2.エレナ・ハーリントン
高い天井、窓には女神のような女性の描かれたステンドグラスがあり、陽の光を受けて聖堂の中を明るく染めていた。
普段はミサや礼拝を行っているのだろう、木の椅子が並んでいる一番前、掲げられた十字架の前で、数人の大人が立っている。
白い服を着た、見るに神父と思しき中年の男性の腕の中から、泣き声の主が収まっていた。
「ああ、困った、泣き止んでおくれ……!」
神父様はぎこちなく赤子を抱きしめ揺すっているが、泣き止むどころか鳴き声はさらに強まるばかり。
周りに立っている若いシスターの一人が、代わりますと腕を差し出したので、彼女の細腕に赤子を渡すも、ゆすっても、頭を撫でても、
「ほぎゃあ! ほぎゃあ! ほぎゃあ!」
一向に泣き止まない。
教会の中にその声は反響し、泣きたいのはこちらの方だと言わんばかりに困り顔のシスターと神父たちを目の前にして、私は声をかけずにはいられなかった。
「あの、もしご迷惑じゃなければ、私があやしてもいいでしょうか?」
胸の前で小さく手を上げた私に、視線が集まる。
「一応、私保育士でして」
赤の他人に子供を抱っこさせるのが気がひけるだろうから、安心させたいと自分の職業を伝えると、神父とシスターは顔を見合わせて頷いていた。
「では、お願いします……」
「ほぎゃあ! ほぎゃあ! ほぎゃあ!」
シスターから手渡された赤ちゃんを腕の中で包むと、小さいけれど羽のように軽い訳ではなく、ずしりと命の重さが伝わってくる。
顔を真っ赤にし、目からたくさん涙を流し、口を大きく開けて必死に何かを訴えている赤ちゃん。
「よーしよし、大丈夫よ、怖くない怖くない」
私は実習中に学んだ赤子が落ち着くリズムで背中を叩きながら、膝を動かしゆっくり揺らす。
すると、自分の頭の中で無機質な声が聞こえた。
『《慈しみの抱擁》発動、《天使のゆりかご》オン』
その声に合わせて、私の体を温かく明るい光が包む。
きらきらとまばよく光ったかと思うと、赤子は泣き止み、きょとんとした顔で私を見上げてきた。
「あら、泣き止んだ。ふふ、落ち着いたかな?」
私が微笑みかけると、赤子は目を丸く開いてじっと私の顔を見つめた後、へへっ、と笑いかけてくれたのだった。
(か、かわいい〜!! 金髪に青い目、天使みたいな可愛い子! 泣き止んでよかった)
私が腕の中の子のあまりの可愛さに目尻を下げていると、目の前の神父様とシスターたちは信じられないものを見たかのように驚いていた。
「まさか、一瞬で泣き止ませるなんて……」
「この方こそ、あの伝説の……」
とシスターたちの話し声が少しだけ聞こえる。
可愛いからってあまり長く人の子供を抱っこしてたら駄目か、と思い、
「はい、泣き止みましたね。もしかしたら眠かっただけかもしれません」
とシスターの腕に赤子を返そうとすると、
「ほぎゃあ! ほぎゃあ! ほぎゃあ!」
「あらら!」
また火がついたように泣き出してしまって、慌てて抱きしめる。
そして私の腕の中で、ニコリと微笑む赤ちゃん。
ずいぶん気に入られてしまったのかしら、と思いながらゆすっていたら、
「あの、あなたのお名前は……?」
男性の神父様が私に尋ねてきた。
そういえばこの夢の中に入るときに、
『汝の名は、エレナ・ハーリントン』
と呼ばれたのを思い出し、
「ええと、エレナ・ハーリントンと申します。……多分」
最後の多分は消え入りそうな声で告げる。
「ハーリントン家のご令嬢でしたか……まさかあなたが、この子を泣き止ませることができるなんて」
どうやら有名な家の出身らしい。
なぜ、現代日本とは到底思えないこの世界に来てしまったのか、まだ理由がわからない私が戸惑っていると、
「その子の名前はフィオ、男の子です。
昨日からずっと泣いており、丸一日誰が抱っこしても、ミルクをあげても、泣き止まなかったのです」
「ま、丸一日!?」
そんなに泣き続けたら、何か他の病気なんじゃないかとか、脱水症状にならないかとか、保育士の職業病ですぐに心配になってしまうが、そんな気配もなく腕の中のフィオという赤ちゃんは、にこにこと天使のような笑顔を浮かべている。
「そんな……この子の親御さんはここにいらっしゃるのですか?」
「いえ、我々は聖職者ですので」
聖職者は結婚しないというのはこの世界でも同じなようだ。神父もシスターも、自分の子ではないと首を横に振っている。
神父様は、顎に指を置き少し考えた後、
「ーーー至急、このことを宮廷に報告しよう。秘密裏に」
シスターたちに目配せをし、フィオを抱く私にこのまま聖堂で待っていてほしい、と頼むと、神父様は急いで建物から飛び出して行った。