もあった。
でも今は――その冷たさに、少しだけ温かさが混じった気がした。
「……本当に変なやつだな」
ぽつりと呟くと、神無が首をかしげる。
「どっちの意味で?」
「……両方」
二人の間に沈黙が落ちる。
だがそれは重さではなく、妙に落ち着く静けさだった。
校門を出ると、空は朱に染まっていた。
神無が足を止め、笑顔で言った。
「それじゃあ……また明日、よろしくね」
軽やかに去っていく背中。
その姿を、俺は思わず目で追った。
――俺はまだ、この世界も陽キャどもも嫌いだ。
でも、神無だけは……どういうわけか違う。
その矛盾に、心臓がまた強く打った。
夕焼けに染まる空と、冷たい風。
孤独の中で感じた、この小さな温度の変化――
それは、確かに俺の世界に、微かな揺らぎをもたらしていた。




